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檻の中の君  作者: 二井星子
第1章 大罪人
13/47

13 違和感のある部屋②

「なぜそう思う」

「アリアも気付いておられるのでは?」


 思わず笑ってしまいそうになる。やはりこの男は、何もかもをよく見ている。


「私も同意見だが、君がどう思うかが知りたい」

「わかりました」


 フィリベルトが頷き、一度室内を見回す。それから開口した。


「まずはこの部屋ですが、整頓されていてとても綺麗です。本棚は本の大きさごとに分けられ、そこから著者名順に並んでいます。市販の本以外の記録や書類は年代ごとに並べられている。執務机の上もごちゃごちゃしていませんし、引き出しの中も整頓されていました。筆記具は筆記具で分けられ、書類もきちんと分類してあります。義父上は綺麗好きな方なのではないでしょうか? すると、この部屋には不審な点がいくつかあります」


 フィリベルトはテーブルの上のティーカップとソーサーを指差す。


「まずはそこのテーブルの上です。ティーカップとソーサーが放置されているのは、まだ理解できます。飲み物を飲んでいる途中で急病により亡くなった可能性がありますから」


 フィリベルトがテーブルに歩み寄る。それから屈んでテーブルのある一点を指で示した。


「でも、ティーカップとソーサーが置かれている向かい側の位置にある、この円形の汚れについては理解できません」


 テーブルは黒に近い濃い茶色をしているが、フィリベルトが指差す先にある円形の汚れがくっきり見える。


「これは恐らく、何らかの要因でティーカップの縁から飲み物が伝い落ちて、ティーカップの底の形状に従って広がり、それを拭かずに放置したためこびりついた汚れです。向かい側のティーカップの底もソーサーも汚れていないので、このテーブル上には汚れの原因になった別のティーカップがあった。でも、それはここにはありません」


 フィリベルトが辺りを見回すのにつられて、アリアも周囲を見る。

 室内のどこにも、テーブル上のティーカップ以外のティーカップは見当たらない。


「となると、この汚れは『過去にできたものを義父上が放置している』か、『テーブル上に放置されているこのティーカップと同じ時系列で汚れの原因になったティーカップがテーブル上にあったものの、そのティーカップだけを片付けた』か、『このティーカップを放置し、その後汚れの原因になったティーカップを使用して片付けた』ということになるかと思います。いずれもテーブル上の汚れはそのままです」


 アリアは無言で頷き、話の先を促す。


「僕が最も可能性が低いと思っているのは、『過去にできたものを義父上が放置している』です。これだけ目に見える汚れを、室内をこれほどまでに綺麗に保つ義父上が放置するとは思えません。現に、この汚れ以外にテーブル上に汚れはありませんし、執務机にも汚れはありません」


 フィリベルトが身を起こし、アリアに視線を向ける。


「かといって、残る二つも可能性は高くありません。このティーカップとソーサーを使用している時に義父上が急病で倒れたわけではない場合、残る二つも義父上が汚れを放置していることになるからです。それどころか、ティーカップとソーサーをも放置していることになります。だとすると、第三者がこの汚れを作り、義父上が亡くなった後も放置していると考えるのが自然です」

「ああ」

「義父上が亡くなった後にこの部屋にやって来てわざわざ飲み物を飲む、というのは考えにくいことかと思います。もしも外部の人間であれば義父上の許可なしにここまで上がり込むということはないでしょうし、囚人であれば看守の区画である中央棟には足を踏み入れることが禁止されているのではないでしょうか? ですから、テーブルの汚れは、このティーカップとソーサーが使用されていた時と同じ時系列で付いたものだと思われます。義父上が、何者かをこの部屋に招いて一緒にお茶を飲んでいた。その最中に、義父上は亡くなってしまった。何者かは自分が使用したティーカップだけを片付けた……」


 フィリベルトはそこで言葉を切り、考え込むように押し黙る。


 ややあって、フィリベルトの視線がテーブル上から離れる。


「次に気になるのは、そこの本棚です」


 フィリベルトが示したのは、右側奥の窓に近い本棚だった。


 フィリベルトが本棚のそばまで行く。アリアもその後に続いた。


「この本棚、差さっている本の大きさがバラバラです。著者名順にもなっていない。そしてこの本棚ですが、スカンラン領の家具職人、ロホス・ディンケル作の逸品。下段の内側の側面に刻印が押されているので、間違いなく本物です」


 その名前はアリアも聞いたことがある。

 ロホス・ディンケル——ガルデモス帝国どころか、大陸中で最も名の知れた家具職人だ。

 ロホスは元伝書鳥の訓練士であり、元狩人であり、元大工でもある、異例の経歴を持つ家具職人だ。彫刻家としても名を馳せる正真正銘の天才で、ロホスが手がける家具は芸術品と称され凄まじい人気を誇る。真偽のほどは不明だが、ロホスの家具を手に入れるには数十年待ちだとさえ言われている。


 フィリベルトが本棚の下段の内側を確認していたのは、ロホスの刻印を確認するためだったらしい。


「ロホスは鳥を好みます。彼の作る家具にはどこかに鳥のモチーフが入ります。初期は写実的な鳥でしたが、徐々に抽象的になっていきます」


 このように、とフィリベルトが本棚の枠を示す。アリアの目には、ただいくつかの三角形が重なっているようにしか見えない。


「鳥? これが?」

「鳥です」


 そう言われても、全くわからない。

 アリアはフィリベルトが鳥だと断言する模様の隣を指さして言う。


「では、これも鳥か?」

「いえ、それは模様ですね」

「違いがわからない」

「気持ちはわかります」


 フィリベルトが控えめに笑う。ひとしきり笑ってから、改めて言う。


「ロホスの鳥のモチーフがこのように抽象的になったのは、半年ほど前からなんです」

「半年前……」

「そうです。僕とアリアの見立てでは、義父上は一年ほど前に亡くなっている。この本棚がここにあるということは、ここ半年の間に何者かがこの位置にあった本棚を変えたということになります。本棚の本がこのように無秩序なのは、その何者かが適当に本を差していったからです」


 確かに、他の本棚と比べて大きさが微妙に合っていないし、見るからに新しい。最も窓に近い位置にある本棚だが、日焼けもしていない。明らかに新しい本棚だ。


「そして、あそこの本棚ですが」


 フィリベルトが振り返り、対角線上に位置する本棚——出入り口の扉から見て左側、最も扉に近い位置の本棚に視線を送る。


「あの本棚で義父上の大体の死亡時期がわかります」

「なぜ?」

「見ていただければお分かりいただけるかと」


 フィリベルトは扉に最も近い位置の本棚の元へと歩みを進める。アリアはその後に続く。

 本棚の前まで来ると、フィリベルトが足を止め、ちらりとアリアを見やる。


「こちらです」


 フィリベルトが布のかけられた一画を示し、それから一息に布をめくった。

 布の下から出てきたのは、八冊の恋愛小説だ。


「こちらの小説はご存知ですか?」

「フローラ・アンデの『憂いの花』」

「その通りです。読んだことは?」

「ない。興味がない」


 フローラ・アンデはガルデモス帝国で最も著名な作家で、素性は謎に包まれている。

 『憂いの花』は代表作とも言える作品だが、有名な著作は他にも多くあり、恋愛小説だけでなくあらゆる分野の小説を書く。


「では、これまでに『憂いの花』の装丁を見たことはありますか?」

「ある……が、これとは違う装丁だったような……」


 メイドの一人が持っているのを見たことがあるが、作品にもメイドにも興味がないから明確には覚えていない。


「そうです。ここにある『憂いの花』は八冊全てが通常の『憂いの花』とは違う限定版の『憂いの花』です。限定版は王都のみで販売されています。通常のものと異なる装丁に、異なる小話とあとがきが収録された部数限定の特殊なものです。増刷されることもありますが、非常に希少なのでまず手に入りません」

「それが、ここに八冊もある?」

「ええ。しかも、奥付けを確認したところ全て初版です。この本棚の奥側には通常の『憂いの花』も一巻から八巻まであります。義父上はこの『憂いの花』がかなりお気に入りだったのではないでしょうか」

「それで父の大体の死亡時期がわかるのか?」

「はい。この『憂いの花』は年に二回、大体半年に一度くらいで新刊が出ます。今は十巻まで出ているんです。十巻が出たのは三ヶ月前です」


 フィリベルトが何を言いたいのかがわかってきた。


 辺境のこの地にいながら、王都でしか販売されていない限定版の『憂いの花』の初版を何らかの手段で手に入れるだけでなく、通常の『憂いの花』も購入するくらいにこの作品が好きな者が、一年以上続刊を買わずにいるとは考えにくい。何かがあって購入できなくなったと考えるのが自然だ。


「これほどまでに『憂いの花』を気に入っておられる方が、一年以上続刊を買わずにいるとは思えません。義父上は続刊を『買わずにいる』のではなく、『買うことができなかった』のではないでしょうか」

「死んでいるから?」

「そうです。そして恐らく殺されています」

「どうしてそう思う」

「血痕があります」


 フィリベルトがテーブルとソファーの下に敷かれたラグのところまで行き、しゃがみ込む。「まずはここです」と、ラグと床の境目付近の板目を指差す。

 板目の隙間が、その部分だけ黒ずんでいる。


「このラグは南部ダーミッシュ領、ダーミッシュ織のラグです。意匠は頭領の息子ルイス・フェレイロ。彼の意匠のダーミッシュ織が市場に出回るようになったのは一年ほど前からです」


 フィリベルトがラグをめくる。ラグの下の床の板目も、隙間が黒ずんでいる。


「元々ここに敷かれていたラグはこれよりも小さいものだったか、敷いていなかったかのどちらかでしょう。一年ほど前から市場に出るようになったルイスの意匠のラグがここにあるということは、このラグはここ一年のうちにこうして敷かれたということになります」


 ラグを元に戻し、フィリベルトが立ち上がる。『憂いの花』が並ぶ本棚の前まで行くと、天井付近を見上げて指差す。


「あそこにも血痕があります」


 見ると、天井と壁の上部に、黒いゴミのように見えるシミが点々とついている。


「病気で吐血したり、自害したのではあそこまで血は飛びません。あそこに血がついているということは、思いっきり切られたということになります」


 フィリベルトが天井付近から本棚に目を移す。


「この本棚もロホスの作品です。あちらにあった本棚と同じ意匠ですね。この本棚は血を被ったので、あちらの本棚と同時期に変えたのだと思います。差されている本も、『憂いの花』以外は市販の本ではなく、帳簿です。他の本棚と違って差さっている本に統一性がなく、帳簿の背表紙に書いてある日付もバラバラです。別の本棚に差さっていた本を適当にここに持ってきたのでしょう。『憂いの花』も、元はもっと日の当たる場所にあったはずです」


 フィリベルトは『憂いの花』にかけられている布を手に取る。


「この布は本の日焼けを避けるための布だと思われます。大きな布を裁断することなく、折りたたんで使用しています。表側は薄い黄色ですが、裏面はこのように」


 フィリベルトが、アリアに見えるように布を裏返した。濃い黄色の布地が現れる。


「濃い黄色です。生地は表地も裏地も全て同じで、異なる生地が組み合わせられているわけではない。表地は日焼けで色が薄くなったのでしょう。さらにこの布を広げるとわかるのですが」


 フィリベルトが布を広げ、アリアに見えるように掲げた。


「わかりますか?」

「ああ」


 日焼けの範囲が、『憂いの花』八冊を並べた長さよりも長い。


「日焼けの範囲が広いので、元々『憂いの花』はこの本棚のように奥側と手前側で重ねるようにして並べられていたのではなく、一列に並べられていたと思われます。さらにこの本棚より日の当たりやすい場所ですので……」


 フィリベルトの視線とアリアの視線が、揃って執務机を見た。


「元々は執務机の本立てにあったものを、そのまま持ってきてそれらしく並べた。執務机の本立てには適当な本と書類を並べたということか」

「はい」


 フィリベルトは頷く。


「まとめると、一年ほど前に義父上が何者かをこの部屋に招いた。招かれた何者かが、義父上を切り殺した。招かれた痕跡を消すためなのか、自分が使ったティーカップを片付け、血痕を始末した。義父上を殺した何者かは大雑把な人物だと思われます。何もかも中途半端ですからね」


 よほど動揺していたのか、細かなことを気にしていないのかはわからない。

 いずれにせよ、自分がいた痕跡を消すにしては不十分だし、ヴィリバルトを殺した痕跡を消すにしても不十分だ。

 新しい看守が来ようとどうせ気付かないと高を括っていたのだろうか。


「何者かは血のついた本と本棚、元々ラグが敷かれていた場合はそのラグを処分し、一年前から今にかけての間に全て新しい物に交換する。窓際の端の本棚を替えた理由は不明です。新しい本棚には適当に本を詰めた。ここに書庫はありますか?」

「ある」

「なら、そこから本を持ってきている可能性もあります。執務机の引き出しの中にあった警告文を入れたのがその何者かなのかは不明です」


 警告文。『ノエル・エティガト・ノイラートを三ヶ月以内に解放しなければ皆死に絶える』——これは、警告文なのだろうか。


 フィリベルトが考え込むように視線を伏せ、あごに手を添えた。


「疑問点は六つあります。『一年ほど前に義父上が殺された際になぜ防護結界が発動しなかったか』と、『今なぜ防護結界が発動したか』と、『義父上を切り殺したのは誰かとその理由』、『窓際の端の本棚を替えた理由』、『執務机の引き出しの中の紙を入れたのは誰か』、『肖像画の義母上の顔を切り裂いたのは誰なのかとその理由』です」


 フィリベルトの疑問点は、アリアの疑問点と合致する。現時点ではわからないことが多すぎる。


 ふと、アリアはあることを思い出した——肖像画を前にしたフィリベルトの様子が変だった。


「待て。そういえば、君は肖像画を見て顔をしかめていたな。どうしてだ?」

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