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 魔法学教練室を出て、ムーアさんと二人、並んでひと気のない静かな階段を降りる。

 途中で大きなガラス窓から見える建物を指さしつつ簡単な校内の説明をしてくれるのを聞きながら、慣れない大理石で出来た階段の床の硬さに足元を取られないよう気を付けて一歩一歩進んでいく。

 手を取って貰っていなかったら、すでに2回はこの階段を一気に滑り落ちていたに違いない。そこでふと気が付いた。

「すみません。私、歩くの遅いですよね」

 身長差だけでも30センチ以上ありそうである。そのほとんどが足の長さの差のような気がするほど、隣にいる人の腰の位置は高かった。

「謝る必要なんてありませんよ。

 りんさんと一緒に並んで歩く幸せな時間が長く持てる、

 それは私にとって幸せなことでしかありませんから」

 ふんわりと笑って言われて、胃の奥でなにかが羽ばたくようなざわめきに落ち着かなくなる。なにこれ。

「もちろん、こんな風に、りんさんを抱き上げて運んでいいというなら喜んでお受けしますよ?」

 こんな風に、のところで、さっと私の膝裏と背中に腕を回すと、ムーアさんが軽々と私を持ち上げた。うわっ。これって…これって、おひめさまだっこというものでは?!

 私を軽々と抱えたまま、ムーアさんは颯爽と階段を駆け下りる。ひえっ。

 慣れない浮遊感に思わず目の前にあった首にしがみついた。

「うわっ。あの、その、だめです。おろしてっ」

 緊張に手足をガッチガチに固まらせたまま、どうにか下ろして貰ったけど、そのまま私は動けなくなった。うっ。頑張らないとそのまま床にへたりおちてしまいそうだ。

 そんなへたれた状態の私に、ムーアさんは手を貸し、支えてくれる。

「すみません。調子に乗りすぎましたね。つい楽しくなってしまって」

 へにょんと眉を下げながらも、なぜか楽しそうに瞳を煌めかせながら謝られても、謝られているというよりも愉しそうだなーとしか思えないよ。むぅ。

「…あんまり揶揄わないで下さい。こっちは慣れてないんですからね!」

 ぷいっと横を向いて拗ねてみせる。

「では私と一緒ですね。私も、こういうことに慣れているとはいえないので」

「…嘘」

 ぜーーーったい嘘だ。

「ひどいな。私はりんさんに嘘を吐いたりしませんよ?」

 くすくす笑うその姿自体が、もうね、こういうことするのに慣れてるって感じがする。

 そういえば、婚約者いたんだっけ。

 いつの間にか解消してたみたいだけど。

 ──その人とも、こういう風に巫山戯たりしたのだろうか。


「ムーアさんて、カート先生と仲良かったんですね」

 話題を替えたくて、思いつくまま疑問を口にする。

「ティリー先生ですよ、りんさん。

 カートはファーストネームのカーティスの愛称ですからね。

 個人授業を受ける上に、ファーストネームを許し合うなんてことになったら、邪推されかねませんよ」

「そんなものですか?」

 確かに先生のお気に入りどころか依怙贔屓だっていわれて大騒ぎになりそうだ。

 でも…うーん、ティリー先生と呼ぶのも何故か躊躇われる。

 その内慣れるだろうし、やっぱりクロティルド先生と呼ぶことにしよう。

「そうですよ。それに…、私が嫌なので」

 それでは理由になりませんか? とか聞かれても、困る。

 動揺に目が泳ぎっぱなしになった私がよほど面白かったのか、ムーアさんが堪え切れないと言わんばかりに噴き出した。

「ひどい。また揶揄いましたね」

「りんさんが可愛すぎるからいけないんですよ」

 むっきー。小さい子供扱いもいい加減にして欲しいのよね。こちとら花の17歳、女子高生…この学園って高校じゃないのか。女子学園生? 語感悪っ。

 照れ隠しにそんなことを考えていた私のことを、目を眇めて横目で見ているムーアさんの方には、絶対に視線を合わせないよう気を付けながら先を急ぐことにする。

 そうそう揶揄われてなんてあげないんだからね。


「ここを曲がったらカフェテラスですよ。

 あぁ、殿下たちがこちらに気が付いたようですね」

 視線の先、窓の外にみえるオープンエリアに殿下とエリゼ様が席を取って待っていてくれるのが見えた。

 カフェテリアエリアに入る前に、ちょっと洗面所に寄らせてもらって手も洗った。

 緊張で手汗とか酷かったからね。とほほ。

 そこで私が目にしたもの、それは──

「ムーアさん、石鹸がありますよ!」

 洗面所から出た私は、興奮して開口一番そう告げた。

 そうなのだ。石鹸だ。フィル草パウダーではなく正真正銘普通の固形石鹸がそこには常備されていたのだ。

「石鹸は、庶民の間は珍しいのですか?」

「そうですよ! すっごく高いし、品薄だからお店に並んでいることも少ないんですよ」

 だから私のような貧乏人は、家の周りにフィル草を植えておいて、その葉を摘んでそのまま揉んで使うし、もうちょっと余裕がある層の人たちは乾燥させたフィル草をパウダー状にしたもの水で溶いて使っている。

 引っ越してからの私も、フィル草を植えておく場所がないのでパウダーを購入している。洗濯物も、髪や身体を洗うのも、全部これだ。

「りん、授業おつかれさま。なにを興奮して話していたんだ?」

 いつの間にかカフェテリア内のテラス席まで着いていたらしい。

「王太子殿下、エリゼ様、お待たせしてすみません」

 軽く頭を下げて挨拶をした。ムーアさんがひいてくれた椅子に腰を下ろす。

「いま、庶民における石鹸談義を聞かせて貰っていたところです」

 ムーアさんが、預かってくれていた鞄を私に差し出しながら簡単に説明してくれた。

「へぇ。石鹸はそんなに高いのか」

「そうなんですよ! なのに、この学園内では普通に手洗い場に置いてあって吃驚しちゃったんです」

「…そんなに興奮するくらい高いんだ。ちなみに幾ら位するんだ?」

「1個500ギルです!」

 あ。1ギル=1円ね。さすがにお金の単位までは一緒じゃなかったけど、レート的には同等だと思って間違いはないみたい。

「1個500ギル…」

 高いですよね! と同意を求めたんだけど…あれ?

「そうか、それでも高すぎるのか。庶民の平均所得を調べる必要が…」などという声がブツブツと聞こえる。

「りんたん…あのね、私がんばるからね!」

 ガシっとエリゼ様に手を掴まれた。おや??

「安くて、よく落ちて、使い勝手がよくて、いい香りがする石鹸を必ず作ってみせるから! 待っててね」

 どうやら、石鹸を一般的にしたのはやっぱりというかエリゼ様なのだそうだ。

 でも貴族価格というか、庶民が使える価格ということまでは考慮していなかったそうで、品薄になっていることも知らなかった模様。

「エリゼが石鹸を作ってくれて、この国の衛生面は一気に向上した。

 庶民にもそれを使えるようにしたつもりだったが、甘かったようだな。

 自分たち貴族を基準にしないよう、これからは気を付けよう」

 最近の王太子様ったら、なんか変なもの食べたんじゃないのっていうくらい、ちゃんと王太子様してて気持ちわるい…じゃなかった、違和感がすごいんですけど。

「りんさん、王太子殿下は基本的に真面目なんですよ。

 ただちょっと一本気というか、周りが見えなくなる時があるだけで」

 私の顔が疑問符でいっぱいだったのだろう。ムーアさんが自分の仕える主に向かって失礼なフォローを入れていた。

「おい。それはフォローというより追い打ちだろう」

 王太子様としても憮然としながらも心当たりがあるのかそれ以上の文句は出ないようだった。

 鞄の中からお弁当とお茶の入った水筒を引っ張り出すことにした。お腹空いたぁ。

「りんたん、あのね、今日はりんたんに食べて欲しくてお弁当を用意してあるのよ。

 是非一緒に食べて欲しいの」

 にっこりと笑ってエリゼ様が指し示してくれたその先にあるものは、

「…おむすびだ」

 白くない。色が付いていているけど、お米! この世界にきて初めて見た!!

「エリゼ様、お米ですね!!」

 うふふと笑って、エリゼ様が1つ私に手渡してくれたのを「戴きます!」というが早いか齧り付いた。

 いきなりの私の不作法に、王子は呆れ、ムーアさんは微笑ましげに笑い、エリゼ様は鼻高々自慢げに見つめていた。

「…これは。もち米ですね。そして…甘い?」

「食後のデザートというよりも、夜食やケーキやサンドウィッチでは物足りない午後のお茶の時に向いていそうな食べ物だな」

「はじめて食べた味です。そうですか、これが、りんさんの故郷の味」

 感慨深そうに言ってるけど、ムーアさん、それは違うからね? エリゼ様の故郷の味かもしれないけど、私の故郷のお赤飯は全然違う味だから!

 それは、ピンク色をしたもち米と、甘く炊かれた色とりどりの豆でできた、甘いお赤飯(食紅飯?)だった。見た目はゼリービーンズ入りのピンク色したおむすびだ。この国だとカラフルなんだね、お赤飯も。

「りんたんの就学祝い用意したの。お赤飯は必要不可欠でしょ!

 昨日も持ってきていたのだけれど、一緒にランチできなかったから。

 でもお赤飯だけでも持ち帰ってもらえばよかったわねぇ」

 ニコニコと言われたけれど、お赤飯はごま塩派だったので、口の中を走った衝撃がすごい。うぉぉ。目から入ってきた情報から脳みそが期待した味とまったく違う味が口の中で広がると、ほんと混乱するよね。今その状態だ。

 それでもにこにこ笑うエリゼ様を見ていると、それを告げる気にはならなかった。

 きっと、というか間違いなくこのおむすびには善意しか篭められていない。

 お祝いしたい、喜んで欲しい、そんな気持ちが嬉しい。

 ふと、何年か前に、母親が職場の同僚の娘さんが結婚したお祝いなんだって、と栗の甘露煮入りのお赤飯を持って帰ってきたことがあったな、と思い出した。

 あれも甘いお赤飯で食紅で薄い綺麗なピンク色をしていた。

 幸せな恋愛結婚をしたのだと、そのお祝いだというそのお赤飯は、食べると甘くて幸せな気がしたのだった。

 食べ進めて慣れてくると、もち米の甘さと相まって甘く炊かれた豆(これって甘納豆なのかな?)入りのこのお赤飯もアリな気がしてきた。おはぎの亜種とでもいえばいいのだろうか。食べている内に、口の中でおはぎを形成している感じ。

「鶏おこわもあるのよ。お醤油の味が違うから最初は変な感じがするかもしれないけど」

「こっちにもお米あったんですねぇ。私、初めてみました。あとお醤油も」

 赤飯パニックの衝撃も過ぎ、ようやく素直に言葉にできた。

 魚醤はあったし、月の灯り亭でも使っていたけれど、大豆と麹で作る醤油はまだこちらではみたことはなかった。

「お醤油というかたまり醤油なんだけどね。

 お味噌までは作れたの。その上澄みのところを使ったのよ」

 だからちょっと味が違うのよねーと納得できない様子でエリゼ様はいった。

「もち米でも麹ってできるんですねぇ。甘くなりそうですね。

 そういえばお味噌と違ってお醤油って小麦も入るんですよね。

 小麦の割合が増えると薄口醤油になるの。基準になる割合までは知らないですが」

 へらへらと雑学知識で対抗してみる。割合は知らないから役に立つ気はしない。

「…小麦いれるんだっけ。覚えてなかったわ」

 あー。細かい原材料まで完全に覚えてるのは難しいですよねぇ。

「試してみるわ、ありがとう。りんたん」

 試すんだ。すごい情熱ですね、エリゼ様。

 一口に小麦といっても種類は豊富だ。ここの小麦に、あちらの小麦と似た成分のものがあるとも限らない。

 それをどれくらいの割合で仕込むのか、どんな加工をして使うのか、仕込みのどの時点で加えるのかで出来上がるものは全く別物になるだろう。

 そういえば、と小学生の時に行った社会科見学でお醤油工場の記憶を探す。

「あー。小麦は焙煎してた気がしますね。なんか生のままじゃなかったはずです。ベルトコンベアで焼いてたような記憶があります。あれ、蒸し焼きだったかな。

 その前の段階で、ふすまは外してたかなぁ」

 むむん。思い出せない。

「ありがとう。加熱処理してたっていう情報だけでも助かるわ。

 また何か思い出したら教えてね」

 にっこりと笑顔を交わす。食に掛けるその情熱は日本人ならではだね!


「鶏おこわも美味しいですねぇ。もちもちしてて噛めば噛むほど美味しい」

 鶏肉の脂が米にまわってコクが出ている。美味しいとしかいいようがない。

「うふふ。よかった。

 本当はうるち米も探してみたんだけど、こちらでは陸稲で作れるもち米しか見つかっていないのよ。

 それもまだ生産量が少ないから一般に流通できるかはこれからの課題なの」

 すごい。エリゼ様手広い。というかなんたる事業家っぷりなのか。

 同じ異世界の知識を持った、同い年(この世界でね!)の女の子とは全く思えない。

 すごい、これぞ正しい転生チートですね!

「エリゼ様、すごいです。変態なだけじゃなかったんですね」

「おい。俺の婚約者になんていうことをいうんだ」

 あれ、同意してくれると思ったのに。

「うふうふ。いいのよー。りんたんに言われるなら、エリゼ、し・あ・わ・せ♡」



陸稲。水田ではなく畑で作る稲。主にもち米。

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