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檻の中の君  作者: 二井星子
第1章 大罪人
16/47

16 六人の囚人②

 現れたのは、すらりと背の高い女性だ。

 女性は黒髪を後頭部のあたりで丸くまとめている。身にまとっているのは、フィリベルトが着ているものと同じような白いシャツと黒いズボンだ。衣服は新品ではないようだが、汚れてもいない。

 予想していた通り、女性は囚人の面を付けている。顔面で唯一見える口元の感じからすると、おおよその年齢は三十代半ばから後半くらいに見えた。


 女性はアリアとフィリベルトの姿を認めると、「おっ」と小さな声を発した。


「新しい看守さんか? それとそっちの子は新入り?」

「アリア・ダールマイアーだ。この男のことは、全員揃ってから話す」

「アリア様ね。よろしく頼むよ」


 気安い態度だが、それがこの女性本来の性質によるものなのかはわからない。


 恐らく、この女性は考えなしに気安い態度を取っているわけではない。


 室内に入った瞬間、この女性は看守の制服を着たアリアと、首に囚人の紋があるフィリベルトと、フィリベルトの正面のテーブル上にある囚人の面を一度に見た。

 アリアとフィリベルトがこうして腕を絡ませ、手を繋いでいるのを見て、瞬時にアリアを『無礼を許す看守』だと判断したのだ。だから、自分も気安い態度が許されるのかを試している。


 女性はアリアとフィリベルトの正面の位置、ソファーの後ろに立つが、座ろうともしなければ座る許可を求めることもしない。

 アリアと真っ直ぐ向き合っているように見えて、体はわずかに東棟への扉の方へ傾いている。意識してか無意識なのかはわからないが、いつでも逃げられるような姿勢を取っているのだろう。

 フィリベルトとは違い、アリアへの——新しく来た看守のダールマイアーへの恐れがある。


 と、アリアとフィリベルトの背後、西側の扉が開く音がした。

 アリアは素早く振り返る。


 西側の扉から中に入ってきたのは、二人の男性だ。

 どちらの男性も、服装は女性と同じで白いシャツと黒いズボンだ。やはりと言うべきか、囚人の面を付けているため口元以外に顔がわからない。


 先に入ってきた一人は痩せぎすで、明るい灰色の髪色。少々癖がある長髪を、首の後ろで一つにまとめている。薄い唇は固く閉ざされ、開く気配がない。推定年齢は四十代から五十代。鋭い雰囲気の男だ。

 無言のまま、西側の扉のすぐ横に立つ。


 後から入ってきたもう一人の男性は、推定年齢が六十代の背の高い老人だ。短い白髪に、口元には手入れのされた口髭。唇は弧を描き、微笑んでいる。よぼよぼしている印象はなく、動作はしゃんとしている。

 それどころか、この老人からは熟達した武人のような隙のない空気を感じた。

 老人はしっかりした足取りで女性の隣に並び、そこでようやく真正面からアリアとフィリベルトを見た。

 途端に、アリアとフィリベルトが腕を絡ませて手を繋いでいるのが視界に入ったのだろう。老人の口元が驚いたように無音で「おや」と動くも、すぐに元の微笑みを浮かべた。それ以上は何も言おうとしない。


 続いて、食堂に繋がっている南側の扉が開く。

 南側の扉から入ってきたのは、他の三人と同様に白いシャツと黒いズボン、囚人の面を付けた男性だ。恐らくは南棟の囚人の一人だろう。この男性だけ、廊下を通ることなく食堂を突っ切ってここまで来たらしい。

 真ん中分けの栗色の髪、口元左側にほくろがある。中肉中背で、推定年齢は十代後半から二十代。他の三人と違ってシャツの裾はズボンから出ているし、ボタンは胸元ギリギリまで外され襟元が大きく開いていた。口元は無表情だ。

 ぐるりと室内を見まわし、看守のアリアの姿を認めると、足早に側までやって来て、アリアの真横の位置まで来る。かなり近い距離だ。その位置から、無言でアリアを見下ろす。口を開く気配はなく、ただただアリアを見ているだけだ。フィリベルトの存在を気に留めもしない。


 アリアは真横から見下ろしてくる栗色の髪の男性を見上げ、見つめ返した。

 ——怯まない。

 アリアを前にしても、栗色の髪の男性は目を逸らさない。挑発しているのかそうでないのか、ひたすらにアリアを見ている。


 どうしたものかと考えを巡らせようとした時、北側の扉が開いた。アリアは見下ろしてくる男から目を離し、北側の扉の方を見た。


 北側の扉から室内に入ってきたのは、クセのない黒髪の男性だ。服装は他の囚人たちと同じで白いシャツに黒いズボン、囚人の面を付けている。年齢は十代後半から二十代前半くらいに見えた。隻腕で、肩までの全ての左腕を失っているようだ。

 隻腕の男性は室内にいる面々を順繰りに見た後、北側の扉近くの手近なソファーに腰を下ろした。深く腰掛け、足を組む。


 これで五人。残るはあと一人だ。


 アリアが再度監獄全体に意識を向けようとした時、再び北側の扉が開いた。


 北側の扉から入ってきたのは、白金色の髪の男性だ。柔らかそうな髪が歩くたびに揺れて、きらきら光っているように見える。服装は他の囚人と同じで白いシャツと黒いズボン。顔には囚人の面。この場にいる者の中で最も背が低いように見えた。年齢は十代半ばから二十代前半だ。


「はっ」


 白金色の髪の男性は他の囚人たちに目もくれず、アリアとフィリベルトの方を見て鼻で笑った。

 それから足早にやって来ると、アリアとフィリベルトの向かい側のソファーにどっかりと腰を下ろした。

 腕を組み、足も組む。わずかに首を傾げ、口元が嘲笑で歪んだ。


「何の冗談だ、それは」


 白金色の髪の男性は、腕を絡めて手を繋ぐアリアとフィリベルトをあごで示して言う。


「僕たちをお前の情夫にでもするつもりか? 笑えない冗談だな」

「そのつもりはない。必要がないからな」


 アリアがばっさり否定すると、白金色の髪の男性が声を上げて笑いだした。肩を震わせて笑い続け、急にぴたりと笑うのを止める。


「情夫はその男で十分だということか。気色悪い」


 嫌悪をむき出しにして吐き捨てると、白金色の髪の男性はフィリベルトに顔を向けた。


「おい、そこのお前」

「はい。何でしょう?」


 フィリベルトは穏やかな笑みを浮かべて応じる。嫌悪を向けられても、動じている様子は一切ない。


「お前に尊厳はないのか? 看守に媚びへつらって恥ずかしいと思わないのか?」

「お言葉ですが、僕は媚びへつらっているわけではありませんよ。そもそも、あなたは前提を間違えています」

「僕が前提を間違えているだと?」

「ええ。僕は情夫ではなく、こちらのお方の夫です」

「……夫?」


 白金色の髪の男性が素っ頓狂な声を上げる。


 フィリベルトは控えめに笑い、言葉を続けた。


「夫です。僕とこちらのお方は婚姻関係にあります。新婚ですね。ですから……」


 フィリベルトがアリアに擦り寄る。絡まった指がアリアの手をゆっくり撫でさする。

 距離が近いためにフィリベルトの様子を窺うことはできないが、浮かべている表情は予想できる。きっと、一分の隙もない穏やかな笑みを浮かべているだろう。


「こうしてあなた方を牽制しています。妻に色目を使われたくないので」

「ふっ、はは」


 白金色の髪の男性が大げさに腹を抱えて笑う。しばらくの間笑い続け、またぴたりと急激に笑うのを止める。


「看守に色目を使う? そんな馬鹿はお前以外にいるわけがないだろう」

「僕は色目を使っているのではありせんよ。愛情表現です」

「そこまでだ。埒が開かない」


 話が長引きそうな気配を感じて、アリアは無理やり話を中断させた。


「これで全員か?」

「ええ。六人で全員です」


 アリアの質問に答えたのは、背の高い老人だ。


 囚人たちがそれぞれの独房から出ることは基本的に許されない。ダールマイアーの看守教育でも、監房からは出すなと教えられる。この老人がグリニオン監獄の囚人は総勢六名であると知る術はないはずだ。


「なぜ言い切れる?」

「前の看守様に、ここには六人の囚人がいるとお聞きしましたのでな」


 もっともな理由だ。どこまで信用できるかはまだわからないが。


「そうか。わかった」


 とりあえずは納得したふりをする。

 ここの囚人が六名なのはアリアも把握済みだ。


「では、自己紹介……の前に、明かりをつけるか。暗くなってきたな」


 アリアは、パチンと指を鳴らした。音に合わせて、魔法で監獄中の明かりを全て灯す。


 アリアの魔法は全て、本来は何の動作も必要としない。何かしらの動作が必要なのだと思わせるためにそうしているだけだ。


 女性が驚いて明かりのついた室内を見回し、老人は声に出さずに「ほう」と口を動かした。白金色の髪の男性は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

 他の三人は無反応だ。長髪の中年男性は西側の扉の横に立ったままだし、栗色の髪の男性はアリアを真横から見下ろしたまま他の何かには目もくれない。隻腕の男性は北側の扉近くのソファーに座ったままだ。


 アリアは振り返り、背後の西側の扉の横に立つ長髪の中年男性に視線を送った。


「そこの君、こちらに来てくれないか。私の視界に入る位置であればどこでも構わない」


 アリアの言葉に長髪の中年男性が頷き、動き出す。足早に向かい側の東側の扉の横まで行き、そこで止まった。壁を背にして立つ。

 顔の向きからするとアリアとフィリベルトの方を見ているようだが、恐らくは室内全体を——囚人たち全員を見ている。


 長髪の中年男性は、室内に入った時から全ての者を警戒しているようだった。壁を背にして背後を守り、退路に最も近く全員を視界に入れることのできる位置に立って、聞き耳を立てていた。


「そこの君もだ。こちらに」


 アリアは北側の扉近くのソファーに腰掛ける隻腕の男性に声をかける。


 隻腕の男性は何の反応も示さない。

 アリアが自分に話しかけているということは伝わっているだろうが、顔面で唯一見える口元は無表情のまま開く気配がないし、ぴくりとも動かない。


 この隻腕の男性は、長髪の中年男性と同じように距離を取って室内全体を見ているようだが、そこに警戒心はない。ただ、静かに見ている。


 アリアの真横に立つ栗色の髪の男性以外の全員の視線が、隻腕の男性に向けられる。


 少しの間をおいて、隻腕の男性が足を組むのをやめてゆっくり立ち上がる。アリアとフィリベルトの座るソファーの横、同じテーブルを囲むソファーの一つのところまで来ると、そこに腰を下ろして足を組む。


「これでいいだろうか」


 突如発した声は、凛と澄んでいる。話す気がないわけではないらしい。


「ああ。そこで構わない」


 アリアは頷き、続いて真横に立つ栗色の髪の男性を見やる。


「君は近すぎる。もう少し距離を置いてくれ」


 アリアが距離を置くように指示した途端、栗色の髪の男性が無言で動き出す。アリアとフィリベルトの向かい側のソファーのところまで行くと、白金色の髪の男性の隣に座った。


 白金色の髪の男性はちらりと隣を見て、一瞬口を開きかけたが結局何も言わずに閉口した。


「では、自己紹介といこう。私はアリア・ダールマイアー。これからこのグリニオン監獄の看守を務める」

「よろしく」


 アリアの自己紹介に、女性が笑顔で応える。

 反応を示したのは女性のみで、他の者は何の反応も示さない。老人は微笑んでいるが、他の者は無表情だ。


「隣のこの男は、新しくグリニオン監獄に収監されることになったフィリベルト・ジンデルだ」


 フィリベルトの名前を出した瞬間、場の空気が変わった。


「……フィリベルト・ジンデル……?」


 栗色の髪の男性がぽつりと呟く。驚愕に満ちた声だ。


 全員の視線がフィリベルトに向いている気配がする。


 女性の口元からは笑みが消えた。他の囚人たちの様子は一見すると変わらないが、明らかに緊張感が増した。


 この囚人たちは、四年前に起きた『エントウィッスル侯爵家のあれ』を知っている。


「フィリベルトは四年前にエントウィッスル侯爵家にいた者たち二百二十人を殺して首を落とし、火を放った罪で死罪が確定している。一年後に刑が執行される予定だ。短い間だが仲良くしてやってくれ。話せば割とまともだし、話も通じる」

「まともな人間は二百二十人殺さないだろうが」


 白金色の髪の男性がぴしゃりと言い放つ。


「それはそうですね」


 ふふ、とフィリベルトが面白そうに笑う。柔らかな笑みを浮かべて、六人の囚人たちを一人一人見やる。


「ご紹介にあずかりました、フィリベルト・ジンデルです。みなさん、よろしくお願いしますね」


 誰も何も言わない。皆、無言でフィリベルトを見ている。

 大方、一見するとまともで、無害だとしか思えない穏やかそうな男のフィリベルトを前にして、本当にこいつがあの凄惨な事件を起こしたのかと驚いているのだろう。


「詳細は割愛するが、私とフィリベルトは婚姻関係にある。正真正銘、妻と夫だ」

「どういうこと……?」


 声を発したのは女性の囚人だ。心底理解できない、とでも言いたげな声音だ。


「諸事情で結婚した。それだけだ。想い合って結婚したわけじゃない」

「僕はアリアを愛しています」


 さらりと訂正するように告げられた告白に思わず舌打ちしそうになった。話をややこしくするな、と怒りが込み上げそうになる。


 視線を感じて横を見ると、フィリベルトと目が合う。視線が交わり、フィリベルトははにかむように笑った。

 思わずため息を吐きそうになるも堪えた。


「そういうのは後にしろ。話が進まなくなる」

「わかりました」


 フィリベルトが素直に頷いたのを確認し、視線を囚人たちの方へと戻す。


「こちらの自己紹介は済んだ。次は君たちだ。一人ずつ自己紹介してくれ」


 途端に沈黙が落ちる。皆口を閉ざし、張り詰めた緊張感のようなものが漂う。


 ややあって、老人が口を開いた。


「では……私から名乗らせていただいでもよろしいかな?」


 そう言って、老人はちらりと白金色の髪の男性と隻腕の男性を見た。

 白金色の髪の男性も隻腕の男性も、老人からの視線をわかっているのかそうでないのか、何の反応も示さない。


 老人は改めて開口する。


「私はアルコルと申します。南棟一階の囚人です」


 老人——アルコルは、アリアとフィリベルトの方を見て一礼した。


「リゲル」


 白金色の髪の男性——リゲルが鼻で笑い、それから名乗る。小馬鹿にしたような口調だ。


 なるほど、とアリアは内心で呟く。

 フィリベルトの首に大小の星を散りばめたような囚人の紋が浮かんでいるのを見て、星の名前を偽名にすることを思いついたか。


 アルコルから星の名前を偽名にする流れが始まり、リゲルもそれに倣ったとなれば、続く囚人も星の名前を偽名にするはずだ。


「私はカストルだ。構わず好きに呼べばいい」


 続いて名乗ったのは隻腕の男性——カストルだった。感情の読めない、平坦な物言いだ。


 ここで沈黙が落ちる。


 女性が、まだ名乗っていない長髪の中年男性と栗色の髪の男性を素早く見やり、二人とも口を開く気配がないのを確認すると開口した。


「私はポラリス。よろしく頼む」


 女性——ポラリスが名乗り終えると、長髪の中年男性が口を開く。


「フォーマルハウトだ」


 他の者たちと同様に端的に名乗り、長髪の中年男性——フォーマルハウトが軽く一礼する。


「カペラ。よろしくはしない」


 栗色の髪の男性——カペラが最後に名乗る。


 やはり、思った通り全員が星の名前を偽名として名乗った。


 看守のアリアに対してどちらかと言えば友好的なのが女性の囚人ポラリスと、老人の囚人アルコル。

 中立的なのが長髪の中年男性の囚人フォーマルハウトと、隻腕の男性の囚人カストル。

 敵対的なのが白金色の髪の男性の囚人リゲルと、栗色の髪の男性の囚人カペラ。


 しかし、その腹の内はわからない。比較的態度が友好的だからといって心から友好的なのかは不明だ。それは敵対的な態度を取る囚人たちにも言える。


「これで全員の自己紹介は終えたな。では、率直に言わせてもらう」


 アリアは一人一人を見渡し、最後に隣に座るフィリベルトを見た。


 フィリベルトはアリアの視線に気付き、花が綻ぶように笑う。まるで、アリアが何を言いたいのかを知っていて、それを後押ししているかのような笑顔だ。


 アリアは視線を正面に戻し、それから開口した。


「その気になれば、私は君たち全員を一瞬で殺せる」

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