じゃない方王女の恋愛事情
呪われた王国シリーズの5作目。
※この国の男性王族は呪われています。学園に通う15歳から18歳の時期に『無邪気なヒロイン』に強制的に出会い結ばれる為の様々なトラブルに巻き込まれるという傍迷惑な呪いに。呪いに抗いながら幸せを模索する王族やその周囲人々を描いたシリーズです。
シュヴァルツ王子の妹姫の話。
王女様視点。
窓から差し込む夕日の光を纏うように輝く美しいブロンドを靡かせながら、自室へと続く廊下を小走りに駆けてゆく小柄な少女がいた。
その美しい眉にギュッと力が入っているのは、今にも零れ落ちそうな涙を零さないためなのだろうか。
俯きそうな顔を少しばかり上向くことで、少女は辛うじてその瞳に涙を留めることに成功しているようにも見える。
途中ですれ違う者も幾人かいたが、皆一様に一瞬驚くだけでマナーの悪さを咎めるでもなく、スッと端へ避けて少女へと頭を下げた。
いつもなら決してそのようなことをしない彼女が、それほど急いでいる理由に痛いほど心当たりがあるのだろう。
誰もが痛ましそうにその背を見送ると、せめて己が少女のためにできることをなすべくそれぞれの仕事へと戻っていった。
そんな人々のことも、部屋の扉前でいつものように頭を下げようとして固まった騎士たちの姿さえも、今の少女の目には入っていないようで、追う者もいないのに何か恐ろしいものから逃げる子ウサギのように、自らの部屋へと飛びこむなり、そのまま着替えることもなくベッドへと身を投じた。
天蓋付の大きなベッドに広がる淡いグリーンの可愛らしいドレスは、雨に打たれて散ってしまった咲き切る前の花びらのようで。
短くも長くも感じる静寂の後、押し殺すような泣き声が小さく部屋に響き始めたのを、扉の外を警備していた騎士たちは、心配そうにドアを見つめることしか出来なかった。
いつもの少女であれば出入りの際ですら必ず見せてくれていた、あの笑顔が戻るようにと願いながら。
◆◆◆
私は、このジトーク王国の王女ミルフィリアだ。
王立学園に通う17歳で、卒業後は婚約者である隣国モンドール王国の第二王子ナルサス様に嫁ぐことになっている。
いや、それはもう正しくない。
嫁ぐことになっていた、というのが今になっては正しいだろう。
彼との婚約は白紙になることが決まったようなものだ。
「だから……決して来ないでくださいましと、あれほど念を押してお約束しておりましたのに……」
先程まで布団に突っ伏して大泣きしていたミルフィリアだったが、今はベッドヘッドに背中を預け、枕だけが頼りだとでも言うように、ギュッと胸元に抱き寄せている。
目元も鼻も泣きすぎて真っ赤になってしまっていて、このままでは明日は確実に大変残念な顔で起きることになるはずだ。
ベッドに腰掛けていた人物は用意して来た濡れた手巾で、そっと彼女の腫れた瞼を優しく冷やし始めた。
「ごめんなさいね、ミルフィ…きっと私があの場にいたせいだわ」
「!?ち、違いますわ!リリは何も悪くないじゃありませんか!」
「だとしても、ミルフィを傷つけた一因は私にあるでしょう?シュシュ様と婚約している私があの場にいたから、この事態が起きたのだといえるのだもの」
慌てて顔を上げたミルフィリアに、リリと呼ばれた少女、リリアーネは悲しげに首を小さく左右に振る。
サラサラと癖のない美しい金髪に縁取られたその顔は、髪の癖と瞳の色に多少の違いはあるもののミルフィリアに瓜二つだ。
ミルフィ本人は、顔立ちが似ているだけであり、美しさも聡明さも様々な面での強さも、己より彼女の方が優れていると思っていたし、それは概ね間違いではないともいえた。
公爵令嬢であるリリアーネの祖父は先代国王の王弟であり、二人ははとこ同士でとても仲の良い親友であり幼馴染でもあった。
同い年の二人は元々顔立ちが似てはいたものの、生まれた頃は少し赤みを帯びていた私の髪が成長するにつれ明るい金髪へと変わってくると、10歳になる頃には双子に間違われたほど瓜二つになっていた。
まあ、最近はとある理由で間違われることはなくなっていたのだけれど。
「いいえ!これはこの国の呪いと、そして私との約束を守れなかったナルサス様が、悪いのです」
「確かにそうですけれど……彼があんなことを口走る前に、さっさと当て身でもして黙らせてしまうべきだったわ」
「まあ、当て身だなんて……リリってば、他国の王子にそんなことしてはダメでしょう?…ふふ」
冗談にも聞こえるように少しだけおどけた口調の中に、チラリと本音が透けてみえる。
リリアーネは本当に、事前に阻止出来なかったことを後悔しているのだろう。
「気持ちだけで十分よ?ありがとう、リリ。大好きよ」
「ああ、ミルフィ私もよ!ねえ、貴女どうしたい?ナルサス様のこと、好きだったでしょう?皆様に口止めすれば婚約を継続だってできなくはないかもしれなくてよ?」
「別に……私をこの国から違う所へ連れ出してくださるはずの方だっただけですわ。それがなくなったこととお約束を守って頂けなかったことがショックだっただけですわ。もう……良いのです」
枕に顔を埋めて小さく呟く。
幼馴染で親友である彼女には、どうせ自分の気持ちはばれてしまっているのだが、だからといって全ての弱音を吐いてしまえば今の自分が折れてしまいそうで怖い。
同い年なのに姉のように慈愛の笑みを浮かべるリリアーネだが、その心は存外しなやかで強い。
流石は次期王妃だ。
顔は似ていても私とは大違い。
私なんてどんなに強気になりたくとも、今はまだ無理だった。
「意地っ張りなのは相変わらずなのね、ミルフィ」
「私はこの国の王女として、大切な約束事も守れない方と結婚することはできないのですわ」
抱えていた枕から顔を上げる。
強気にはなれなくとも、王女である私は前を向いて皆の手本にならなくてはいけない。
なけなしの意地を総動員してでも、公の場で我が王家をないがしろにする発言をしてしまったナルサス様との婚約を続けることはできないのだ。
「じゃあ、彼との婚約はなくしてしまっていいのね?」
「もちろんですわ!彼だって…彼だって、そうしたいとさっき宣言なさっていたのです。すぐに手続きをお父様にお願いしますわ!」
「分かったわ。……まあ、どちらにしても可愛い貴女をこれだけ泣かせたナルサス様ですもの、貴女が許しても私もシュシュ様もそのまま許すつもりはないしね」
後半は声が小さくてあまり聞こえなかったけれど、どうやら彼女は相当怒っているらしいことは分かった。
なんだか今日の笑顔はちょっと怖い。
「リリ?婚約は破棄でなく、白紙で良いのですわ」
「でも、それでは甘いのではなくて?少なくとも、貴女との約束だけでなく国同士でも婚約時に条件という形で約束していたにも関わらず、急に訪ねていらしたのはナルサス様ご自身の意思でしょう?」
「それでも、ですわ。あちらに非があるとはいえ、呪いの件があるのですもの。きっと、わが国の者に比べれば呪いに関する約束の重さが違うのでしょう。急に訪ねて来られた理由も、軽率であったとしても悪意に基づくものではないのです。こんなことで折角友好関係にあるモンドールと無駄に険悪になることはないのよ。でしたら、寧ろ穏便にしてあちらに恩を売っておくことにしますわ!」
自身の卑屈な気持ちには蓋をして、王女としての笑みを浮かべる。
言ったことは強がりであっても、偽ること無い本音でもある。
「ミルフィ……さすがはこの国の王女ね」
「ふふ、ありがとう」
「不謹慎だと怒ってくれて良いのだけれどね?実は、友人としても王太子妃としても、貴女が遠くへ嫁がずにすんだことが少しだけ嬉しいのよ、私」
そういってリリアーネは私を優しく抱きしめてくれた。
ほっとする温もりに包まれながら、私はおそらくまだこの城にいるであろうもうじき『元』が付く婚約者が起こしてしまったさっきの出来事を思い返した。
◆◆◆
今日は、王宮の庭で王妃主催の少し大きめの茶会があった。
お母様が、普段この国の呪いの影響でなかなか社交界のご婦人方と交流できない王太子妃となるリリアーネを有力貴族や力のある商家のご婦人たちへ紹介し、同時に1年後には隣国へ嫁ぐ予定の私と皆様がゆっくり話せる場を設けてくださったのだ。
これから1年、私もリリアーネも結婚に向けての準備と平行して、学業と妃教育と王族としての公務をこなす為に、多忙を極めることが分かっていたから。
今日の私は、遠くにいる婚約者を少しだけ意識した淡いグリーンの軽めのドレスを纏っている。
隣の席にいるリリアーネは、ブルーグリーンの生地に金糸で刺繍が施されたドレスに身を包み、普段とは全く違う装いをしているので、会場のご婦人方も注目している。
リリアーネの実家であるガウディール公爵家は、初代であった王弟が圧倒的な武を誇る勇者であったこともあり、リリアーネとその弟も才能と鍛錬によって既に優秀な魔法剣士としても知られている。
特に舞うように剣を振るうリリアーネは黄金の剣姫と呼ばれているほどだった。
その為、リリアーネは近衛騎士団の騎士服のような男装を常としている。
動き易さはもちろんあるが、その姿の方が同性からの妬みからの攻撃を受けにくいということもあるらしく、学園でも男装のまま過ごしていて立ち居振る舞いも下手な令息方より凛々しい程であるために、学園には彼女を熱烈に慕う令嬢たちが大勢いる。
兄は些か堅物なところはあるものの、整った顔立ちをしている十分に優秀な王太子との評価を得ている為、本来その婚約者の地位は権力を欲する者からも、単に兄を慕う者からも妬まれるものだろう。
だから、リリアーネのとった方法が少なくとも呪いの影響を受けていない令嬢方に対して非常に有効なのは私にも分からなくはないけれど、リリアーネのことが大好きな兄はそのせいで自分が女性からまで嫉妬されるようになったとぼやいていた。
ちなみに、兄の目下の悩みは愛しい婚約者が男女共にもて過ぎることと、あまりに私とリリアーネが似て来てしまった為に一部で『シスコンを拗らせたのでは』と言われていることらしい。
でも私は知っている。
貴族令息たちからも、リリアーネを慕う令嬢たちからも陰で『リリアーネ様じゃない方』という認識をされているという事実を。
私は確かに王女ではあるけれど、いつかは他国に嫁ぐなり臣籍降嫁する立場であり、何かが飛びぬけて優秀ということもない。
リリアーネはもうすぐ次期王太子妃となり、将来の王妃としての慈愛も賢さも備えているだけでなく、剣術でも優れている。
私にあるのはこの国の王女としての矜持と、周囲の状況を読み取る観察力ぐらいだろう。
そして、これは私だけが密かに抱えているコンプレックスでもあるが……リリアーネはお胸がたゆんたゆんだ。私と違って!!私と違って!!!
普段はサラシを巻いて男装しているからそこまで差があるように見えないだろうけれど、今日のようにドレス姿になると一目瞭然。
どうせ瓜二つになるのであれば、是非ともそこまで似て欲しかったというのは贅沢な願いなのだろうか。
まあ、それはさておき。
男性王族はもちろん、対象年齢の若い女性も呼ばれていない。
そんな席に、何故か突然私の婚約者のナルサス様が現れたのだ。
「皆様、突然お伺いして申し訳ない。モンドールの第2王子ナルサスです。明日は義理の兄になるシュヴァルツの卒業パーティーだと聞いたもので、是非に直接お祝いを言いたくてな?そういう訳だからまあ、そう怒るなよシュヴァルツ」
「そういう問題じゃないだろう!そもそも君がここに来ていることを貴国の両陛下はご存知なのか?!」
「あー…まあ、そこはサプライズで婚約者に会いに来たってことで?」
軽く答えるナルサス様の様子から、どうやら約束は忘れていたか、覚えていたが約束自体を軽く考えていたことが分かる。
私はなんと返答するべきか悩んでしまい、とりあえず彼に向かってニコリと微笑んでいた。
彼は、こんなに思慮を欠いた方だっただろうか?
確かに少し最初から気安いところのある方ではあったが、だからこそ顔合わせの時から楽しく話すことができて私も惹かれてしまったのだけれど。
しばらく会わないうちに変わってしまったのか、私が彼の本質を知らなかっただけなのか。
私には分からなくなっていた。
彼と私が婚約を結んだのは、私が14歳の時。
呪いに付いて詳しく学ぶ中で、女性王族は他国へ嫁ぐと何故か嫁ぎ先で産まれた男児でも例の呪いの対象から外れるのだということを知り、できるのならば呪いに振り回される未来から逃げたくて、どうしても国外へ嫁ぎたいと望んだ私に用意された政略結婚の相手が彼であった。
顔合わせの時、我が国のやたらキラキラした金髪とブルーグリーンの王族とは違う、落ち着いたブラウンの髪と優しいグリーンガーネットのような瞳のナルサス様は、少しだけ恥ずかしそうにしながらも私に優しく語り掛けてくれた。
それから学園に入学するまでの1年と少し、何度か彼の住む王宮へ足を運んで私たちは交流を深めていった。
他国の王族であるために会える機会は元より少なく、ましてこの2年近くは手紙のみのやりとりにならざるを得なかったものの、それでも丁寧な手紙でのやりとりや、それに添えられた彼からの贈り物の数々に胸をあたたかくしてきた私は、激しい恋とまではいかずとも彼に対して穏やかな淡い思いを確かに抱いている。
会いたかったのは私も同じで、会いに来たといわれれば嬉しい気持ちが無いわけではない。
とはいえ例え呪いのことがなかったとしても、いくら婚約者だからといって、前触れもなく他国の王城へ訪ねてくるというのはかなりの問題行動だといえる。
しかも、今のこの国には『呪いの対象者』となる年齢の王子がいるというのに。
それにこれまでの呪いの対象は男性王族であるとはいえ、私も確実に対象外だとは誰にも言い切れない。
巻き添えにしたくないからこそ、少なくとも兄の呪いの3年が終わるまではこちらの国へは来ないで欲しいときちんと約束しましたのに。
それなのに、なんで来てしまったのナルサス様。
きっと同じ懸念をしたであろう王太子であるシュヴァルツ兄様が、彼を引きとめようとして結局庭まで来てしまったのもまずかったのだろう。
国境警備の者からの報告速度と王城警備の見直しを再検討する必要があるだろうと、内心溜息をついた。
他国の王族だからって、王太子自身に引きとめさせるってどういうことなの。
私の笑みを見て、私の方へ歩み寄ろうとした彼だったが、何故か私たちのいるテーブルまであと数歩という所で急にピタリと足をとめた。
何度も瞬きを繰り返しながら、目を丸くして私とリリの間を何度も視線が往復している。
その視線がお胸に行っている気がするのは私のコンプレックス故だろうか。
「え、ミルフィが二人?」
「ナルサス様?そんなはずないでしょう。いくらお会いするのが久しぶりだと言っても、婚約者の顔もお分かりにならないのですか?」
「ああ、君がミルフィか……ん?」
問いかけるような視線に、私が口を開こうとすると、お兄様が先に口を開いた。
「右が妹のミルフィで、左は俺の婚約者のリリアーネだ」
「リリアーネ嬢……」
それはともかく、もう壮絶に嫌な予感しかしない。
ナルサス様は何度も小さな声でリリアーネの名前を呟いている。
背中に嫌な汗が一筋流れた。
いっそ彼の口を私が両手で塞いでしまおうかと腰を浮かせたその時だ。
「なんて女性らしくて美しい方なんだ!そっくりな顔立ちでもミルフィリアの幼さとは全然違うのだな。麗しいリリアーネ嬢、私は貴女にこそ私の妻になって頂きたい!ミルフィリアとの婚約は破棄しよう。貴女も、シュヴァルツではなく私の手をとってもらえないだろうか?」
ウットリと頬を染めて熱い視線で見つめながら、私の隣の席にいたリリアーネの手を跪いて愛を乞うのは何故か私の婚約者で……。
時が止まったように固まった私とリリアーネの顔色は蒼を通り越して白く、対照的に兄と母の顔は怒りで真っ赤に染まっていた。
周りのご婦人方は蒼い顔をして目を見開いていたり、焦ってティーカップを取り落としてしまっていたりとやはり動揺を隠しようがなかったのだ。
「き、貴様っ!!妹を愚弄し、私の婚約者に求婚するなどっ!!!」
「お兄様っ!!ダメですわっ!」
咄嗟にナルサス様の胸倉を掴んで殴りかかろうとする兄の腕にすぐに飛びつけたのは、あまり運動が得意ではない私にしてはかなり奇跡的なことだった。
もちろん腹は立つし、悲しい。それでも。
「彼は隣国の王子です!殴ってはモンドールと揉めることになりますっ!彼はきっと例の症状ですわ!」
「それは分かっているがっ……くっ」
呪いの影響が少しでもあるのであれば、彼がしたことを責めると確実にモンドールからは抗議を受けることになるだろう。
しかもこの場には高位貴族だけでなく、商人の奥方も大勢いる以上、呪いについて言及してこの婚約破棄を口止めすることも難しい。
苦しげに俯いた兄だったが、次に顔を上げたときはしっかりとした王太子の顔をしていた。
二人の王子の後を追って来た近衛騎士たちに抵抗するナルサス様を連行させた兄は、一瞬私とリリアーネを心配そうな瞳で見つめたあと、母と招待客に非礼を詫びて去っていった。
後のことは兄に任せれば問題ないはずだ。
けれど、リリアーネは動揺を抑えることが少し難しいようだった。
「もしかしたら、令嬢たちみたいに隔離をすれば!」
「それで彼がご自身の意思を翻したところで、公の場で王族が口にしたことは元には戻りませんのよ?それが王族というものでしょう、リリアーネ様」
「ミルフィ…」
「リリアーネ様も、1年後にはお兄様と結婚して王太子妃になるのでしょう?王族になればその言動の重さは今の比ではなくなりますわ」
「そう、ですわね。私もまだまだ覚悟が足りなかったようですわね」
小声でやりとりしていた私たちの会話を何も言わずに見つめていた母だったが、不意に優しい笑みを浮かべるとゆっくりと頷いて言った。
「良く言いました、ミルフィリア。それでこそわが国の王女です。リリアーネも王太子妃として精進なさい」
「かしこまりました、王妃様」
「お母様……ありがとうございます」
トラブルがあったからこそ、そこで中止にしてはどんな評価を受けるか分からない。
最後まで滞りなく対処しきってこそ、この国はどんなトラブルにでも揺るがないのだと示すことができるのだから。
その後、あの瞬間を思えば胸の痛みはあるもののそれを笑顔の下に隠すことで、涙も弱さも招待客に見せることなく、残りの時間を私は乗り切ったのだった。
◆◆◆
あれから、ナルサス様と私の婚約は解消された。
私の望んだとおり、あくまでも破棄ではなく白紙とした。
ナルサス様は一週間隔離処置を受けたあと、婚約解消を受け入れて国へと送り返されていった。
彼からは謝罪と共に再度の婚約の打診も受けたけれど、もう彼との将来を考えることは難しかった。
既にこの城に勤めるものも、あのお茶会に参加していたものも、彼が言い出した婚約破棄の事実を知っていたし、私自身も、約束事を軽く考える人と安心して結婚することは望まなかった。
とはいえ、適齢期終盤に婚約者がいなくなり、呪いのせいで仕方が無いとはいえ私は傷物王女となってしまったわけで、他国の王族に嫁ぐことは難しい状況となった。
かといって、国内の貴族令息にとっての私は『じゃない方王女』な上に『傷物王女』なわけで……王命なら嫁ぎ先は見つかるだろうけど、それは気が進まなかった。
この国の王族である以上、国内に降嫁するならば高位貴族家以外は認められない。
呪いのことがあるため、王家の血をむやみに拡散しない必要があるからだ。
しかし、年頃で婚約者のいない高位貴族令息は『ヒロイン』との恋愛結婚を望むものたちである。
彼らは『ヒロイン』の担当者として優秀且つ美しく素直な気質の彼女たちと出会い、交流を重ね、互いに想い合う仲になることで婚約し、結婚したいと希望しているのだから。
王女としての矜持といえば聞こえはいいが、気位が高い王女である上に確実に子供には呪いが影響してくると分かっている私は、特に今現在呪いの対象となっていない貴族家のものなどはなんとしても結婚は避けたい相手だろう。
先日、走り抜けた廊下をとぼとぼと歩いて自室に戻ると、扉の前にいつもの警備担当の騎士達が立っていた。
「いつもご苦労様」
いつものように微笑んだ私だったが、いつもと違ってすぐに扉が開かれることはなかった。
不思議に思ってみれば、一人の騎士がもう一人の騎士に目線で何かを促している。
「どうかしましたか?」
「い、いえ……あのっ!!」
片手を後ろに回した不自然な格好で、促された方の騎士が私の前へと進み出る。
長身で短髪のシルバーブロンドと深い青色の瞳の騎士は、もう何年も私の部屋の警備や護衛を務めている人物だ。
まだ幼い頃は兄のような年の彼にわがままを言って困らせてしまったこともあった。
驚く私の目の前で彼はスッと膝を突くと、後ろに持っていたものをそっと差し出してきた。
それはリナリアの小さなブーケ。
真ん中には私の愛用しているものにそっくりな、小さなくまのぬいぐるみが彼の瞳と同じ色の石が光る指輪を抱えている。
「ミルフィリア姫、王には求婚の許可を頂きました!ずっとお慕いしておりました。どうか、私と一緒になってはいただけないでしょうか!」
「えっ?わ、私と……?!」
真っ直ぐに見上げる瞳は嘘を言っているようには見えないけれど、何故?
彼とは毎日のように顔を合わせていたけれど、そのようなことを言われたことは一度たりともなく、ただただ優秀な騎士として傍に仕えていたはずだ。
「私が、嫁ぎ先がないから同情なさっているの?」
「いいえ!そのようなことではなく、私はただ以前から姫を愛しているだけなのです」
「ではなぜ、私がナルサス様と婚約するまで何もおっしゃらなかったの?貴方の家からならば婚約の打診もできたでしょうに」
彼は侯爵家の次男であったはずで、年齢は8歳上と少し離れているが家柄的には降嫁するのに何の問題もないだろう。
それでも打診してこなかったということは、望んでいなかったということなのではないのだろうか。
「それは……姫様は他国に嫁ぎ、この国の呪いから自由になりたいと以前から望まれておりましたので」
ああ、そういうことか。
リナリアの花言葉は『この恋に気付いて』だったはずだ。
彼は身近にいたからこそ、私の望みを知っていたのだ。
だからこそ、私を望まないでいてくれたのか。
「不器用な方ね」
「はっ!同僚からも良く言われます」
「っふふ」
彼はこんな風に頬を染めるのか。
長いこと近くにいたのに、私はちっとも知らなかった。
周囲を観察することには長けている自信があったのに、肝心の自分の周りが見えていなかった。
これはまだまだ私も精進が必要なようだ。
「では、ひとつだけ聞いてもいいかしら?」
「なんでしょうか?」
「このブーケも貴方の言葉も、リリアーネ様ではなく私へのもので間違いなくて?」
「え?な、何故ここでリリアーネ様のお名が??」
心底不思議そうな彼に、私はジワジワと嬉しさがこみ上げてくる。
彼には私とリリアーネを比べるということさえ思いつかないようなのだ。
私たち二人を知るものは無意識にでも比較しているのが常なのに。
「ナイトハルト様。私、『リリアーネ様じゃない方』なのだそうですわよ?それでも良いのですか?」
「もちろんです!姫様が良いのです。私にとってミルフィリア姫様は唯一ですからっ!」
「そうですか。ならばそのブーケも言葉も私のものだわ」
「っでは!!」
微笑みながらブーケを受け取ると、跪いていたナイトハルトは勢い良く立ち上がった。
その頬は少し赤みを帯び、瞳には喜色が浮かんでいる。
長年騎士をしているからか、貴族令息というよりも騎士の鋭い動きが身についてしまっているのが実に彼らしい。
「次の夜会、エスコートをお願いするわね?」
「はいっ!お任せください我が姫」
返事も堅いなぁと内心苦笑しながらも、そんな彼のことが意外と嫌いではないことに私は気付いている。
まだ好きだとまではいえないが、真面目な彼となら想いあった夫婦となれるような気がする。
「ミルフィ」
「え?」
「婚約するのでしょう?今日からミルフィと呼んでくださいませね、ナイトハルト様」
悪戯っぽく笑ってみせると、私よりずっと大人な彼が真っ赤になって目を丸くした。
扉の横で見守っていたもう一人の騎士が、まるで町人の若者のようにヒュゥと口笛を鳴らす。
離れた廊下の陰からも、幾人かの視線を感じる。
兄様もリリも隠れるの下手すぎですわよ?と明後日のことを考えていたら、急に視界が高くなった。
「ミルフィ!ミルフィ!ああ、夢みたいだ!姫が私の姫に!ミルフィ!!」
「きゃっ!?ちょっ、お待ちになってっ!!」
高く抱き上げられてクルクルと回りだすナイトハルト様は、まるで子供みたいで。
あんまり嬉しそうに笑うものだから、私まで釣られて笑い出してしまった。
こんなに無邪気に笑ったのはいつ以来だっただろうか。
『じゃない方王女』の私ですけれど、誰かと比べられなければ誰もが『じゃない方』にはならないのだと、真っ直ぐな想いと瞳で教えてくれた彼と、これから幸せになるためにますます精進していく所存なのですわ。
end
ナルサス様は可哀想だけど、行動には責任が伴いますよね。
指輪のサイズは王妃からのリークでした。
もし少しでも面白い!更新頑張れ!等思っていただけましたら、ブックマークや評価などして頂けたら嬉しいです。
優しい読者様からの応援、とても励みになります!
評価はページの下にある【☆☆☆☆☆】をタップしていただければできます。
最後まで読んで頂きありがとうございました。