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檻の中の君  作者: 二井星子
第1章 大罪人
26/47

26 大罪人①

 フィリベルトは執務室兼書斎から出ると、四階の書庫に向けてゆっくりと歩みを進めた。


 アリアのいる執務室兼書斎から離れれば離れるほど、フィリベルトの顔からは表情らしい表情が消えていった。


 周囲を見やる——本当に監獄らしくない監獄だ。

 

 この中央棟が看守の居住まいだからだろうか。不自然なくらいに掃除は行き届いているし、清潔だ。床や壁や天井は一般的な邸宅と変わらない。窓には鉄格子の一つもない上、容易に出入りできる大きさだ。これまでいた王城の地下牢の方がよほどそれらしい監獄に見える。


 階段を上り、フィリベルトは窓のない四階に足を踏み入れる。


 天井から等間隔に釣り下がる簡素なランプには、全て明かりが灯っていた。アリアがその魔法で監獄中に明かりを灯したものだ。


 魔法には、一度魔法を使用すれば効果が持続するものと、魔法を使い続けなければ効果が持続しないものがある。


 これはどちらだろうか。明かりを灯す間、ひたすら魔法を使い続けているのだとしたら、アリアは化け物だ。魔力染みに対する魔力の保有量がどの魔法よりも多いと言っても過言ではないだろう。


 支配の魔法はリンガイル国の王族が保有する固有の魔法であり、本来は完全に秘匿されたものだ。『支配の魔法』という名称で呼ばれているということしかわかっておらず、どんな性質で、どんな効果があるのか、全くわかっていない。


 一体どのような経緯で、こんな場所に支配の魔法をそれと知らずに受け継ぐダールマイアー伯爵家が誕生したのかは不明だ。

 だが、ダールマイアー伯爵家の存在は、この大陸に存在する三つの大国を揺るがす。


 ガルデモス帝国も上手くやったものだ。


 何らかの偶然が重なって手に入れた支配の魔法を持つリンガイル国の王族を、辺境の監獄の看守という形で封じ込めた。


 恐らく、ダールマイアーの一族に対する悪評やグリニオン監獄に対する悪評は、全て意図的に操作されたもの。長い時間をかけて悪評を喧伝し、恐れられ、忌み嫌われるよう仕向けられたものだ。そうすることで、ダールマイアーに誰も近付かず、探ろうなどとは思わないようにしたのだ。


 ダールマイアー伯爵家に辺境の監獄の看守の役目を与えたのも、監獄ならば『囚人を監視するために看守は監獄から出られない』などという名目が自然なものになるからだろう。

 看守を監獄に閉じ込めるようなことになっていようとも、囚人を監視するために仕方のないことだ、と思うように仕向けられている。


 黒紋——魔力染みを持つ者を看守とし、当主を兼任するようにしたのも、最も公の場に出る機会のある伯爵位を持つ当主の黒の魔力染みをリンガイル国に知られることがないようにしたのだろう。


 ガルデモス帝国での魔法の研究が禁じられているのも、ダールマイアーの存在が関係しているのかもしれない。

 ダールマイアーの存在を——支配の魔法を保有する存在を、明るみに出さないようにするために国民の知識水準を統制した。そうやってリンガイル国の目を誤魔化していたのだ。


 しかし、ガルデモス帝国皇帝のベネディクト・リヒト・ガルデモスは、私的な好悪の感情のみでダールマイアーの黒の魔力染みを、公の場で、考えうる限り最悪の部類の方法でさらさせた。


 なんたる愚帝。各国の動きすら把握していない凡夫。

 それを存分に利用させてもらった身ではあるものの、愚かすぎて反吐が出そうだ。


 リンガイル国がどう出るか。それを、フィリベルトは探らなければならない。


 重い足取りで廊下を進み、フィリベルトは書庫に入った。


 書庫の中にも明かりが灯っている。左右に並ぶ本棚に収められた本を見やりながら、奥へと向かう。


 一番奥の本棚と本棚の間の通路に、その人はいた。フィリベルトが近付いたことにも気付かないくらい、集中して何かの本を読んでいる。


 フィリベルトは開かれたページを瞬時に読んだ。

 ガルデモス帝国に自生する毒草について書かれている。植物についての本か、毒草に特化した本かのどちらかだろうか。


「お待たせしました、兄上」


 その人の反応はない。フィリベルトは小さく息を吐き、もう一度「兄上」と大きな声で呼びかける。


 ようやくその人が顔を上げた。囚人の面の奥にある瞳が、フィリベルトを見る。


「ああ、ノエルか」

「その名で呼ぶのはおやめください。僕はフィリベルト。フィリベルト・ジンデルです」

「それはあの女から取った名だろう。お前はノエルだ。ノエル・エティガト・ノイラート、それ以外の何者でもない」


 フィリベルトはふわりと笑う。


 ——ああ、腹立たしい。筆舌に尽くしがたいほど、この兄が憎い。


「ええ。そうですね。確かに僕はノエルとして生まれました。ですが、今はフィリベルトです。あなたが殺した、僕の妹の名から取ったこの名が、フィリベルト・ジンデルが、今の僕の名です。どうかフィリベルトとお呼びください、シリル兄上」


 シリルが読んでいた本を閉じた。鬱陶しそうに息を吐く。


「どうでもいいことだ。ノエル、それよりも報告を」


 舌打ちをするなら今が最も最適な機会ではないだろうか。


 人の神経を逆撫でするのが趣味のこの兄には何をしたところで無駄だが。


「はい。まず、ガルデモス帝国に残っていた制約の魔法が込められたインクですが、婚姻の誓約書で全て使わせました。今のガルデモス帝国に制約はできません。次に誘導と避難の件ですが、万事滞りなく進行しております」

「支配の魔法については? 何かわかったか?」


 フィリベルトは、支配の魔法について報告するために魔法を使った(・・・・・)。そうしなければ、リンガイル国についての話題を口に出すことができない。


 フィリベルトの魔力量を持ってしても、保つのはせいぜい一分か二分程度だろう。


 大きく息を吸い込み、それから報告を始める。


「あらゆる事象を支配する恐ろしい魔法です。兄上も体験されたかと思いますが、血をなすりつけた相手の行動を意のままに制限します。魔法で覆われた空間内も同様です。グリニオン監獄を魔法で覆う際にも血を用いたことから、最初に支配対象を指定する際は血を必要とします。空間にかけられた支配と身体に直接かけられた支配の優先順位は不明。空間内のあらゆるものを意のままにできます。一見すると無から有を生み出せるように見えますが、おそらくこの場にあるものを作り変えているだけです。アリアは僕の目の前で荒れた前庭を整えましたが、生えてきた植物は全てそこに生えていたものと同一でしたので」


 無反応のシリルに、フィリベルトは淡々と報告を続ける。


「空間内の人間の精神には干渉できません。自白を強要されたり、精神を操られたり、こちらの心の中を覗かれることはありません。また、『エントウィッスル侯爵家のあれ』で何があったのかをアリアのいないところで何度か口に出してみましたが彼女は無反応でした。空間内での会話は把握できないようです。アリアより強い支配の魔法の効果については不明です。空間内の人間の居所を把握している可能性がありますが、これはアリアの魔法を目の当たりにした僕がその可能性に思い至っただけですので、疑わしい要素や確証はありません。しかし、警戒した方がよろしいかと。何ができてもおかしくありません。支配の魔法は我々の常識を覆す魔法です」


 早口で言い切った途端に魔法を保てなくなり、解除した。


 どっと体にのしかかってくるかのような疲労感を、ゆっくり深呼吸してやり過ごす。


「アリア・ダールマイアーについてわかったことは?」


 疲れ切った様子のフィリベルトのことなどお構いなしに、シリルが問いかける。


「アリア・ダールマイアー。現ダールマイアー伯爵。年齢は十六。十歳の時に兄クラウス・ダールマイアーを殺害したとされていますが、記憶を失っており、真偽は不明です。昨年度の首席騎士で、僕の目から見てもかなりの実力者です。恐らく武器なしの戦闘もかなり強い。ダールマイアー邸で三年以上拷問を受けていたためか痛みに強く、多少の痛みでは顔色一つ変わりません。冷静で観察力に長けています。僕の耳に開けた穴を見ただけでノイラート国の貴族だと見抜き、僕の状態からベネディクト・リヒト・ガルデモスと取引していることを見抜きました。優しくて無慈悲な方です」


「優しくて無慈悲?」

「ええ。『大罪人』の僕にも真っ当な人間のように接してくれますので。優しい方です」

「お前が大罪人? 大罪人なのはあの女(・・・)だろうが」

「兄上」


 フィリベルトは柔和な笑みを浮かべる。


「僕の妹は、兄上のために命を散らしたのですよ。『あの女』呼ばわりはどうかおやめください」


 ふん、とシリルは鼻で笑う。馬鹿馬鹿しいとでも言いたげに、口元が嘲笑を浮かべる。


「お前もお前だ。あの女の罪をわざわざ自分の罪にして罪人になるとは。正気の沙汰じゃない」

「兄上のためにここまでした僕をそのように仰られるとはあまりにも酷いですね。労いの言葉の一つもかけてはくださらないのですか?」

「よくやった。……これで満足か?」

「最後の一言が余計ですが、これ以上の高望みはしません。望むだけ無駄ですから」

「はは、お前こそ最後の一言が余計じゃないか」


 シリルは笑い声を上げるが、口元からは笑みが消えている。


「無慈悲とはどういうことだ」

「彼女は恐らく、三ヶ月後に僕たち全員を殺すつもりです」

「なんだと……?」

「アリアは囚人の契約をする前、囚人たちを挑発するような発言をしました。その最後に、「いずれにせよ三ヶ月後には全て終わる」と言った。僕はそれがずっと引っかかっています。『何』が、『いずれにせよ三ヶ月後には全て終わる』のでしょう?」


 シリルは答えない。無言で話の先を促す。


 フィリベルトは笑う。


「彼女は「せいぜい私の排除を試みるなり、無実を訴えて媚を売ってみるなり、身元を隠すなりしてみるといい。いずれにせよ三ヶ月後には全て終わる」と言いました。つまり三ヶ月後には全て終わるという言葉は、前述の『アリアの排除を試みる』『無実を訴えて媚を売る』『身元を隠す』という行動が三ヶ月で不要になるという意味になると思われます。では、なぜ不要になるのか?」


 フィリベルトはあごに手をやり、視線をシリルから本棚に移す。無意識に背表紙に書かれた書名を二段分全て読む。


 統一性のない本が並んでいる。分類ごとにまとめられているわけではないらしい。


 少しの間を置いて、視線をシリルに戻す。それから開口した。


「三ヶ月で何かが終わり、『アリアの排除を試みる』『無実を訴えて媚を売る』『身元を隠す』必要がなくなる。アリアと僕たちの関係性が看守と囚人である以上——僕たちが偽名を名乗り、身元や罪状を隠し、囚人の面を外さないという選択をしている限り、その必要がなくなることはないはずです。たとえアリアが自由を与えると宣言した三ヶ月間を過ぎたとしてもです。ですので、不要になるというのは、僕たちの関係性が看守と囚人ではなくなるということを意味するのではないかと思います。どのような場合に看守と囚人ではなくなるのか……」


 シリルは何の反応も示さない。


 何もわからず説明をさせているくせに相槌くらい打てないのか、と詰りたい気持ちを堪える。


 この兄には何を言っても無駄だと、フィリベルトはよく知っている。


「僕は四つあると思っています。アリアが看守を辞する場合、囚人が全員解放される場合、アリアが死ぬ場合、囚人が全員死ぬ場合、の四つです。まずアリアが看守を辞する場合ですが、これはあり得ません。看守を務めるダールマイアーは死ぬまでここから出られず、役目からは逃れられないからです。次に囚人全員が解放される場合ですが、そもそも初めから全員を解放するつもりなら、わざわざ僕たちに自由を与えてその様子から個人を特定し、罪状を暴くなどという無駄手間を三ヶ月もの時間をかけて取る必要がありません。ですのでこれも除外されます。次はアリアが死ぬ場合についてです。アリアが死ぬ場合、アリアの「いずれにせよ三ヶ月後には全て終わる」という言葉は、自らが死ぬことをあらかじめわかっていているだけでなく、断言しているので受け入れて死ぬつもりでいるということになりますね。ですが、彼女は逃れられない状況にも全力で抗う人です。自分が死ぬかもしれないとわかっていて、それをただ受け入れるだけなんてあり得ない。ですから、残るは囚人全員が死ぬ場合ということになります。囚人全員が死ぬ、つまり看守のアリアの手によって殺されるということです」


「あの看守は無実なら解放すると言ったが」


 フィリベルトは笑みを崩さず、教え諭すような口調で言う。


「アリアの背後には、恐らくテディ・バルバーニー、ラース・スカンラン、ルーシャン・ワイラー、オーレリア・シェルマンがいます。国内外の情報を最も得られ、魔法について正しい知識が得られる人脈です」


 アリアは彼らとかなり親しい仲にあるとみて間違いないだろう。


 バルバーニーは多くの国を股に掛ける巨大な商会であるし、スカンランは東部沿岸地域一帯を治める大領主でありこの国の技術と情報の中枢。ワイラーは代々宰相を務める家門であり、シェルマンは代々学者の一族。


 彼らはあまりにも立場が違い、また、騎士になる必要がない。


 それにもかかわらず、アリアと同時期に騎士になっている。明らかに不自然だ。


 アリアはバルバーニーの息子とはそれなりに親しくしていたという情報を得たが、他の三人と親しいという情報は得られていない。だが、確実に何かある。


 彼らは騎士になるという名目のもと、何らかの目的で一堂に会した。


「アリアは彼らから情報を得ています。我が国(ノイラート)彼の国(リンガイル)の動向、この国(ガルデモス)の動向も把握していると思った方がいいでしょう。この監獄にいる囚人たちがどういう者たちなのかも、恐らく把握している。兄上は、彼女が僕たちをみすみす見逃すとお思いですか? 無実だと判断するとでも?」

「だから三ヶ月後に全員を殺すつもりだというわけか。よって、無慈悲」

「その通りです」


 シリルは無言で手に持っていた本を本棚に戻すと、無言で本棚を漁り始める。何冊か本を手に取り、少し中身を確認しては棚に戻す、という動きを繰り返す。ややあって、シリルは一冊の本を読み始めたようだった。毒を持つ生き物についての本だ。そのまま顔を上げずに、言う。


「三ヶ月後にあの看守が動くというのなら、当初の予定通りで問題ない。お前は引き続き彼の国の者を見張り、看守をどうするつもりなのか探れ」

「かしこまりました」

「看守を彼の国より先にこちらに引き込め。我が国側に引き込めない、あるいは彼の国やこの国につくようなら、殺せ」

「かしこまりました。ですが……アリアを殺すとなると、魔力爆発の被害が予測できません。危険なのでは?」

「問題ない。私は(・・)助かる」


 『外道』とは目の前のこの男のためにある言葉なのではないだろうか。


 冷えていく心に反し、フィリベルトの表情は柔和な笑みを形作る。


 シリルはちらりとフィリベルトに顔を向け、またすぐに本に目を落とした。それから、馬鹿にしきったような声音で言う。


「ノエル、さっさとあの看守を籠絡しろ。何のためにあの不気味な看守と結婚させたと思っている。お前はあの女と同じで色仕掛けは得意だろう。その見た目を有効に活かせ」


 本当に、本当に、一言どころか発する言葉全てが余計な男だ。


「かしこまりました」


 腹の底から込み上げる怒りと嫌悪を押し込め、フィリベルトは笑う。


「逃げようなどとは思うなよ。お前はここで死ぬためだけに存在していることをゆめゆめ忘れるな。お前の命は私のためだけにあるのだ」

「承知しております。時が来た暁には、誓って僕の魔力爆発で全てを屠りましょう」


 フィリベルトはその場に跪き、こうべを垂れた。


 四年前のあの日に何もできず、挙げ句の果てに大勢の罪のない人々の命を道連れに死ななければならない自分は、まぎれもなく大罪人だ。


 すでに自分の行く末が決められ、逃れられないのだとしたらどうするのかという問いに、「全力で抗うだけだ」と答えたアリアの言葉が頭の中でこだまする。


 自分と同じく『檻の中』にいるはずの彼女の瞳に宿る強い光が、淡々としているのに力強いその言葉が、フィリベルトの心を貫く。


(そうだ。僕にはまだ、やれること(・・・・・)がある)


 フィリベルトは顔を上げ、シリルに向かってとびっきりの笑顔を浮かべてみせた。


「僕の命をかけて、シリル兄上に忠誠を誓います。必ずやあなたに、支配の魔法を持つダールマイアーの娘と、王位、そしてガルデモス帝国を捧げます」

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