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檻の中の君  作者: 二井星子
第2章 檻の中
31/47

31 生き残り①

 翌朝、アリアは日の出と共に起きた。起きてすぐ、密着した状態のフィリベルトからそっと離れる。ゆっくりと上体を起こし、フィリベルトを見た。


 ぐっすり眠っているのを確認して、ほっと胸を撫で下ろす。起きていないし、うなされていない。どうやら悪夢は見ていないようだ。


 アリアは改めてフィリベルトの寝顔を凝視する。


(大丈夫だ。何も感じない)


 眠っているフィリベルトをじっと見つめてみたところで、心が変に動くことはなかった。ただ、ぐっすり眠っているな、だとか、やはり目元が腫れているな、と思うだけだ。


 やはり昨日の自分はどうかしていた。


 アリアは慎重に寝台から出る。魔法を使って寝衣を看守の制服に替え、髪を一つに括る。


 便利であると同時に、恐ろしい魔法だとつくづく思う。


 一度範囲を定めれば、その範囲内のほぼ全てが思うままになる。この魔法の使い手に悪意があり、かつ他人に魔法を使った時のことを思うと背筋がぞっとする。


 支配の魔法を持つ王族に統治されたリンガイル国から亡命する者が絶えないのも頷ける。

 リンガイル国の内政がどうなっているのか、アリアにはわからない。しかし、遥か昔から亡命する者が絶えないからには、まともな用途では支配の魔法が使われていないに違いない。


 アリアはフィリベルトを起こさないよう、静かに寝室を出た。あることを確認するために、執務室兼書斎へ向かう。


 探している資料が執務室兼書斎になければ書庫に向かうつもりだったが、アリアの求めていた資料はすぐに見つかった。


 グリニオン監獄での物品購入の記録だ。


 ヴィリバルトが残した数年分の物品購入記録を、手早く確認する。


 確認を終えると、アリアは朝食を作るべく食料庫に向かう。廊下を歩きながら、監獄全体に意識を向けた。


 フィリベルト以外の囚人たちは皆、それぞれの独房にいるようだ。フィリベルトは寝室にいる。全員動かないことから、まだ寝ているのだとわかる。


 一階の食料庫にたどり着くと、貯蔵されている食料を確認していく。


 麦、雑穀、干し肉、干物、各種調味料と香辛料、硬めのパン、野菜に果物。どの野菜も果物も傷んでおらず、萎れていない。パンにもカビは生えていない。


 ここが比較的寒冷である北部であること、春先であること、食料庫の温度や湿度を加味すると、野菜や果物やパンが運び込まれたのは一週間から二週間以内といったところか。


 一通り見終わると、アリアは必要な食料を手に隣り合う厨房に移動した。

 ひとまず、手早く雑穀の粥と野菜入りのスープを作る。


 アリアが朝食を作り終える頃に、誰かが厨房に入ってきた。そちらに顔を向けずとも、気配で誰かがわかる。フィリベルトだ。


「おはようございます」

「おはよう」


 アリアはちらりとフィリベルトを見た。


 フィリベルトは囚人の面を付けている。目元が腫れているから付けているのだろう。唯一見える口元は穏やかな笑みを浮かべていた。


「何か手伝えることがあればと思いましたが、遅かったようですね」

「この程度なら一人で十分だ。気にするな」

「明日、もし僕が眠りこけていたら起こしてくださいね。朝食の準備を手伝いますので」


 一人で十分だと言ったそばから手伝うと言い出すフィリベルトに、話を聞いているのかと問いかけたくなる。


 アリアは小さく息を吐き、言う。


「君は料理ができるのか?」

「はい、できますよ。そこらの料理人と同等に料理することができます」


 断言だ。一般人どころか、それ以上——料理を生業とする者と同等に調理できると宣言した。


 そんなことまでできるのかと内心で驚く。


「君はなんでもできるんだな」

「ええ。大抵のことはできます」

「例えば?」

「乗馬、剣術、弓術、刺繍や裁縫、ダンス、楽器、描画、カリグラフィー、造園、宝石の鑑定や美術品の鑑定、伝書鳥の調教、読唇術なども心得ています。掃除も得意ですよ。あとは褒められたことではないのですが、文書の偽造なども得意です。他にもありますが、きりがありませんので回答は差し控えます」


 フィリベルトが元々ノイラート国の貴族であることは予想していた。通いのエントウィッスル侯爵家の使用人の証言からは、フィリベルトが平民のふりをしていたことがうかがえる。それらを加味しても、できることが多岐に渡り過ぎている。異様だ。


「どうしてそんなことができる? なぜ覚えた?」


 フィリベルトの口元はゆるく弧を描いたまま、動く気配がない。


 囚人の面の下で困ったように笑っているのだろう。どうやら答える気はないらしい。聞き出すのは諦めた方が良さそうだ。


 そして、どうしてそんなことができるのかということ以上に、なぜそれを今アリアに話したのかということが気になる。


 フィリベルトは四年間もの間、拷問を受けながらも自分の名前と年齢、エントウィッスル侯爵令息の従者であったことしか口を割らなかった男だ。


 それであるのに、なんでもないことかのように話して聞かせた。口を滑らせたわけではないことは、これまでのフィリベルトを見ていればわかる。この男は失言などしない。明確な意図を持って、アリアの問いに答えたのだ。


 ともすればフィリベルトの正体を疑い、不審を抱きそうなことを、なぜわざわざ話して聞かせたのか。


「まあいい。そこの棚から食器を出してくれ」

「わかりました」


 フィリベルトの手を借りて、出来上がった料理を盛り付けていく。


「上まで持って行きますか?」

「魔法を使うからそのままでいい」


 朝食が出来上がると、二人揃って食堂に向かう。


 食堂は談話室と同じ内装の広い部屋で、長方形の大きなテーブルが二台、並べて設置されている。テーブルの短辺に椅子は置かれておらず、長辺に等間隔に椅子が置かれている。ただそれだけの部屋だった。


 出入り口の扉は南側に一つと、談話室に繋がる北側の扉のみだ。


 東側の壁面には窓があり、西側の壁面には、そびえ立つ山々の山頂から空に向かって虹色の光が放たれている大きな絵画が飾られていた。


 アリアは絵画の前で足を止め、見上げた。


 昨日中央棟の各部屋を見て回った時にも思ったが、本当に嫌な絵だ。


 この絵は、当代に黒の魔力染みを持つ者が二名以上現れた時、看守にならない者が死んで魔力爆発を起こす瞬間の絵だ。


 絵の中のそびえ立つ山々はグリニオン監獄の側に連なる山脈そのものであるし、まず間違いないだろう。


 この絵によって、どうやって余剰になった黒の魔力染みを持つ者を始末し、国防に利用するのか理解してしまった。


 ——山に登らせるのだ。


 特別なことは何もしなくていい。


 軽装で登れば死ぬ。きちんと装備をしても死ぬ。


 なにせ、登坂経路が確立されていない人跡未踏の山脈だ。どのような野生の獣がいるかもわかない。滑落、雪崩、吹雪、あらゆる危険が付きまとい、安全な場所があるのかすらわからない。どんなに厳重に装備しても、確実に命を落とす。


 アリアの視線の先を辿り、フィリベルトが絵をまじまじと見る。それから、なんでもないことかのようにぽつりと言う。


「嫌な絵ですね」


 驚いて、アリアは危うく息を呑みそうになる。


 まさかフィリベルトからその感想が出るとは思わなかった。


 この絵は一見すると、ただの綺麗な風景画だ。何も知らない者からすればそれ以上でも以下でもない。アリアがこの絵を嫌な絵だと思うのは、その背景にあるものを知っているからだ。


「なぜ?」


 アリアはちらりとフィリベルトを見て、問いかける。


 フィリベルトはすぐには答えなかった。絵をじっと見上げて、長々と黙り込む。それから、静かに言う。


「どう説明すればいいのかわかりませんが、この絵から漂う雰囲気のようなものが嫌です。抽象的な説明で申し訳ありませんが」

「外すか?」


 試しに聞いてみると、フィリベルトは首を横に振った。


「いえ、大丈夫です。それに、今はこの絵が必要だと思いますので」


 フィリベルトの発言で、この男がアリアと同じことを考えているのだと知れた。


 アリアはこの絵を使って、囚人たちがどの席に座るのかを確認しようとしていた。


 食堂の形状と内装、出入り口の位置、テーブルの配置と椅子の配置からして、西側寄りのテーブル中央——絵の真正面、背を向ける形で座る席が上座となる。


 その次が上座の両隣、その向かい側の順に身分の高い者が座る。


 下座は東側、窓際のテーブルの両端の席だ。


 身のこなしや所作から、囚人たちが皆貴族であることは知れている。一通り食堂を見れば、どの席が上座であるか下座であるかの判断はつくはずだ。


 どの席に座るかを見ていれば、囚人たちの正体を突き止める手がかりになる。


「フィリベルト。全員の挙動を見て、覚えておいてくれ」

「かしこまりました」


 アリアは部屋の片隅に立ち、囚人たちが集まってくるのを待つことにした。


 看守の立場であるアリアが先に席についてしまうと、得られる情報が正確ではなくなってしまう。アリアを避けるか、あるいは近付く者が必ず現れるからだ。


 アリアの隣に、フィリベルトが立つ。視線を強く感じた。


「アリア。今こんな話をしている場合ではないと思うのですが……お願いがあります」

「なんだ?」

「あなたの朝の身支度を、僕にさせていただけないでしょうか?」


 一瞬、思考が停止する。


 フィリベルトの言葉の意味はすぐにわかった。わかるからこそ、困惑した。


 この男は、アリアの着替えを手伝うと言っているのだ。


「君に手伝ってもらわなくとも一人で着替えられる」

「それは残念です。でしたら、僕があなたの髪を整えてもよろしいでしょうか?」


 これもフィリベルトの思惑なのだろう。初めに無茶な提案をして、次にぎりぎり許容できる提案をする。これを断っても、似たような提案をされ続けるような気がした。仕方ない。


「それならいい。好きにしろ」

「ありがとうございます」


 これまでのフィリベルトの様子からして、昨日のことを話題に出すつもりはないらしいと知れた。アリアもアリアで、わざわざ言及するつもりはない。


 フィリベルトにとって忘れて欲しいことなのだろうし、アリアにとっても忘れて欲しいことだ。


 ぐしゃぐしゃに泣くフィリベルトに動揺したとはいえ、本当に昨日はどうかしていた。


 と、そこで南側にある食堂の扉が開き、囚人たちが入ってきた。指定した時間通りだ。


 真っ先に入ってきたのは、すらりと背の高い女性、ポラリスだ。続いて、老人のアルコル、長髪の中年男性フォーマルハウト、隻腕の男性カストル、テディがふんするカペラが入ってくる。五人とも、先日と同様の衣服に囚人の面を付けていた。


 ポラリスとアルコルは、アリアの姿を認めた途端に「おはようございます」と挨拶をする。フォーマルハウトとカストルは無言で軽く会釈するのみだ。カペラを演じるテディは、アリアを無視して足早に窓際に進み、絵と向き合う位置の席に腰を下ろした。


 カペラの行動を見たポラリスが、困惑しきった目でアリアを見る。席の指定はないのか、と問うような視線だ。


「好きな席に座るといい」


 返答はない。


 四人の囚人が、それぞれに食堂の様子を見た。しかし、動く気配がない。


 沈黙する四人の間には、謎の緊張感が漂っているような気がした。


 ややあって、隻腕の男性が動く。座ったのは窓際のテーブル、談話室側の端——窓と向き合う形になる席だった。下座だ。


 他の三人は動かない。


 見かねたようにフィリベルトが開口した。


「僕も着席してよろしいでしょうか?」

「ああ」


 アリアが許可すると、フィリベルトは一切迷うことなくカペラの隣の席に座った。


 その迷いのなさから、牽制だのなんだのと余計なことをするつもりなのではと思わずにはいられない。


 フィリベルトの顔で唯一見える口元は穏やかに微笑んでいて、相変わらず何を考えているのかは読めなかった。

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