9時限目
「エリゼ様、みんな本当にこんな格好で授業してるんですか?」
私が着せられたのは、いわゆるバレエレオタード風の2ピースだった。
タンクトップのレオタードは胸元と背中にレースが付いていて確かに可愛い。
裏には厚手のパットというかスポーツブラみたいなものが装着されていて、まるでブラトップのシャツみたいだ。動きやすいといえば動きやすい。
けれどそこに合わせるのは、かろうじて腰を隠す程度の長さしかない2重レーススカート。レースだから勿論シースルー。2重になっていても結構足が透ける。これはさすがに拙いのではないだろうか。
「足の動きがちゃんと判らないと練習にならないでしょう?」
そうエリゼ様はゆったりと微笑んで教えてくれたけど。むむむ。
スカートはパニエとは違って軟らかなレースで出来ているので、てろんとしていて、全体的に妙にぴっちりぴったりしている。
とにかく着ていてすごく恥ずかしい。
「これ身体の線が判りまくりじゃないですか。この世界ではそのマナー違反になるのではないかと思うのですが…」
自信がないので最後はごにょごにょっと小声で訊いた。
「だって、練習用なのよ? 足だけじゃ駄目なのよ、身体の動きがちゃんとわからなくっちゃ」
そんなものなのか。古い練習着っていうからフリルとかレースの付いていないドレスっぽいワンピースみたいのを想像してたわ。
髪をとりあえず後ろで一つに纏めて、ダンス用シューズもお借りした。
この靴はバレエシューズではないんだねぇ。ヒールは低めで幅広のバックルがついたピンクの可愛い靴だった。
でもサイズが合わなかったので、とりあえずティッシュを詰めて調整する。練習着はともかくこれだけは間違いなく自分で買わないとダメっぽい。転ぶか、靴擦れを起こしそうだ。
「とても似合うわ、りんたん。
さぁ、ダンス室でちょっと動いてみましょう」
エリゼ様に促されて、私は躊躇いながらも足を踏み出した。
「りん…さん」
ダンス室に入ると、ぶふっと音がして王太子が頽れた。
足元が赤く染まっている。
「お、王太子殿下、大丈夫ですか。やだ、大変、血でも吐いたんですか?」
みるみる王太子の胸元が赤く染まっていく。ハンカチもティッシュも持っていないし、着ている者はエリゼ様からお借りした練習着だけだ。どうしよう。
「あ、あー。りんさん、すこし、殿下から離れて戴いていいですか?」
ムーアさんがなぜか明後日の方向を向いたまま話しかけてきた。なんだろう?
「その…少々、その服装は…、その、殿下、と私にも、刺激が強すぎるようです」
んがっ。やっぱりか!!
「エリゼ様! ひどい、騙しましたね?!」
「やはり…えりぜ、か」
そこまでいうと、王太子はがくりと失神した。鼻血が原因で貧血になるってすごいよね。はぁ。
「うふうふ。恥じらうりんたん♡ これが見たかったのよぅ」
ぐぬぬ。くねくねして喜んでやがる。確信犯(誤用)か。
はっ。はやく更衣室に戻ろうっ。
慌てて戻ろうとした私の肩に、ふわりと大きな上着が掛かった。
「他の誰にも見つからないように更衣室に戻りましょう。
でもその前に、私からお渡ししたいものがあるので受け取って戴けますか?」
「これ…」
大きなバッグに入っていたそれは、私が最初に考えていたようなドレスだった。
綺麗な水色をしたそれは、一人でも簡単に着れるような前ボタンになっていて、腰の後ろに大きなリボンが付いているだけのシンプルなベルラインのドレスだ。
丈は膝丈。先ほどエリゼ様が言っていたように練習用なので足の動きがちゃんと判るものになっているのだろう。
「エリゼ様が練習着を用意するとおっしゃっていたのですが、正直こんなことになるのではと心配でしたので、元婚約者に相談してサイズが合わなくなったものを譲ってもらっておいたのです」
ムーアさんの元婚約者様の物と聞いて少しだけ思うところはあったけれど、贅沢を言える立場ではないのでありがたく受け取ることにした。
「ありがとうございます。大切に着ますね」
「返さなくてもいいといっていたので、自由に着倒したらいいですよ。
サイズが合うようでしたら、もう何着か用意できるといってましたよ。
まぁ、少しくらいなら直せばいいだけですけどね」
元婚約者さん、いいひとだなぁ。仲良くしてくれそうな方で嬉しいな。
受け取ったバッグを持って、ぺこりと頭を下げて更衣室に入った。
「よくお似合いです。シンプルで上品で、りんさんの艶やかな黒い髪がドレスの淡い色に映えてとても可愛いですね」
ダンス室で迎えてくれたムーアさんが笑顔で褒めてくれた。
嬉しいけど、お世辞にしてもちょっと熱心に褒められすぎているようで恥ずかしい。
「ありがとうございます。サイズもぴったりみたいです」
靴は入っていなかったので、エリゼ様からお借りしたもののままだった。
「せっかく着替えたのですし、少しダンスの真似事だけでもしてみませんか?
りんさんの、初めてのダンス練習を私にお手伝いさせては戴けないでしょうか」
そっと膝を落として手を差し出された。
う、格好いい。なんて様になっているのだろう。
私は、後ろでエリゼ様がイケイケゴーゴーと応援しているのを気にしないようにして、差し出されたその手に、そっと自分の手を重ねた。
「よろしく、お願いします」
そのままダンス室の中央へと連れていかれた。
ダンス室は廊下側以外の三方を大きな鏡で囲まれた部屋だった。
廊下側には、出入り口となる観音開きになる大きな扉と、疲れた時ようだろうか椅子がいくつか据えられている。
ちなみに王太子様は、ぐったりした様子でいくつか繋げて並べた椅子の上で横になっていた。
「ダンスは2人並んで歩くことができてからでないとステップどころではないのです。
ですからまずは向かい合ったまま足をぶつけずに歩けるようになりましょう」
歩くといっても横移動だ。その為の足を動かす順番を教えてもらう。
まずは見本としてムーアさんとエリゼ様が行ってくれた。
「エリゼ様の足だけ見ててくださいね」
ムーアさんの左足とエリゼ様の右足、そしてムーアさんの右足とエリゼ様の左足には紐でも付いているんじゃないかというくらい同調して動いていた。うおっ。
足が動くと身体が大きく沈む、そして足の位置が戻ると身体が高く伸び、また足が開くと大きく沈む。ふわり、ふわりと風に乗って飛ぶ蝶のようだ。
その動きはとても滑らかで、横に移動しているだけなんだけど、これだけで十分ワルツを踊っているように見える。
「すごい。素敵です」
でも頭の中では、足の動きがこんがらがっていて、どんな動きだったのかちんぷんかんぷんだった。
「では、次はゆっくりいきますね。
女性側の動かす足を言いながら動きますね」
ホールドしたところから、ゆっくりと2人が動き出した。
「右、左、右。左、右、左。右、左、右…」
1、2、3。1、2、3。1、2、3。三拍子のリズムでゆっくりと滑るように2人が動く。それは歩いて移動しているだけとは思えない、とても優雅でうっとりとするものだった。
「エリゼ様、ムーア様、きれい…」
こんな風に、私も動けるようになれるだろうか。
なれたらいいな。なりたいな。素直にそう思った。
エリゼ様を横に、ムーアさんを前にして足運びの練習をする。
「まずはゆっくり。右……、左……、右……。左……、右……、左……。右……、左……、右……」
ムーアさんの掛け声に合わせて懸命に足を動かす。これは大丈夫。できる。
「少し早めます。右…、左…、右…。左…、右…、左…。右…、左…、右…」
なんとかついていけた。
「さすがね、りんたん。ヒロインなだけはあるわね」
うふうふと嬉しそうにエリゼ様がいうけど、私はヒロインなんかじゃないと思うんだけどな。
「ヒロインというものがどういうものなのかよく判りませんが、私はりんさんがちゃんと頑張っているからできるんだと思いますよ」
いつの間にか、ムーアさんのとるリズムはさっき2人がやってみせてくれたものと変わらないそれになっていた。
それにもなんとか足はもつれずに済んでいた。できるって嬉しい。
「では、私と一緒に歩いてみましょうか」
「女性の右手はここ、左手はこちらへ。
どちらも力を入れすぎないよう、手の中に卵を持っているつもりでいて下さいね」
まっすぐ向かい合った状態で、指示された場所に手を置く。
そして、ムーアさんの右手が私の肩甲骨辺りに回された。そこにそっと触れるだけ。
「…イメージより、手を置く場所が肩に近い」
思わずそんな言葉が口をついて出た。
身体もそんなに近くないんだなぁ。ちょっとホッとした。もっと密着してるのかと思って緊張しちゃった。
「それでは動けなくなりませんか?」
呟きに、真っ当な返事がかえってきた。
「なるほど」
それにしても、私とムーアさんだと身長差がすごくて、なんというか、子供が大人にしがみついているように見えるんじゃないだろうか。
ちょっと気が遠くなる。あんな風に優雅に動くなんて、寸足らずな私には根本的に無理なのかも。
そんな風に軽く絶望が入った私に気が付かない様子でムーアさんが明るく声を掛けた。
「では、一緒に歩いていきましょうか」
ふわり、ふわり。
ゆっくりと進む。
ふわり、ふわり、ふわり。
視線の先にあるのは、ムーアさんの優しい瞳。
最初見た時は、おもちゃみたいだって思ったスカイブルーのそれを
今はもう、そんな風には思わない。
ふわり、ふわり、ふわり。
そうしてそれは、いつの間にか元の場所に戻ってゆっくりと止まった。
ほう、と息を吐く。
「お上手ですね。初めてとは思えないほどでした」
にっこりと笑って褒められる。嬉しい。
「っ。ムーアさんのリードが上手だったから、です」
「お褒めに預かり光栄です。
でも、りんさんの感がいいのは本当ですよ。
これならステップもターンもあっという間に覚えられそうですね。
いつか一緒に、舞踏会で踊ってくださいね」
できるだろうか。
先ほどのエリゼ様とムーアさんが歩いてくれた時のように美しく会場を舞うことが、私にもできるようになるだろうか。
頑張るしかない。
「その日が早く来るように、一緒に練習頑張りましょうね」
「…はい、楽しみにしてますね。がんばります」