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檻の中の君  作者: 二井星子
第1章 大罪人
12/47

12 違和感のある部屋①

「ここは、看守の方の居室となる棟ですか?」


 まるで普通の邸宅のような佇まいの内部をあちこち見やりながら、フィリベルトが疑問を口にした。


 どの部屋も扉はごく普通の木製の扉で、調度品や装飾はいずれも華美ではないものの、かといって牢獄らしいものでもない。


 フィリベルトの疑問に、アリアは頷く。


「そうだ。中央棟は看守用の棟。その他は罪人用の牢獄」


 三階中央部にある部屋の前で、アリアは足を止めた。つられるようにしてフィリベルトも足を止める。


「ここは何の部屋ですか?」

「執務室兼書斎だ」


 通常は結界の制限で中央棟への立ち入りを禁止するため、中央棟のどの部屋にも鍵は存在しない。かける必要がないからだ。


 アリアは扉を開けて中に入る。フィリベルトが後から続いた。


 室内に入ってすぐ正面にテーブルとソファーがあり、ソファーはテーブルを挟んで向かい合うように設置されている。


 その奥、窓を背にするようにして大きな執務机が置かれていた。


 左右の壁はほとんどが本棚で、本は棚によって冊数がまちまちだ。一部の棚の本には布がかけられている。


 入った瞬間の違和感に、アリアは顔をしかめそうになった。一度その場で室内を見渡し、フィリベルトをそのままにゆっくり室内を一周して、元の位置に戻る。


 フィリベルトはアリアの様子をじっと見つめていたようで、目が合うと柔らかな笑みをこぼした。


「フィリ」

「はい」

「君は、この部屋を見てどう思う?」


 フィリベルトに聞いたのは、興味があったからだ。


 グリニオン監獄への道中で、アリアをひたすらに観察し、さまざまな言動を試してこちらの反応をつぶさに見ていた男が、この部屋をどう見るのかを知りたかった。


 フィリベルトは質問の意図を伺うようにアリアをじっと見た後、小首を傾げて言う。


「室内をじっくり見てもよろしいですか?」

「構わない。好きに見るといい」


 ありがとうございます、と礼を言って、フィリベルトが動き出す。


 フィリベルトは入口から数歩歩いて、ソファーの前で足を止めると、足元のラグに視線を落とす。ソファーとテーブルの下に敷かれた、白と黒とで何かの紋様を描いているラグの縁をたどるようにぐるりと回った後、何ヶ所かラグの縁をめくり、床を見た。


 ラグの下の床を見終わると、フィリベルトはテーブルを見た。

 テーブルの上には、ソーサーとティーカップが一組、奥側のソファー寄りのテーブルの端に置かれている。ティーカップに注がれていたであろう紅茶か何かが乾ききり、ティーカップの内側に茶色いシミを作っている。ティーカップ内側の底に黒い埃が溜まっているのも見えた。


「触っても?」

「いちいち許可を取らなくても、何でも好きに触っていい」

「ありがとうございます」


 礼を言ってから、フィリベルトがティーカップを持った。まじまじと眺めてから、底面を覗き込む。ソーサーも同様のことをした。


 フィリベルトはひとしきりティーカップとソーサーとテーブルの上を見た後、本棚に目をやる。


 しばらく凝視した後、向かって右側の本棚の側まで行く。

 手前から奥に向かって、一つ一つの棚をゆっくり見ていく。一番奥の棚まで行くと、フィリベルトはしゃがみ込み、下段の本棚に差してある本を二、三冊抜き取って本棚内側の側面を見た。


(……なんだ?)


 しばらく本棚内側の側面を眺めた後、フィリベルトが本を元に戻した。


 緩慢な動作で立ち上がり、今度は左側の本棚の側まで行く。フィリベルトは奥から手前へと本棚に差された本をゆっくり見ていく。


 左側の本棚は、ちょうど壁の中心付近で二つに分かれていて、空いた空間の壁には肖像画が一枚飾られている。


 フィリベルトが肖像画の前で足を止めた。食い入るように、その絵を見つめる。


 肖像画に描かれているのは四人の人間だ。

 立ち姿の若い男性が一人と、椅子に腰掛ける女性が一人。二人の手前には手を繋いだ五歳くらいの子供が立っている。子供は同じ顔をした男の子と女の子だ。全員黒髪で、若い男性は甘い顔立ちをしている。

 さらに、どうしたことか、椅子に座る女性の顔だけが刃物か何かでズタズタに切り裂かれていて、顔が判別できない。恐らく年齢が若いということだけが何となくわかる。


「この絵は?」

「恐らく私の父と母、私と兄の絵だ」

「恐らく、というのは……」


「父は私が生まれた時にはすでにここで看守を務めていて、一度も会ったことがないから顔がわからない。母とはこれまで一緒に暮らしてきたが、私は母の年齢も生家も何もわからないし若い頃の姿絵を見たこともない。だからこの女性が母なのかわからない。兄については、私は十歳で記憶を失ったから顔を覚えていない。覚えているのは、確かに兄がいて、私は兄を慕っていたということだけ。この女の子の顔が私に似ているから、これは私の家族の肖像画なのではないかと思った。だから『恐らく』だ。断言はできない」


「申し訳ありません。出過ぎたことを聞きました」

「別にいい。何とも思っていない」


 フィリベルトは肖像画をじっくりと見る。


「なぜ、義母上の顔が切り裂かれているのでしょうか?」

「さあ……あまり褒められた気性の人ではないから、父が嫌っていたのかもしれない」

「そうでしょうか……」


 フィリベルトは納得していない様子だ。

 アリア自身も完全にそうだとは思っていない。可能性の一つを口にしただけだ。


「変わった絵ですね」


 フィリベルトの言いたいことはそれとなくわかる。


 家族の肖像画にしては、暗い。


 雰囲気もそうだが色使いも暗い。


 背景は黒一色で、人物の周辺だけ灰色だ。

 四人の服装も黒一色。意匠で違うとわかるものの、まるで喪服のようだった。

 髪色は全員黒。アリアらしき女の子とヴィリバルトらしき男性の目も黒で、クラウスらしき男の子の目だけが灰色。

 アリアらしき女の子とクラウスらしき男の子、ヴィリバルトらしき男性の手元には白い手袋がはめられている。この絵を描いた者は黒紋を描かなかったらしい。


 さらに異様な雰囲気を醸し出しているのが全員の表情だ。


 ヴィリバルトらしき男性だけが満面の笑みを浮かべていて、アリアらしき女の子とクラウスらしき男の子は無表情だった。顔を切り裂かれた母親らしき女性は、かろうじて口元の判別ができるが、笑っていない。


 フィリベルトは肖像画との距離を詰め、絵に接触するぎりぎりまで顔を近付けた。二度、三度と思い切りにおいを嗅ぐ。途端に眉間に皺が寄った。

 ややあって、フィリベルトがゆっくり顔を離す。


「なるほど」


 ぽつりと言い、フィリベルトが絵の前から離れる。そのまま、入り口に向かって順番に本棚を見ていく。


 フィリベルトは一番端の本棚の前に立つと、上段、中段、下段に分かれている本棚の中段、布がかけられている箇所に目を留めた。そっと手を伸ばして布をめくる。


 アリアはフィリベルトの動きを目で追う。


 めくった布の下には、八冊の本が並んでいる。恋愛小説だ。

 書名を確認する——『憂いの花』。ガルデモス帝国内で凄まじい人気を誇る作品だ。


 フィリベルトは一巻を棚から抜き、装丁を眺めた後、本を開いた。奥付けを見る。それから本を閉じて棚に戻し、続いて二巻を抜き取る。二巻も同じように装丁を観察し、本を開いて奥付けを確認した。フィリベルトは八巻までの全ての巻の装丁を眺め、奥付けを確認し終えると、布を元に戻した。


 フィリベルトの視線が本棚から離れ、天井付近に移る。そのままゆっくりと部屋の天井を見渡していく。一通り見た後、目線がアリアに向けられた。


「執務机を見てもよろしいですか?」

「ああ。私も一緒に確認させてもらう」


 二人で執務机のところまで行くと、まずは机の上を眺める。


 整頓された机の上にはほとんど何も置かれていない。筆記具とインク、本立てに差された書類と本、端に小さな鉢植え。鉢植えに植えられていた植物は枯れ、それが花だったのか何なのか判別がつかない。


 フィリベルトが引き出しを上から順に開けていく。

 どの引き出しの中も整頓されていて、入っているのは筆記具や書類だ。


 フィリベルトが下段の引き出しに手をかけ、開ける。

 中を見た瞬間、フィリベルトの動きがぴたりと止まった。


 フィリベルトが動きを止めた理由はすぐにわかった。その引き出しだけ、他の引き出しと様相が違ったからだ。


 最も大きい下段の引き出しの中にあったのは、四つ折りの紙が一枚のみ。他には何も入っていない。


 ぐしゃぐしゃの紙を無造作に四つ折りにしたそれは、入り込んではならない異物のようにも見えるし、ただのゴミにも見える。


 アリアは手を伸ばして紙を手に取ると、ゆっくりと折り畳まれた紙を開いた。


『ノエル・エティガト・ノイラートを三ヶ月以内に解放しなければ皆死に絶える』


 紙には、流麗な文字でそう書かれている。他には何も書かれていない。


「これは……?」


 フィリベルトが、険しい顔で紙に書かれた一文を眺めながら呟く。


「ノエル・エティガト・ノイラート……名前からするとノイラート国の王族だな」


 それ以上のことはわからない。


 隣国のノイラート国は、はるか昔ガルデモス帝国と一つの国だったが分たれた、他国に類を見ない異様な国だ。

 通称『仮面の国』と呼ばれ、武力での戦いではなく情報戦によって他国を制し、拡大してきた大国だった。


 その情報戦の最前線に立つのが王族で、ノイラート王と王妃以下全ての王族が間諜という異質さを持つ。


 ノイラート国の王族で顔と名前が公表されているのは、齢九十になった高齢のノイラート王と齢八十の同じく高齢の王妃のみ。

 名前のみ公表されているのがノイラート王と王妃の間に生まれた三人の子供たちで、その他の第二王妃以下全ての者、孫やひ孫に至るまで全てが不明。


 ノイラート国は王族に限り一夫多妻であり一妻多夫であるため、王族がどのくらいいるのかすらわかっていない。


 ノイラート国の社交界では、ノイラート王と王妃以外が素顔を晒すことは許されていない。どの貴族ももれなく家門ごとに統一された仮面をつける。

 そこから派生し、貴族は身内の前でしか素顔を晒さないようになった。それが『仮面の国』と呼ばれる所以だ。


 ガルデモス帝国とノイラート国は元々一つの国だったこともあり、名前が共通している。

 この紙に書かれた『ノエル』という名前は男女どちらにも付けられる名前だ。『エティガト』という中間名はそもそも人名ではなく、王族が冠する祝福の意味の古語で、王族一人一人が違う中間名を持つ。


 つまり、何もわからない。


 ノエル・エティガト・ノイラートが男なのか女なのか、ノイラート王から見て俗柄はなんなのか、年齢はいくつなのか、何一つわからないということだ。


「文面からすると、このグリニオン監獄にノエル殿下が収監されているということになりますね」

「三ヶ月以内に、とあるがこの手紙がここに入れられたのは……」

「最近だと思います。手紙が置いてあったところの下側にも他と同じくらい埃が積もっていますので」

「そうだな。手紙自体には全く埃が積もっていなかった」


 アリアは頷く。

 この手紙に書かれた『三ヶ月以内に』という期間の開始は、今だとみていいだろう。


「皆死に絶える、というのはよくわかりませんが……」

「『皆』というのは恐らくグリニオン監獄の中にいる者を示しているということはなんとなくわかるが、それだけだ。どうしてノエル殿下を解放しないことが『皆死に絶える』に繋がるのかがわからない」

「そうですね……」


 考え込むようにフィリベルトが黙る。ややあって、視線がアリアに向けられた。


「ひとまず、この部屋からわかることをアリアにお伝えしたいのですが、その前にいくつか質問をしてもよろしいですか?」

「なんだ?」

「グリニオン監獄の看守が交代するのは、看守が亡くなった時で合っていますか?」

「合ってる」

「亡くなった時以外で交代することは?」

「ない」


 アリアは端的に答えた。


 フィリベルトは真顔で、考え込むようにあごに手をやった。


「看守が亡くなったことをどうやって知るのですか?」

「ダールマイアーの結界の魔法と黒紋を持つ者は、死んだ瞬間にその死体を対価に防護結界が発動する。防護結界はさっき君も見ただろう」

「虹色の結界ですね」

「そう。強力な結界だ。内部のものは結界の外に出られないし、結界の外から内部には入ることができない。その防護結界の発動で看守の死を知る」

「アリアが防護結界の発動を確認してから、新しい看守としてここに来るまでどのくらいかかりましたか?」

「十七日だ。防護結界の発動を確認してから三日で爵位の継承と看守の継承を終えて、すぐに王都に向かった。王都までは片道七日で、往復で十四日」

「防護結界の発動に気付いたのは即時ですか? 何日か経過してからですか?」

「即時だ。毎日確認するのが後継者の義務でな。邸の者にも防護結界に気付いたらすぐ報告するように言ってある。防護結界に気付かないというのはまずあり得ない」

「なるほど。ありがとうございます」

「それで? 何がわかった?」


 アリアは紙を折りたたんで引き出しの中に戻し、フィリベルトに向き直る。


「率直に申し上げます」


 フィリベルトは意を決したようにアリアを見つめ、言う。


「義父上は一年以上前に亡くなっています」

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