67時限目
いつも読みに来て下さってありがとうございますなのですv
「さて。あと授業終了まであと30分切ってるけど、もう少し練習…ぐぅぅぅぅうぅぅぅ…はぅっ」
しまった。まさかこんなに盛大にお腹が鳴ってしまうなんて。
石英人形が崩れる原因となったガーランド様との掛け合いの時のダメージ(主に空腹ゲージ)が今になってその被害を訴えてきた。…変な言い回ししてもどう表現してみても、やっぱり恥ズカシイぃぃぃ。
「ぐうぅぅぅっきゅるるるるぅぅ……いやぁぁぁ」
涙目でお腹を両腕で隠す。隠したって鳴るのが止まる訳じゃないんだけど。
「少し早めですけど、着替えてカフェテリアに行きましょうか」
お腹を抱きしめるようにして隠す私を哂う訳でもなく、ムーアさんが優しくそう言ってくれる。ううう。ホント優しい。ここにいたのがガーランド様でもケルヴィン殿下でも、きっとそんな言葉は一切掛けてくれなかったに違いない。
絶対に、盛大に笑われる。
でもその後で、きっと一緒に山盛りのランチを食べてくれる。うん、間違いない。
「…ごめんな「違いますよ、りんさん」」
にゅっと顔を近づけられる。近いちかい近いちかい近い。綺麗な顔を不用意に近づけないで下さいよっ。
「『ありがとう』って言ってくれる約束でしょう?」
ホントにもう。綺麗な顔を不要に近づけて笑顔になんかならないで下さいっていってるのにぃ。
透き通るようなスカイブルーの瞳には、焦ってブサ顔になっている私が映っている。うう。切ない。
「…約束、ではなかったと思いますが」
ちょっと視線を外しながら反抗してみる。くそう。自分よりずっと美人な男の人に目の前に立たれるのがこんなに苦行だなんて知らなかったよ。
俯いていた私の顎に、そっと手が伸びてくる。
うぉっ。そうして少し強引に視線を合わされた。
「ではいま約束して下さいますか? 勿論、私に対してありがとう等と言いたくないなら構いません。受け入れます」
ぐっ。これが話術か。お貴族様の交渉術か、言い回しか。言葉の上では強要してないようにみせかけてその実は自分の要求を強く主張するっていう。
とにかく顎に触れられた手を離して欲しくて要求を呑むことにする。
「…ありがとう、ございま…す」
「そこはできれば笑顔がいいです」
更なる要求を重ねてくるとか。しかもそっちは直球で言っちゃうんだ。
「感謝の気持ちがあるなら褒美を下さい」
私の笑顔がご褒美になるとは思えないんだけどなぁ。でも、ムーアさんのその物言いが面白くて。会話が楽しくて笑顔になってしまう。
ムーアさんの手から自然に力が抜け解放されてからも、私は、私達はくすくすと笑い続けた。なにがそんなに楽しいのかと自分でも思うけど。でも楽しかった。
そうして、ふたりしかいない実習室の中で大きくなっていった。
「では、着替えてきますね」
先にカフェテラスへ行っていて下さい、と声を掛けて実習室から出る。
「好きな人が笑っている顔を見れるのはとても幸せな事だというのは本当なのですね」
その後ろ姿へ小さく呟かれた声に、私は気が付かなかった。
誰もいない廊下を一人移動する。ダンスルームからは小さく音楽や皆の足音が洩れ聞こえてくるけれど人の話し声は聞こえてこない。
そういえば、ワルツのステップも覚えないとなぁ。
まだパートナーと二人並んで歩く練習しかしたことはない。
本当は、今の時間でやる筈だったんだと思うけど、王太子であるケルヴィン殿下とエリゼ様がお忙しいことは判っていたし、仕方がないよなと思う。
一度だけ見た、エリゼ様とムーアさんが二人で歩く姿が頭に浮かぶ。
ふわり、ふわり。ふわりふわりふわり。
蝶が風に乗って舞うような二人の動きを思い浮かべてうっとりとする。
もう何度思い返しただろうか。夢の中のできごとのように優美なその動き。
歩くだけであれだけ優雅な動きをする二人がステップを踏む姿は、どれだけ美しく映えるのだろう。神々しさすら感じちゃうかもしれない。
ドレスを着たエリゼ様は髪も結われて。ムーアさんは夜会服…いや儀礼用の騎士服がいいなぁ。
憧れで胸がきゅーっとする。これがトキメキか。うわっ。見たいぃぃぃっ!!
あぁでも。自分もあんな風に動けるようになれるだろうか。
柔らかく。風に舞うように。楽しそうに。
できたらいいな。できるようになりたいな。
そんなことを考えていたからだろうか。私は自分でも意識しないまま、廊下でダンスを踊るようにふわふわと歩いていたらしい。
どん、と、いきなり背中で誰かにぶつかった。
しまった、と思ったところで背中を支えられて、くるりとターンさせられた。
「ふふ。楽しそうですね。魔法服なのに、頭の中でダンスしてたでしょう?」
吃驚しすぎて謝罪すら忘れてその人の顔を見上げる。
濃い琥珀色の瞳が、興味深げに面白そうな光を湛えて私を見つめていた。
「……また、御迷惑をお掛けしてしまいました」
一学年下の男の子。焦げ茶色の髪がいまは悪戯小僧のような表情をした顔の周りを縁どっている。
前を見ないで歩いていたせいで彼にぶつかり、転びそうになったところを支えて貰ったんだと思うけど。それが、さりげなくダンスのフォールドのような状態になっていることに気が付いて慌てて距離を取った。
腰を支えられてその腕の中で見つめられていたなんて。恥ずかしさに付いてもいないスカートの埃を手で払う仕草をしてしまった。
「あの、本当にごめんなさい。私ったら廊下で前を見ないで歩いているなんて」
上級生として、恥ずかしい。ついさっき、貴族としてのマナーを覚えて一人前になろうって決意を新たにしたばかりなのにと落ち込む。
「ふふ。お気になさらず。でもなんだか久しぶりですね、先輩。…そうだ。お名前をお伺いしても?」
しまった。そうだった。前から名前を教えて貰おうって思ってたんだった。
「失礼しました。自己紹介が遅れました。友木りんと申します。2-Aへ転入して参りました」
覚えたてのカーテシーを取りながら名乗る。なんか今更情報でスミマセン。
目の前に立つ焦げ茶色の下級生は、私の名乗りを受けて胸に手を当て腰を落とした。そうして微笑みながら名前を教えてくれた。
「1ーB在籍のギリアム・ウェルズと申します。では、貴女が”エリゼリア様の約束の姫君”なのですね。ウェルズ家は、かなり遠いですがゴードン家の縁戚なのです」
なにその中二病真っ盛りな二つ名。いや、身に覚えはありまくりますけどね? でもいやあぁぁぁぁっ。
「すみません、ギリアム様。その呼び方は二度としないで戴けますか?」
心臓に悪いからね。そういえば預言者扱いされてたんだっけ、エリゼ様。
顔を青くして願い出る私に、ギリアム様は一瞬目を見張った後そっと微笑みを浮かべて了承してくれた。
「姫君のお言葉に異を唱える者は我が一族にはおりません。今学園に在籍しているゴードン家の縁戚者は私だけですし、ふたりだけの内緒ですね」
くすくすと笑いながら、そっと口元に人差し指を当てて囁く。悪戯めいたその仕草に少しどきりとした。
それよりも、だ。もっと重要な話があるのだ。最優先事項だ。
「姫君もなしで」と重ねてお願いすると、「では、なんとお呼びしたら」と聞かれて少し悩む。
こちらではファーストネームで呼ぶことが多い気がするし、ここで”友木”と呼んで欲しいというのも何度も助けて貰っていることもあって言い出しにくい。
「では、りんとお呼びください」
ちょっとね。あちらで私から名前で呼んでなんてお願いしたことなかったから恥ずかしいんだけど。
でも、ギリアム様はエリゼ様の一族だし。メイさんもゴードン家のひと達は皆味方ですって言ってたしね。
「りん嬢は、ダンスがお好きなのですか?」
誰もいないと思って廊下で踊りモドキをしていたことも内緒にして貰うべきだろうか。そんな阿呆なことを考えながら私は「まだステップの1つも覚えてないんですけどね」と笑いながら頷いた。うん。上手下手は置いておいて、憧れはたっぷりあるし好きだと思う。
でもまだ1つのステップも知らないのだと告白した私に、ギリアム様は悪戯っぽい笑みを深めて訊いてきた。
「りん嬢は、来年年明け早々に学園で開かれる舞踏会のことはご存じですか?」
うん? そういえば年間スケジュール表にそんなのが書いてあったなぁと朧気ながら思い出しつつ頷いた。
そうか。学園でやるんだからきっと成績に反映するんだよね。うわぁ。あと半年で踊れるようにならないといけないのか、と今更ながら気が付く。
やらなくちゃいけない課題が多すぎると思うんですけどっ。
「その舞踏会へのパートナーの名誉を、僕に与えてくれませんか?」
すっと跪かれて焦る。え、そんなの無理だよ。
「学園で開かれるものなのでパートナーは学生同士ってことになるんですけど、まだパートナーをお願いできそうな女の子の知り合いできてないんです」
なるほど。そういえば私もいないや。学園の生徒となるとケルヴィン殿下だけだもん。でも絶対にエリゼ様のパートナーだよね。婚約者なんだし間違いない。
そうか私も誰か探さないといけないのか。
「でも、まだ半年もあるのだし同級生で仲良しの女の子ができるのではないかしら」
私にそんな仲良しの男子が出来る気は、まったくしないけどね!
でも優しいギリアム様なら女子からの人気も高そうなんだけどな。見た目だって悪くないと思う。焦げ茶色の髪はさらさらで、濃い琥珀色の瞳は大きくて、肌の色だって白くて、まるで女の子みたいに可愛いし。あっちの世界でならアイドルにだってなれそうなんだけどな。それとも美形だらけのこの国ではこの程度では普通評価なのかしら。解せぬ。
初対面の校内で迷ってた私に卒なく対応してくれたし、対人スキルも高めだよねぇ。これでモテないとかあるのかなぁ。
「たぶんできないです。僕の家格は低いので難しいんです」
そうなんだ。貴族でもできないんじゃ、私みたいな平民にはもっと無理そうな気がする。でもなぁ。
「…私、家格が低いどころか平民なんですけど」
「大丈夫です。僕はそんなこと気にしません」
あ、そっか。ゴードン家の縁戚なんだもんね。私の事は知ってたんだっけ。
なら…渡りに船、なのかな。うん。ギリアム様にとっても保険みたいなものかも。
でもなー…。
「足を踏んだり、転んじゃったりするかもしれませんよ」
なにしろこちらはダンスなんてフォークダンスしか記憶にない超初心者である。これからステップを覚えようってレベルなんだぜ。
「僕も上手にリードできるように練習頑張ります」
これだけ言っても、差し出した手を引っ込めようとしないギリアム様に苦笑する。
でも、そうだよね。どちらにしろ誰かに頼まなくちゃいけないなら、エリゼ様と繋がりのある方にお願いするのが一番いいのかも。
「もし他に仲良しの女の子ができたら、いつでも言ってくださいね?」
そう言いながら、目の前に差し出されたままの手に、そっと自分の手を重ねた。
正直、あと半年程度で私がちゃんと踊れるようになるのかも疑問だけど、パートナーに恥を掻かせない為だと思えばダンスの練習にも身が入る気もする。
重ねた手をぎゅっと掴まれて引き寄せられて吃驚しているところに、その指先へくちづけされた。ひぃっ。
「約束ですよ。楽しみにしてますね」
にっこりと笑顔になったギリアム様は私の手を離さないまま立ち上がる。
えっと。あの、離して欲しいなぁ。お腹がまた鳴りだす前に。
「では、また」
そっと手を離したギリアム様がくるりと来た道を戻り階段を上がっていく。
あれ、あっちから来た気がしたんだけど、反対側からだったろうか? でも魔法服も来ていないし魔法実践棟から戻ってきたとも思えないんだけどなぁ。
ぐうきゅるるるぅぅぅぅ。
盛大に鳴ってしまったお腹を抱えて周囲を見回す。大丈夫だ。誰もいない。うん。
私は慌てて更衣室へと駆け込んだ。
カフェテラスで待たせているムーアさんのところへ、少しでも早く合流しなくちゃ。
そうして今日こそ、持ってきたチーズサンドを食べるのだ。




