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檻の中の君  作者: 二井星子
第1章 大罪人
29/47

29 悪夢①

 驚きで息を呑む。しまった、と自分の失態に気付いた時には、すでに遅い。この密着した状態で、フィリベルトがアリアの変化に気付かないわけがない。


「ああ、やはりそうですか。もしかして、と思っていたのですが……嫌な予感が当たりましたね」


 フィリベルトの言葉で、鎌をかけられたのだと気付いた。


 わざわざ密着したのも、アリアを動揺させ、何らかの反応を引き出す腹積りだったのだろう。


 こうなっては、どうにか誤魔化そうとしてもかえって墓穴を掘るだけだ。フィリベルトが相手では、下手な誤魔化しなど利くはずもない。


 アリアは早々にごまかすことを諦めた。小さく息を吐き、言う。


「気付いていたのか」

「最初から似ていると思っていました。カペラの歩き方が、テディ・バルバーニーと同じでしたから。輪郭や耳の形、鼻や唇、口元のほくろの位置と大きさ、その色合いも同じでしたので」

「君は、そんなことまで覚えているのか?」


 純粋な驚きで問いかける。


「ええ。覚えていますよ」

「出会った人間全てを覚えているのか?」

「いいえ。疲れますので、必要な時以外は覚えないようにしています」


 つまり、やろうと思えばできるということだ。


 本当に、この男は一体何者なのだろう。フィリベルトのことを知れば知るほど、わからなくなる。


 そして、フィリベルトの今の発言からわかるのは、フィリベルトとテディが過去に顔を合わせたことがあり、フィリベルトはその際にテディの顔を覚える必要があると判断したということだ。


「君は、以前テディと会ったことがあるのか?」

「ええ」

「いつ? どこで?」


 矢継ぎ早に問いかけるも、フィリベルトは沈黙した。


 フィリベルトの答えをしばらく待つも、口を開く気配がない。答えるつもりはない、ということだろう。


「どの状態のテディと会った?」

「面白い質問ですね」


 フィリベルトが小さく笑う。そうして、囁くように言葉を続ける。


「素の状態の彼とお会いしたことがあります。商人の状態の彼ともお会いしたことがありますが、素の彼は随分と愛想がない上に気力というものが全く感じられずに驚きました」


 アリアは曖昧な問いかけをしたにもかかわらず、フィリベルトは素のテディと商人のテディを分けるような言い方をした。

 それだけではなく、素のテディがどうであるのかを言い当てた。


 間違いない。フィリベルトは、素のテディに会ったことがある。


 テディはフィリベルトに会ったことがないと言っていたが、これは一体、どういうことなのだろう。どちらかが嘘をついているということだろうか。


 フィリベルトがテディの素のことを人伝に聞いた可能性もあるにはある。しかし、テディは自身の素を晒す相手をかなり慎重に選ぶ。容易に言いふらすような人間の前では本性を見せないはずだ。


 何がどうなっているのか、フィリベルトの言葉をどう捉えればいいのか、何もかもがわからなくなってくる。


「談話室に入室してきたカペラを見た時から、随分とテディ・バルバーニーに似ているとは思いましたが、髪色と髪型と声が違っていたので確信には至りませんでした。その後、カペラはかなり近い位置からアリアを見つめました。しかし、彼には敵意も害意も殺意もなく、威圧するでも威嚇するでもなければ、好意や執着心の類いも感じられない。ただ、近距離から何の感情もなくアリアを見ているだけ。それが不思議でした。あれだけの近距離です。何らかの思惑があってアリアに近付いたと考えるのが自然ではないでしょうか。何の考えもなくただ近付いたとは考えにくい」


 フィリベルトは穏やかな声音で、とうとうと言う。


「となると、元々の人との距離感が極端に近いか、視力が極端に悪いかのどちらかなのではないかと考えました。ですが、アリアに距離を取れと言われたカペラがリゲルの隣に腰掛けた際の距離の取り方を見るに、他人との距離が極端に近い人間というわけでもない。僕はずっと彼の様子を見ていましたが、どうやら極端に視力が悪いわけでもないようでした」


 フィリベルトがゆっくりとアリアの腹を撫で始めた。


 アリアは思わず身じろぎしそうになる。下手に反応すれば付け込まれる。振り払いたい気持ちをぐっと堪えた。


「さらに気になったのが、南棟一階の囚人であるアルコルが西側の扉から談話室に入室してきたのに対し、同じ南棟の囚人であるカペラが食堂と繋がる南側の扉から談話室に入ってきたことです。南棟から談話室への最短距離は、南棟と中央棟を繋ぐ通路を通り、通路を抜けてすぐ正面にある扉から食堂に入ってそのまま談話室に入るという経路です。南棟とを結ぶ通路から真っ直ぐ進むだけので、最も早く談話室に辿り着けます。カペラが選んだ経路ですね。しかし、アルコルはその経路を選ばず、食堂をぐるりと迂回して西側の扉から入室してきた……」


 フィリベルトはそこで言葉を切った。たっぷり間を空けてから、開口する。


「アリアは魔法で『今すぐ談話室に来い』と命令しました。その強制力は僕も体験済みですが、逆らうことはできません。今すぐ来いと強制力が働いているのに、アルコルはわざわざ遠回りする道を選んで談話室に入ってきたということになります。なぜなのでしょうか?」


 フィリベルトがアリアの耳元でふっと小さく笑う。アリアの答えを待たずに、言う。


「アルコルは、知らなかったのではないでしょうか」

「知らなかった?」

「そうです。食堂に入ることができる、ということをです。談話室の隣が食堂であることすら知らなかった可能性があります。食堂には鍵がかかっていて入れないと思っていたから、わざわざ迂回して西側の扉から入ってきたのではないでしょうか。知らないのも無理はありませんね。アリアの話を聞く限り、この監獄では囚人たちは独房から出て集まるようなことをしない。食堂で皆と食事をとるなどもってのほかです。だから、アルコルは食堂を突っ切ることができると知らなかった」


 フィリベルトはアリアの腹をゆっくりと撫でさする。


「僕は、同じ南棟の囚人であるカペラとアルコルが異なる扉から入ってきたことや、談話室に集まった囚人たちの衣服の状態、集合するまでの時間のばらつきから、アリアの魔法による命令は、解釈に幅がある場合にはアリアの意思を反映するのではなく各人の意思を反映するのだと予想しました」


 フィリベルトの声音はひたすらに穏やかで優しく、心の内が読めない。アリアの耳元で内緒話をするかのように話を続ける。


「アリアは、『身支度を整えて今すぐ談話室に来い』と命令しました。囚人たちは強制力により、『身支度を整え』、『今すぐ』、『談話室に行く』必要が生じた。身支度を整えた囚人たちはおおよそ同じようにきっちり衣服を身につけていましたが、カペラだけがだらしない着方をしていました。統一性がありません。つまり、『身支度を整える』という命令にはアリアの思う『身支度が整った状態』が反映されていない。その程度は各人の判断によるということでしょう。さらに、集合するまでの時間はかなりバラバラでした。身支度にかける時間が統一されておらず、各人に委ねられているということなのだと思います。『今すぐ』というのも、緊急性はありますが、歩くか走るか、どの道を通って談話室に行くかは指定されていない。そのために、各々が思う『今すぐ』の速度と経路で談話室までやってきた。ですから、最も最短の経路を知るカペラは食堂を突っ切って南側の扉から談話室に現れ、知らなかったアルコルは食堂を迂回して西側の扉から現れた」

「自分がどの棟の囚人なのかを公表したのはアルコルだけだった。なぜ、カペラが南棟の囚人であると言い切れる?」

「カペラが東棟の囚人でないことはすぐにわかります。東棟と中央棟を結ぶ通路が談話室に直接繋がっているからです。東側の扉から現れなかった時点で、カペラは東棟の囚人ではない。カペラが北棟や西棟の囚人であった場合、通路を抜けた先に談話室への扉があるにもかかわらず、『今すぐ』という命令の強制力に逆らってわざわざ南側の食堂の出入り口まで行き、食堂を通って盛大に遠回りしたことになります。僕たちはアリアの魔法に逆らえませんから、南側の扉から談話室に入ってきた時点でカペラは南棟の囚人であると考えました」

「なるほど」


 フィリベルトは小さく笑う。


「では、話を戻しますね。なぜカペラは、食堂に入ることができると知っていたのか?」

「君は、私がカペラに教えたからだと考えた」

「その通りです。元々カペラがテディ・バルバーニーなのではないかと疑っていたのですが……囚人の契約を終えたカペラがえずいた際、舌に変身の魔法が込められた装身具が見えましたので、カペラがテディ・バルバーニーであると確信しました」

「そこで、私に鎌をかけて反応を見たのか」

「ええ、そうです。ふざけた真似をして申し訳ありませんでした」


 ようやく、腹部に回るフィリベルトの手がするりと離れていく。同時に、密着した体も離れた。フィリベルトが後退し、アリアと距離を取る。


 アリアは開いていた本を閉じ、本棚の元の場所に戻すと、振り返ってフィリベルトを見た。


「それで?」

「それで、とは?」


 フィリベルトが小首を傾げて微笑む。


 わざとらしく聞き返してくるフィリベルトに、舌打ちしそうになる。アリアが何を言いたいのか、この男がわからないはずがない。


「カペラがテディであると暴いて、君はどうするつもりだ」

「どうもしませんよ」


 フィリベルトはあっけらかんとした様子で即答する。


「僕はあなたの不利益になることは致しません。誰にも言いませんし、本人にも何も言うつもりはありません。なぜバルバーニーの息子が囚人のふりをしてここにいるのかも、アリアが話したくなければ説明しなくても構いません。ただただ気に入らないだけです。あの男がアリアの深い信頼を得ているということが、嫌で嫌でたまらない」


 とうとう『あの男』呼ばわりし始めたな、などと意識が逸れそうになる。面倒なことになりそうな話の流れになってきた。


「アリアにお願いがあります。どうか、あの男と二人で会うのをやめていただけませんか」

「わかった」


 面倒だ。ため息を吐きそうになるのを堪え、とりあえずそう言っておけばかわせるだろうかと適当に答える。


「アリア」


 フィリベルトがムッとした表情でとがめるように名前を呼び、一歩踏み出してぐっと距離を詰めてくる。そうして、流れるような動作でアリアの両手を取る。


 アリアは握られた手に視線を落とし、それからフィリベルトを見上げた。


 吸い込まれそうなほどに深い青の瞳が、真剣にアリアを見ている。目が逸らせない。


「二人で会うのは、危険です」


 言い聞かせるように、フィリベルトが囁く。


「あの男にさせようとしていることで僕にもできることがあるのなら、全て僕がやります。僕の知らないところで、二人きりで会わないでください」


 単なる嫉妬にしては妙に危機迫っているような気がして、適当にあしらうのがためらわれた。

 それに、この様子だと、フィリベルトはアリアが頷くまでこの問答を続けるに違いない。


「わかった」

「ありがとうございます」


 フィリベルトが満足そう微笑み、頷く。


 アリアは一貫して無表情で、声音も変わらず淡々としているが、フィリベルトはアリアの感情の機微を読み取り始めている。


 一体、アリアの何を見て、感情を読み取っているのだろう。末恐ろしい男だ。


 アリアの手を握るフィリベルトの手は、離れる気配がない。


 まだ何か話があるのだろうかと、アリアはフィリベルトを見つめ続けた。


 しかし、フィリベルトが何かを話し出す様子はない。ただ穏やかに笑いながらアリアを見ているだけだ。


 見つめ合えば見つめ合うだけ、妙な空気になっていくような気がした。視線の熱で焼かれるような心地がして、とにかく落ち着かない。


 急速に漂い始めた原因不明の妙な雰囲気をどうにかしたくて、アリアは開口する。


「君は眠いんだろう? このまま眠るか?」

「ええ、そうですね。寝てもよろしいですか? 何かやることがありましたか?」

「いや、やることは特にない。私の寝室でいいか? 君の独房は明日、他の独房を見たあとに作る」

「僕はそれで構いません」


 やっと、フィリベルトの手がアリアの手から離れる。


 アリアはフィリベルトから目を逸らし、着いてくるように声をかけた。二人揃って執務室兼書斎から出る。


「入浴は?」

「明日でもよろしいですか?」

「ああ」


 言葉少なに会話しながら、寝室へ行く。


 寝室は、寝台が一台と、簡素なテーブル、揃いの椅子が置かれただけの部屋だ。


 見た限り寝具に汚れはないようだが、念のため変えた方が良いだろう。アリアは、パチンと指を鳴らすと同時に魔法を使い、寝具を新しいものに作り変える。


 さらにもう一度指を鳴らし、音を鳴らすのに合わせてフィリベルト用に寝衣を出した。それをフィリベルトに差し出す。


「着替えろ。脱いだ服は一旦テーブルの上にでも置いてくれ」

「ありがとうございます」


 フィリベルトが礼を言って寝衣を受け取る。


「私は入浴してくる。待てるか?」

「はい」

「座って楽にしていろ。すぐ戻る」

「急がなくて結構ですよ。ゆっくり入浴してきてください」


 笑顔のフィリベルトに見送られながら寝室を後にし、アリアは浴室に向かった。

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