22 幕開け④
膝からくず折れそうになる安堵感を、奥歯を噛み締めて押し殺す。まだだ。まだ、安堵してはいけない。今現在クラウスが生きているのか、どこにいるのか、それを確かめるまでは気を抜いてはいけない。
「続けてくれ」
アリアは顔を上げて話の続きを促した。
『そのもう一人の子供についてはわからないそうよ。二人とも男の子だったと思う、とは言っていたけど。口ぶりが曖昧だったから確実性はないわね。二人がどこに行ったのかまでは見ていないらしいわ。幽霊だと思ってひどく怯えたらしいから』
「その場所がエントウィッスル領とオルブライト領の境だとすると、どちらの領にも向かった可能性があるな」
『そうね。その人しか目撃者がいないから、これ以上の情報が得られないのが悔しいわ』
「十分だ。ありがとう、オーレリア」
そう、今はそれだけでも十分だ。クラウスが生きていたのだと知れただけで、胸が一杯になる。
『あと、もう一ついいかしら。日誌だとかを解析してわかったことを報告するわね。どうやら、建国に貢献した最初のダールマイアーは、リンガイル国の人間のようよ』
魔力染みの色が黒であることから予想できていたことではあるが、やはりそうだった。
『現在のスカンラン領ロメアの街付近の海岸に漂着した、リンガイル国からの亡命者の一団の一人だったみたい。美しい女性だったけど、なぜか手袋を取らなかったそうよ。その女性が漂着直後に殺人を犯したため、罪人として当時の王都に連れて行かれた。その後、保守軍の中隊を率いた。何がどうなって中隊を率いることになったのかは資料がなくて調べられなかったわ』
今から約五百年前、ガルデモス帝国とノイラート国は、元々『ガルデモス帝国』として一つの国だった。
しかし、皇位継承者を指名する前に皇帝が亡くなったために、第一皇子と第二皇子の間で皇帝の座をめぐって熾烈な争いが勃発した。
第一皇子は他国を侵略し、大陸全土をガルデモス帝国にするという野望を持ち、第二皇子は他国の侵略よりも現状の国土の繁栄を望んだ。
後々、二人の皇子が率いた軍は二人の皇子の方針からとり、第一皇子が率いた軍を『侵略軍』、第二皇子が率いた軍を『保守軍』と呼ぶようになった。
戦局は第一皇子の侵略軍が有利だったが、ある時を境に状況が一変した。最初のダールマイアーが台頭してからというもの、保守軍が圧勝するようになる。
結果は第二皇子が勝利し、彼がガルデモス帝国の皇帝となった。
その後、国を追われた第一皇子が自分に同調した他の皇位継承権を持つ兄弟姉妹六人と起こした国がノイラート国だ。
現在のノイラート国の六大公家は、この時第一皇子に同調してついていった六人の兄弟姉妹の子孫であり、他国の大公家とは毛色が違う。
そうしてノイラート国が建国された後、今から約二百年前に当時の王が「最も武功を挙げた者に王位を譲る」と宣言したために悲劇が起きた。
王位継承権を持つ者たちがそれぞれに挙兵し、他国に侵略戦争を仕掛けたのだ。
その結果、王位継承権を持つ者の大半が戦死し、大敗したノイラート国は報復戦争と賠償に追われた。
この大敗を契機として、現在のノイラート国が形作られていった。
現在、ノイラート国では特殊な王位継承者決めが行われるらしいが、詳細は不明だ。
『その女性は武に明るく、強力な結界の魔法と、触れるだけで他者を死に至らしめる不思議な力を持っていたそうよ。中隊を率いて勝利した後、結界の魔法を持っていたことから、捕虜を収容する監獄を監督する立場に就任。命令されたのではなく、自ら望んでのことらしいわ。彼女は戦功により伯爵の位とダールマイアーの性を賜った。それと、興味深いことがわかったわ』
一拍置いて、オーレリアが話を続ける。
『彼女が監獄を監督する立場に就任したのと同時期に、保守軍に属していた一つの伯爵家が侵略軍に情報を流していた容疑で消滅しているのだけれど。その消滅した伯爵家——エグルストン伯爵家の受け継ぐ魔法が、『結界の魔法』だったそうよ。エグルストン伯爵家は、元々エントウィッスル領の半分に領地を持っていて、グリニオン監獄のあたりもエグルストン領だったみたい』
エグルストン伯爵家。
聞いたことのない家名だ。国発行の貴族名鑑にも記載はなかったはず。
『エグルストン伯爵家の者を処刑する時に、ダールマイアーだけに適応される法が急遽制定された。そのまま、初代ダールマイアーの女性がエグルストン伯爵家全員とその関係者たちを処刑したみたい』
話を聞く限り、まるでエグルストン伯爵家の者とその関係者を合法的に処刑するために、ダールマイアーだけに適応される非道な法が制定されたように思える。
物思いに耽りそうになるアリアの思考を、『でも』と言葉を続けるオーレリアの声が引き戻す。
『実は一人だけ生き残りがいたのよ。それが、エグルストン伯爵と伯爵夫人の間に生まれた赤ん坊よ。処刑の執行日より二日前に生まれたばかりのその赤ん坊を、初代ダールマイアーの女性はどうしても手にかけることができなくて、使用人に殺すよう頼んだ。その使用人が赤ん坊を助けるために、こっそりエントウィッスル公爵家に助けを求め、エントウィッスル侯爵はそれに応じた。その時ちょうど産気づいたエントウィッスル侯爵夫人が産んだ女の子と、エグルストンの生き残りの男の子とで男女の双子が生まれたということにしたのよ。双子は順調に成長したけど、姉が病で亡くなり、弟がエントウィッスル侯爵家の後継ぎになった』
「そうして、今のエントウィッスル侯爵家になった?」
『その通り。つまり、『エントウィッスル侯爵家のあれ』で絶えたエントウィッスル侯爵家は、血筋でいえば正真正銘の『結界の魔法』を受け継ぐエグルストン伯爵家の血筋だったということよ』
「ガルデモス帝国には本物の結界の魔法を持つ一族がいたが、ダールマイアーが現れたのとほぼ同時に断絶している。しかし生き残りがいて、それがエントウィッスル侯爵家に成り代わるような形になっている?」
『ええ。その通りよ』
すると、『エントウィッスル侯爵家のあれ』で途絶えたエントウィッスル侯爵家には、結界の魔法を使う者が一定数生まれているはずだ。
アリアが知る限り、結界の魔法は他にない希少な魔法のはず。しかし、国の記録にはない。だとすると、エントウィッスル侯爵家が隠蔽していたということになる。
隠蔽するからには、エグルストン伯爵家の生き残りがエントウィッスル侯爵家として生きていることは、知られてはならないということになる。
ふと、アリアの脳裏に恐ろしい考えがよぎる。
エグルストン伯爵家は、最初のダールマイアーの女性が持っていた『支配の魔法』を『結界の魔法』とするために濡れ衣を着せられて抹消されたのではないか。
リンガイル国の目を誤魔化して支配の魔法を手に入れるために、魔法の効力が一部似通っているエグルストン伯爵家が犠牲になったのではないか。
確かめようのない疑問を心の奥底に押し込め、話を続ける。
「他国に結界の魔法が使える家系は?」
『ない』
「ないな」
アリアの問いに、ラースとテディが同時に答える。
『少なくとも僕は聞いたことがない。テディは?』
「俺も聞いたことがない」
他国の事情を良く知る二人が言うからには、存在しないに違いない。
「結界の魔法がどういったものか、詳細はわかるか?」
「わからない」
『僕も知らない。オーレリアは? 何かわかったりしないか?』
『私もわからないわ。何の記録も無いの。他国に結界の魔法が使える家系は無いし……。継続して探ってみるわね』
「頼む」
結界の魔法と言うからには、侵入を阻む結界を張り巡らせることができるのだろうと、そこまではそれとなく想像できる。だが、それだけだ。結界の魔法の実態が掴めない。
「オーレリアの報告は以上か?」
『ええ』
「では、次だ。誰が報告する?」
『じゃあ、次は僕が報告しよう』
名乗りを上げたのは、ラースだ。
『僕からは報告が三つ。一つは、リンガイル国の『施錠者』がやっと代わったらしい。『開錠者』は特に聞かないから、そのままなんだろう』
リンガイル国には『施錠者』と呼ばれる役目を持つ王族がいる。有事の際に命を絶つことで魔力爆発を起こし、国もろとも敵を足止めする役割を持つ。
要するに、国防のための生贄だ。
施錠者は支配の魔法を発現させた王族だけが就くことのできる役目で、王の指名によって決まる。
施錠者になると王位継承権を破棄することになるが、その代わり王に次ぐ権力を得る。
施錠者に対して『開錠者』というのが、施錠者が命を絶った後、魔力爆発によって形成された空間を解除する役目を持つ王族だ。
魔力爆発によって無力化された敵を始末する役割も担っている。
開錠者は施錠者よりも強い魔法を持つ者が就き、役割上国内にはいない。
詳細は不明だが、人が飲み食いせず生きられる限界が十日とされていることから、十日ほどでリンガイル国に辿り着ける距離に潜んでいると見られている。
開錠者も施錠者と同様に王の指名によって決まり、役目につけば王位継承権を破棄することになる。
ただ、施錠者とは異なり、開錠者の役目を降りれば王位継承権が復活する。
『新しい施錠者は十六歳のミラベル・ロラ・リンガイル殿下だ。詳しいことはテディが話すだろうが、今の状況だとリンガイル国とノイラート国がぶつかって戦争になるのは時間の問題だから、ミラベル殿下は死ななければならない可能性が高い』
「ミラベル殿下の前の施錠者は行方不明になっていたんだったか?」
テディが疑問の声を上げた。
『っ、ああ。二十年前にな』
ラースが緊張した様子で答える。
『名前は確か、クレア・ラシェル・リンガイル殿下。当時は二十歳だったか。行方不明とされているが、施錠者は死と同義だから、まあ……逃げたんだろう。当時の開錠者はクレア殿下の実姉ドロシア・エセル・リンガイル殿下。実の姉妹や兄弟で施錠者と開錠者になるのはかなり珍しい。それで、そのクレア殿下なんだが……』
急に歯切れが悪くなるラースに、アリアは内心で首を傾げる。
「どうした?」
『調べてみたら、どうやら父上がいつもと同じようにしてクレア殿下をガルデモス帝国に亡命させたようだった。その後の記録がスカンランには残っていないから、多分エントウィッスル侯爵に預けたんだと思う』
ラースの父親であるスカンラン伯爵は、奴隷の名目でガルデモス帝国に逃した者のうち、特に保護が必要と判断した者をエントウィッスル侯爵家に預けていた形跡がある、とラースから聞いていた。
スカンラン伯爵はエントウィッスル侯爵手製のティーセットを持つ一人で、かつてはエントウィッスル侯爵家と深く交流していた。
アリアがエントウィッスル侯爵手製のティーセットの存在を知っていたのは、スカンラン伯爵家に飾られていたものを見せてもらったからだ。
「と、いうことはグリニオン監獄に預けられたということだな」
『ああ』
スカンラン伯爵が、特に保護が必要な者をエントウィッスル侯爵に預ける理由は一つだ。
エントウィッスル侯爵には、この国で最も安全な場所を提供する伝手があった。
それが、アリアの父ヴィリバルトが看守を務めるグリニオン監獄だ。
看守の意思一つで罪人として投獄できて、国への報告を必要としない。
ダールマイアーへの恐怖と悪評、それに加え王命によって干渉することを禁じられているせいで、誰も介入しようとしなければ関わろうとすらしない。
ダールマイアーに対する恐れと、並の監獄では手に負えない凶悪な大罪人ばかりが収監されると言われているグリニオン監獄への恐れとで、ダールマイアー伯爵邸やグリニオン監獄の周辺に人がやって来ることすら滅多にない。それどころか、周囲一帯には野盗の類いですら潜んでいない。
恐怖に囚われず、冷静に考えれば、誰にも干渉されないグリニオン監獄はこの国で最も安全な場所だとも言える。
どうやらスカンラン伯爵は、リンガイル国からの亡命者の中でも特に保護が必要な者や存在を秘匿しなければならないと判断した者を、エントウィッスル侯爵に仲介してもらい、グリニオン監獄の看守であるヴィリバルトに預けていたようだった。
『それで……その、クレア殿下なんだが。うちの職人連中で実際に会ったことがあるという者が何人かいて、興味本位でどういう人かを聞いたんだ。それで、絵を描ける者が絵を描いた。それが……』
ラースは言い淀む。一度大きく深呼吸してから、言う。
『その顔がアリアにそっくりだった。目の色と髪の色も違うし、完全に同じとは言えないが、とても他人の空似とは思えないくらい似ていた……』
ラースの声が震える。動揺しているのがありありと伝わってくる。
「なるほど。状況からして彼女が私の本当の母親というわけだ」
『そんなあっさり納得できることじゃないだろう!?』
言いにくそうな様子のラースに代わり、アリアが率直に言うと、途端にラースが驚きの声を上げる。
アリアはラースを宥めるように言う。
「邸にいる母親が実の母でないことは薄々察していた。今更驚かない」
『アリア……でも』
「はあ……」
ラースの言葉を、テディの盛大なため息が遮る。
「なんでラースが一番動揺してるんだよ。お前のことでもあるまいし」
『テディ! 君は本当に人の心というものが』
「やめろ。じゃれあいは後にしてくれ」
ややこしいことになる気配を察して、アリアがぴしゃりと遮る。
ラースは申し訳なさそうに「すまない」と謝り、テディはくだらないとでもいいたげに息を吐く。
『最初のダールマイアーになったリンガイル人については、民間の言い伝えにそれらしき人物が出てくるくらいで、他には何もわからなかった』
「その言い伝えはどんな内容なんだ?」
『五百年ほど前に国外にさらわれて殺された王族がいる、という内容だ。他に国外に出て行った王族の言い伝えもないから、その国外にさらわれて殺された王族とやらが最初のダールマイアーになったのかもしれない。どこかに記録があるのかもしれないが、僕が調べるにはこれが限界だった』
「可能な限りで構わない。深入りすれば危険が及ぶ。これ以上は調べようとしなくていい。ありがとう」
リンガイル国の『施錠者』と『開錠者』という国防のための仕組みが五百年前からあったとすれば、命を絶たなければならない施錠者が逃げ出すことも十分に起こりうる。国がそれを隠蔽し、さらわれて殺されたということにしたというのもあり得る話だ。
いずれにせよ、真偽のほどは不明だ。
『一つ聞いてもいいかしら?』
オーレリアが遠慮がちに話に割って入る。
『ちょっと話が戻るのだけど。前任の施錠者のクレア殿下が二十年前に行方不明になってから、ミラベル殿下が施錠者になるまでかなり間が空いてるわよね? どうしてこんなに時間がかかったの? 王の指名制で決まるなら揉めたりしないわよね』
もっともな疑問だ。
確かに、クレア殿下が行方不明になってからミラベル殿下が施錠者になるまで、二十年もの間があるのは不自然なことに思えた。
王の指名制で決まるのなら、誰が施錠者になろうと他の者は何も言えず、議論になることすらないだろう。
『施錠者になるには決まった魔力の量がないと駄目なんだ。少なすぎても魔力爆発で国を覆えないし、多すぎると範囲が広すぎて魔力爆発が他国にまで及び、国際問題になってしまう。加えて、成人した者を選ぶことになっている。ちょうどいい魔力を持つのがミラベル殿下だけだったが、成人していなかったからそれを待ったんだ。結果、かなり間が空いた』
『なるほどね……そういうこと』
ラースは言いづらそうに話を続ける。
『それと……クレア殿下が行方不明になってからミラベル殿下が施錠者になるまでの二十年の間に、一度開錠者が代わっていて……その開錠者が今現在の開錠者なんだが……クレア殿下の第一子で……』
「私の父親違いのきょうだいか」
言いにくそうなラースに代わってアリアが言うと、ラースが唸るような声をあげる。
『そう、君の兄ということになる。クレア殿下のことがあったからか元々あまり情報が出回っていない方で、名前がわからないんだが……開錠者は強大な魔法の力を持つ者がなる上に、常に国外にいるから……つまり……』
「ラース、気を使わなくてもいい。条件的にいえば兄が私とクラウスを殺しにくる可能性が高い。そういうことなんだろう?」
『……っ、そう、そういうことだ……』
ラースが大きく息をのみ、それから観念したように肯定した。アリアが傷付くことを恐れていたのだろう。
「顔も知らない兄に何も思うところはないよ。心配するな」
『ああ……』
「続けてくれ」
『わかった』
アリアが先を促すと、ラースが大きく息を吐き、言葉を続けた。
『二つ目の報告なんだが、オルブライト侯爵領で挙兵の動きがある』
「挙兵? どこと戦うつもりなんだ? ノイラートか?」
『国じゃない。君だ』




