24 幕開け⑥
「ダレル殿下が実は無実の上に生きていて、グリニオン監獄に囚われているという噂は」
「十中八九シリル殿下の仕業だろうな」
アリアの言葉の先を引き継いで、テディが言う。
噂の出所が掴めないのも、シリルが隠蔽しているからだろう。
「ルーシャン。今、この状態でダレル殿下が現れたらどうなる」
『ダレル殿下は元々、皇位継承権第一位でベネディクト陛下よりも継承順位が高かった。その場合、ベネディクト陛下は皇帝の位を返還しなければならない。ダレル殿下が新たな皇帝となる』
『補足するとね、大昔に皇位継承権第一位の皇太子をこっそり幽閉して、失踪したということにして無理やり皇帝になった者が出た事件があったのよ。それから、諸般の事情で死んでいると思われていたり失踪していると思われていた皇位継承権第一位の者が後から現れた場合、皇帝は退位してその位を継承権第一位の者に譲らなきゃいけないっていう法ができたのよ』
国を取るのがアリアの想像以上に容易そうであることが、事態の深刻さを物語っている。
「どう考えてもこの状況で一番困るのはベネディクト陛下だ。皇帝の座を追われるわけだからな。それなのに、どうして皇帝派がこぞってダレル殿下の救助を掲げて挙兵してるのかまでは俺にはわからない」
「そうだな……」
アリアは少し考えてから開口する。
「混乱に乗じて私とダレル殿下を始末して、ダレル殿下はすでに私に殺されていたか、あるいは私が殺したということにしようとしているんじゃないか?」
「なるほどな。それはあり得る。でも、多分これ、そもそもシリル殿下が裏で手を回してると思うぞ。シリル殿下がダレル殿下のふりをしてこの国を取るには、姿を見せて存命だって知らしめなきゃいけない。ということは、今の状況がシリル殿下の思惑通りに動いてるとしたら、シリル殿下はここにいるっていうことになるわけだけど。どうやって逃げるつもりなんだ? どう考えても無理だろ」
ここから逃げるには、アリアに魔法を解除させる必要がある。場合によっては大勢の兵と戦う必要もあるだろう。
見た限りでは、ここにいる者の中で戦えそうなのはアリア自身を除いてテディとフォーマルハウトのみ。
アリアは、フォーマルハウトが何者であるかすでに確信を得つつあった。
そしてこれだけは言える。
フォーマルハウトは、ノイラート国の人間ではない。
武の心得がない者が逃げ出すには、状況があまりにも良くない。
「逃げ出す算段がある、ということか」
「逃げ出すには、アリア……お前を何とかする必要がある。『逃げ出す算段』とやらを突き止めないと、お前の身が危ない」
「わかってる」
『というか、シリル殿下がグリニオン監獄に捕らえられているとして、どうして大勢の兵を扇動するようなまどろっこしいやり方をしてるのかしら。王城に顔を見せれば、それだけで皇帝の座が自分のものになるのよ? これまで顔を見せなかった理由だって、大怪我で動けなかったとか、それらしい理由なんていくらでもあるじゃない』
「この方法をとらなければならない理由があった……?」
半ば独り言のようにぽつりと言う。
何か——何かが、引っかかる。
「とりあえず話を続けるぞ。ランドル殿下が候補者に名前を挙げられたのは、持ってる魔法がかなり特殊で、しかもその魔法を完璧に使えるからだろうな」
「どんな魔法なんだ?」
「成り代りの魔法」
「成り代りの魔法……?」
聞いたことがない魔法だ。
言葉通りであるなら取って代わる魔法だということだが、どんな魔法なのかまるで想像ができない。
説明を求めてテディに視線を送ると、アリアがよくわかっていないことを察したテディが、小さなため息と共に説明し始める。
「ざっくり説明すると、他者に姿を変えることのできる魔法のこと。まあ、正確には人間じゃなくても姿を変えられるけど。姿を変える対象は主に人間だからこの説明でいいだろ」
「変身の魔法と変わらない気がするが」
「まあ聞けよ。確かに変身の魔法も、他者に姿を変えることのできる魔法だ。でも、それは外見だけの話だろ?」
変身の魔法は自分や他者の容姿を変化させることができる魔法だ。
魔力が強ければ強いほど、全身を変化させることができ、変身の持続時間が長くなる。
「成り代りの魔法っていうのは、その名の通り他者の代わりになる魔法だ。容姿だけじゃない。他者の記憶も人格も、何もかも全てを他者から転写して、そっくりそのまま他者になるってことだ。よほどの使い手じゃなけりゃ、自我を喰われて成り代わった他者になっちまう」
変身の魔法と異なり、外見だけでなく中身も他者になる魔法。それが、成り代りの魔法だ。
「例えば、犬になれば自我も思考も全て犬になるということか?」
「そういうこと。間違って物なんかになっちまったら、よほどの使い手じゃなければ魔力が切れるまでそのままだ。成り代りの魔法を持つ者は必ず強大な魔力を持つから、数日どころか数年、数十年……いや、数百年はそのままだ。その間に海に沈められでもしたら、抵抗もできないまま知らないうちに死ぬ」
「ゾッとする話だな」
想像して、背筋が寒くなる。
話に聞く限り、あまりにも危険な魔法だ。変身の魔法のような汎用性は無いに等しい。
「ランドル殿下は『よほどの使い手』側のお方だ。自我を完璧に保ったまま他者に成り代わることができる稀有な使い手。そんなわけだから、誰に成り代わるかによってはこの国を取ることもできる」
『ちょっと補足させてもらうわよ』
オーレリアが遠慮なくテディの話に割って入る。
『成り代りの魔法で他者になる場合、成り代わる相手の許可がいるの。相手が同意しない限り、その人には成り代われない。一度許可さえ得れば、あとはいつでも成り代われるわ』
「成り代わっている間、元の人間はどうなる」
『昏睡状態になるわね。成り代りの間の記憶は共有されるから、成り代り元の人間からしたら、そっくりそのまま他人の体に移って活動していた記憶があるって感じかしらね』
「成り代わっている間に死んだらどうなるんだ?」
『成り代わっている間、成り代わられた元の人間が死ぬのは何も影響はないわ。成り代わっている側は元の姿に戻れるし、成り代わられた元の人間が死んだとしても、いつでもその人に成り代わることができる。ただし、成り代わっている側が死ぬと成り代わられている元の人間もそのまま死ぬわ』
むやみやたらに成り代わることができるわけではなく、相手の同意がいる上に、成り代わっている間にどこで何をしたかは元に戻った時に記憶に残るため相手に全て伝わる。成り代わっている間、相手は昏睡状態になり、その間に自分が死ねば相手も死ぬ。
「それは……信頼関係がなければ使えなさそうだな」
率直な感想が口から飛び出す。
魔法の使い手を信頼しなければ許可など出さない。あるいは利害が一致するかだろうか。
「実際、ランドル殿下は人格者だって噂だな。ノイラート国内にもガルデモス帝国内にも相当数許可した者がいるらしい。真偽は不明」
「そうか。補佐二人については?」
「補佐の二人については情報が無い。ただ……」
珍しく言い淀むテディに、アリアは首を傾げた。
「どうした?」
「いや、気になることがあるだけ。ノエル殿下についてなんだけど」
「さっさと言え。私には情報が必要だ」
「はいはい。ノエル殿下については情報が無いんだけど、どうしたことかガルデモス帝国との国境沿いの四領、カトラル領、チェンバーズ領、フェルトン領、ダウニング領の領民たちの間で『ノエル殿下は英雄だ』という声が多く聞かれる。理由を尋ねると、ノエル殿下の献身のおかげで綺麗な状態のガルデモス帝国が手に入るからだと。俺や商会の連中の印象だと、国境沿いの四領はシリル殿下かランドル殿下を支持しているというより、『ノエル殿下がついてるシリル殿下』を支持してる感じがする」
「ノエル殿下自身を支持しているわけではないのか?」
「あー……なんて言えばいいんだろうな……支持してるんだけど、ノエル殿下に王位についてほしいわけではないというか、ノエル殿下は王位にはつけないって思ってるような感じ。ノエル殿下が補佐してるなら間違いないだろうからシリル殿下を支持します、みたいな」
「なんとなくわかった」
それとなくわかりはしたが、妙な話だ。
ノエル殿下を支持するが、王位にはつけないと思っている——全く意味がわからない。
支持するからにはその者に王位について欲しいと思うのが普通ではないのか。
「それと関係あるのかはわからないが、国境沿いの四領に奇妙な動きが見られる。四領に住む全ての領民が、ガルデモス帝国から離れるように内地に向かって避難している。避難先は隣接するモットレイ領とオファロン領だ。モットレイ侯爵とオファロン伯爵がなんの文句もなくそれを容認して受け入れてるのがまた不思議なんだよな。国境沿いの四領とそんなに仲悪いわけじゃないけど物凄い数の避難民が来るんだぞ。はいそうですか、って簡単に受け入れられる問題でもないだろ」
「四領の全領民が避難……」
「三ヶ月以内に避難を完了させないといけないみたいで、あちこちてんやわんやだよ」
「避難ということは、何かから逃げているということだな? 何から逃げているんだ?」
「それがわからない。どうやら一時的な避難みたいだってことしかわからなかった。領民も、領主から避難のおふれが出たから従ってるって感じ」
三ヶ月以内に避難。また『三ヶ月』だ。
——ノエル・エティガト・ノイラートを三ヶ月以内に解放しなければ皆死に絶える。
アリアの脳裏に、ふいに執務机の引き出しに入れられていた警告文がよぎる。
(関係があるのか……?)
わからない。だが、やはり、何かが引っ掛かる。
「そうか。他に報告は?」
「ない。これで全部」
「わかった。ありがとう。それから、みんなに聞きたいことがある。旧エントウィッスル領の領都エジーテは今、どうなっている?」
『エントウィッスル侯爵家のあれ』がフィリベルトの犯行なのかを確かめるには、現場を確認し、生き残った者たちやエジーテの民に話を聞いて、事件の全貌を掴むしかない。
しかし、エントウィッスル侯爵家の邸があった領都エジーテは、オルブライト領になってからというもの、全く話が聞こえてこない状態にあった。
「エジーテねぇ……」
『エジーテか』
テディとラースが同時に微妙な反応をした。二人とも含みのある言い方だ。
『エジーテは今、オルブライト侯爵の管理下に置かれていて、現状については許可なく市門から市壁の中には入れないようになっていることだけしかわからない。皇后陛下からのお達しで、我々は関与できない』
テディとラースの代わりに、ルーシャンが答える。
「圧力ってわけね。王城務めのお偉いさんも大変だな」
大変などと微塵も思っていないような口調でテディが言う。
ルーシャンは慣れた様子で『そんなところだ』と受け流す。
「バルバーニー商会でも入れないのか?」
「入れない。許可されてないからな。俺の知る限り、他の商会にも許可はおりてない」
「それでエジーテに住む者の生活が成り立つのか?」
「無理だろ」
「どういうことだ……?」
『市壁にはオルブライト領の兵士が常駐してて、結構物々しい雰囲気らしい。忍び込むこともできない。中の様子は不明だ』
「エジーテに出店してたうちの連中とも連絡は取れてない」
「周囲はどうなってる?」
「どうなってるも何も、人流がないから静かだよ」
『そういえば、『エントウィッスル侯爵家のあれ』が起きた後に、新聞の取材をしに行った連中が何回も断られるっていうから、僕がついていったことがあるんだが……』
「どうだった?」
『門前払いだよ。話すら聞いてもらえない。ああ、そういえば、市壁の外に妙なものがあったな。大きめの石碑で、表面にびっしり大勢の人の名前が書いてあった』
「名前の数は?」
『遠目に見ただけで近付いてはいないから具体的にはわからないが……数千から数万くらいは書いてあったと思う』
『ちょっと……それって、慰霊碑じゃないの?』
『慰霊碑? 何のだ?』
『そんなの、『エントウィッスル侯爵家のあれ』に決まってるじゃない』
『それは違うだろう。死者の数が合わない』
「そもそもあれに書いてる文字が読めたっていうのが俺には驚きなんだけど。道から距離あるじゃん」
『視力が良いんだ、僕は』
「その慰霊碑らしき石碑は、『エントウィッスル侯爵家のあれ』が起きる前からあったものか?」
『いや、前はなかった。『エントウィッスル侯爵家のあれ』が起きてからできたものだと思う』
一つ、思い出したことがある。
そういえば、『エントウィッスル侯爵家のあれ』についてまとめられた資料を見ていた時、通いであったために生き残った使用人の証言内容とともにその使用人がどこの誰であるのかも書かれていたが、記録にあったのは全てエジーテの隣街ハシアから通っていた者たちの証言だった。
さらに言えば、エジーテから隣街のハシアまでは徒歩で片道三十分から一時間程度。往復で一時間から二時間程度だ。
『エントウィッスル侯爵家のあれ』を最初に目撃した使用人は警備兵を呼びに行き、戻るまでに一時間以上の時間を要している。
エントウィッスル侯爵家の目と鼻の先に警備兵の詰所があるにも関わらず、一時間以上の時間がかかったのだ。
(ひょっとして、最初の目撃者はハシアまで警備兵を呼びに行っていたから、戻ってくるまで一時間以上かかった……? エジーテの警備兵の詰所から警備兵を呼べない何かがあって、ハシアの警備兵の詰所まで駆け込んだ?)
慰霊碑のことを加味すると、恐ろしい可能性が頭を掠める。
「フィリベルトがエントウィッスル侯爵家にいた者たちを含めたエジーテの民を、皆殺しにした?」




