閑話 悪魔の産声 その3
※シリーズの副題を変更しました
あらすじ
堕ち行く魔王城。どんどんと人が去り、アミも戻ってきたとたんにクリスティアーネを追って出て行った。
そして数日後。相変わらず彼女と口論になり、冷静な彼女と感情的なわたしは意見が真っ向から別れていた。
するとナナがある人物を連れて来た。
「あ……あ……アーシュ?」
「……アーシュ」
魔王城に寂しい静けさがやってきた頃。なんと彼が来たのだ。わたしは混乱した。王国は逃げたという認識だったが、そもそも全く姿を現していなかったのだから、生きているかさえ怪しかったのだ。
生きて再会できた喜びなんてなかった。もちろん昔のわたしならすぐに飛びついた。でもわたしは彼と決別したのだ。
「やぁ……二人とも、仲が悪くなったの?」
「……な……なんで今頃……」
「……ぁ……しゅ?」
ルシェの様子がおかしくなった。いや元に戻りかけているのかもしれない。彼の顔をみた瞬間に目が、以前のように死んだオークの様になってしまった。
「……アイリス、ルシェ……また会えた……」
「……気安く呼ばないでくれる?」
「……なんの……よう?」
今までの葛藤が嘘のように、この男の顔をみても愛おしい感情は沸き起こらなくなっていた。むしろ怒りがこみあげてきている。
これでいいと思った。
こうでもしなければ、ルシェと同じようにわたしの心が壊れてしまう。勝手に心が閉じて守ろうとしているのが感じ取れた。
そして一番聞きたくない言葉に、脳が焼き切れそうになる。
「悪いな、二人とも。これから女王になるロゼルタ姫と婚約するんだ」
まさに沸騰した。悪魔の血の心底から湧き上がるマグマが今噴火せんとばかりに膨れ上がる。それから彼がいう事にわたしもルシェも暴言を浴びせたと思う。でも頭が真っ白になってもう何を言っているのか自分でも理解できないほどだった。
彼は泣いていた。悪そうなにやけ顔をしていたけれど、泣いているのがわかった。でもわたしは彼に対して、怒り以外の感情がどうしても抱けなかった。
それはルシェも同じだっ――。
そう思い彼女の方をみると、顔は冷酷で彼の去った後も見下したような白い目で見ているにもかかわらず、ぽろぽろと涙が零れていた。
私が彼女にしたことは、間違えていたのかもしれない。
魔王領は明らかに終焉へと向かって行っているのがわかる。暗い雰囲気がどこの町や村にも漂い、領民は怯えて暮らしているのが見て取れた。
代表失格ね……。
あの村の襲撃を鑑みて、警戒と共に魔王領は鎖国状態になる。外部との交信および交流、面会がある場合にはわたしの許可証が必要ということにした。
とは言え隠れてされてしまえば把握できないのだけれど、わたしからの命令として触れ回れば、恐怖心か服従心からほとんどは従ってくれた。
あれからルシェとは『悪魔の量産計画』と称された、子作りの施策について揉めていた。そんな生命の理をいたずらに変える行為に嫌悪感を覚えるし、そもそも魔王領の悪魔たちが嫌がる。
施行されても、強制しない限りは成果が出ないはず。
「じゃあ強制にしよう。それはボクだって対象だ。 でもアイリスだけは守るよ」
「なっ⁉ ふざけないで!! そんなことは絶対に許さないわ!!」
ルシェは効率の為ならもうなんでもやるつもりでいる。それはわたしが情という感情を暗示によって封印してしまったからだ。アシュインの事もすっかり忘れているかのように関心がない。
その中でも、わたしだけはそうならないようにという気遣いをされているのが逆に悲しい。
このままではルシェだけではなく、ナナまで子作りのための道具と成り下がってしまう。
そこでハッとなって、焦燥感が一気に沸き起こった。
ナナは人間だ。それもこの世界の人間でもない。そして戦闘もできない自衛する手段もないのだ。
その中で強制的な『量産計画』の対象になればどうなるだろう。
きっと悪魔同士の施行は及び腰でも、対象が人間ならばよいのではという感情に支配されてもおかしくはない。以前の悪魔たちはそんなことを考えることもしなかったはずだが、今はもう状況が違う。
だとするならば今真っ先にやるべきことはナナを魔王領から逃がすことではないだろうか。
わたしは無言で執務室を去り、ナナがいる魔王領の庭園にやってきた。
魔王領の周囲にある庭園は、以前は使用人数名で手入れをしていたが、今はその使用人たちは魔王軍の第十一部隊に配属されている。
すこし荒れてきたところを、暇をみてはナナが手入れをしていた。水をやり剪定をし、肥料をまく。これだけの土地を、関係ない能力しか持たないナナがやるにはかなりの労力だろう。
こんな疲弊した魔王城でも、食事に出てくる野菜は変わらず新鮮であったのはナナのおかげだった。
ナナは庭園の奥の畑でトメという赤い野菜を収穫していた。その姿をみて、また涙があふれた。
わたしたちの不始末でナナが孕み袋にされてしまうなんて絶対に許せない。
「……ナナ」
「アイリス? ……ってどしたの? ……泣いているの?」
溢れてしまった涙が止まらず、焦って拭いて取り繕う。それでもなかなか止まってくれなくて焦る。
するとふわっと良い匂いと、土の匂いがした。
彼女が抱きしめてくれている。
「ゆっくりでいいから……お姉さんにいってみな?」
「ぐす……ふふ……わたしのほうが年上なんだけれど……」
しばらく抱き合って、彼女に身を預けた。今の魔王領で彼女だけが私の心の拠り所だ。彼女だけは絶対に守りたい。
「……ねぇナナ。王国へもどりなさい……」
「……『悪魔の量産計画』? それを受け入れる覚悟はあるよ?」
それぐらいの覚悟は当然と言わんばかりに変然としている。彼女がここに来た経緯は、あのケインだった。
ケインの誘惑スキルの餌食となり、誑かされて彼の性の捌け口にされていたのだという。そこをアシュインが助けてくれたのだから、彼が大事にしている魔王城は絶対に守りたいのだそうだ。
それはアミも同じ思いだと言う。彼が大事にするものだからと……。
「……そんな……」
彼女は再び慰み者になっても、大事な物が守れるのなら構わないというのだ。それはいくら何でも、彼に人生を預けすぎているのではないかと否定したけれど、彼女は受け入れない。
「アーシュだけなの」
彼はナナとの関係も大切にしていたけれど、わたしはシルフィ、それにクリスティアーネにも深い愛情を向けていて、それに比べれば彼女へ向かう感情は微々たるものだった。にもかかわらず、彼女はすごく深い愛情を彼に向けている。わたしは彼の深い寵愛を受けておきながら、早々に見限ったというのに。
「あたし、アミにもみんなにも嫉妬しているの。そんなあたしは自分が大っ嫌い。でもアーシュは嫉妬している腹黒いあたしごと受け入れって愛してくれたんだ。アイリスやアミのついででもいいの。魔王城を守りたい」
「わたしは嫌よ! ナナはひどいことをされたのに、またされてしまうかもしれないなんて耐えられない!」
「……アイリス」
彼女が何と言おうとも絶対に逃がす。守って見せる。それが私に残された唯一の心なのだから。
……たとえ彼女に嫌われても。
そう決心すると、わたしは彼女から離れ、涙を拭き姿勢を正す。
「ナナ……貴方を魔王領から追放します」
「な⁉ なんでよ! いやだよ!」
「……ごめんなさい。 ルシェは抑えておくから、今日中に発って」
わたしは強い視線を彼女に向ける。彼女ももうさすがにわたしの意図を理解して、作り笑いを浮かべている。
「……わかった……アイリス……でもお願い……ずっと友達でいて?」
「ええ……ナナ……ずっと永遠に、一万年経っても……友達よ」
「……うん!」
――そうして再び抱き合う。彼女のぬくもりを感じることができるのはたぶんこれで最後になる。
でもこのぬくもりを忘れなければ、きっとまた会えるはずだ。そう思って彼女の手を離した。
執務室に戻ると、ルシェはまだ執務をしている最中だった。淡々とこなすもどこか空虚だ。
とうとう二人だけになってしまった執務室。王城内ですら数えるほどしか悪魔がいない。あとはゴーレムだけだ。
しばらくして外部の人間が一切いなくなった魔王領は、新しいものが入ってこなくなった反面、領民の生活は安定していた。
むしろ前魔王時代に戻ったとも言っていい。
そんな中、あの勇者ヒビキが手配したニンファーの薬品が奴の部下によって運ばれて来た。それはメフィストフェレスが作ったものより濃く効能も強いもののようだ。
瓶に鼻を近づけると、ニンファーのとても良い匂いがふわりと漂う。
「あとはご自由に。だそうです。次にヒビキが来るときにはアイリス様。良い返事を期待しております」
「わかったわ……」
これが届いてしまったということは、ルシェはすぐさま『悪魔の量産計画』を通達するだろう。それ自体は悪いことでもない。そこに感情が伴っていればの話だが。
しかしいざこの薬品を目の前にしてしまうと、危険であることを認識せざるを得ない。
薬品の原型ともいえる『媚交感薬』は副作用として催淫媚薬効果がある。それは些細なものだった。すこし敏感になる程度に抑えられた製法だったからだ。
しかし今届いたこの薬品は、少し匂いを嗅いだだけで強い催淫効果をうんでいる。わたしはいま発情してしまっているのだ。
「はぁ……はぁ……んっ! ……はぁ」
これがヒビキの言っていた私の心配を解決するものなのだろうか。でもこれがそれだと言うのなら、はっきり言って催眠や暗示と同じだ。
さらにお互いが嫌っている相手、もしくは片方が嫌っている相手に使われて、性交をしてしまえば、一生残る心の傷になる。
ナナの様に……。
彼女は明るかった。いるうちにその処世術をちゃんと聞いておくべきだったと後悔した。
「アイリス? どうしたの?」
「この……んっ……く、薬の所為ね……」
最近ではわたしの心配どころか、感心すらなかったように感じる彼女がどういうわけか心配してくれている。彼女に肩を叩かれると、それだけで感じてしまうほど薬は強力だった。
こんなもの使えるわけがない。
クリスティアーネがわたしに使っていた薬品でさえ、こんなに尖った感じ方をしたことはない。
あれはあれで強烈だと思っていたけれど、クリスティアーネの優しさが入ったものだったと今更気がつかされた。
とにかく今は火照った身体を治めなければと、気持ちを焦らせていると突然ルシェが私を抱きかかえる。
「きゃっ! ……んっ! さ、さわ……やっ!」
「ごめんアイリス。 今日の執務は終了だ」
そういって抱っこしたまま寝室へと連れていかれた。近くに会った『媚交感薬』をもってきていたのに気づいたのは、ことが終わった後だった。
「んっ……ルシェ……どうしちゃったの?」
まだ身体がびりびりとして、頭の中に靄がかかったようだ。女性同士なのにとても癒された気分だ。
ルシェと肌を重ねたのは二度目。親友であり子供のころからずっと一緒だったから何の抵抗もなかった。
いまはもう彼女とわたししかこの城にいないのだから、寄りかかるべくは彼女だ。
しかし彼女は壊れてしまったはず。なのに今は逆に壊れかけたわたしを彼女が慰めてくれている。
「ボク……もう大丈夫だよ……だから今度はボクがアイリスを助ける番だ」
「ルシェ……何かあったの?」
「庭園の時、見ていたんだ……正直、嫉妬した。……そして頭の靄が晴れた」
「……そう ……暗示、解けちゃったのね」
ナナとは別にそう言う関係でもなんでもない。でも友達より深く親友に近い存在になった。気持ちが通じ合っていた。
それを見ていたルシェは嫉妬したのだ。
「ナナ……最後までアーシュの事、信じていたね」
「……うん……逆にこっちがみじめよ」
でもわたしもルシェもまだアーシュの事を許せるほどにはならない。きっとまだずっと恨み続けるかもしれない。
でもそれはナナやアミたちに負けたようで悔しかった。
このままいけば昔のわたしなら流されて、あのヒビキの言いなりになって肉奴隷にでもなっていたでしょう。
でも今は違う。このままただ従ってなんてやらない。
「ねぇルシェ……全部ひっかきまわしてやらない?」
「ふふ……いいね、それ!」
「王国も王位継承も、それに教会も帝国も!」
「そして魔女、造物主や神も! ――」
「「くっそくらえだわ‼」」
そういってベッドの中で拳を交わす。
勝負は王位継承の儀。おそらくありとあらゆる人物が集まるだろう。その場をめちゃくちゃにして、魔王降臨とばかりに悪魔の産声を上げるのだ。
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