今宵僕らは空を掴む。
この小説はフィクションです。
暑い夏だった。君と交わした約束、あの空を掴めるくらいの有名で、大きな小説家になってまたいつかこの場所で会おうね。僕はその約束をいまだに達成できずにいる。その約束をしたからというべきかいつしか君は小説家として大成し、有名で大きくなっていった。一か月前くらいに初めて書店で君、宮川翠の作品を見つけたときはミステリー界の新鋭なんて紹介されていた。それが一か月の間にあれよあれよと出世していき、気づいたらこのミステリーがすごいにまでノミネートされていた。僕が交わしたあの約束は果たされないまま終わるんだろうな。彼女が有名になったことで嫉妬と喜びが入り乱れる感情を抱きながら自分の将来が不安になる。今年の春から僕は社会人だ。俗にいう一流企業に就職が内定していたし、生活での不安はないと思っている。じゃあ僕が今抱いている不安は何だろうか。きっと約束を果たせずに二度と会えないであろう彼女のことだ。じゃあ小説家になればいいじゃないか。自分の夢の実現のために、小さいころからの幼馴染で初恋の相手でもある彼女に会う口実を作るために、そんな気持ちで僕は執筆活動をもう一度始めてみることにした。
僕が通っていた学校は地元でも有数の中高一貫進学校である春愁学園。小学校の頃は本ばかり読んでいて、僕が大好きだった本を執筆した作家の出身校ということも志望した理由だった。彼女とは小学校からの幼馴染で小学校三年生からはずっと同じクラスだった。中学校になるとき、自分は受験をしたため彼女と一緒になるとは思っていなかったが同じ本好きということが二人を引き寄せたのか、二人して同じ中学に入学したうえに同じクラスというオプションまでついていた。中学に入って真っ先に僕たちは文芸部に入部した。この学校は文芸部が有名で春愁学園といえば文芸部!と言われるほどにすごく、数々の作家を生み出している部活でもある。
文芸部ではすでに先輩たちが四十名ほど入部していて、そのうち二、三人は学生のうちに執筆をしていて、有名だったりベストセラーになったりこそしていないものの、書店にも並んでいるという実力者だった。小学生のころから漠然と小説家になりたいと思っていた僕はここなら自分の夢の達成が可能なのでは...と思って希望をもって入部した。しかし入って一番最初に感じたのは圧倒的な劣等感だった。彼女、つまり翠のほうはというともともと持っていた文才がここに入部して先輩の指導の下覚醒したらしく、とんでもない評価を受けたうえに、一年のうちから校内新聞の連載さえ持っているというとんでもない実績を持っていた。この学校は校内新聞という制度があり、校内で起きた出来事だったり、今後の行事だったりをまとめた新聞的なものを毎週出しているのだが、そこに文芸部で作品を出し合い、面白いと教師陣の目に留まった作品が連載として八週間、つまり二か月間にわたって連載される。例年からすると、高校生だったり早くても中学三年生からの連載のスタートが多いうえに、才能のある先輩方が四十人もいるのだから競争率も高く中学一年生が参加するのは応募さえおこがましいといわれていたほどだった。そこで彼女は見事に連載を勝ち取ったのである。同級生に負けた...その悔しさもあったが、翠が特別なだけだろうと思っていた。しかし文芸部の周りを見渡してみれば、翠よりも才能を持っている人もいるし少なくとも自分より才能がない人なんて見つけることができなかった。毎日毎日部活動の時間になると憂鬱な気分になり、劣等感に押しつぶされそうになる日々を繰り返した。あれだけ大好きで毎日五冊以上は読んでいたはずの小説もだんだんと読まなくなり、翠とも距離を置くようになっていった。
僕たちが中学二年生の時、翠は校内ではかなり有名になっていた。文学部に現れた才能のある中学生という位置づけでひとたび廊下を歩けばファンさえ生まれていた。一方僕は小説、および文学から距離をとっていたため、中学二年生の時は翠とは全くと言っていいほど話さなかった。
距離をとっていたとはいえあきらめきれなかったのか未練がたらたらだったのか文芸部の退部届はまだ出しておらず、今でも月一程度で参加するようにはしていた。参加するたびに、仲の良い先輩が君は才能があるんだから一度本気で書いてみたらいいのに!なんて言ってくれたが、中学一年生の時に味わった劣等感がすごすぎたのかあまり書く気にならなかった。
中学三年生の夏。今の高校三年生で、すでにヒット作品を生み出した作家である先輩が卒業ということでちょっと早めの、大学受験にかぶらないようにといった形で卒業旅行を兼ねた壮行会が京都で行われることになった。僕たちの学校は山形県なのでかなりの遠出である。初日は寺社仏閣を観光して楽しんだ。二日目からは自由に回ることができるといわれたが、一緒に回る人もいないため一人で何をしようかと考えていると、翠が声をかけてきた。
ねぇ、楓君さ一緒に回る人っている?
どうしてこんなこと聞いてきたのだろうかと思ったが、僕はいないと答えた。すると彼女は一緒に回らないかと尋ねてきた。幼馴染
で僕の初恋の相手...これは内緒だけど
とは言えまさか中学二年生の時に全く話さなかった僕に対して翠が僕と一緒に回らないと声をかけてくるとは思っていなかったため、開いた口がふさがらなかった。
すると彼女は続ける。
私もさ、先輩に誘われたりしてたんだけどさ、どうせなら幼馴染と回りたいなぁって。ほら、最近あまり話す機会なかったでしょ?だからたまにはどうかなぁって。
話す機会がなかったって、そりゃ僕が君に嫉妬して距離をとっていたから。と僕は心の中で呟きながらも、話しかけてくれたことがうれしいという感情に身を任せて一緒に回ることを了承した。二日目は本当に朝から自由時間だったため、彼女の行きたいところ、見たいところに行こうと僕が提案して、プランを立てた。行く先々で小学生のころと変わらない笑顔ではしゃぐ翠に僕が見とれていたことは内緒だ。
清水寺に向かっている道中で彼女が僕に問いかけた。
なんで中二のころからあまり文芸部来なくなっちゃったの?
えぇと...それは...
理由が恥ずかしいから口ごもった僕に彼女はもう一度質問を続ける
誰にも言わないからさ、教えてよ?
僕は、希望を抱いて、小説家になりたくて、夢をかなえたくて文芸部に入部したんだ。でも僕を待っていたのは圧倒的な劣等感だけだったんだよ...幼馴染だった君は連載を出し始めたのに、僕といえばその連載が続いている最中に書いたのは面白くもない恋愛小説一本だけ。先輩たちは面白いね!君も連載を持てるよなんて言ってくれたけどそんな作品じゃなかったし、何より僕より圧倒的に実力が上の先輩から言われても劣等感が増えるばかりだった。だから僕は距離をとった。小説とも、君とも。
そっか...
そう答えた彼女は少し悲しそうだった。
ごめんね?君が嫌いだから距離をとったわけじゃないんだ...
必死に弁明する。すると彼女は言った。
じゃあさ、私と一つ約束してくれないかな?最悪守れなくてもいいけど守ってくれると嬉しいな!って約束
約束...?
そう!どう?してくれる??
わかった。
何の約束かもわからなかったが幼馴染だったし、ひどい約束はされないだろうと思って僕は約束を交わすことを承知した。
空、きれいだよね
空...?あぁ、きれいだね
僕はさっきからずっとしたばかり向いていたから彼女に言われるまで空がきれいなことなんて気づかなかった。
いつかさ、あの空を掴めるくらいの有名で、大きな小説家になってまたこの場所で会おう?これが私がお願いしたい約束っ
有名で大きな小説家...か...
私伝えてなかったけどさ、楓君の小説すっごい面白いよ私じゃかけない視点からものを見ていて新鮮だし、何より言葉遣いが秀逸!周りの先輩も言っていなかっただけで君のことのほうが評価していたよ?今年の一年はすごいよね、逸材ばっかだよ!特に楓って子なんて話してる声が聞こえて私も嫉妬した。あぁ、私より楓のほうが才能あるんだぁって(笑)だから私は必死に練習を積んで連載をもらった。真っ先に楓に見せたかったけど気づいたら私の周りに楓はいなかった。楓の代わりに突然わいてきたファンの子たちが周りにいるようになった。私結構寂しかったんだからね(笑)
彼女は笑うような泣くような声で言った。
僕にも才能があるなんて嘘だろ?君はそこまでして幼馴染である僕を見下したいのかい?
今考えれば相当ひねくれていたと思う。その場所で彼女を泣かせてしまってそのまま僕は逃げた。
この期に及んで未練なんて言葉は存在しない。山形に戻るとすぐに退部届を出して文学の道からも逃げた。文学を失った僕は狂ったように勉強を始めた。文学を忘れられるように、彼女のことを忘れられるように。その勉強の甲斐あって、僕は東京都内の有名大学に入学した。大学では気になった研究をとことんやって友達にも恵まれそれなりに充実した大学生活を送った。小説家になる夢があったことなんて頭の片隅にすらなかっただろう。
大学四年生の夏。友人に京都に旅行に行こうと誘われた。すごい偶然だ。就職活動にできる限りかぶらないようになんて理由までそっくりの卒業旅行。驚いている僕を不思議がった友人には春愁学園時代に文学部に入っててさぁなんて笑い話にして顛末を語るといいね!偶然じゃん!楽しめそうだな
なんていわれた。まぁ、大学でできた友人とは本当に仲が良かったし、シンプルに楽しみだった。
でも、いざ京都について観光を始めると高校時代罪悪感を払拭するように勉強に打ち込んだことや中学時代に感じた圧倒的な劣等感、そして宮川翠のことが頭をぐるぐる回って結局京都旅行を楽しむことはできなかった。充実した夏休みが終わると、就職活動でみんなが忙しくなっていった。まぁ有名大学ということで就職にはそこまで困らず、一流企業の内定をもらった。しかし内定を貰ってもなお頭にのこる幼馴染の事。彼女は今どうしているのだろうか。彼女のことを考えると不思議と小説が読みたくなり、近所にあった書店に寄った。書店に入って本を選び初めて五分。書店には涙を流している僕がいた。そこには美しい絵を表紙に飾ったミステリー小説があった。作者名は宮川翠。本屋特有の紹介文にはミステリー界期待の新生!デビュー作堂々のミリオンセラー!と書いてあった。そっか....彼女は約束通り有名で大きな小説家になったんだな....彼女は空を掴めるんだな....情けなさと罪悪感が心を支配した。瞳からは涙が出ていた。
一ヶ月後、再び小説の魅力にハマった僕は今日も書店に立寄る。すると昨日までは文庫本の棚の下に飾ってあった本が入口に置いてある。ミステリー界期待の新生宮川翠!このミステリーがすごいを受賞!出世が早すぎるよ...翠...もう一度君に会いたい。君にあって今度は伝えたい。好きだと。
彼女の作品がこのミステリーがすごいを受賞して二週間ほどがたった。ここ最近ずっと有名になった彼女にもう一度会う理由を探していた僕は今パソコンとにらめっこしている。遊んでいる訳では無い。あれから僕は執筆活動を再開した。物語を編むなんて中学以来だから上手くできるか心配だったが、高校時代に狂ったように勉強した甲斐があったと言うべきか思いのほかすらすらと文章が出てきた。作るのは恋愛小説。恋愛小説の中でベストセラーを出して有名になれば、多くの書店にも置いてもらえる。そうすれば彼女にも気づいてもらえるかもしれない。彼女の作品を読んでみたい気持ちは山々だったが僕も出版まで持っていくまでは我慢することにした。執筆を初めて三ヶ月。そろそろ大学も卒業というタイミングで原稿が出来上がった。僕はその原稿を大手出版社五社ほどに一斉に応募した。すると一社から連絡があり、ぜひ出版したいとの事だった。著作権だったりを書き換えて、少し修正して、あとは出版というところまで持っていくのに少し時間がかかった。さて、もう卒業だ。晴れ晴れしい気持ちで卒業式に出たいため、出版は卒業式の前日にしてもらった。
作品名 君と約束した空。
作者名 細川楓
出来上がってきた本は堂々としていて、気づいて貰えなくても僕の財産になるだろう。その後書店に置かれた僕の本は、比較的好評で、再版も一度してもらった。彼女は気づいてくれただろうか。数日後。僕は書店にいた。ずっと我慢していた彼女の小説を手にレジに並び購入して家に帰る。いつもなら自然にできる動作の一つ一つが今日はぎこちなかった。
本の名前は今宵僕らは空を掴む。ミステリーのはずが恋愛要素も絡み合ってすごく面白かった。やっぱり才能とはこういうことだな....最後のページをめくり、まだ一枚残っていることに気づきそれを読んでみる。
こんにちは宮川翠です。今回は今宵僕らは空を掴むを手に取っていただきありがとうございます。頑張って、考え抜いて書いた作品です。ぜひ感情移入しながら楽しんでいただけると幸いです。
最後に、出版社の皆様、審査員の皆様に深く感謝申し上げると共に、春愁時代の友人で幼馴染のK,Hくんにこの本を捧げます。
読んでいて涙が止まらなかった。
あれだけ酷い突き放し方をしたのにも関わらず覚えていてくれたこと。そして、終わりに書いた文が僕とほとんど同じだったこと。
宮川翠は書店にいた。自分の本の棚は恥ずかしいので避けつつ面白そうな本を探す。ふと目に止まったのは恋愛小説。あまり読んだことないし、これを機に読んでみるか。
本の名前は君と約束した空。
いい題名だなぁなんて思いながら購入して家に帰る。
本当に面白くて気づけば夕方になっていた。最後のページ。巻末には作者からの感謝の言葉が書いてある。私はこのページが好きだ。作者から、唯一と言っていいほど気持ちが伝えられるページ。
作者の細川楓と申します。自分は春愁学園文学部時代に一度文学の道を捨てました。でも戻ってきて出版まで持っていくことが出来ました。今ではすごく文学が楽しいです。皆さんもぜひ夢を追いかけてみてください。最後に出版社の皆様。そして私に勇気をくれた新人ミステリー作家のSさん。ありがとうございました。
この文章を見て私は鳥肌が立った。突き放されたと思っていたけどまだ覚えてくれていた嬉しさと。最後の文章が同じだったことに。
次の日、2人の姿は東京都渋谷にある有名な犬の象の前にあった。
久しぶり...!
うん元気だった?
渋谷の街に微笑む新人作家の姿は、街の喧騒に飲まれて消えていった。
こんにちは!Suirenです!初投稿作品いかがだったでしょうか??まだまだ至らない点がありますが今後も投稿する予定ではありますので応援していただけると幸いです