一億年後の勇者が世界を滅ぼす日
あらすじ
〆はまさかの琴子視点です。カスターヌ演習場から帰還後のお話。
なんだろう? とても幸せな気分。
ふわふわとして、甘い痺れ、お腹の奥がとても切なくて幸せ。
意識がだんだんと浮上していくとともに、それが強くなった。
あぁ……こんな幸せ……味わったことがない。
あまりの嬉しさに、涙が零れているのを感じた。雫が横にそれていく感覚に、今自分は寝ているのだなと気付く。
胸が熱くなり、嬉しさのあまり声が漏れた。すると唇に何か触れている感覚だ。そしてとても愛おしい。
これは夢だ……。
ぼんやりと視界がもどると、恋焦がれた人があたしにキスをしてくれていた。
うれしい……。
頭を後ろから優しく支えられ、撫でられながらキスをされている。それと共に身体がとても熱くなっていく。それがとても幸せで、自分から力の入らない手をなんとか持ち上げて、彼に必死で抱き着いた。
すると彼がキスをやめて、離れて行ってしまう。
……もっとしてほしい……すごく切ない。
「……もっとぉ……」
思わず口に出してしまった。ところで女性たちの声が聞こえる。
「コトコ! ずるいわ!」
「そうなのだわ! やりすぎ!」
なんとも非難めいていて、それでいてしょうがないなという暖かい気持ちのこもった言葉が聞こえる。
はっとなり目をぱっちり開けると、あたしはアシュインに抱き着いている事に気がついた。
「おはよ。 気がついたみたいだね」
「……う、うん」
数秒前の自分を思い出して顔が真っ赤になった。たしか、自分から求めるようなことを言ってしまったような……。
それ以前にどうしてこんなことになっているのか。嬉しさと恥ずかしさと、状況の分からなさで混乱していた。
「……どう……して?」
「……キミはボクに似ている……だから全力で救いたいと思ったんだ」
……涙が零れた。
彼の言葉は、あたしが彼に感じていたことと同じだからだ。境遇に振り回されても悪あがきをしていた。だからたどり着く境地もある。
それを彼は理解しているのがわかった。
「ありがと……うれし」
とても幸せで感謝の気持ちを伝えたくても、口がへたくそでうまく伝えられない。それに少しもどかしく感じたけれど、彼を見るとちゃんと受け止めてくれていた。
……こんなに自分の事を理解してくれる人が、今まででいただろうか。
「さ。コトコは横になるのだわ……アーシュを離すのだわ」
「……あ……」
放したくない。抱きしめた手に力が入らずに零れ落ちてしまう。けれどその堕ちる手をアシュインは受け止めて言った。
「ごめん。ちょっと席を外すけれど、どこにもいかないから」
少し困った表情を浮かべる彼。よく見ると額に汗をつけて、顔色が悪そうに見えた。これ以上我儘を言って困らせたくないと思い、素直に頷いて手を離した。
すると頭に手を置いて撫でてくれる。
それがとても気持ちよくて、わぁっと幸せな気持ちがまた広がった。
彼が部屋を後にすると、一緒に来ていた女性達も席を外していく。ミルだけはこの部屋に残ってくれた。まだ力の入らないあたしの手を握ってくれる。
「ミル……よかった……生きてた」
「ありがとね。 無茶してフレイヤに抵抗してくれたんでしょ。おかげで命拾いした」
「ううん……」
すでに一週間経っていた。
あの時、フレイヤの感情が不安定にならなければ意識を戻せなかった。本当にギリギリだったのだ。
あの後はどうなったのか、聞きたいような聞きたくないような……。考えるとちょっと怖い。
「みんな……どこに? それに彼……身体が」
「聞きたいの? 口止めはされてないけれど、聞かないほうがいいかも?」
ミルが楽しそうな、それでいて困ったような顔をしている。
彼らの事をまだあまり知らない自分は除け者にされたようで、寂しくなってどうしても聞きたくなった。
我儘だとはわかっている。でも嫌だった。
「おねがい……もし……友達だと思ってくれるのなら教えて……ひとりはさみしい」
「友達……うん……コトコは大切な友達!」
共生で来たとおもっていたけれど、あの日は制御を奪われてしまったせいで酷い有様だった。必死の抵抗であの一瞬だけは何とか制御を取り戻せた。
でもあの衝撃であたしの身体はすでに限界を迎え、死を待つばかりだった。もう魂も削れ、輪廻転生すらできない状態。つまり完全な消滅寸前だったという。
それだけを聞いても恐ろしくて、さっと青ざめた。
状態をみてフレイヤはもう用無しとばかりにこの身体を手放した。瀕死だったけれど、あの地獄の日々から自由を手に入れたとおもえば気が楽だ。
その亡骸状態のあたしの身体をギリギリで留めていたのは奈々だった。彼女は魔女へ昇格するための修行中であるが、隠匿という特殊なスキルのほかに治癒の才能があった。おかげで瀕死でもギリギリ留めることができていたようだ。
「あとでお礼言ってあげてね」
「うん……必ず言う」
そして用事が終わって、いったん全員ジオルドへと行くことになった。そこであたしはもう助からないと判断された。
ナナが治癒を辞めれば、すぐに魂の消滅が待っていた。
しかしアシュインはどうしても救いたいと、みんなに無茶することを許してほしいとお願いしてくれたそうだ。
あたしの為にそこまでしてくれるなんて……。
そんな中、彼は命を千切って分け与えてくれた。もう本当にギリギリのところでこの世に霊魂を繋ぎとめることができたのだ。
ただその能力自体もすごいけれど、相当なリスクがあるのではないかと聞くとミルは目を逸らす。
今まで数回にわけて少しずつ分けてくれた命の反動が、これから一気にやってくると言うのだ。
一晩中激痛に最悩まされ発狂するのだとか。
「……そんな……なんとかならないの!?」
「ならないけれど……クリスちゃんが薬を用意しているからね。 それがまた……むふふ」
「え?」
「えーと全部話すって言ったから……ごにょごにょごにょ」
……え‼
なんとその薬、『何もわからなくなる薬』を飲めば激痛で精神がやられる発狂するのを回避できると言う。もちろん彼自身の魂の修復も促進してくれるという優れもの。
あのクリスティアーネという大魔女が作ったのだとか。
しかしその副作用が……まさに『絶倫』だった。なるほど多感なお年頃になって来たミルがニヤニヤするのも頷けた。
本人はまったく覚えていないというのも曲者。あんなに優しくて女性に美麗な容姿なのに、その時は獣のように求めてくれるそうだ。
思わずごくりとつばを飲み込んだ。
……いつか……あたしも……はっ⁉
思っていることが顔にあからさまに出ていたのか、ミルがふたたびニヤニヤしている。ミルだってまだそんな経験ないでしょうに。
彼女は、初めては二人っきりでじっくり優しく抱いてもらいたいと、うっとりした表情で語る。
……でもよく考えたら、クリスティアーネは妊娠中だからしないとしても、アイリス、シルフィ、それにアミ、ナナ、それにルシェまで!?
ぜ、全員を相手するのだろうか。
「今回はアイリスに譲るってさ。『媚交感薬』をつかうって……平気かなぁ?」
「あぁ……悪魔と人間の子ができやすくなる薬?」
「うん……でもクリスティアーネが『絶倫』状態を一人で受け入れた時は、あまりにすごくて何度も気絶したらしいよ。それなのに『媚交感薬』なんてつかったら……」
「え、えぇ~……?」
ミルはずっと顔を赤らめてにまにまと表情をほころばせている。
でも譲るって、他の子は嫌じゃないのだろうか。
……あたしはまだ恋人でも何でもないのに……なんか嫌だ。
……まだ?
「みんな……嫌じゃないの?」
思い切ってその気持ちをぶつけてみた。
「ん? うん……んー何て行ったらいいのかな? アーシュを愛していない娘に取られるのは絶対に嫌」
「でもちゃんとアーシュが愛して、その子もアーシュを愛してくれるなら良いと思う」
「あたしたちの国では考えられない」
「あれ? アミやナナと一緒でしょ? なんで?」
「あたしが聞きたい……」
……。
「ぷっ!」
「「あはははは!」」
その答えはとても気になった。けれどそれよりフレイヤの件で話しづらかったあたしにミルがいつも通りに話してくれたことがとても嬉しくて楽しかった。
やっと自分に戻れた気がする。
それからミルがあの時の説明をしてくれた。
あの作戦はほとんどクリスティアーネが考えたもの。
ミルとアイリスは準備でジオルドに来た時に詳細を知らされたから、それに舌を巻いたらしい。
ふたを開ければ世界が滅亡しかねないような魔法や、政治的に世界がひっくり返るような話。
前の世界で言えば、アメリカ大統領を顎で使うようなもの。無茶なんてものではなく荒唐無稽な夢物語だ。
それでも彼女はそれを主張せずに、皆が臨機応変に合わせてくれたから帳尻があったのだと、逆にお礼を言われたらしい。
そんなすごいことができるのは彼女が上位魔女であり、生まれ持った天性の才能があっての事なのだろうと思った。しかしそれにミルは首を振る。
「だって初めて魔王城で会ったときは、すごく奇麗なのにビクビクおどおどして人見知りが激しくて、もう何千年もボッチしている子だったんだよ……。あのちっこいシルフィに隠れるほどに」
「えぇ?」
たしかに奇麗だけれど、目がギョロヌとして人に受け入れられる印象ではなかった。それ以上に変な声をだして、より一層恐ろしさが見て取れた。
何千年もボッチというのに、あんなに美しい姿で世界中の人々の救いとなることを成し遂げたのだ。
そう思うと自分を口下手でボッチだと言うのが、恥ずかしくなった。こんなのただ不貞腐れているだけだ。
でも彼の為に世界を手玉に取ってしまうほどの子が隣にいるのなら、あたしなんて必要ないと思えてしまう。
「でも好きだと思った子は分け隔てなく愛してくれるよ。彼は」
「……好きになってくれるかな」
あ……
言ってしまったことに気がついて、慌てて口を押えようとして力が入らず、ぱくぱくさせてしまった。
その様子にさらにミルはニマニマと笑っている。
「むふふ‼ コトコはかわいいのぉ」
「……むぅ」
ミルはいつもそう言ってくれるけど、はっきり言って自信はない。いつも何かに巻き込まれて、嫌な顔をしたいけれどそうすると嫌われていじめられる。
その処世術として身につけたのが、いつもむすっとした顔だ。
初めからこの顔をしていれば、嫌なことに巻き込まれてもこのままだから誰も咎めない。
「でもみんなも彼以外には考えられないし、一夫多妻なんて当たり前なんだから気にしなくていいよ。あたしだって他の人じゃ絶対に嫌」
それはそうだ。ただあたしはどうなんだろう。彼以外考えられないほどなのか、この気持ちが本物なのかがまだわからない。
ミルはまだ十二歳であたしはもう十八歳。だというのにミルのほうがはるかに大人で考え方もしっかりしている。
早くあたしもそうなりたい。
「それで話を戻すと……」
結局、アシュティ教は創設された。というより今まであった世界で唯一の宗教、スカラディア教が改名された。
歴史書に関するスカラディア神について、調べれば調べるほどに偶像物であることがわかったため、それは難なく受け入れられた。
むしろ造物主という存在が現存していたことが、表舞台に知れ渡ることになった。これにより彼らが残した文献が注目されたことが一つの要因である。
その中には神に関する記述は、すべてが因果律という概念がそれであるとあった。つまり神という概念はあっても存在しないという結論に至った。
その概念が具現化されたのがアシュティであり、多くの人間が目の当たりにしたその幻想的な生物のおかげで信じざるを得なかった。
しかし降臨した魔王アシュリーゼが不干渉を宣言したことにより、抑止力のなくなったジオルドは本部を創設することを拒否した。
魔王アシュリーゼが居なければ守りきることが不可能だからだ。
代わりにアシュティ教本部は魔王領に設置されることが決まった。
少し前には悪魔領はエルランティーヌの庇護下に入り属国化していたが、それもまた著しく軍事的均衡を崩している要因だとして、中立自治区として独立させた。
この中立性という担保が教会には必要だった。今までもある程度は保たれていたが、どうしてもヴェスタル共和国の政治的な圧力があったから純粋な中立は不可能と思われた。
悪魔領がそれを担う形となれば不満はあるけれど、中立性はしっかり担保された。各国の意見としてはジオルドが突出していたことと、足並みをそろえようとしなかったことに不満があったのだから、それが解消されれば落ち着く。
呷っていたアルフィールド一派とヴェントル皇帝もこの件ではもう何もできないだろう。
その代り悪魔領は、世界への政治参加は禁止された。
「……最後に壇上に女神が呼び寄せたのは女王陛下とミザリ教皇だったからね。それが決定的だったみたいだよ」
「……ミルはすごい。……勉強している」
「え“!? ……いや、勉強は苦手というか……あはは……」
ミルは学園での成績があまり芳しくないらしい。でもあの場の政治的なやり取りをすべて把握していた。聞かされたからってすぐに理解できるほど単純ではないのに。
それもずっとアイリスの側にいて関わってきたからだという。
王国でしきりにアシュインが化けていた魔王アシュリーゼを狙っていたアルフィールドについても聞けた。
なぜ聞いたかといえば、あたしが王国で造物主に操られていたときに、主にかかわっていた勢力だからだ。
好き勝手やられたので、いつかやり返したい。
アルフィールドはあまりに魔王に執着することを咎められたが、アルフィールドの力というのは殊の外強く、勢力を弱体化させるだけに終わった。
ただ後継ぎ問題でいずれ没するので血を諦めて養子縁組しなければ維持ができないだろうと言われている。
そうしなければそのまま衰退してくだろう。
アーノルドは既に廃嫡扱い、ミケランジェロは没し、ヴィンセントではその重責を担えないという周囲の評価だ。
あたしが何か仕返しをするまでもなく、すでに『ざまぁ』って言える状態だ。いくら酷い目にあわされた相手の一味だとしても、そう思ってしまう自分が卑しく思えた。
これ以上あたしが何かする気はない。
「いいの? むしろ王国に散々振り回されて……実験台にされたのに……」
「それは……あたしが弱いせい……」
そう言うと、ミルはぎゅっとしてくれた。
卑しい自分を許してくれたようで、とても暖かくて嬉しかった。
でもやせ我慢なんかじゃなくて、奴らに復讐している時間があるのなら、アシュインともっと仲良くなりたい。みんなともっと仲良くなりたい。
そう素直に思えるのだ。
そのアルフィールドの長男アーノルドは、実はいま魔王領で働いている。
アシュインがアルフィールドに捕らわれていた時に、彼が良く守ってくれていたそうだ。
旅の途中で攫われた時には、アシュインは彼が死んだと思っていた。
しかし彼は生きてすでに治療を受けていたそうだ。隷属の魔法陣が刈り取られただけらしい。それでも大怪我だったので、女神を護った功績を評価したミザリが直々に治療をしたという。
おかげで短期復帰ができた。ただすでに廃嫡となり騎士団長としての地位を失っていた。
そんな彼をエルランティーヌは改めて爵位を与えたことにより、彼の希望の転属先へ配属となった。
悪魔領は中立自治区となったので大々的な介入は難しくなった。教会が入るとはいえ野放しはできないので、彼は政務官としての任務を与えられた。
「あの人、硬すぎるんだよね。ちょっと苦手。それになんかアーシュに必要以上にタッチするのもなんか嫌」
……これはもしや……。
あたしのBLセンサーに引っかかる何かがあった。ただ彼はルシェと並んで仕事する時はとても優秀だという。
王国やその他の国ともストレスなく渡り合えるのも彼のおかげらしい。疑ったら可哀そうかもしれない。
「あとはジオルドにいる元魔王幹部のメフィストフェレスが……」
あたしにはあまり関係ないが、ジオルドにいたアシュインの仲間たちは全員魔王領へ帰還したかと言えばそうでもなかった。
元幹部のメフィストフェレスは自由人でアシュインの数少ない理解者だったが、シャオリンという所縁のある子と親子関係になったので、残ったそうだ。
なんと魔力スカウターの開発者だというのだから驚きだった。
「はぁ……やっぱりすごい人のところに……すごい人があつまる」
「コトコだって、そだよ」
「ううん……あたしすごくない……だからがんばる」
だからせめてアシュインの邪魔にならないように、打算だけれどあわよくば彼が好きになってくれるように頑張ろう。
あたしが目覚めた次の日に、アシュインが王国へ行く予定だった。
何としてもついて行きたい。少しでも一緒にいて仲良くなりたいと思ったから護衛を志願した。
アミとナナはあたしが目を覚ましたことを確認すると、すぐにナナの魔女入りの為に魔女の里へ旅立ったかたら一緒には来ていない。
紅蓮の魔女はいつまでもはぐらかして、好き勝手にナナを利用し続けていた。
当然担当から外され、かわりに上位魔女になりたてのアミが就くことで、すぐにナナの魔女昇格がきまった。
「あんのババァ! もう余裕で魔女になれるんじゃん!」
「あはは……よかったね」
なんて文句を言っていたのはうける。
まるで前の世界の高校生だった頃に戻ったみたい。でもその頃も今も、彼女たちとはまだ仲良くなっていないから、二人の仲の良さが羨ましい。
聞いたところによると魔女になるということは不老長寿薬を飲むということであり、人間ではなく魔女という種族になるのだとか。
魔女は数千年から数億年にまで生きるのだから、人間とは異なる。
魔王城に出入りする人間はあたしとアーノルドだけになるのだと思うと、ちくりと胸が痛んだ。
そしてクリスティアーネはもう出産間近だし、アイリスとルシェが行くとなると政治的に大事になってしまうため、いつもついて行かないそうだ。
そう言うわけで行くのはアシュイン、シルフィ、あたし、アーノルドの四人だけとなった。
今回の目的は宮廷魔導師レイラの治癒の為だと言う。
あの日以前は悪魔領幹部のサリエルさんが治癒していたけれど、進行を遅らせるので精一杯だった。その為、復帰したアシュインが治療している。
……なんか嫌だな。
嫌な気持ちだとは理解していたが、どうしてもそう思ってしまう。するとそれに気がついたシルフィはアシュインがいないところで事情を聞かせてくれた。
「レイラは……アーシュにとっても所縁のある娘なのだわ。……嫌かもしれないが許してあげて欲しいのだわ」
「……あたし……いえる立場じゃない」
「ケケケ……コトコはちゃんとアーシュの気持ちを確認するのだわ」
……え?
シルフィがまさかそんなことを言うと思っていなかったので、虚を突かれてしばらく動けなくなった。護衛でついて来たと言うのに、ぼうっとしてしまう。
それからそれがどういう事なのか、ずっと考えて職務が上の空だった。
彼がレイラを治療する様子をじっと見ている。
以前王国に所属していた頃に、彼女を見かけた。とても美しくて真赤で奇麗な髪が印象的だった。
……でも目の前に横たわっていた女性は見る影もなくやせ細り、唇は枯れ、とても治癒で助けられるとは思えない有様だった。
それなのにアシュインは賢明に治療している。
彼女がこうなった原因はあたし以上に悲惨だった。アシュインが好きなのにスキルで無理やり誑かされ強姦された。
さらにそのスキルで大好きな人を自ら追放に加担し、挙句の果てにはその強姦相手の子を孕んでしまった。そんな子を産むくらいなら死んだほうがマシだと、後期にもかかわらず中絶に踏み切った。
しかし数年たった今、その障害で苦しみこの状態である。そんなナイーブな話を、あたしが聞いていいのか躊躇う。
数年障害に苦しんだ彼女の精神、魂は傷だらけだった。それほど後期の中絶というのは母体に影響を及ぼすのだろう。
それはあたしが無理やり召喚され、キメラに改造され、フレイヤに身体を乗っ取られるのと同じかそれ以上に。
本来は一回で瀕死を脱することができるはずの命を分け与える行為だったけれど、それも難しいので数回に分ける必要があった。
あたしの方は一週間、彼女はもう一週間ほどこの治療が必要だ。おそらくあたしの所為で、彼女の治療が大幅に遅れてしまった。
「……ごめん……なさい」
彼女の痛々しい姿をみれば、それが深刻であることはすぐにわかる。それはアシュインの負担が尋常ではないということ。
「悪くないなんてないよ。ボクが救いたいからキミを助けた。もちろん彼女もだ」
アシュインの言葉にぐっと胸が締め付けられるほどに切なくなった。嬉しくもあり、それがとても壊れそうなほどでとても不安になる。
「ケケケ! コトコも理解できたか。それがアーシュと一緒にいる条件なのだわ」
なるほどと思った。
どおりで彼の周りにいる女性は、強いはずだ。
彼はとても強くて白金貨をぽんぽん出すほどにお金を持っている。それにカッコよくて美しくて優しいうえに荒々しくもあり、そしてあっちの方もすごい。
女性を喜ばせるすべてを持っていると言っていいけれど、女性側がただ愛嬌を振りまいて恩恵に与ろうとしても、そんな心構えではすぐに嫌気がさすほどに振り回されて去って行ってしまう。
全人類を敵に回すほどの人物に、「なんか素敵」という軽い気持ちで近づけば火傷をするのは当たり前だ。
レイラは慕いながらも彼の側にはいようとしない。この国を支える重要な立場にあるから。それにエルランティーヌ女王を必死で支えていたのだ。
それでも間接的にアシュインを支えていた。それはアシュインという恩恵がなくとも、彼女の生き甲斐だった。
よほど愛していなければそんなことはできない。
あたしとほとんど歳が変わらないのに、その壮絶な人生と深い思いに喉がからからと枯れていくほどに身につまされた。
彼女は酷い境遇の中で出来ることを選んだのだ。
……じゃあ、あたしは?
それからほどなくしてクリスティアーネとアシュインの子、女の子が生まれた。リーゼちゃんはシルフィの子なので異母姉妹だ。
「うぇへへ……か、かわぃぃ……な、名前……決まった?」
「女の子だから、アリシアなんてどうかな?」
「……うん!……かぁいいぃいい! うへへ」
「「わ~アリシアちゃんだ! おめでとう!」」
お披露目で見た赤ちゃんはとても可愛いくて、あの世界を手玉に取った大魔女が女性らしく嬉しそうに泣いていることに、また感動した。
子を産んだ二人の容姿はあたしより幼い。クリスティアーネは大人になったばかりの十六歳ぐらいの子にみえるし、シルフィに至ってはミルより年下に見える。
それなのに二人とももうお母さんだ。
表情も子供を愛でるお母さんの顔をしている。
アシュインはシルフィの出産に立ち会えなかったことを、ずっと気に病んでいたそうだ。だから今回は一緒にいてクリスティアーネの手をずっと握っていた。それがすごく羨ましかった。
その想いが溢れたのか、アシュインがぼろぼろと泣いていて、それがとても素敵に思えた。彼の幸せそうに泣いている姿をみると、あたしまで嬉しくなった。
あたしの治癒が必要なくなったおかげで、アシュインの負担が減った。おかげで彼は再び執務の手伝いをしている。
あたしは何もできないから、相変わらず護衛騎士として近くに立っているだけだけれど、それがとても幸せに思えた。
やっと暇ができたと、この日は悪魔領の墓参りに全員で行くことになった。
アミもナナも今日は一時的に魔女の里から帰ってきている。
最南端の村が、王国軍と魔女の混成軍によって滅ぼされ多くの命が失われたところだ。
おそらくあたしもその作戦に参加させられたかもしれないが、紅葉のスキルとキメラ手術の後遺症、そして造物主の発現という三重苦によって一番記憶が曖昧な時期だったとおもう。
廃墟と化した村は整地され、躯を治めた墓地として奇麗になっていた。そこは高台になっているのか、焼けただれた木々が伐採されたおかげで遠くにカルド海が見える。
中央には新たに設置された大きな石碑があった。とても奇麗で精巧な作りは元の世界の大理石加工のようで驚いた。
喪服を着るのだと思ったけれど、この世界では喪服という概念はなかった。かわりに少し地味目の服を皆着ている。
あたしはいつも通り騎士の格好だ。
「じゃ、じゃぁ……た、魂を鎮め、か、彼らが……り、輪廻に戻れることを願う」
クリスティアーネが歌う。彼女は叡智を極めた上に、歌までうまかった。シルフィもそれに続くと、彼女もとても上手だ。そしてアミもとても上手。
それは魔女になると教えられる鎮魂歌だという。ナナも今、習っている。
……魔女って素敵だなと思った。
クリスティアーネみたいにはなれなくても、それはきっとアシュインの役にたてる気がした。
ずっと考えていた。あたしがここに居る意味。
彼女たちが何をしたのか。
フレイヤも言っていたアシュインという『変異体』について。造物主が天啓どおり『勇者の血』を発現させるか、あるいはそれに対抗して『勇者の血』を抹消するか。そしてクリスティアーネが提示したのが第三の方法、冷却期間分の先延ばしだ。
一億年後には再びあの光景がやって来るのだ。その時アシュインが再びその責を負い、渦に巻き込まれるか、あるいは次の代の『変異体』が現れるのかはわからないけれど、それは確実に訪れる。
そしてアイリスが持っていた神剣は、この地に新たに新設された中央の大きな石碑に納められるのだとか。
そこには文字が彫られている。
『一億年後の魔王にこれを託す』
小説でも見たこともないようなその強烈な言葉に、彼女たちや戦った者の強い想いを感じた。
神剣は魔王の因子、浄化の因子を持つ変異体ぐらいしか持つことができない。だから魔道具が組み込まれた石碑に突き立てれば、盗まれる心配もないのだそうだ。
詩が終わる頃合いにアイリスは神剣を石碑へと突き立てた。石碑の魔道具が音を立てて一瞬だけ光を帯びて設置が完了したことを認識できた。
そしてアイリスが向き直り、愛おしくアシュインを抱きしめて口付けをする。その深紅の瞳には、きらりと光る宝石が見えた。
アイリスに促され、皆に向かって、アシュインが言う。
「もし一億年後、再び『世界を滅ぼす日』がきたら……またボクを止めてほしい」
彼の物語の全ては、自分自身への恐怖だった。
それは一億年先延ばししただけで、決して消えない。でも少なくとも一億年はその恐怖におびえることは無くなった。
……でもその先は?
すべての部品がかしゃりと音を立ててはまった気がした。やれることを見つけた。そう――
「あたしも魔女になる‼」
約半年間。お付き合いありがとうございました!
これにてこの物語は終わりです。
読んでいただき本当にありがとうございます。皆様のおかげで無事終えることができました。
再開があるとすれば一億年後です。
修正等はやる予定です。
またファンタジーを書きたいと思っているので、どこかでお会いしましょう!
よろしければ、作者みくりや をお気に入りに入れていただけたら嬉しいです。ではまた!