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檻の中の君  作者: 二井星子
第1章 大罪人
18/47

18 六人の囚人④

「どうしてそう思った」

「彼女が僕を見た時の第一声が『新入りか?』だったからです」


 フィリベルトは即答する。


「ポラリスはどうして、僕が新入りだとわかったのでしょうか? 状況からすれば、ポラリスが僕を新入りだと断定することはできないはずです。このグリニオン監獄では囚人たちの間に交流はない。接触する機会もない。僕の首に異なる囚人の紋が浮かんでいたとしても、囚人の紋について何も知らない僕たちには、それが誰の手によるものかはわかりません。用途によって柄が変わる可能性も否定できません。看守の方が亡くなった後、囚人の紋が消えるのか残るのかも知らない。僕が新しい看守のアリアにくっ付いていたからといって、それが僕自身の性質によるものなのか、共に過ごした時間の長さに比例した慣れなのかは彼女には判断できないことです。何一つ、僕を『新入り』だと断定する要素にはなりません。それであるのに、ポラリスは僕を見て真っ先に新入りだと口走りました。僕はそれを、彼女には判断材料があったからだと思っています。つまり、全員と接触したことがあるから、僕が新入りだと即座に判断できたということです。廊下側から独房の中が見えないとすれば、彼女が一方的に存在を知っているのではなく、囚人たち全員と直接顔を合わせたということになります」


 階段を上り切り、三階の廊下に出る。

 フィリベルトはゆったりした口調で話を続ける。


「それを踏まえた上で、気になるのがフォーマルハウトの反応です。彼は全員を警戒するように見せかけて、僕とアリアには警戒を向けていなかった。ですが、それ以外……僕とアリアを除く全ての囚人を警戒していました。ポラリスと接触した結果、彼はポラリスを警戒対象にしたまま先程の顔合わせの場に現れた。警戒を解くことのできない何かがポラリスにはあるということです。友好的な態度ではありましたが、あまり信用はしない方がいいかもしれません」


「確かに、下手な演技だったな」


 ポラリスはアリアの黒紋を見て怯えたり、自らの手ごとフィリベルトの手を短剣で突き刺したことに恐怖していたが、全て演技だった。動作や声音でそれらしく見せてはいるが、体は一切強ばっていなかった。


 アリアに向けてなのか他の囚人たちに向けてなのか、あるいはそのどちらもなのかは不明だが、ポラリスは明確な思惑のもとにあえてそのような演技をしたということになる。


 アリアが執務室兼書斎に入ると、フィリベルトが後に続く。


「フォーマルハウトはかなり戦い慣れた方のように見えました。もし、彼が僕に警戒を向けなかった理由が、万が一何かあった時に制圧できる相手だと判断したからだとすれば、フォーマルハウトも囚人たち全員と接触したことがあるということになります。あの囚人たちの中でフォーマルハウト以上に戦い慣れた人間はカペラだけに見えました。他の囚人たちは、フォーマルハウトより武に明るくないように見える。彼が警戒を向ける理由がありません。それでも警戒しているということは、直接相対した結果、警戒しなければならないという結論に至ったからなのではないでしょうか。フォーマルハウトが僕を警戒しなかった理由が違っているのであれば話は違ってきますが……」


「フォーマルハウトが私を警戒しなかった理由は?」

「彼は、前の看守……アリアの義父上に良い待遇を受けていた、あるいは親しい仲だったのではないでしょうか? アリアが義父上の娘だと知っていて、義父上からアリアの話を聞いていたから大丈夫だと判断したのでは?」

「なるほどな……」


 さして父親と交流はしていなかったが、時折交わす業務連絡の手紙の文面でまともな人間だと思われていた可能性はある。

 まともな人間だから、囚人たちを必要以上に痛めつけることはなく、話が通じると勝手に解釈されていたとしてもおかしなことではない。

 そう考えると、フィリベルトの予想はそれはそれで一理ある。


 アリアは、出入り口の扉から見て奥側のソファーに腰掛けた。

 座る様子を見せないフィリベルトに、座るよう促す。


 フィリベルトは礼を言ってアリアの向かいのソファーに腰掛け、囚人の面を外した。それから開口する。


「アルコルはリゲルとカストルの二人と面識があると思います。恐らくリゲルとカストルは、アルコルよりも立場が上か、あるいは身分が上です」

「アルコルか。貴族に見えたが」


 立ち姿や歩く姿、アルコルのあらゆる所作が、礼儀作法をきちんと習った貴族に見えた。


 アリアの言葉に、フィリベルトが頷く。


「僕の目にもアルコルは貴族に見えました。ですので、リゲルとカストルは共に、アルコルよりも上の立場の貴族か、爵位が上の貴族だと思われます」

「そう判断した理由は?」

「アルコルが名乗る前に、リゲルとカストルの反応を確認していました。二人が反応しないのを見てから、名乗ったんです。つまり、リゲルとカストルは、アルコルにとって気を遣わなければならない人物なのだと思います」

「アルコルがリゲルとカストルを気遣ったから、アルコルは二人と面識があると?」

「そうです。さらに言うと、アルコルはリゲルを先に確認していました。気遣わなければならないリゲルとカストルの二人の間でも、リゲルの方が優先順位が高いのだと思います」

「だとすると、もしアルコルが全員と面識があるのなら、リゲルとカストル以外はアルコルより立場か爵位が下」

「そうです。面識があればですが」


 歩く姿、立ち姿、所作を見ていればわかる。六人の囚人たちは、いずれも貴族だ。


「リゲルとカストルの二人の間に面識があるのかはわかったか?」

「いいえ」


 先程の場では、リゲルとカストルは会話をすることもなければ目を合わせることもなかった。特に警戒を向けるでもなく、互いに空気のように接していた。二人の関係性を特定できるような何かは一切なかった。


「先程の場で、主に話していたのはリゲルでした。リゲルがアリアと会話している時、他の誰も口を挟もうとはしなかった。もしもそれがたまたまではなく意図的なものなら、全員リゲルと面識があり、リゲルが配慮しなければならない相手だと知っている可能性があります。かなり高位の身分であるために、口を挟むことができない。貴族の礼儀に則って、全員が口をつぐんでいなければならなかった。囚人たち全員が何かの目的のもとに結託しているとしたら、リゲルが統率者だという可能性もありますね。もちろん、ただ傍観していただけだという可能性もあります」

「なるほど」


 アリアは頷き、先を促す。


「あとは……全員、囚人たちの名簿を持ち去った犯人として疑わしいと思いました。自己紹介で真っ先に偽名を名乗ったアルコルが怪しいのはもちろんですが、他の囚人たちも同じくらい怪しいです。僕が本名を名乗ったところを見ているわけですし、何もアルコルが偽名を名乗ったからといって続く自己紹介で必ず偽名を名乗らなければならないわけでもない。ましてや、彼らはアリアの自己紹介を聞いています。囚人たちは全員が僕の名前を知っている様子でしたから、彼らは四年以内にここに収監されたということになります。六年前から社交界でも市井でも『歴代ダールマイアーで最も残虐な兄殺しの令嬢』と囁かれるアリアのことを知らないわけがない。アリアは一目で只者ではないとわかりますが、あの短い自己紹介ではアリアがどのような方なのかは推察できません。アリアには表情がなく、声音にも何も感情が乗らない。内面を推し量ることが一切できません。何があなたの怒りの琴線に触れるのかわからない状況で、偽名を名乗るというふざけた行為をするのは命知らずのすることです。それでも全員が偽名を名乗ったということは、全員が全員、名前を知られるのはまずいと思っているのでしょう。アリアに知られたくないのか、僕に知られたくないのか、それとも囚人たちのうちの誰かに知られたくないのかまではわかりませんが」


 確かに、フィリベルトの言う通りだ。

 何が看守のアリアを怒らせるのかわかっていない状況下で偽名を名乗るのは、命を危険に晒すに等しい行為だ。フィリベルトが無礼を許されているからといって、自分自身も許されるとは限らない。アリアが噂通りの人間なら、今頃死んでいるだろう。


 そもそも、それらしい偽名を名乗るのではなく、全員が明らかに偽名だとわかる名前を名乗ったことも疑問だ。

 最初に名乗ったアルコルに合わせる必要はないはずなのに、全員が星の名前の偽名を名乗った。まるで、正体を探ってくれと言わんばかりに。


「リゲルは僕に接触したいのだと思います。さりげなく独房の場所を確認していましたから」

「そうだな。巧妙な演技で」

「やはりお気付きでしたか」


 囚人の契約をする際に、リゲルは痛がる演技をしていた。


 カストル以外の囚人たちのように脂汗をかくこともなければ、体が震えることも顔色が悪くなることもなかった。痛みでぐったりするふりをしながら、さりげなくフィリベルトの独房を確認しているように見えた。


 体に何の反応も出ていないから気付けたものの、それでもよく見ていなければわからなった。

 リゲルはフィリベルト並みに自然な演技をする可能性がある。

 突っかかってくるようなあの態度も、直情的な人間だと思わせるためにしていることなのかもしれない。


「警戒した方がよろしいかと思います」

「私の心配をするより、自分の心配をしたらどうだ」


 リゲルが武に長けた人間には見えなかったが、他の囚人たちを統率している可能性はある。仮にそうだった場合、どうやって他の囚人たちを統率しているのかがわからない。警戒するに越したことはないだろう。


 それに、フィリベルトの独房の位置を確認したからには、リゲルはフィリベルトと接触を図ろうとしている可能性が高い。


 フィリベルトは目を丸くしてアリアを見つめ、それからふわりと笑う。


「心配してくださるのですか? 嬉しいです」


 アリアが否定したところで、結局フィリベルトは好意的に捉えてまた余計なことを言い出すかもしれない。それがわかっているから、否定しずらい。かと言って黙っているのも、肯定しているものだと捉えられて助長するかもしれない。


 ため息を吐きそうになるのをぐっと堪えて、アリアは開口した。


「君がそう思うのならそれでいい」

「ありがとうございます。ですがご心配には及びません。上手くかわしますので」

「そうか」


 そう言うからには、フィリベルトなら上手くやるだろう。何かが起きる前にかわすこともさして難しいことではないに違いない。

 フィリベルトに対して奇妙な信頼を抱いていることに気付いて失笑しそうになるが、堪えた。


 フィリベルトは穏やかな笑みをアリアに向け続けている。


「他に何かあるか?」

「そうですね……あると言えば、あります」


 フィリベルトは曖昧な言い方をして、笑みを深める。フィリベルトが言いたくないのだということをそれとなく察した。


「何だ?」

「カペラのことです」


 フィリベルトはそこで言葉を切った。それきり何も言おうとしない。


 アリアはちっとも揺るがないフィリベルトの笑みを凝視し続けた。


 しばらくそのまま見つめあったが、フィリベルトが根負けしてふっと息を吐いて笑う。


「カペラはアリアに気があります」

「気……」


(……は?)


 一瞬、思考が停止する。何を言うかと思えば、全く予想していなかった言葉がフィリベルトの口から飛び出した。


「あなたに恋心を抱いているということです」


 そんなことはわざわざ言い直さなくても理解している。


「根拠は?」


 アリアが問うと、フィリベルトはどこか困ったように笑う——沈黙する時の笑顔だ。


 そのまま沈黙するかと思ったが、フィリベルトは開口した。


「勘です」


 端的に答えるフィリベルトに内心で驚く。


 この男が、まさか根拠は直感などという不確かなことを言い出すとは思わなかった。


「それは根拠とは言わない」

「僕の直感は当たりますよ」


 そんなことは知らないし、だからといって根拠になるわけがない。


「あの言動で?」

「はい」


 フィリベルトはきっぱり言い切る。


「私に好意を抱く要素などなかった」

「あなたは美しい方です。もう少しそのことを自覚なさってください」

「君は私を過剰に評価するのが好きだな」

「過剰ではありません。事実です」


 フィリベルトはさも当然と言わんばかりに言う。媚びているようには見えないし、嘘をついているようには見えない。だからたちが悪い。


「ですから、カペラに気を付けてください。僕のいないところで何を言われても、気を許さないようにしてくださいね」

「ひとまず、わかった」


 ここで何を言ったところで、フィリベルトが譲らないのは目に見えている。無駄に精神を疲弊するような事態になる前に話を終わらせるには、とりあえず了承する他ない。


 沈黙が落ちる。


 フィリベルトが穏やかに笑っているからか、不思議と気まずさも居心地の悪さも感じない。


「何か食べるか?」

「いえ、今日は何か食べるような気分ではありません」

「奇遇だな。私もだ」


 フィリベルトは控えめに笑い、それから緩慢な動作で立ち上がる。


「書庫を見させていただいてもよろしいですか?」

「ああ。好きにするといい」

「ありがとうございます」


 礼を言い、フィリベルトが部屋から出ていった。


 アリアはすぐさま監獄全体に意識を向けた。


 廊下をゆっくり進むのは、先程退室したフィリベルトだ。

 他には談話室に一人、東棟二階の独房に一人——ポラリスだろう。西棟二階の独房にも一人。前庭に一人、中央棟一階の食料庫に一人。そして、書庫に一人。


 フィリベルトは廊下を歩いているから、書庫にいる一人は六人の囚人たちのうち一人だ。


 これは偶然だろうか。それとも、示し合わせたのか。


 フィリベルトが囚人たちの誰かに合図を送っている様子はなかったが、何らかの方法で落ち合う場所を指定したのかもしれない。

 だとすると、その誰かとフィリベルトの関係性は一体なんだろう。


 いずれにせよ、今は様子見するしかない。アリアには他にやることがある。


 アリアは手を伸ばし、テーブルの上に置かれたままになっているティーカップを手に取った。


 エントウィッスル侯爵手製のそのティーカップは、内側が白一色で、外側は白の地に橙色と紺色、茶色、灰色で模様が描かれている。目立つのは橙色のバラだ。全部で十三本あるその橙色のバラを、アリアは眺める。


(……『永遠の友達』)


 十三本の橙色のバラが示す花言葉を思い起こす。


 これだけで、エントウィッスル侯爵が父親のヴィリバルトにどんな感情を抱いていたのかがわかる。


 二人は、友達だった。ひょっとすると、親友だったのかもしれない。


(ならば、なぜ——)


 アリアは考えかけた思考を止める。時間がかかりそうだ。今は、考えるよりも先にやらなければならないことがある。


(わからないことだらけだ。何もかも)


 アリアは魔法を使い、ティーカップにこびりついた飲み物の痕跡だけを消した。

 途端に、汚れ一つない綺麗なティーカップが目に飛び込んでくる。

 アリアは外側を眺め、真っ白な内側を確認して、それから揃いのソーサーの上に置いた。


 間髪入れずに立ち上がり、部屋から出る。


 向かった先は右隣の隣室、私室だ。

 こじんまりとした部屋で、室内の調度品は小さな書き物机、ソファーとテーブル、ガラスの扉の着いた飾り棚のみ。壁面には四枚の風景画が飾られている。他には出入り口の扉の他に、左側の壁に扉がある——寝室への扉だ。


 アリアは室内を見渡し、飾り棚の前まで行くと、迷いなくガラスの扉を開けて中を見た。


 飾り棚は全部で四段あり、最も広い最上段に細かな細工の時計が置かれている。

 二段目には手触りの良さそうな橙色の布が敷かれているのみで他には何も置かれていない。

 三段目には、ティーカップとソーサーが一組、ティーポットが一つ置かれている。ティーカップとソーサーとティーポットは全て同じ意匠で、白の地に青と緑で何かの模様が描かれている。フィリベルトなら産地がどうだとか意匠がどうということがわかるのかもしれないが、アリアはそういったことに興味がないから何もわからない。

 四段目にもティーカップとソーサーとティーポットが置かれているが、こちらはティーカップとソーサーが三組ある。全て同じ柄で、こちらは深い青の地に縁のみが黒の意匠だ。


 アリアは三段目に置かれたティーカップを手に取り、内側を見た。

 綺麗に洗われ、手入れされているようだが、はっきり確認できるほど茶渋がついている。


 続いて四段目のティーカップを手に取り、一つ一つ見ていく。

 どのティーカップも、内側は綺麗で茶渋が付いていない。

 四段目のティーカップを元の状態に戻し、それからもう一度布の敷かれた二段目を凝視する。


 しばらくの間食い入るように見つめてから、ガラスの扉を閉めてさっさと私室を後にした。


 アリアは廊下を進み、階段を降りて一階に向かう。

 厨房に入ると、迷わず食器棚の前まで行く。食器棚に収められている食器はほとんどが白一色だ。ティーカップとソーサーが所狭しと収められている一角を見やり、それから厨房を出る。


 とりあえず、これで確認は終わった。


 そろそろ時間だ。アリアは一つ息を吐き、談話室に向かった。

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