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檻の中の君  作者: 二井星子
第1章 大罪人
17/47

17 六人の囚人③

 その瞬間、全員の動きがぴたりと凍り付いたように止まった。


 アリアの静かな殺気が場に満ちる。


 笑っているのはフィリベルトだけだ。ポラリスの顔からもアルコルの顔からも笑みが消える。


「アリアは強いですからね」


 予想はしていたが、やはりフィリベルトはアリアの殺気を浴びても平然としていた。


 アリアはフィリベルトと繋いだ手をわずかに掲げて、その手をちらりと見てから囚人たちに視線を戻す。


「この状態からでも、君たちは一瞬で死ぬ。やりようによってはカペラとフォーマルハウトは多少は抵抗できるかもしれないが」


 栗色の髪の男性カペラと、長髪の中年男性フォーマルハウトが剣に長けた人間であることは、歩き姿を見た時からわかっていた。


 やりようによっては、というのはアリアから剣を奪うことができればという意味だ。

 剣を奪えれば多少の時間稼ぎはできるだろうが、剣だけでなくあらゆる戦闘方法を習得しているアリアが相手では到底無理な話だ。


「全員偽名を名乗るなどというふざけた真似をしておきながら、今こうして君たちが生きていられるのは私が見て見ぬふりをしてやっているからだ。私に慈悲の心はない。君たちを殺すことにためらいも何も感じない。強いていうなら面倒事が減ってくれたくらいにしか思わないな」

「脅しか?」

「事実を言っているだけだ」


 白金色の髪の男性リゲルの問いに、アリアは淡々と言葉を返す。


「前任の看守だった私の父、ヴィリバルト・ダールマイアーはさして力のある看守ではなかった。最弱のダールマイアーと呼ばれていたくらいだ。君たちもさぞかしやりやすかったことだろう」


 アリアは看守の制服の襟元をくつろげ、その下のシャツのボタンを外すと、全員に右腕の付け根が見えるように思い切り広げた。腕の付け根まである黒紋を晒す。


「残念ながら、私は歴代最強のダールマイアーだと言われている。私の黒紋は、この通り右腕全てに及ぶ」


 アリアの黒紋を見て、ポラリスが怯えて息を呑む。他の面々は動かない。


「アリア」


 フィリベルトが咎めるようにアリアを呼ぶ。


 フィリベルトの方に視線を送ると、どこかむっとした様子で見つめられる。


 フィリベルトがシャツを広げるアリアの手に自分の手を重ね、無理やり襟を元の状態に戻す。


「どうか、僕以外の者に肌を晒さないでください」


 アリアは沈黙した。

 この程度の露出でとやかく言うのなら、他者に肌を晒さないという約束はできない。


 アリアの腹の内を知ってか知らずか、フィリベルトは困ったような笑みを返す。アリアの手をやんわりと襟から引き剥がして膝の上に置かせ、それから一度繋いだ手を解く。そうして何かと思えば、フィリベルトがアリアのシャツのボタンを留め始めた。


 そんなことは自分でできるが、フィリベルトの好きにさせておく。

 囚人たちからの視線を強く感じる。大方、アリアとフィリベルトの関係性を測りかねて困惑しているのだろう。


 フィリベルトはゆっくりボタンを留め、丁寧に襟を整えた。看守の制服の上着をきちんと着せ、満足げに微笑む。


「もう二度とやらないでくださいね」


 思わずため息を吐きそうになる。


「約束はしない」

「アリア」

「後で聞くから。今はやめてくれ。話が進まないだろう」


 頷くまで説教し続けようとする気配を感じて、アリアは無理やり話を終わらせた。

 それから改めて囚人たちを見やる。


「話が逸れたな。君たちが偽名を名乗ろうが、反抗的な態度を取ろうが、私を害そうとしようが構わないが、私は前の看守より強い。君たちにより多くの制限を設けることもできるし、より強い苦痛を与えることもできる。私が君たちに何もしないのは、どうでもいいと思っているからだ。どうでもいいから、正す気がない。各々好きにしていい。いずれにせよ、君たち全員で一斉に私に向かってきたとしても、私は一瞬で君たちの命を奪える。死にたいのなら試してみてもいい。これは警告だ。きちんと説明はしたからな。これで死んでも文句は言うな。ああ、死んだら文句は言えないか。まあいい」


 誰も何も反応しない。こちらの動向をうかがうように視線が集中している。


「偽名を名乗り続けてもいいし、その囚人の面も取りたくなければそのままでいい。着脱は自由だ。五感も発声も全て許可する。私への無礼も許可する。あとは君たちのこれからのことだが、朝食は七時、昼食は各自、夕食は十八時。朝食は私が用意する。夕食は当番制で、日替わりで二人一組になって準備してもらう。朝食と夕食は隣の食堂で取る。昼食はどこで取ってもいい。起床時間と就寝時間は自由だが、二十二時に消灯する。ランプが欲しければ配布する。その他の時間は全て自由時間だ。何をして過ごしてもいい。欲しい物があれば極力用意してやろう。中央棟への立ち入りは自由、どの部屋に入ってもいい。中庭に出るのも自由だ。この監獄内のどこでも自由に歩き回っていい。私は君たちに何の懲罰も与えない。君たちの本名や罪状も何も聞かない」


「何のつもりだ?」


 不信感をむき出しにして、リゲルが率直な質問をぶつけてくる。


 軽微な罪を犯した者が収監される監獄ですら見られない破格の対応を不審がるのは当然だ。


「君たちが自由に過ごせる期間を三ヶ月間与える。その間に君たちのことを見させてもらう。君たちに何かをするのはそのあとだ」


 アリアは淡々と言葉を続ける。


「君たちの趣味、嗜好、性格、癖、考え方、得手不得手……そういったものを見させてもらう。君たちがどこの誰で、どんな罪を背負ってここにいるのか、そもそも本当に有罪なのか冤罪なのかを判断する。無実の罪でここにいる者は直ちに解放しよう。罪を犯してここにいる者には、然るべき措置を取る」


「はっ、拷問でもする気か?」


 小馬鹿にしたようにリゲルが鼻で笑う。


 アリアは問いに答えず、長々と沈黙してから、隣のフィリベルトを見た。途端に目が合い、穏やかな笑みがアリアに向けられる。


「ちょうどいい。見れば君たちもわかる。フィリ、手を」

「どうぞ」


 差し出されたフィリベルトの右手を取り、テーブルの上に置かせる。アリアはその手の上に左手を重ねて押さえる。


 アリアが何をしようとしているのかを察したフィリベルトが身じろぎし、口を開きかけるのを見て、アリアは遮るように言う。


「これから囚人の契約を行うから、ついでだ。文句は後で聞く」


 言葉と同時に腰に差した剣の柄に手をやる。魔法で剣を短剣に変え、鞘から抜く。

 その短剣を、アリアはためらいなく自らの左手ごとフィリベルトの右手に突き刺した。


「ひっ」


 恐怖の声を上げたのはポラリスだ。口元に手をやり、一歩後退りする。


 二人分の手を貫通し、テーブルに突き刺さる短剣を、アリアは何の感慨もなく見る。それからフィリベルトに視線を移した。


 フィリベルトは納得がいかないとでも言いたげな顔をしてはいるが、痛みを感じている様子は一切ない。普段と何ら変わらない調子で、アリアを見つめる。


「どうしてアリアの手ごと刺したのですか? あなたが傷付くのは耐えられません」

「さっき説明したと思うが。これから囚人の契約を行わなければならない。どうせ血を流す必要があるならちょうどいいだろう」

「でも」

「文句は後で聞く、とも言ったはずだ」


 フィリベルトを無理やり黙らせ、アリアは囚人たちに目を向ける。


「わかったか?」


 返事はない。張り詰めた緊張感が漂う。


 フィリベルトの血とアリアの血が混ざり合い、じわじわとテーブル上に広がっていく。


「私やフィリベルトのように極端に痛みに強い者もいる。そんな者に拷問をしてもこちらが疲れるだけで無駄手間だ。苦痛を与えるつもりが、苦痛になっていないのなら意味がない」


 アリアは短剣を引き抜き、血を払って鞘に収め、元の剣に戻す。それからフィリベルトの刺し傷を治し、テーブルについた傷も直した。


 一瞬で治ったフィリベルトの傷とテーブルの傷に、ポラリスが息を呑んだ。他の囚人たちの視線がフィリベルトの手とテーブルの上を往復する。


「ありがとうございます」

「ああ」


 礼を言うフィリベルトに、適当に応じる。それから、囚人たちに向かって言う。


「もちろん、拷問することが君たちにとって苦痛になるのならそうしよう。だが、苦痛を与える方法は痛みだけではない。やりようならいくらでもある。君たちがどこの誰なのかを暴き、君たちの家族を、友人を、恋人を、君たちの目の前でなぶり殺すこともできる。私にはそれが許されているし、そうすることに罪悪感もためらいもない。ダールマイアーだからな。人並みのまともな倫理観はとうの昔に失っている」


 アリアは口角をわずかに上げ、うっすら笑ってみせた。


「せいぜい私の排除を試みるなり、無実を訴えて媚を売ってみるなり、身元を隠すなりしてみるといい。いずれにせよ三ヶ月後には全て終わる」


 誰も何も言わない。まるで、一瞬でも目を離せばアリアが殺しにかかってくるとでも思っているかのように、皆食い入るようにアリアを見ている。普段通りの様子なのはフィリベルトだけだ。


 アリアは顔面から表情を消して、ゆっくりと立ち上がる。


「話は以上だ。囚人の契約をする」


 囚人たちの前に立ち、「触るぞ」と断りを入れてから血に塗れた左手で一人一人の首に触れ、血をつけていく。


 リゲルだけが心底嫌そうに口元を歪めたが、何も言わずに大人しく従った。


「アリア様、すまないが布か何か……噛めるものを貰えないか? 舌を噛みそうで」

「わかった」


 アリアは魔法で適当な布を生成し、それをポラリスに渡す。


 ポラリスはアリアの手元に突然現れた布に驚いた顔をしながらも礼を言い、受け取った。


「それと、座っても? 私は多分、気絶するだろうから……」

「構わない」


 アリアが頷くと、ポラリスは再度礼を言い、手近なソファーに腰掛けた。緊張した様子で深く息を吐き、口に布を詰め込んで噛む。


 アリアはその様子を眺め、それから立ったままのアルコルとフォーマルハウトに目をやる。


「悪いことは言わない。アルコルもフォーマルハウトも座っておいた方がいい。気絶するかもしれない」


「お気遣いありがとうございます。では、私も遠慮なく」


 アルコルが手近なソファーに腰掛ける。

 それを見たフォーマルハウトも、渋々と言った様子でアルコルの隣のソファーに腰掛けた。


「他に布がいる者は?」


 アリアが問うと、「俺にもくれ」とカペラが手を上げる。


 アリアは再度魔法を使い、布を出してカペラに手渡した。


 カペラは礼も言わずに布を受け取り、心底嫌そうに深いため息を吐く。


「俺、これ嫌なんだよな。痛いし」


 カペラはぽつりと呟き、もう一度深くため息を吐いてから布を噛んだ。


「準備はできたか?」


 アリアは囚人たちの前に立ち、一人一人を見る。誰も何も言わない。準備はできたということだろう。


「では、始める」


 アリアは手を掲げた。掲げたアリアの手元に火花が散る。同時に、囚人たちの首元にも火花が散り始める。


 フィリベルトに囚人の契約をする時は直接触れたが、本来はアリアの血さえあれば触れなくても囚人の契約はできる。


「ぐ……っ! う」

「……っ、っ!」


 布を噛むポラリスとカペラはともかく、他の四人の囚人は誰一人として悲鳴をあげなかった。


 アルコルとフォーマルハウトとリゲルはうめき、脂汗を流して、肘掛けを破らんばかりに握りしめたり拳を固く握ったりして苦痛に耐えている。カストルは多少歯を食いしばっているくらいで、うめき声の一つも上げない。


「囚人の契約の制限は、結界の制限と同じだ。『これより永続的に、看守を殺害することを禁ずる。逃走を禁ずる。自害を禁ずる。外部との連絡を禁ずる。治癒の魔法以外の魔法の使用を禁ずる』——必要に応じて別途個別に制限をつける」


 一段と強く火花が散り、収束していく。

 火花が完全に消えると、アリアが付けた血は消え、六人の囚人たちの首に大小の星々を散りばめたような黒色の紋が浮かぶ。


「おえっ」


 えずきながらカペラが口から布を外す。


 息も絶え絶えと言った様子で、ポラリスも口から布を外した。


 アリアは、カストル以外ぐったりした様子の囚人たちを見渡す。


(……全員、意識を保ったか。大したものだ)


 これが普通だ。囚人の契約をしても顔色一つ変えなかったフィリベルトが異常なのだ。


「これで囚人の契約は終わりだ。各自動けるようになったら独房に戻れ。それと、今日の夕食は各自で取るように。それぞれの独房の確認と身体検査は明日行う」


 アリアは魔法で水の入った水差しと人数分のグラスを出し、そのうちの一つのグラスを手に取った。水差しから水を注ぎ、囚人たちの前で一気に飲み干す。


「この通り、毒は入っていない。飲みたければ飲んでいい」


 アリアはそれだけ言うと、空のグラスをテーブルに置いた。振り返って、穏やかに笑うフィリベルトに視線を送る。


「フィリ、行こう」

「はい」


 アリアが声をかけると、フィリベルトがテーブルに置いていた囚人の面を付けて立ち上がる。


「おい、ちょっと待て」


 ぐったりした様子のリゲルが、アリアに声をかけた。


 アリアは立ち去ろうとしていた足を止め、リゲルの方を見る。


「そのいかれた男の独房をどこにする気だ?」


 いかれた男——フィリベルトのことだろう。


「フィリベルトの独房は中央棟だ。私の部屋の隣に作る。結婚したばかりの夫だからな。できるだけそばにいたい」


「本当に気色悪い奴らだな」


 うんざりした様子で、リゲルが深々と息を吐く。


「まあいい。そのいかれた男が僕の独房の近くでなければそれでいい」


 ふん、と鼻を鳴らし、それきりリゲルは閉口した。他に話すことはないらしい。


 アリアは今度こそ踵を返し、フィリベルトを伴って西側の扉から廊下に出た。そのまま三階に向かう。


「フィリ、あの囚人たちを見てどう思った?」


 談話室から離れ、階段に差し掛かると、アリアは問いを口にした。


「そうですね……」


 隣を歩くフィリベルトは考え込むように言葉を切る。


 横目でフィリベルトの様子を見ると、視線を落として顎に手をやっていた。少しの間を置いて、フィリベルトの視線がアリアの方に向けられた。


「それをお話しする前に、確認させていただいてもよろしいですか?」

「ああ」

「この囚人の紋のことですが」


 フィリベルトは首の紋を指さして、言う。


「この紋の意匠はダールマイアーの結界の魔法を受け継ぐ方々全てに共通しているものですか?」

「いや、その紋の意匠は個々に違う。自分の意思では決められないから、誰かと同じ紋を作るということもできないし、好きな意匠にすることもできない」

「初め、先程の囚人の方々の首には紋がありませんでした。看守の方が亡くなると、その看守の方と結んだ囚人の契約は消え、囚人の紋も消えるということでしょうか?」

「その通りだ」


 フィリベルトが再び考え込むように視線を落とす。ややあって、アリアに視線を戻した。


「今質問した二点について、僕はこれまで知らずに生きてきました。これは広く知られていることなのでしょうか?」


 アリアは静かに首を横に振る。


「ダールマイアーの結界の魔法の全貌は、私たちダールマイアーと王家の者しか知らない。囚人たちはこの監獄から生きて出られないから、囚人経由で他の者には知られていないはずだ」

「わかりました。それと……先程の顔合わせのように、グリニオン監獄に収監されている囚人たちを独房から出して同じ場所に集めて何かをする、などといったことは通常あることなのですか?」

「いや、ないだろうな。基本的に囚人はそれぞれの独房から出さない。出すとしても、地下で拷問する時に個々に出すくらいだな。囚人たちをまとめて何かをするということはしない。相手は大罪人だからな。看守教育でも囚人をまとめて何かするようには教えられていない」


 アリアは意識を監獄全体に向ける。西棟に向かっている囚人が一人。北棟に向かっている囚人が一人。残りの四人はまだ談話室だ。


「あとは……この監獄の独房について一つお聞きしたいのですが」

「ああ」

「独房はどういった造りになっていますか?」

「造りだけでいうなら、独房というよりも部屋だ。入り口は二重扉になっていて、鍵は無い。浴室とトイレが備え付けられている。窓は一般的な邸宅のものとあまり変わりない。鉄格子は無く、房によってはバルコニーがある」

「廊下側から独房の中を見ることはできますか?」

「できない。扉を開ける以外に廊下側から独房の中は見えない」

「なるほど。ありがとうございます」


 フィリベルトが顎に手をやり、礼を言う。どうやらこれで確認は終わりらしい。


「それで? 今の確認で何がわかった?」

「ポラリスは囚人たち全員と面識があると思います」

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