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檻の中の君  作者: 二井星子
第1章 大罪人
11/47

11 監獄

 そこから七日間に及ぶ道中は、特に何事もなく過ぎた。


 フィリベルトは初日と比べておとなしく、必要以上に喋ることはしなかった。

 かといって、グリニオン監獄に近付いて緊張しているというわけではないようで、相変わらず穏やかな様子だった。

 目が合えばふわりと笑いかけてくるし、しまいには「なんだか新婚旅行みたいですね」などと言い出す始末だ。


 宿屋に泊まった際はフィリベルトと同じ寝台で眠り、野営したり馬車で宿泊した際にはフィリベルトと身を寄せ合って眠った。


 身を寄せ合う必要がある時以外に、フィリベルトがアリアに触れることはなかった。寝台を共にした時も、ただ隣に横になっているだけだった。


 アリアは何が起きても対処できるよう浅く眠っていたが、フィリベルトは初日以外本当に眠っていたようだった。


「あの建物がアリアの邸ですか?」


 フィリベルトが指差す先を目で追う。


 深い森の中に切り立った崖が見える。その崖の上、木々に囲まれながらも赤色の屋根が覗いている。ダールマイアー邸だ。


「ああ」


 アリアが肯定すると、フィリベルトがアリアの方を見て苦笑した。


「よろしいのですか?」

「何が?」

「行かなくても、よろしいのですか?」


 フィリベルトは念押しするように言う。


 アリアはちらりとダールマイアー邸を横目に見て、それから吐き捨てた。


「別にいい」

「そうですか……」


 フィリベルトはそれ以上何も言わなかった。


 この後何が起きうるのか——ダールマイアーを根絶やしにしたい皇帝陛下が、ダールマイアー邸に何をするのか予想できるからこそ、アリアに行かなくてもいいのかと聞いたのだろう。


 アリアには、そんなことはどうでもいい。万が一何かがあったところで、あの邸にはアリアを害する者しかいないのだから。


 馬車はグリニオン監獄へ向かう道を行く。


 大滝の下に出ると、間もなくして防護結界に覆われたグリニオン監獄が見えてくる。


 グリニオン監獄には、通常の監獄のように高い塀は無い。広大な前庭を含む監獄の敷地を囲むのは、容易に乗り越えられるような鉄柵のみだ。


 手入れのされていない前庭には雑草が蔓延り、木々も花々も無秩序に入り乱れて生えている。


 その前庭の中心を割るように白色の石畳の道が伸びていた。石畳の道の幅は広く、表面を平らに加工された石で作られた路面は凹凸が少ない。

 馬車も難なく通ることのできる道だが、御者は監獄の敷地を囲む鉄柵の前で馬車を停めた。どうやら中までは行きたくないらしい。


 アリアとフィリベルトは、監獄の敷地を囲む鉄柵の前で馬車から降りた。

 二人を下ろした馬車は、さっさと来た道を引き返していく。


 フィリベルトは無言でアリアの手から荷物をさりげなく持った。


 いらない気遣いだが、特に絶対に自分が持たなければならないという理由もないため、礼を言ってフィリベルトの好きにさせておく。


「行こう」

「はい」


 特に気負った様子もなく、フィリベルトが頷く。


 二人並んで石畳の道を歩き始める。


「荒れ放題ですね」


 辺りを見回して前庭の様子を確認したフィリベルトが、ぽつりと言う。


「そうだな……」


 アリアは適当に相槌を打つ。


 前庭の様子は本当にひどい。よく見ると石を組み上げた花壇らしきものがあったり、支柱らしき物が等間隔に並んでいたりと、かつては何かを植えていた痕跡が見られるが、今は見る影もない有様だ。


 どのくらい前からこの有様なのかは不明だが、少なくとも前任の看守のヴィリバルトが亡くなった直後から今にかけて——約半月ほどの短い期間にこのようになったわけではないことだけはわかる。これはもっと長い時間をかけて荒れたものだ。


 広大な前庭を突っ切る石畳を、周囲の様子を見やりながらゆっくり歩く。


 太陽は西に傾き始め、晴れた空はオレンジ色に染まりつつある。遠くで鳴いている何かの鳥の声と、アリアとフィリベルトが歩く音以外に何の音もしない。無風であるため、風の音すらしない。


 随分と静かだ。静かすぎる。


 荒れた前庭のせいか、気味の悪さを感じずにはいられなかった。


 アリアとフィリベルトの向かう先、石畳の道の果てには、白亜の砦グリニオン監獄が建っている。


 グリニオン監獄は、中央棟を囲むようにして、東棟、西棟、南棟、北棟の四つの棟が建つ。

 中央棟は四階建て、その他の棟は三階建て地下一階だ。


 石畳の道の正面に建つ西棟だけが、一階の中心部分が一部アーチ状にくり抜かれたようになっていて、そこから中央棟まで真っ直ぐ石畳が伸びている。


 東棟、西棟、南棟、北棟、それぞれの棟の二階中心部分から中央棟の二階に通路がつながっていた。

 中央棟以外の四棟同士を繋ぐ通路は地上には無いが、地下一階にはそれぞれの棟を繋ぐ通路が円状に伸びている。

 東西南北それぞれの棟から棟に移動するには、一度中央棟を経由するか、地下一階から移動する必要がある。


 他の監獄と違い、どの棟の窓にも鉄格子は無い。それどころか窓は大きく、バルコニーまである。

 ダールマイアーの結界の魔法があれば、高い塀も鉄格子も必要ない。無くても誰一人として脱獄することはできない。


 防護結界は正面の西棟から大股に歩いて十歩分くらいの位置から始まり、グリニオン監獄全体をドーム状に覆っている。


 アリアは防護結界のすぐ正面にで足を止めた。隣を歩いていたフィリベルトも足を止める。


「今からこの防護結界を解いて、新しく結界を張る」

「はい」


 アリアはフィリベルトを見やった。それから開口する。


「君は何色が好きなんだ?」

「……? 色?」


 唐突なアリアの質問に、フィリベルトは困惑したような反応をした。何が何だかわからない、と言った様子で聞き返す。


「そう。色だ。君の好きな色は?」

「青です」


 さほど考えずにフィリベルトが答える。


「色味はどのくらいの青だ? 君の瞳の色くらいか?」

「はい。深い青の方が好きです」

「わかった」

「アリア……? 今の質問はどういう」


 フィリベルトの言葉が途中で途切れる。

 それもこれも、アリアが素早く腰に差していた剣をわずかに鞘から抜き、その剣身を左手でぐっと握ったのが目に入ったからだろう。


「アリア!」


 まるで悲鳴のように名前を呼ばれる。


 フィリベルトの表情には動揺と焦りとわずかな怒りが浮かぶ。


 アリアはお構いなしに剣身を握る手に力を込めた。


「私の父、ヴィリバルト・ダールマイアーの黒紋は右手、親指以外の四本の指の第一関節までしかなかった。最も力の弱いダールマイアーだと言われていたな。歴代のダールマイアーでも手首まで黒紋があれば良い方だ」


 剣身を握る手のひらの皮膚が切れ、地面にぼたぼたと血が落ちる。


「アリア……っ、何が、言いたいのですか」


 アリアの手元を見て、フィリベルトが顔を歪める。今にも泣きそうな顔で、咎めるようにアリアを見つめる。


 本当に厄介な男と結婚してしまった。この薄ら寒い『愛している演技』が面倒で面倒で仕方がない。

 面倒なのに、わずかにでも確かに動揺している自分が心の奥底に確かにいて、それが一番面倒で厄介だ。


 この男は、二百二十人の命を奪ったかもしれない男だ。

 そうではなかったとしても、何らかの形で関わっている可能性が高い。


 フィリベルトの演技に絆されてはいけない。早く慣れなくてはならない。この男には、何か目的がある。その目的のために、フィリベルトはアリアを懐柔しようとしているにすぎない。


 いっそのこと、思い切り怯えさせてみるのはどうだろう。フィリベルトが怯えるかどうかは賭けだが、上手くいけばアリアに畏怖し、恋情を抱かせて懐柔しようなどとは二度と思わなくなる。


 なおも剣身を握り続けるアリアの手見つめたまま、フィリベルトが動く。

 剣身から手を引き剥がそうとフィリベルトが伸ばしたその腕を制し、アリアは笑った。


 不敵な笑みを浮かべて、フィリベルトを見据える。


 目を見開き、恐らくは素で驚いて息を呑んでいるフィリベルトの間抜けな顔に、ますます笑いが込み上げてくる。


「君に、ダールマイアーで最も力の強い結界の魔法の『程度』を見せよう」


 アリアは剣身から手を離し、防護結界と向き合う。先程よりも深く皮膚が切れたが、どうとでもなる。


 防護結界の前に血を落とす。フィリベルトの視線を感じたが、無視した。


 ある程度落としたところで、その手を真っ直ぐ突き出した。フィリベルトの方を見ずに、言う。


「フィリ。恐らく立っていることも難しいと思う。どうにかして目を開けて、何が起きるのか見ていてほしい」

「アリア、何を」


 フィリベルトが言い切る前にアリアは魔法を使った。


 凄まじい破裂音と共に防護結界が弾け飛ぶようにして消える。


 そして次の瞬間、空気が揺れた。


「……っ!?」


 フィリベルトが大きく息を呑んだのが伝わってくる。


 周囲の空気が膨張と収縮を繰り返して歪むような、上下左右が全てぐちゃぐちゃになるような、言いようのない感覚が襲いくる。


 フィリベルトがその場に膝をつき、荒く呼吸しているのがわかった。どうにか気絶せずに、目を開けて意識を保っているようだった。


「これより永続的に、看守を殺害することを禁ずる。逃走を禁ずる。自害を禁ずる。外部との連絡を禁ずる。治癒の魔法以外の魔法の使用を禁ずる」


 まずは結界内に制限を付ける。


 これもフィリベルトにかけた囚人の契約と同じで、本来はどのような制限を付けるのかわざわざ口に出さなくてもいい。フィリベルトに聞かせるためにあえて口に出した。


「フィリベルト・ジンデルの囚人の契約を同等の制限に変更する」


 続いて、フィリベルトの囚人の契約の制限を同じものに変える。


 結界内の制限と囚人の契約の制限では、囚人の契約の制限の方が優先順位が高い。結界内の制限は大枠で、個別に制限を設ける時は囚人の契約に変更を加える。


 グリニオン監獄全体に結界を張り終わり、全てがアリアの管理下に置かれた。


(南棟三階に一人、一階に一人。北棟二階に二人。東棟二階に一人。西棟二階に一人。囚人はフィリベルトを含めて七人か)


 結界の内側では、個人の特定はできないものの、どこに人がいるのかを把握することができる。


 今現在、このグリニオン監獄には六人の囚人が収監されていて、それぞれが東西南北の棟の独房にいるようだ。


「フィリ。大丈夫か?」


 アリアはフィリベルトの方を見ずに声をかけた。


「……っ、大丈夫、じゃ……っ、ない、です」


 苦痛に喘ぎながら、フィリベルトが答える。


 フィリベルトがこれほどまでになるとは、よほど辛いのだろう。それでもまだ話せるのだから、たいしたものだ。


「これからが本番だ。耐えろ」

「は、……っ、え?」


 突然、フィリベルトが素っ頓狂な声を上げる。


 それもこれも、フィリベルトの目の前でグリニオン監獄の白色の外壁が下から上に向かってじわじわと深い青色に染まり始めたからだ。


 ものの数十秒でグリニオン監獄が群青の砦に変わる。


 それだけではない。


 足元の石畳が、アリアとフィリベルトの足元から広がるように色を変えていく。白一色だった石畳が、それぞれの石ごとに群青と濃紺、灰色と白銅色に染まっていく。


 敷地を囲む鉄柵が群青に色を変える。


 あちこちに蔓延っていた雑草やツタが枯れ落ち、土に還る。植木は整えられ、花壇を形作る石が群青に染まる。花壇から花が芽吹く。菜園からは野菜が芽を出す。


「水を通すか」


 アリアはぽつりと呟き、近くを流れる川まで結界を広げた。


 数秒で川縁に水門ができた。そこからグリニオン監獄まで一直線に水路が通る。


 浅い水路がグリニオン監獄をぐるりと巡り、石畳の道の両脇を通って、さらには広い庭園の半ばほどの位置に大きな池を形成する。かと思えば、次の瞬間には池のほとりに群青と黒を基調にした小さなガゼボが建った。


「噴水は? いるか?」

「い、らない、です……」

「他に欲しいものは?」

「ない、です」

「わかった」


 アリアは魔法を緩めた。途端に何もかもがぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような感覚がなくなる。


 ようやく息をついたフィリベルトが、青白い顔のまま額の冷や汗を拭って、ゆっくり立ち上がる。それから、呆然と周囲を見渡す。


 先程までの薄気味悪い雰囲気が消え、見渡す限り美しい庭園が広がっている。ものの数分で群青の砦が出来上がった。


「これは……」


 続く言葉が見つからないらしいフィリベルトが、何かを言いかけてすぐ閉口する。


「これが私の力だ。範囲は狭いが、結界内の全てを掌握する」


 アリアはフィリベルトの方を向き、よく見えるように先程剣で切った左の手のひらを見せた。その瞬間、傷口が塞がっていく。


 フィリベルトが大きく息を飲み、目を見開いた。本気で驚いている。


「私が原因の怪我は、結界内であれば私の意思一つでどんな怪我でも治る。逆に、私の意思一つで怪我を酷くすることもできる」


 手を引っ込め、言葉を続ける。


「今君が見た通り、建物を建てたりすることもできる。植物であれば自由に生成できる。結界内の温度も変えられる。結界内にいる人間の行動に制限をつけることができる。全て私の魔力が足りる範囲でだが」


「これが、ダールマイアーの結界の魔法」

「正確に言うと、私くらい力が強い者でないとできない。私の父では張った結界に内部の人間の行動制限をつけるだけで限界だっただろうな」


 フィリベルトはもう一度周囲を見渡し、それからアリアを見る。


「凄いです、アリア」


 感嘆の声を上げるフィリベルトに、この男はこれでも恐怖を覚えないのかと驚く。


 人智を超えた現象を見せたはずだが、フィリベルトの様子からは怯えの一つも見えない。


「建物の中は見てから改修するとしよう」


 アリアはため息をつきたい気持ちを心の奥底に押し込め、淡々と言う。


「行こう。フィリ、動けるか?」

「はい。問題ありません」


 顔色が良くなってきているのを確認し、アリアは歩き出した。その後にフィリベルトが続く。


 二人は西棟一階をくり抜くように通るアーチを潜り、中央棟に向かった。

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