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檻の中の君  作者: 二井星子
第1章 大罪人
27/47

27 大罪人②

 報告を終えると、フィリベルトはシリルを書庫に残し、さっさと退室した。


 シリルと一緒に過ごしても腹が立つだけだというのもあるが、気が乗らない用事がまだ残っている。


 階段を降りて、二階に行く。そうして、フィリベルトは囚人たちの独房のある棟へ向かう。


 中央棟と囚人たちの独房がある棟を繋ぐ通路の先に、その人がいた。


「義兄上」

「ああ、君か」


 その人がフィリベルトの方を見た。そのまま、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「その呼び方はやめてもらえるだろうか。君の義兄になった覚えはない」


 淡々とした、感情のこもらない平坦な物言い。口元からは何の感情も感じられない。囚人の面で隠れた目元も、恐らく何の感情も映していないはずだ。


 アリアといい、義兄といい、ここまで似るものだろうか。


 ひょっとすると、これが魔力作用なのかもしれない。

 もっとも、魔力作用であると断じるには他の支配の魔法の使い手を何人か見る必要がある。しかしそれは到底無理な話であり、検証することは不可能だ。


 義兄が無表情にフィリベルトを見つめる。相変わらず、特に威圧されたわけではないのに妙な迫力がある。


 怯むな、と心に言い聞かせてフィリベルトは笑ってみせた。


「しかし、事実として僕はアリアの夫です。あなたを義兄上とお呼びしても何らおかしなことではないかと」

「書類上だけの白い結婚だろう」

「いいえ?」


 フィリベルトはふわりと笑い、小首を傾げてみせる。


 怒りを買うための嘘だ。義兄がアリアに執着していることはよくわかっている。


 義兄が激怒しようが、まだ殺されない。この義兄にとって、自分はまだ利用価値がある。

 そうだとわかっているからこそできることだ。さもなければこんな危険なことはしない。


 まだ殺されないうちに、義兄の感情の移り変わりを、どのような思考回路を持っているのかを、その人間性を詳細に探らなければならない。


 義兄の弱点を知り、弱みを握るのだ。無表情の奥に隠れた本当の人間性を掴んで隙をつかなければ、アリアは助からない。


 義兄は歩み寄る足をぴたりと止めた。無表情のまま、無言でフィリベルトを見る。


 刺すような視線だ、と感じるのは気のせいなどではない。


 殺気と称してもいいくらいの、身がすくむような強い視線がフィリベルトを射る。


「……今、なんと言った?」

「いいえ、と申し上げました。義兄上」


 フィリベルトは笑みを深め、挑発するように一音一音はっきりと発声する。


「そこまでは許していない」

「アリアと愛し合うのにわざわざ義兄上に許可を取らなければならないのですか? それは率直に申し上げて気色悪いですね」


 穏やかに笑ったまま、フィリベルトは言う。


「義兄上はよくお分かりかと思いますが、アリアは容易に僕を制圧できるお方です。それをなさらず僕を受け入れたということは、そういうこと(・・・・・・)なのですよ。ああ、生半可な気持ちでしたことではありませんのでどうかご安心ください。僕はアリアを心から愛しています」

「はは」


 義兄がうっすらと笑みを浮かべ、乾いた笑い声を上げた。ぞっとする笑みだ。


「事が済んだら、真っ先に君を始末することにしよう」


 フィリベルトは小さく息を吐いて、さもおかしそうに笑う。


「でしたら、僕を拘束したのち遅効性の毒を用いるのがよろしいかと存じます。僕の魔力爆発は回避方法がありませんので、毒が効くまでの間にお逃げください」

「何が起きる?」

「まさか、義兄上ほどのお方が存じ上げないとは思いませんでした」


 フィリベルトが大げさに驚いてみせると、義兄の顔から笑みが消えた。


「下手な挑発はやめろ。今すぐ殺したくなる」

「申し訳ございません」


 ここが引き時だろう。


 義兄は存外気が短いことがわかった。アリアが絡んだからかもしれないが。


「僕の魔力爆発で何が起きるか、ですが……」


 フィリベルトは片手で自らの首を掴んだ。それから、満面の笑みを浮かべて言う。


「首が飛びます」

「首が飛ぶ」

「ええ。有効範囲内にいる全ての生物の首が飛び、一瞬で死にます。魔力爆発の大半に回避方法がありますが、僕の魔力爆発には回避方法が存在しません。有効範囲外に逃れるしかない」

「有効範囲は?」

「そうですね……僕がここで死ぬと、ガルデモス帝国の北部の民は全滅、東部の上半分の民と西部の九割の民が死にます。中央は王都の半分にまで及びますので、王城ごと全ての者が死に絶えます。南部までは届きませんので、南部のみ無傷で生き残ります」


 フィリベルトが答えると、義兄が一度口を開きかけてすぐに閉じた。

 義兄が考え込むふりをする時の癖だ。もっとも、この癖さえもわざとそのように見せている可能性がある。


 直立のまま、無表情で黙る義兄の言葉を待つ。じわりじわりと迫り上がってくる恐怖を抑えつけて、フィリベルトは笑みを浮かべ続ける。


「君たちは、ダレル・ラルド・ガルデモスが実は生きている上に、ダールマイアーによって不当にグリニオン監獄に収監されているとした。その救援を名目に、国中の皇帝派の貴族を扇動して挙兵させた。皇帝派の貴族には、混乱に乗じてアリアとダレルを殺害し、ダレルの殺害はアリアによるものとするように入れ知恵をしてある。入知恵したのは、フィリベルト、君だ」

「ええ、その通りです」


 フィリベルトは頷いた。


 義兄は淡々と言葉を続ける。


「君たちの目的は、皇帝派の貴族の殲滅と皇帝の弑虐。アリアに殺されたという体で、君の魔力爆発によりここに集めた皇帝派の貴族を皇帝ごと一気に掃討するつもりだな。そして、まっさらに等しい状態になったこの国で、あの卑怯な男がダレルのふりをして皇帝となる。当然、意を唱えるものなどいない。ガルデモス帝国を手に入れたあの卑怯な男は、ノイラート国の王となる」


 不本意だが、シリルを『卑怯な男』と称することに関してだけは義兄とは気が合う。


 義兄は再び口を開きかけ、閉じた。しばらくの後、開口する。


「いや、違う。あの卑怯な男のすることだ。あの男なら、アリアを側妃にするくらいのことはする。支配の魔法の血筋を捨てるなどあり得ない。確実に自分のものにしようとするだろう。だとすれば、アリアに多大な罪があるような状況を作り出すような真似はしない」


 半ば独り言のように、小さな声で言う。


「ああ、そうか。君に、さらに大罪人として罪を負わせようとしているのか。大勢の兵に追い詰められた君が勝手に自害しただのと適当に理由をつけて、ガルデモス帝国で多くの者が死んだ非を、君になすり付けようとしている」

「左様です」


 気に入らないが、さすがアリアの兄だというべきだろうか。察しが良すぎる。


「君はアリアをノイラート国に引き込む役割と、アリアをこの監獄と役目に縛り付ける魔法の媒体を捜索し、破棄するよう命じられている。アリアがこちらについたりこの国につくようなら始末しろとも命じられている。そうだな?」

「ええ」

「あの卑怯な男がやりそうなことだ」


 淡々としているが、吐き捨てたその言葉には嫌悪と侮蔑が込められているのだと察した。


「……あの男が王位についた時、君の目から見てどうなると考えている?」

「即位後、諸々が落ち着いたら真っ先に貴国(リンガイル)との戦争に乗り出すことでしょう。シリル兄上は好戦的な方です。ひいお爺様(ノイラート王)が危篤なのをいいことに、すでにやりたい放題ですから。貴国との国境沿いに、攻撃に特化した魔法を使う兵を現時点で配備し始めていますし、貴国の防衛を掻い潜るために罪人や奴隷から構成される先見部隊を編成しています。さらにガルデモス帝国で僕の魔力爆発を逃れた者たちを強制的に先見部隊に組み込む腹積りのようです」

「……とりあえず、わかった。引き続き、あの卑怯な男を見張れ。何かあったら、報告を」

「わかりました。ところで義兄上、一つお聞きしてもよろしいですか?」

「なんだ?」

「義兄上は……貴国は、アリアを生かすつもりであると、そう信じてもよろしいのでしょうか?」

「愚問だな。俺も、本国も、アリアだけはここから救い出したいと思っている」


 だけは、という部分をわずかに強調して、義兄は肯定した。暗に、フィリベルトをはじめとする他の囚人たちは生かさないという意味だろう。


 もっとも、フィリベルトに限っては、この義兄と関わることを選んだ時点で、死ぬことが確定している。今更生かすつもりがないことをちらつかせられても、やはりそうかとしか思えない。


 義兄と関わって、フィリベルトは支配の魔法について多くを知ってしまった。知りすぎている自分が生かされるわけがないということは、はなからわかっている。承知の上での選択だ。


「今の言葉に嘘偽りはないと、誓っていただけますか」

「ああ」


 義兄が続けて何かを言おうとした、次の瞬間、凄まじい爆発音がグリニオン監獄を揺らした。


「……っ! 今のは……!?」

「落ち着け、フィリベルト。大丈夫だ」

「何が……」

「始まっただけだ」


 驚いて周囲を見やるフィリベルトに対して、義兄は微動だにせずその場に立ったままだった。何が起きたのかと周囲を見やることもなく、微塵も動揺するそぶりがない。


「始まった、とは?」

「俺の手配で、本国の者たちがダールマイアーの邸の者を始末しているだけだ」

「この爆発が? ダールマイアーの邸を、吹き飛ばしたのですか?」

「手段までは指定していないから、吹き飛ばしたのかどうかは知らない。俺は全員殺せと命令しただけ。逃げるようなら後を追って、一人残らず殺せと命令してある」


 フィリベルトは思わず黙り込む。


 義兄はわずかに小首を傾げた。


「不満そうな顔をしているな、フィリベルト。俺がアリアのそばにいることができなかった間にアリアを傷付けた連中を、許すとでも思ったか?」

「いいえ」


 思いの外か細い声が出る。


 ぞっとした。恐らく、この言葉はアリアをいわゆる『傷もの』にしたフィリベルトにも向けられている。


 義兄の手にかかれば、フィリベルトは一瞬で死ぬ。


 義兄が苦しみながら死ぬことを望めば、フィリベルトはその通りにもがき苦しみながら死んでいくことになる。


 こうして対面して会話しているのは、まだ生きていられるのは、義兄の温情だ。そのことを忘れてはならない。


 この男はいっときの怒りで気まぐれに殺すことはしないが、事が済んだら、必ず、何年かかっても、何がなんでも殺す男だ。


「わかっているならいい」


 相変わらず感情の読めない声音で言い、義兄がわずかに上を向いた。それから、フィリベルトに向き直る。


「こちらも始めよう」


 義兄がぽつりと言った瞬間、周囲の空気が突如重くなり、体にのしかかってきたかのような感覚がフィリベルトを襲った。


 かと思えば、とある言葉が頭の中に勝手に浮かんでくる。


(これより、グリニオン監獄からの逃走を禁ずる。自害を禁ずる。外部と連絡を取り合うことを禁ずる)


 義兄には、魔法を使用する前の予備動作がない。アリアのように制限を口に出したり、血を用いたりすることもない。


 魔法が発動する瞬間がわからず、何をしようとしているのかも掴めないのは厄介だった。


「空間に付けた制限を変更されたのですか?」

「ああ。心配しなくても制限を変更しただけで他は何もしていない。アリアを困らせたいわけじゃないからな」

「アリアの殺害を禁止する制限を無くしたのはなぜですか?」


 焦りと恐怖で矢継ぎ早に問いかけそうになるが、ぐっと堪えていつも通りの調子を装う。


「そんなもの、決まっているだろう。アリアを殺そうとする輩を炙り出して、始末するためだ」

「始末するのは義兄上が?」

「君だよ」


 当たり前だろうとでも言いたげに、義兄が言う。


「囚人と看守のふりを続ける以上、俺はアリアのそばにずっと一緒にはいられない。君がやれ。いいな?」

「わかりました」


 自分には肯定する以外の返答が許されていないのだと、フィリベルトは悟った。もちろん、しくじれば死だ。


「ああ、そういえば」


 フィリベルトは内心でぎくりとした。


 義兄がこう切り出す時は、ろくな事にはならないのだと経験則で知っている。


 フィリベルトが身構えるより先に、義兄が淡々と言う。


「『エントウィッスル侯爵家のあれ』は君の仕業ではないんだったな。君は殺しに慣れていない。できるか?」

「ええ。できますよ」


 なんてことはないのだと聞こえるように細心の注意を払う。まだ、義兄が何を言いたいのかが掴めない。


「死体にも慣れていないだろう。本当に大丈夫なのか?」

「義兄上が心配性だったとは、今初めて知りました。死体には慣れていますので、ご心配には及びません」


 ——そう、慣れている。


 おびただしい死体の山を、フィリベルトは目の前にした事がある。いつだって、鮮明に思い出す事ができる。


 忘れてはならない、自分の、何もできなかった自分の、罪だ。


 大きく息を吸う。ちっとも吸った気がしない。どんどん息がし辛くなっていくような気がした。


「どうした、フィリベルト。顔色が悪いな」

「気のせいでは?」

「そうだな」


 義兄は真っ直ぐフィリベルトを見ている。声音にも表情にもなんの感情を乗せることなく、ただただじっとフィリベルトを観察している。


「『エントウィッスル侯爵家のあれ』について私は詳しくない。あの日、何があった? なぜ、君は大罪人のふりをさせられている?」

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