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檻の中の君  作者: 二井星子
第1章 大罪人
28/47

28 大罪人③

「……ご容赦いただけませんか」


 懇願など無駄に過ぎないとわかってはいたが、言わずにはいられなかった。


「却下だ。私の質問に答えられないなら、話す気にさせてやってもいい」


 ああ、嫌だ。何をされるのか考えただけで怖気をふるう。


「あの日、エントウィッスル侯爵家で何があったのかですが……」


 手足が痺れ、冷えていく。


 空気を吸っても吸っても、息苦しい。


 頭の中で、凄惨な光景が広がる。


 血と、首と、頭が消え失せて誰なのかわからない胴体と、炎のはぜる音と、自分の呼吸音だけが響く。


「あれは……シリル兄上の、実験、だったのです」

「実験?」

「検証……と、言った方がいいかもしれません。僕と、妹の、魔力染みが……魔法が、どちらなのか(・・・・・・)という……」


 思わず口元を押さえる。


 何も食べていなくてよかった、などと考えることができるくらいには、余裕がある。


 大丈夫だ。


 揺さぶられるな、と心に言い聞かせる。


 義兄は、すでにわかっていることを、自分を苦しめるためだけにわざと問いかけているのだ。


 悪意に屈するな。ここでフィリベルトが折れたら、また、何の罪もない大勢の人を、大切な人を、目の前で失うことになる。


 一度頬の内側を強く噛み、溢れ出る血の不快な味で無理やり意識を逸らす。


「検証には妹が選ばれ、殺されました。いえ、殺されるように仕向けられた。僕はその時、その場にはいませんでした。検証を終えたシリル兄上は、有益と判断した僕を使ってガルデモス帝国の多くの民を屠るために、僕が事件を起こしたことにして大罪人になれ、と。時が来るまで監獄にいろと、そう言いました」


 口元を押さえたまま、大袈裟に、かつ自然に見えるように、精神的な苦痛に喘いでいるかのように言う。


 義兄の方ですでに調べはついているはずだ。ざっくり話したところで支障はないだろう。それに、仔細な部分はともかく、間違ったことは言っていない。


 義兄にとっては、フィリベルトが苦しんでさえいればそれでいいのだ。


「面白くない」


 義兄がぽつりと言う。


 その一言で全てを察した。やはり、フィリベルトを苦しめるためだけの問答だったらしい。義兄はフィリベルトが持ち直したことにも気付いているようだった。


 アリアと血が繋がっていることだけが取り柄の、人の形をした『外道』が、この義兄だ。


 フィリベルトは大きく息を吸い、口元から手を離す。それからにっこりと笑ってみせた。


「もうよろしいのですか?」

「興醒めだ。もういい」


 相変わらず、淡々とした声音で表情も変わらない。身動きもせず、感情が読めない。


 フィリベルトは穏やかな笑みを浮かべたまま、義兄が何か言うのを待つ。


 義兄は長々と黙った後、ようやく開口した。


「ああ、そういえば」


 またか。


 フィリベルトは今度こそ身構える。本当に精神攻撃が好きな外道だな、と内心で詰らずにはいられない。


「フィリベルト、君はどうしてシリルについているんだ? 君の母上の生家はチェンバーズ侯爵家。ランドル・カーベイン・ノイラートは君の母上の歳の離れた同腹の姉弟だろう。なぜ、ランドルにつかない?」


 そこまで調べがついているとは。さすがと言うべきか。


 面の奥の瞳が、フィリベルトをじっと見ている。一挙手一投足をじっくり観察されている気配がした。ランドルの名前を出して、フィリベルトがどんな反応を示すのかを見ているのだろう。


「お答えする道理はございません。義兄上の目的には関係のないことです。しかし……この答えで義兄上が納得するとは思えませんで、端的に答えさせていただきます。僕はシリル兄上に脅されています。以上です」


 フィリベルトがそう言い切った途端に、義兄が笑い出す。うっすらと笑みを浮かべ、さもおかしそうな笑い声を上げる。


「わかりやすい説明をありがとう。君は、その穏やかな表情も物腰の柔らかさも口の減らないところもランドルによく似ているから、なぜだろうと疑問に思っていた。嫌いな人間の真似はしないだろう? 君はシリルよりもランドルを兄のように慕っていたと聞いたしな」


 つまり、ランドルのことも調べがついているという意味だろう。しかも、この口ぶりだと、義兄はランドルと直接会ったことがある。


「シリルと違って、ランドルは鳴りを潜めたままだ。フィリベルト、ランドルはどこにいる?」

「存じ上げません」

「ランドルはなぜ動かない? 本当に王位を取るつもりがあるのか?」

「ランドル叔父上の思惑は、僕にはわかりかねます」

「君でも知らないのなら、仕方ない」


 それだけ言うと、義兄は黙り込んだ。嫌な沈黙だ。


「フィリベルト。君は俺に忠誠を誓ってくれた。その誓いに嘘偽りはないな?」

「ええ。僕はあなたの手足となり、ノイラート国の情報と王位の候補者二名——シリル兄上とランドル叔父上の情報を集めます。この監獄からアリアを解放し、あなたのもとにお返しいたします」

「それだけ?」

「そして死にます。あなたとアリアの前から、永遠に消えてみせましょう」


 フィリベルトはとびきりの笑顔を浮かべてみせる。


「わかっているならいい」


 おぞましさに反吐が出そうだ。


「ああ、そうだ」


 わざとらしい切り出し方だ。嫌な予感がする。


「いいことを考えた。俺への忠誠の証に、ここの囚人たち全員の首を持ってきてもらおうか」


 その瞬間、フィリベルトは悟った。


 ——この男は、わかっている。


 義兄は、この囚人たちの中にランドルが紛れていることに気が付いているのだ。


 しかし、ランドルが誰に成り代わっているのかまでは特定していない。


 もし、義兄が囚人たちの中の誰がランドルなのかを突き止めていたら、その囚人の名前を直接出してこちらを揺さぶってくる。それをしないということは、わかっていないということだ。


 だから、揺さぶりをかけてフィリベルトの反応を観察し、特定しようとしている。


「一向に構いませんが、もしかして義兄上は僕の忠誠をお疑いですか?」

「できないのか?」

「できますが、正直に申し上げて不愉快です。僕が凄惨な体験をしたことも、血が嫌いであることも、義兄上はご存知ですよね? 単なる嫌がらせなら、義兄上の神経を疑います。逆らうつもりはありませんが、できるなら僕はやりたくありません」


 フィリベルトがきっぱり言い放つと、義兄がわずかに口角を上げ、肩を振るわせて低く笑う。ぞっとする笑いだ。


「ああ、すまない。冗談だ。首を持ってこられても、部屋に並べて飾るわけにもいかないからな」


 ひとしきり笑うと、義兄の顔から再び表情が消える。


 そうして沈黙が落ちた。静けさが肌に突き刺さってくるかのように錯覚するほどの、張り詰めた空気が場に満ちている。


 フィリベルトにとっては、義兄との会話の最中に訪れるこの沈黙が恐ろしくてたまらない。


 人を精神的に苦しめるのが趣味の義兄は、こうしてわざと黙り込む。


 沈黙する必要などないくらいに頭が回るにもかかわらず、何かを考えているふりをして黙る。その後、その人が最も嫌がり、苦しむような言葉を投げかけてくるのだ。


 沈黙の後に何かがあると、相手に刷り込むためだけにそうしているのだろう。わざと緊張を与え、こちらを苦しめてその様子を観察して楽しんでいる。最悪の性分だ。


 義兄は長々と黙ると、唐突に「まあいい」とぽつりと言った。そのまま淡々と言葉を続ける。


「俺とアリアのために働き、そして死んでいけ。それがお前の役目だ、フィリベルト」

「承知しております」


(どいつもこいつも、自分のために死ねと僕に言う。他人の命を自分の意思一つで自由にできる物だとしか思っていない)


 自分が何のために生きるのかは、自分が決める。そしてそれは、シリルのためでも、義兄のためでもない。


 アリアを救うと決めた時点で、フィリベルトの死は確定している。後悔はない。


 フィリベルトにとって、己の死よりも、アリアが死ぬことの方が恐ろしかった。


 目の前で、もう一度大切な人を失うことが、何よりも怖かった。


 アリアを生かすためには、フィリベルトがこの監獄に巣食う外道どもと戦わなければならない。


 怯むな、笑え、と強く心に言い聞かせる。フィリベルトが外道どもに屈したら、アリアは死ぬ。それを肝に銘じるのだ。


 自分は助からないのだとしても、この先アリアが何者にも脅かされず自由に生きるために、できることがある。死してなお、彼女に遺せるものがある。


 フィリベルトは破顔した。屈託のないの笑顔を義兄に向ける。


「アリアと義兄上を阻むものは、全て僕が排除します。シリル兄上は始末いたしますのでご安心ください。そして、アリアを義兄上のもとにお返ししたのち、僕は潔く散りましょう。僕の命は全て義兄上のもの。あなたの思うままに、どうぞ僕をお使いください。心よりの忠誠を義兄上に捧げます」





 アリアが執務室兼書斎の本棚に差さっている本を確認していると、扉が開閉する音がした。


 誰が入ってきたのかと入り口を見るまでもなくフィリベルトの気配がして、帰ってきたのだと理解した。


「ただいま戻りました」

「ああ。おかえり」


 アリアは本に視線を落としたまま答える。


 フィリベルトがこちらに近付いてくる気配がする。


「先程、凄まじい爆発音のようなものが聞こえましたが……」

「ダールマイアーの邸で事故があっただけだ。気にするな」

「そうでしたか」


 もう少し詳細を聞かれるだろうかと思ったが、フィリベルトの反応は薄い。これ以上のことを聞いてくる気配すらない。


「書庫はどうだった?」

「書物の種類と数は豊富ですが、かなり雑然としていますね。あれでは本を探しにくいと思います。アリアさえよろしければ、僕が整理したいくらいです」

「私は一向に構わないが」

「ありがとうございます。では、書庫の整理をさせていただきます」

「何か必要なものがあれば言え。極力用意しよう」

「ありがとうございます」


 フィリベルトがすぐそばまで来る。真後ろにいる。


「アリア」


 名前を呼ばれると同時に、突如背後から腹部に腕が回った。一気に距離が詰められ、ぴたりと体が密着する。


 間近に感じる自分のものではない息づかいと体温。後ろから抱きしめられているのだと理解するのに、数秒を要した。


「アリア」


 すがるような響きの甘ったるい声で名前を呼ばれる。


 体格の違いが直にわかる。身動きが取れない。フィリベルトの匂いがする。頭部に擦り寄られるような感触がして、耳に何か柔らかいものが触れた。


 身じろぎしそうになるのを、ぎりぎりのところで堪えた。無意識に息を止める。読んでいた本のページの一切が頭に入ってこない。何だこれは。


 手を繋ぎ、腕を絡ませることが軽い接触だったのだと——あれらはほんの序の口だったのだと、身をもって知った。


 どうすればいいのかも、かけるべき言葉もわからない。このままフィリベルトの意向を探るべきか、振り払うべきか。


 時間が経てば経つほど、じわじわとよくわからない感情に支配されていく。


「フィリ、どうした? 眠いのか?」


 混乱する頭で必死に思案し、やっとのことでアリアは言葉を捻り出した。この問いかけが正解かどうかはわからない。


「そうですね……今日は疲れたので、このまま寝たいです」


 フィリベルトは甘えるような声で言い、それきり黙り込んだ。離れる気配がない。


「フィリ」

「アリア」


 離れろ、と続けようとしたアリアの言葉を、フィリベルトが遮った。心なしかとがめるような口調だ。


 腹部に回るフィリベルトの手に、力が入る。ますます体が密着する。


「カペラと……テディ・バルバーニーとの話し合いは、楽しかったですか?」

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