70時限目
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「まぁ貴族になるとはいっても領地が与えられる訳でもない一代爵だ。今から気負うこともないだろう」
”イチダイシャク”って何だろうと首を捻っていると、ムーアさんがそっと横に来て教えてくれた。
騎士や魔法師など国を守る立場に就いた者に対して与えられる爵位なので代々続いたりしないものなんだって聞かされてちょっとホッとした。だって、この学園にいる間の日当を受け取る代償として働くことになっただけだもん。私が魔法師として所属しなくちゃいけないのって、2~3年程度のことなんじゃないかな。長くても5、6年と言ったところでしょ。
魔法師を辞めたら返上できるんだろうし、それ位ならそんなに気にすることでもないのかもしれないと、ちょっと気が楽になった。
「よかった。領地経営とか無理すぎるって思っちゃいましたよー」
ふぅ、と胸を撫でおろす。そんな私にクロティルド先生は鼻で嗤った。
「友木りん、お前はそんな遠い未来の事を心配するより暴発させずに魔法を自在に使えるようになる努力をすることが先だな」
ぐはっ。正論きた。
席のすぐ前で、腕を組んで仁王立ちするクロティルド先生から見下ろされて、浮ついた気分が一気に醒めた。
「ハイ、全くソノ通りデスネ」
今の私に必要なのは障壁魔法とか伝言魔法みたいな高度な魔法より、光の玉の使い方ですよね。知ってた。
まぁそうだよね。闇属性の魔力を上手に使う方法も覚えないといけないし、どんなスポーツでも基礎が大切だっていうし、きっと魔法の使い方も同じだろう。
「まずは長時間操る。それができるようになったら光の玉の個数を増やす。次は複数を長時間。それができるようになったら」
指を使って、課題となる魔法操作を上げていくクロティルド先生を見上げる。
で。それができるようになったら? その次の課題はどんなものだろう。
「複数の光の玉に違う動作をさせるんだ。それを長時間できるようにする」
それは…要求レベルが高度すぎやしませんかね?
初心者には無理すぎると思うんですけど。
「ティリー先生、りんさんはまだ魔法を使うことを意識して半月です。今はまだ、あまり遠い目標を立てる必要はないのではありませんか?」
ムーアさんの言葉にコクコクと頷いた。あんまり難しいことを言われてもできる気がしなさすぎてやる気が起きなくなりそう。
そんな気弱なことを考えている私の弱い心を、クロティルド先生が笑って一蹴した。
「最終地点ですらない途中目標だぞ? それをどこに定めるかはその人次第ではあるが、考えつく最高到達地点をそれにすることが無謀だとは思わない。目標を持つことは努力する上で必要なことだ。
自分が成したい事をなす為に、何をどうできるようになることが必要か、その指針があれば努力の方向を間違えなくて済む」
努力の方向、かぁ。
そうは言われても、その目標地点へ到達できる気がしないのは問題があるんじゃないかと思うんですけど。どうなんでしょうね。
クロティルド先生の言葉に納得できないでいる私に、先生が問い掛けた。
「りん、お前の目的は”皆を守れる障壁”なのだろう?
その障壁は何から守るものだ?
剣による物理攻撃か? 魔法によるハリケーンか?
それはどれほどの衝撃が加えられるものだ? 体験したことはあるか?
その暴力をどう防ぐ?
受け止め耐えきるか? 力を反らすのか?
吸収し消し去るのか? 霧散させるのか?
それはどうやって為される? 障壁の素材は? 硬度は?」
どうだ? と矢継ぎ早に聞かれて目を逸らす。
体験したかなんて言われても、黒い獣の攻撃なんて掠っただけで死んじゃうよ。
…そう思った瞬間、ムーアさんのあの傷が頭に浮かんだ。
抉られてギザギザになった傷。噴き出る真っ赤な血と。
──真っ青になった綺麗な顔。
怖くてぎゅっと目を瞑る。あれはすべて白い竜が無かった事にしてくれたけれど、でも実際に起こったことだ。
ムーアさんの背中から傷は無くなっても、私の中にそれは今もある。
私がそれを弾いて消せたのは一度だけ。
しかもちゃんと覚えている訳ではない。
憶えているのは、タマちゃんによるそれだけだ。
でも、それがどうして成り得たのか、どうやって防ぎ壊したのかまでは判らない。
「…判るけど、判りません」
なんとか言葉を紡ぎ出したけれど、声が震えて強張る。
守りたいと思う、それは間違いないんだけど、『私ごときに守れるなんてできる筈がない』とも思ってしまう。
何より、怖い。
恐怖が先だって実行できる気がしない。やだな。なんで私はこうなんだろう。
震えて俯いている私に、やさしく声が掛けられた。
「蔓ムラサキ草の花弁に溜まる朝露を見たことはあるか?」
ゆっくりと顔を上げて、質問の意図が判らないままゆるゆると首を横に振った。
「ツルムラサキソウ自体がどんなものかも知らないです」
花壇に咲いてる花だろうか。王宮で招かれたお茶会の席でみた薔薇の蔦が絡まるガゼボの脇には色とりどりの草花が植えられていた。名前も知らない花ばかりだったけれどどれも綺麗だった。
「では、冬のシャースリ湖の結氷はどうだ?」
これも知らないので首を横に振る。
「シャースリ湖がどこにあるかも知らないです。それと、”ケッピョウ”ってなんでしょうか」
知ったかぶりをするよりマシだろうけど知らないだらけを晒すのは、やはり恥ずかしいし切ない。
私が再び視線を下げると、その頭の上から優しい声で答えが下りてきた。
「蔓ムラサキ草はこの国のどこにでも見られる野の花だ。ムラサキというが藍色と言いたくなるほど濃い色をした花弁をしている小さな花だ。
初夏の今時期、早朝だけ花が開く。日が高くなって気温が上がると閉じてしまうので寝坊助には見られない花だな」
もしかしてフィル草の横に咲いていたかもしれない。
でもそこに朝露が溜まっていたかどうか。全然記憶になんかない。
「シャースリ湖は王都郊外にある森の中にある。小さな湖だが寒い冬の数日だけ凍りつくことがある。めったにないが凍った湖面に陽が射す様は美しいぞ」
私がこの世界に来たのは去年の春で今年の冬は暖冬だったそうなので、湖が凍るほどの寒さは体験していない。
「友木りん、この世界を好きになってくれないだろうか」
はっとして見上げる。そこにあったのは、矢継ぎ早に問い掛けてきた時とは違う、静かな湖の様な碧い瞳だった。
「世界といわれても漠然としすぎていて困るか。
そうだな、まずは個人からでもいい。人が嫌なら道端に咲いている花でも、まぁ綺麗な服でもアクセサリー類でも、美味しいケーキからでもいい。
この世界に”好き”を増やして知っていって欲しいと思う」
聞くまでもないがケーキは好きだろう? と笑われた。くっ。悔しいけどその通りです。
でも。なんだろう。
「世界を知るには興味を持たねばならない。興味を持つにはそこに好意がある方がいい」
紡がれていくクロティルド先生の言葉が、私の中に落ちてくる。
ラグさんのいう『この世界で生きていく自分を好きになって』を、もう一度言われ直したような気がした。
「この世界を知らないままでは、力へと願い祈る道筋が不明瞭となる。
りんは、ムーアの伝言魔法を見たことはあるか?」
ある。あります。あれが私の中での魔法初体験でした。いや、タイガの解呪とかね、自分で使ったみたいだけど自覚無いし。納得できてなかったから。
「綺麗でした。可愛くて」
金魚ちゃんの可愛らしさは、いま思い出しただけでも心が震えるほど感動した。
私もあんな風に綺麗で可愛い魔法を編み出してみたい。
「あれは空気中から水分を集めて行うらしい。しかし、それを力に願う時、りんならどう願いを立てる?」
えっと…水分集まって? うわっ、ダサ。直球すぎるだろ、自分。センス無いな。
「細かく、正確に。力へとそれを願うならばそれの在り方を正しく把握して正確に伝えることが重要になる。それができて初めて美しい形で発動できるのだ」
なんとなくだけど、判る気がした。
料理を、ふんわりイメージで作るとポイズンができるっていうのと同じですね?
材料を適当に代用しない。手順を省かない。味見…は、魔法だと練習になるのかな。ちゃんとできるか試運転というか調整を重ねる。
つまりはレシピは正確に、そういう事だろう。
「後は…そうだな。友木りん、沢山の本を読め。
この世界の成り立ちを、力の源たる火・水・土・風・光・闇について知るがいい。
それだけでなく服や食事の作り方、植物の育ち方、枯れ方、動物の生まれる瞬間を知り、人に狩られ肉にされる場を」
くだらないことも高尚なことも全てを知ることで魔法が変わるのだ、と告げるクロティルド先生の顔はとても真剣だった。何よりそれが真実なのだろう。
クラスにプリントを配る方法が、台車を使って教室内を走らせるものになるか、風に乗せて飛ばすか、プリントそのものを魔法で生み出すか。
欲しい結果はすべての生徒に1枚ずつそのプリントを配ること。
でも、自分の魔法として願う形は術者それぞれだ。
その為のイメージも、イメージを形にするための知識もないと、この世界で魔法を本当の意味で使うことはできないのだろう。
一番イメージし易い方法を考えることができた時が、一番魔力消費が抑えられて、一番早く、一番美しくそれを叶えることができるのだろう。
「技術も、知識も、ですか」
私には、何もかもが足りない。そう言い切られたのだと、ようやく判った。
「この世界の理を知ることにより、魔法は格段に変わっていく。発動は素早くできるようになるし、消費魔力は減り、イメージの再現率が高くなる」
なんとなくだけど、私がこの世界について知ることがどれほど重要なのか判った気がした。
「もうすぐ夏休みに入る。友木りん、お前にはこの国のいろいろな場所に出掛けて様々なことについて知って欲しいと思っている。
それは綺麗なことばかりではないかもしれない。しかしそれすらも、この世界を構成する一つの事実、理だ」
クロティルド先生のその言葉を噛み締めている間に、この日の授業が全て終わった鐘の音が聞こえてきた。
「そういえば、今日、夏休みの間の予定表が配られただろう。何か予定は入っているのか?」
筆記も何もしないまま終わってしまった午後の授業の為に用意していたノートなどを鞄に片付けているとクロティルド先生が声を掛けてきた。
「…前にお世話になっていた街の食堂で、下働きをさせて貰えるようお願いするつもりだったんですけど」
でも、どうしようかな。ラグさんからは時間はあるとは言われたけれどバイトに精を出していられるほどなのだろうか。不安になってきた。
世界の理を知る為に世界を好きになれと言われても、漠然としすぎている気がしなくもないし。
でも、この世界の事を知らないままでは好きになりようがないし、好意を覚えないものを興味深く知ることもできそうにない。
おぉ、なんか負のスパイラルっぽいぞ。
「食堂で下働き、か。それは沢山の人や物に出会えるものか?」
どうだろう。すでに一年やっていたけれど私の世界はタイガと女将さんと調理長さんだけだったし。
ここで生きていく為のことをいろいろと教えて貰えた貴重な時間だったけれど、沢山の好きを作るというのは難しいかもしれない。趣味ではなく労働だったし。
「できれば、人でも物でも土地とでもいいから新しいモノに接することができることを優先してほしいと思う。が、お前の時間だ。自分に必要だと思うことに使うがいいさ」
明日は実践棟でな、と声を掛けてクロティルド先生は教練室から出て行った。




