21 幕開け③
嫌な予感がする。
何か、とてつもないことに巻き込まれているような——答えを知ってしまったら、二度と戻れないような、そんな予感だ。
そして、これだけはわかる。恐らくこれはこのガルデモス帝国の暗部。踏み込めばもう二度と戻れない、禁忌。
直感的に危険だと判断して、アリアは四人に、ここまで話を聞き、十分良くしてくれた礼を告げ、もうこれ以上自分に関わらないほうがいいとも告げた。
だが、ルーシャンはもう遅いのだと苦笑する。
聞けば、ひと月ほど前にアリアの父がグリニオン監獄に収監された大罪人を含んだ関係者の大量処刑を行い、その関係者の中にオルブライト侯爵が含まれていたらしい。
後任のオルブライト侯爵は前オルブライト侯爵の弟で、罪人の関係者という名目で無実の兄を殺しておきながら法に守られて何の罪にも問われないダールマイアーに激怒し、ダールマイアーだけに適応される法の改正と処罰を求めて嘆願書を出してきたのだという。
現状のガルデモス帝国では、オルブライト侯爵家の意見を決して無視できない状況にあった。それというのも、皇后の生家がオルブライト侯爵家だったからだ。
一年前に毒殺されて亡くなった前皇帝と前皇后、その毒殺事件の犯人だった皇太子が、事件を起こさず全員が存命だったのならまた話は違ったのだろうが、今のガルデモス帝国には皇帝と皇后を止める者が存在しなかった。
その結果、嘆願書を受けてダールマイアーの存在意義そのものを精査しなければならなくなった。
どうせ危ない橋を渡るのなら、不当な扱いを受ける君を助けるために動きたい、とルーシャンは笑った。これは私たちの勝手な自己満足だ、諦めて付き合ってくれ、と。
そうして今に至る。
ダールマイアーの存在意義を精査する件は、その年に『エントウィッスル侯爵家のあれ』が起きたせいでそれどころではなくなり、後回しになった。
フィリベルトをグリニオン監獄に送った方がいいという意見もみられ、結局ダールマイアーに対する対応は中途半端なままだ。
四人と関わり、さらにはクラウスが生きている可能性が出てきたことにより、アリアの精神状態は改善の兆しが見られた。
しかし、完全には治らない。
いまだに、ふとした瞬間に『私は罰を受けなければならない』と考えてしまう。
——クラウスがもしも死んでしまっていたら。私を助けるために、クラウスはいなくなった。私のせいでクラウスは死人になったのだ。だから、私は、罰を受けなければならない。
アリアが騎士になったのは、ルーシャンがダールマイアー伯爵家に内密に送り込んだ使用人が、母親に『お嬢様を騎士見習いにすれば少なくとも一年は姿を見ずに済む』『今年の騎士見習い担当の教官は残虐かつ暴力的で有名な人物だ』だのと吹き込み、騎士になってこいと追い出されるように誘導した結果だ。
騎士になるために上手く家を抜け出した後、今後の相談のために騎士見習いとしてルーシャン、ラース、オーレリア、テディと落ち合った。
決して役目から逃れられないアリアを一時的にでもダールマイアーの邸から引き剥がし、なおかつ立場の異なる全員が一堂に会するにはこの方法しかなかった。
他国についてはテディとラースが、ガルデモス帝国の国内についてはラースとルーシャンが、ガルデモス帝国の建国時から今にかけてのダールマイアーの歴史についてはオーレリアが探りを入れ続けた。
その結果わかったのが、ダールマイアーを縛る制約の魔法と約束の魔法は、『媒介』とやらに刻まれているということだった。
これはノイラート国で随一の強力な制約の魔法を受け継ぐ家系であるコルボーン大公家の記録から判明した。
テディがバルバーニー商会のつてを使って手に入れたコルボーン大公家の記録の写しを、オーレリアが解析したのだ。
ダールマイアーに制約の魔法をかけたのが当時のコルボーン大公で、約束の魔法をかけたのが現在はノイラート国に吸収された亡国、レレス国の王太子。
立ち合いは当時のガルデモス帝国初代皇帝とノイラート国初代の王だ。
記録には『媒介に刻んだ』と表記されているのみで、『媒介』と称された何かが何であるかまでは記載されていない。かろうじてわかるのは口頭ではないということくらいだった。
さらに、『媒介』とやらを『かの者』に預けたと記入されている。文章から察するに、この『かの者』がダールマイアーの祖先に当たるようだった。
その後『媒介』がどうなったかは記録に残っていない。だが、その『媒介』を破棄することができれば、アリアは自由を得られる。グリニオン監獄から外に出られる。
『媒介』はそのままダールマイアーが保管しているのか、あるいはその後皇帝に預けたのか。そこまでは記録が残っていないため、何もわからない。
アリアはひっそりとダールマイアーの邸を探し続けたが、それらしい物は見つからなかった。王城の方はルーシャンが探したものの、結局見つからなかった。残る可能性はグリニオン監獄だ。
兎にも角にも急がなければ、リンガイル国が動く。
これまでリンガイル国が動かなかったのは、ダールマイアーの黒紋を確かめることができなかったからだ。
もとより、リンガイル国とガルデモス帝国は交易を行なっていない。
魔法の研究を禁じているガルデモス帝国と魔法の研究が盛んなリンガイル国ではそもそもの仲が悪いこともあるが、地形的に交易を行うことが困難であることが大きい。
リンガイル国はゆるく弧を描くような形の大陸の東の端に位置している。ガルデモス帝国はその逆端、大陸の西の端に位置し、ちょうど海を挟んで向かい合うような形になっている。弧を描くような形の大陸の残りの部分はノイラート国だ。
大陸に存在するこの三国はどの国同士も仲が悪い。
リンガイル国とノイラート国の国境には、ニ国とも巨大な壁を築き、往来を厳しく制限している。リンガイル国からガルデモス帝国に行くために陸路を使う場合、まずはこの国境を通過する必要があり、通過した後もかなりの距離を移動しなければならない。さらに、ノイラート国とガルデモス帝国は国交を断絶しており、現在ノイラート国側からガルデモス帝国への入国は一部の商人以外に認められない。
海路を使う場合、リンガイル国とガルデモス帝国の間に存在する海域を抜ける必要があるが、この海域は航行する船が突如として消息を断つ得体の知れない海難事故が多発する不帰の海域として知られている。無事に辿り着けるのかも、無事に帰ることができるのかもわからない。安全の保障が全くない海域だ。
国同士がそのような位置関係である上に、黒紋を持つダールマイアーは社交界に出ず、人々は黒紋を恐れて有る事無い事噂する。呪われるという根も葉もない噂が出回るせいで『黒紋』という単語すら口にしない者も多い。
実のところ、魔力染みに触れた結果、何らかの形で死がもたらされるというのは珍しいことではないらしい。
だから、これまでリンガイル国に正しい情報が伝わらず、ダールマイアーの黒い魔力染みを悟られずにいたのだ。
しかし、今は状況が違う。
アリアは、建国祭の余興としてフィリベルトと結婚した。その場で、これまでのダールマイアーが一切しなかったことを、してしまった。
そう、衆人の前で黒紋を晒したのだ。
黒い魔力染みを、大勢に見られた。
歴代ダールマイアーの中でも最強と言われる魔法を持つアリアの、魔力染みの程度を見られた。
あの場に、何らかの方法で潜り込んだリンガイル国の手の者がいた可能性がある。リンガイル国と繋がりを持つ者が情報を流す可能性もある。
各国がそれぞれの国に間諜を送り込むことはざらにあることで、あの場にいなかったとは言い切れない。
最悪の場合、これからアリアを始末するために、アリアより強い支配の魔法を持つ王族の誰かが来る。あるいは、すでにこの国に来ているかだ。
早くしなければ、リンガイル国の手の者が殺しにくる。
その時までにクラウスの生死を確認し、制約の魔法と約束の魔法を破棄しなければ、この監獄から逃げられずにむざむざと死ぬことになる。
それどころか、クラウスが生きていた場合、クラウスをも見殺しにすることになる。
「すまないが、あまり時間がない。一人ずつ手短に報告を頼む」
『じゃあ、私からいいかしら』
名乗りを上げたのはオーレリアだ。
他の者が何も言わないのを肯定と捉えたオーレリアがそのまま話を続ける。
『目撃者、見つかったわよ』
「本当か?」
『ええ。六年前の大滝下流の川沿い、旧エントウィッスル領とオルブライト領の境で水生生物調査をしていた一団の一人が、夜中に川から子供の幽霊が二人出てきた、と証言したわ。そのうちの一人が、もう一人をクラウスと呼んだそうよ』
「ああ……」
アリアは両手で顔を覆い、俯いた。
(クラウスが、生きていた)
このエントウィッスル領での水生生物調査の一団の存在は、オーレリアの父シェルマン子爵の記憶により明らかになった。
アリアが大滝からクラウスを突き落としたとされる頃、大滝から下流に向かって流れる川沿い周辺の地域で水生生物調査をしていたはずだと教えてくれた。
しかしながら、調査団の面々の詳細まではわからないとのことだった。
この調査団がどこにいたのかによって、滝口にいたアリアとクラウスを目撃しているかもしれない。
あるいは、滝壺に落ちたクラウスがそのまま川を流れ、その姿を下流で目撃した者がいるかもしれない。
真夜中だったために目撃者がいる可能性は低いが、決して無いわけではない。
調査団は、水生生物調査をするための申請書類をエントウィッスル侯爵家に提出しているはずだが、『エントウィッスル侯爵家のあれ』によりエントウィッスル領が無くなった今、書類がどうなったのかは不明だった。
エントウィッスル領を吸収したオルブライト侯爵家に問い合わせても、そんなものは知らないと突っぱねられ、誰が調査に同行したのか割り出すのに時間がかかっていた。
わずかな可能性に賭けて、オーレリアが地道な調査を続けてくれたのだ。
(クラウスが生きていた)
その事実を、何度も何度も噛み締める。
クラウス。たった一人の、家族。大好きな兄。アリアの半身。
アリアは、クラウスを殺していなかった。
殺してなど、いなかったのだ。




