78時限目
すみませんすみませんすみません
貸出期間は自動で延長になると聞いてそのまま借り続けちゃおうかなと思わなくもなかったけれど、でも汚しても困るし一旦返却することにする。
でも、返すのは放課後にすることにして、それまで時間のある時に少しでも読み進めておこう。
とりあえずは朝のホームルームが始まる前、担任であるノエル先生が来るまで斜め読みしようと机の上にそれを広げた時だった。
「My dearestりんたん、おはよう♡」
べっとりと、その人が私の背中から張り付くように抱き着いた。
「エリゼ様、おはようございます」
ぐいっ、とその頬を押しやりつつ朝の挨拶を交わす。
「あん♡ 今日も私の推しが私にやさしい♡」
「どこがですか!」
見目も頭もこんなにいいのに。この公爵令嬢は、目だけじゃなくて脳みそも腐ってるんじゃなかろうか。
ぐいぐいと抱き着く腕の力を込めてその腕に封じ込められそうになるのを必死の力を振り絞って引き剥がしにかかる。
くぅ。力強いな。
さすがだ。やっぱり筋トレは欠かさないタイプなのだろうか。爪先だけで歩けるのも、上体を一切揺らすことなくカーテシーがとれることも、何曲も続けてダンスを踊ってもどこまでも軽やかでしなやかな動きのままなのは、その成果だろうか。
くそっ。クラスメイト達がドン引いているのが判って辛い。
昨日の今日だもんね。
皆の中でだって、隣国の皇太子たるガーランド様とムーアさんにデロデロに特別扱いされたばっかりな筈の私の記憶はまだ新しいに違いない。それなのに、翌日には皆の憧れエリゼリア・ゴードン公爵令嬢に抱き着かれている平民ってどういうことって思うよねぇ。
私だってそう思うもん。
「だって。そうやって押しやって貰えるからこそ、一層つよく抱き寄せられるんるん♡」
意味が判らない。が、思わず「それなら押しのけなければいいのか?」という疑問が頭を掠め私の反抗する腕から力が抜ける。
「あぁん♡ やっぱり私のヒロインは、素直でかわいいん」
ぎゅむぎゅむと後頭部に頬を擦り寄せられた。んがっ!?
騙された!!
そしてなにより。く、苦しい!! 力いっぱい抱き着かれたせいで、制服の襟元が引っ張られて息が苦しい。
ばんばんとエリゼ様の腕を叩いて知らせるも、なんか妙に興奮しているのと本人が私の後ろにいるせいか気が付いて貰えないようだ。
もう、だめだ…そう思った時、声が掛かった。
「……エリゼ。それ位にしてやれ。りんの魂が抜けかかってる」
婚約者である王太子の声に、「しょうがないわね。今朝はこのくらいで許してあげるわ」と意味の判らない言葉を口にしながらエリゼ様が私から離れた。
けほけほと咽喉を押さえながら天の助けに向かって声を掛けた。
「ケルヴィン殿下、おはようございます~。そして助けてくださってありがとうございます~~」
でもできればもう少し早く救出して欲しかったんですが?
すこしジト目でそういうと、苦笑した殿下が目で許せと伝えてきながらも口では「おはよう、りん」とだけ答えた。
その顔を、ふと見直す。
いつもは傲慢なほどに王太子殿下してるケルヴィン殿下がどこか疲れて見えた。目の下にはうっすらと隈があるし、華やかなハニーピンクの髪が萎れてみえるようだった。
徹夜明けっぽい? なんだかそこに立っているのも億劫そうだ。体調悪いのかな。
「あの、殿下…」
体調悪いなら保健室へと言おうとしたところを遮られた。
「…目下の者が気安く上位の相手に話しかけるのはマナー違反だ。平民ごときが殿下に話しかけるなど。無礼にも程がある」
いつの間に教室へ入ってきていたのか、ノエル先生に朝っぱらからお小言を貰う。うへぇ。そう思った時だった。
バシッ。
殿下に向かって差し出そうとしていた手を、先生が手に持っていた生徒名簿の角で叩き落された。
「っ痛」
あまりにも勢いよく叩きつけられたので、手が後ろの席の机と名簿で挟まれた感じになったっぽい。
手の甲が赤くなって腫れていた。洒落にならん痛さだ。
自分でもやり過ぎたと思ったのか、ノエル先生の顔色が変わる。
そうしてもう一人。いや、ふた…三人ほど顔色が変わっていた。
「…このクラスの担任を辞めたいならいつでも理事長にそう伝えておくぞ?」
ケルヴィン殿下が冷静そうに切れて言えば、エリゼ様が
「いいえ。続けたいと言われても、我がラノーラ王国の王立である学園には、生徒に対して暴力を揮うような教師はいらないのではありませんか?」
そう語気粗く断じる。
そうして、私達三人のやりとりを教室の後ろから微笑ましく見守っていたムーアさんがいつの間にか傍に立っていて、ノエル先生を後ろ手に取り押さえていた。
「は、放せ」
青い顔をして藻掻くものの、たかが教師に、現役騎士様であるムーアさんの拘束を解ける筈もない。
「放すさ。この学園から…いや、この国の貴族制度からでもいいぞ?」
殿下のその言葉に、顔を青ざめさせながらも強気な態度を崩さなかったノエル先生の身体から力が抜ける。その顔は青を通り越して白く見えるほど血の気がない。
さすがにこれは不味かろう。
私は慌てて1対3で睨みあう間に身体を滑り込ませた。
「あ、あの! こんな手は大したことないので! 気にしないでいいんじゃない、かなーって」
えへ? と腫れた手を身体の後ろに隠して告げる。
すると、立ち位置的にどうしても私の斜め後ろにいたムーアさんがその手を取り、眉を寄せて呟いた。
「こんなに腫れて。申し訳ありません。側付き騎士として私は自分が不甲斐なく思います」
目が本気で怖い。
あ。ちなみにノエル先生は今、後手に廻された両手をムーアさんに片手で握り込まれた上に、膝に背中を押さえつけられて「ぐえぇぇ」と肺の中の空気を押し出されて死にそうになってます。私の手なんかよりいろいろずっと痛そうだ。
「私が、貴族間のマナーを知らなかったことが発端なんですし。あまり大事にしないで貰えると嬉しいです。それにこんな傷ならすぐに…あ」
ムーアさんに睨まれて思い出した。
そだった。私の魔法で回復が出来る事はできるだけ内緒にする方向でっていわれていたんだっけ。やばいやばい。
「すぐに、…すぐに保健室へ行けばいいだけですよ!!」
これだ! うんうん。間違いない。
ドヤ顔している私に、殿下やムーアさんがそれまで詰めていた息を大きく吐きだす。うん。やっぱりこれで正解だったっぽい。
「りんがそういうなら。学園内では生徒間において平等であり身分の上下はない。次はないと心しろ」
ケルヴィン殿下が高らかにその言葉を告げると、ムーアさんも諦めたようにため息を吐きながらノエル先生を解放する。
拘束が解けた途端、当のノエル先生は忌々しそうに私を睨みつけ手首を擦りながら教壇へと戻ろうとした。
「ノエル・ギダフ教諭。教師らしく、自らの間違いを正したらどうだ?」
ケルヴィン殿下が言ったのに。なんで私が睨まれなければいけないんですかね?
まっしろけだった顔を真っ赤に染め上げた鬼の形相をしたノエル・ギダフ教諭(フルネーム初めて知ったよ!)が、血管切れちゃうんじゃないかと思う程、その顔面を硬直そして血管をぴくぴくさせながら、私に振り向く。
食いしばった口元からは、歯ぎしりの音がぎりぎりと聞こえてきたところで思わず「ひっ」と小さな声を洩らした。怖ぇぇぇ。
貴族であることに誇りを持っているノエル先生にしてみれば、生意気な平民に制裁を下すことはなんら問題のない行為なのだろう。なのにそれに対して謝罪を要求されるなんて、超絶苦行なんだろうなぁ。
つか、謝罪するように要求したのは殿下なので、その顔で睨む相手は私じゃないんじゃないかと思うんだけど。
まぁ、ちゃんと謝って貰う事に否はないんだけど。
「…暴力は、拙かった。だが、生意気なたい…あっいえ、そのなんでも」
最後っ屁を噛まそうとしたのか謝罪もそこそこに私への厭味を言おうとしたノエル先生が慌てて教壇へと逃げていく。
なんだろ、と思って後ろを確認すると、いつの間に私の後ろに回ったのか、エリゼ様が強引にノエル先生と視線を合わせる角度に立ち、ものすごい表情で睨みつけていた。ひえぇ。
あー。そういえば、ノエル先生も、デビット・グエンと同じでエリゼリア・ゴードン公爵令嬢のファンなんだっけ。憧れの令嬢にこんな蔑んだ憎々しげに睨まれたら死ぬるな。うん。
そうして私は、保健室へと連れて行かれるのであった。とほほ。2回目。
「大丈夫ですか?」
廊下に出たところでムーアさんに声を掛けられる。そこへ教室の入り口で立っていた殿下付き騎士のデビット・グエンに声を掛けられた。
「ちょっと怪我しちゃって。大したことないんですけど、念のために保健室へ行こうかと」
せっかく悲鳴とか上がらなくて(みんな息を詰めててそれどころじゃなかったっぽい)大騒ぎにならずに済んだので、教室内であったことを誤魔化す為に軽く説明をすると、空気を読まない男デビット・グエンが大きな声で言った。
「なんだ。それならお前が自分で治…ぐえっ」
どすっ。
なんと! ムーアさんが問答無用にデビット・グエンの腹を殴った。
い、痛そうというか苦しそうだ。
ため息と共にムーアさんが小さく何かを呟くとキーン、と不思議な共鳴が鳴って先ほどまで聞こえてきていた教室内の声や外の音が聞こえなくなった。
「私達の周りにだけ消音を掛けました。学園へ報告してある友木りん嬢の魔法は解呪のみです。不用意にそれ以外のことについて口にしないように」
おぉ。そういえばそれもあったね。えへ。私も忘れてた。
「…すまん。いえ、申し訳ありません」
意気消沈して殴られた腹を抱えるデビット・グエンの姿に思わず同情する。
でもまぁ仕方がないよね、うん。
「あと、りんさんを”お前”と呼ぶな。いい加減、私達近衛が傍付きになるお守りすべき対象なのだと心得ろ」
その言葉に、デビット・グエンだけでなく私まで思わずムーアさんの顔を見上げた。
「殿下から同列に扱うように言われた意味を心しろ。仕えるべき王族のお言葉に従えないなら近衛を辞めるんだな」
そこまで言い切ると、ムーアさんがまたなにか小さい声で呟く。すると再びキーンと不思議な感じがして、周囲に音が戻ってきた。
ムーアさんの言葉に顔面を蒼白にして狼狽えているデビット・グエンを置き去りにして、ムーアさんに腰を支えられて保健室へ向かうよう促される。
思わず顔を見返したけれど、何を言えばいいのか言葉も見つからない私は、結局ムーアさんに促されるまま、教室を後にした。
そのまま廊下の角を曲がるまで無言でいたムーアさんが、自嘲するように小さく息を吐いて謝ってきた。
「すみません。先ほどの教室での件と合わせてだったもので、少し過剰に反応してしまいました」
その言葉に慌てて顔を横に振った。
「いえ。私こそ、いろいろ忘れていてごめんなさいです。ムーアさんがいてくれなかったらいろいろボロが出て大変なことになってるんじゃないですかね、私」
えへへ。うん、間違いないな。
「やらなくちゃいけない事も、やっちゃ駄目な事もいっぱいあって。ありすぎて。頭の中が飽和状態なんですよねぇ」
私の言葉に、ムーアさんが足を止める。
「……私達は、りんさんの負担になってますか?」
見つめてくるスカイブルー瞳は真剣そのもので。
いつもの、目尻の下がった人好きのする視線とは違う、どこか寂し気なものだった。
窓の外で鳴く蝉の声がやたら耳につく。
そうか、夏なのか。窓から差し込む光がやたら強くて、だからこそできる影が一層濃く見える。
遠くから聞こえる、男子生徒たちの掛け声。
雲が通ったのか、竜が飛んでいるのか。悲しそうなムーアさんの顔に、濃い陰が映り込んで消えていく。
「皆さんには感謝しかないですよ。…あ。やっぱ、一部迷惑を蒙っていると言ってもいい気はしますけど。エリゼ様とかエリゼ様とかエリゼ様とかね!」
今朝も酷かった。まぁ、あれがあったからクラスメイトが遠巻きに声を潜めてくれていた気もする。うん。
「皆でどこかに遊びに行きたいですねぇ! パーッと! 廃油石鹸の旅から帰ってきたばっかりですけど」
えへへと笑う。
でもさ、なんかさ。
私がこうしてこの学園に通うのは一年間だけだ。ケルヴィン殿下とエリゼ様もあと一年で卒業する。
つまりは、一緒に学生として夏を過ごせるのも、この夏限りということだ。
「学生らしい思い出欲しいんですよねー」
私は、そう笑っていって保健室へと向かった。
こんなに長く放置したお話を忘れずに読みに来て下さってありがとうございますです(平伏)
ブクマも評価も誤字報告も、いつも感謝しておりまする。
とても嬉しいです。これからもよろしくお願いしますー!




