79時限目
いつも読みに来て下さってありがとうございますですv
保健室では、またあのグレープジュース色した変な臭いのする湿布を貼られた。しかも前回は足だったけど今度は手なのがツライ。くっさ。マジくっさ。死ぬ。ぐぬぬ。
包帯を巻いて貰って「はい、終わり」と声を掛けられて席を立って、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございました」
くっさい湿布を使われようと、治療して貰ったんだからちゃんとお礼は言うよ。よいこだからね!
礼を告げた私を、保健室の先生は、どこか呆れたような探るような顔をしてじっと見返していた。なんだろ。お礼の言葉が足りなかったとか?
綺麗な長い金髪にシトリンみたいな綺麗な黄色い瞳それと白衣という組み合わせが如何にも乙女ゲームのキャラっぽい。勿論顔つきも如何にも優し気で、攻略対象にいてもおかしくないなーって感じ。まぁエリゼ様から教えて貰った攻略対象者の中に保健の先生なんていなかったけど。
「…入学して半月で2回ですか。大人しい子なのかと思っていたけど、そんな風に勝手に決めつけるのは私の悪い癖だね」
少し苦笑しながらそう言われて赤面する。
そう言われましても、足を挫いたのは貧乏でダンス用の靴が買えなかったせいだし、今回の手の怪我に関してはノエルの馬鹿のせい(あ。ついに教師に向かっていっちゃった)であって、別に私がガサツなせいって訳じゃないんだけどなー。
でも、口答えするのもなーってどう答えようか考えていたら、続けて
「足はもう大丈夫そうだね。熱、大変だったんだって?」
うおっ。脚の捻挫はともかく熱出して寝込んでたことも知ってるんだ。なんか恥ずい。でもあれか、結構長く休んじゃってたし生徒の健康管理については保健の先生の管轄なのかも。
「はい。ゴードン公爵家で面倒を見て貰ってました」
きちんと報告しておくことにしよう。うん。隠す事じゃないしね。
「そう」
先生は、そうひと言呟くように返事をしただけで黙ってしまった。他になにか言った方がいいんだろうか。授業あるし、このまま出て行っていいのかな。
あ。そういえばノートに名前とか書かないといけないんだっけ。たしか入口の辺りにあったような。
周囲を確認すると、記憶の通りに入口のところにノートとペンが置いてあった。あれだ。
もう一度、ぺこりと頭を下げて、私はノートに記帳するために移動した。
右手を怪我してしまったので、左手で苦労しながらクラスと名前を書いている途中、また保健の先生から声を掛けられる。ただし私にじゃない。
「…ムーア・ロッド子爵は、王太子付きの近衛だと記憶しているのですが。前回も彼女の付添は貴方だったと思うのですが、なぜ王太子付きの貴方が常に彼女の傍にいるのですか?」
その言葉に、ずっと私の後で控えていたムーアさんがじっと保健の先生を見返す。
それは単なる世間話なのかもしれない。単なる好奇心かも。それとも─?
「…今の私は王太子付きではなく友木りん嬢付きの護衛です。そして…」
──そして?
私の上で会話を交わしていた背の高い大人の男性陣からの視線を感じると共に不思議な沈黙が生まれる。ん?
「友木りん嬢の崇拝者。いや求婚者ですよ」
その口調を柔らかで甘いものに変えて、ムーアさんが答える。
ごふぅっ。冗談にしても、いきなり何を言い出すのか、この人は。
焦っているのは私ひとりだ。
渾身のジョークに満足げにしているムーアさんはともかく、それを聞かされた保健の先生も別に笑うでも困るでもなく何故か真剣な顔をしている。
「そう、ですか。では、王太子…いや、国と彼女なら、どちらを取りますか?」
………なにこれ? 大人乗りツッコミ? こっちの世界ではこういう風に子供を揶揄うのって普通なんだろうか。
おもわず胡乱な目で二人を見てしまう。二人掛かりで揶揄うとか許せん。
文句つけちゃると思ったのに、何をどう言ってやればいいのか言葉にならないで口をぱくぱくするだけの私を横に、質の悪い男どもはお互いから視線を外さない。ぐぬぬ。
「それを訊いてどうするんですか?」
「どうしようかなと思っているところです。…あぁ、断っておきますけど別に彼女の新しい崇拝者として立候補しようというのではありませんよ?」
「それならいい」
いいんかい!!!
はあはあ。横で聞いているだけでダメージ喰らうな、これ。無駄に疲れる。
「私は、りんさんの為になることを一番に考えているつもりです。それが、例え貴族としての自分を裏切ることになろうとも、この想いに背くつもりはありません」
?! なんだろ。乗りツッコミに、更に乗った感じ? ボケにボケで返してるっつーか。ほんといい加減にやめて欲しいぃ。
「…そうですか。悪かったですね、引き留めたりして」
私を十分おたつさせて満足したのか、保健の先生がくるりと後を向いて自分の席に戻っていった。なにそれ。
廊下に出ると思わず叫びたくなった。しないけど。
憮然とした表情の私に気が付かないまま、いつものように優しくムーアさんがエスコートしてくれる。むぅ。少しは気が付いてくれてもいいのに…って。だめだ、これ。私ったらムーアさんにこんなに自然に甘えちゃってる。
言葉にしてない気持ちを察してくれないことに怒るとか。
どんだけだっつーの。
まだ知り合って2か月程度なのに。血の繋がった家族に対してより甘えてどうする。
私は自分で立てる大人になるんじゃなかったのか。
ちゃんと自分ひとりで立ててこその自立だ。お金云々だけじゃない。
それが出来て初めて、私は自分という存在を好きになれる気がしている。だから。
気合を入れ直して、足を進める。
「昨夜、殿下にマナーの授業全然やってないって意地悪言っちゃったのに、私が遅刻しちゃ駄目ですよね。急ぎましょう」
でも淑女らしくね。廊下は走らないよ。ギリセーフって辺りでね。
今日の午前中は、マナーの授業だけど実技ではなく座学ということだったので指定されていた自習室へと向かう。
実技はダンス室で練習用のドレスに着替えて行うことになっているけれど、座学は参考になる資料を持ってくるのも楽だということで図書室の近くで行うことになったらしい。
入り口の前に立つ、デビット・グエンに軽く会釈を送り、ドアをノックすると、誰何する声が掛かる前に内側からドアが開けられた。
「りんたん、大丈夫だった? 乙女の柔肌に傷をつけるなんて、あいつ許さないわ!」
がばり、とエリゼ様に抱擁された。ぐえ。
「遅くなりました。申し訳ありません」
エリゼ様を無視して後ろで微妙な顔をしているケルヴィン殿下に声を掛ける。
授業進んでいないって文句言っておいて自分が授業に遅刻するとかね! 最低だよね。てへ。
「いや。あれは私が悪かった。怪我は大丈夫か? …魔法で、治さなくていいのか?」
最後の言葉はこそっと小声で囁かれる。学園に治癒については報告してないもんね。そりゃ小声になるか。
「はい。私、演技とかできないし治ってたら普通に手を使って変な顔されちゃいそうですし」
ノエル先生に罪悪感を憶えさせて色々と譲歩させる…のは無理だな。うん。
でもせっかく治療して貰ったし。大して酷い怪我という程でもないからいいかなと思う。
私がそう告げると、ケルヴィン殿下は小さく笑って頷くと私に貼り付いたままだった婚約者を、べりっと剥がした。
「マナーの授業を始めようか」
「ありがとうございました…」
一時間半、みっちりと将来所属することになってしまっている魔法師としての挨拶の仕方とか手紙における文言的な挨拶についてだのだけでなく、ラノーラ王国における貴族順位や王宮の組織関係図についてだの、一気に音読させられ続けて疲れ切ってしまった。
ノートに書き取りは、右手を怪我してたので左手でミミズがのたくったような字を書いてたところを見たエリゼ様が「手伝ってあげる♡」とか言い出して後ろから圧し掛かるように二人羽織り状態で板書を取ろうとしたので、「結構です」と断固拒否していたところでケルヴィン殿下から「今日は音読のみでやろう」という判断が下されたのだ。
勿論、エリゼ様のブーイングは凄かった。それだけは報告させて戴こう。
という訳で、授業が終わるまでの間、延々と殿下が指示する部分とか殿下の書いた板書を読まされ続けていた訳ですよ。
とにかく、疲れた。まだ半日しか過ぎてないとは思えない程、頭の中も心もへとへとだ。
「お疲れ様。ランチにいきましょう」
そうエリゼ様から声を掛けられても放心状態でなかなか席を立てなかったくらいだ。
「あぁ、そうですよね。お昼休みですもんね」
ぐったりして上体を机の上に倒していた私は、のそりと顔だけ上げてエリゼ様に答える。でも動く気になれない。
頭の中で、難しい言葉とか使い慣れない謙譲語とか時候の挨拶だの礼の仕方だので一杯になっててぐるんぐるんしてる。今無理したら何かが零れ落ちそう。
でもお昼休みに自習室で勉強する人も多いもんね。いつまでも占領している訳にもいくまい。
諦めて筆記用具などを鞄に詰めて席を立つ。
「大丈夫ですか?」
へにょんと眉を落として心配そうな顔をしたムーアさんに覗き込まれる。
それに笑顔で頷いておく。
「大丈夫ですよー。今日のランチはなんでしょうね?」
そう言って、皆と一緒にカフェテリアに向かうべく自習室を出たところで思い出した。
「あー。返さなくちゃいけない本があるんです。先に言ってて貰えますか?」
私が立ち止まって図書室へと足を向けると、ムーアさんが「ご一緒します」とついて来ようとするのを「本返すだけですもん。すぐ済むので先に行っててください」と押しとどめる。
そんな私に、少し困ったような顔をしたムーアさんだったけど、無理について来ようとまではしなかった。
エリゼ様たちに軽く手を振って図書室へと入る。
鞄の中から借りっぱなしだった本を取り出してカウンターに向かう。
それにしても、ムーアさんからは大丈夫だって聞いてるけど、やっぱり日本人としては返却日を過ぎてるって言い出しにくいなぁ。
でも、皆を待たせているんだし。躊躇ってる時間は無いなと思い直して本を両手で胸に抱きしめるようにしてカウンターに声を掛けた。
「すみません。このほんの返却をしたいのですが、実は返却日を過ぎてしまってて」
最後の方になるにつれ小声になってしまった。気まずい。
しかし、そんな私に全く意を介さない態度で、職員の人が本を受け取ってくれた。
「はい。確かにお預かりしました。…返却期日になってもまだ読み終わっていないようでしたら、本を持ってこなくてもここに申告に来て頂くだけで延長手続きを取る事も出来ます。友木りん様の場合は返却がされないままですと後見人のゴードン公爵家へと連絡が行ってしまいます。そちらに新しい本の購入について話が行くのは、お立場から考えてあまりよろしくない事と思いますので、自己申告を忘れないようにして下さいませ」
丁寧に説明された上、深々と頭を下げられて居た堪れない気持ちになる。
「はい。いえ、きちんと返却日に返せるように気を付けます。でも教えて下さってありがとうございました」
同じ位深々と腰を折って頭を下げる。でも私より先に頭を下げていた職員さんが、私が身体を直してもまだそのままの体勢だったので、ついもう一度頭を下げる。
そのまま謝罪合戦もどき(持久戦)になってしまった。
カウンター越しに二人で頭を下げたまま向かい合う。
そこに、耐えきれないとばかりに笑い声が響いた。




