60時限目
「りんたんりんたんりんたんりんたん!!」
「体調の方はもう大丈夫なのか?」
出迎えてくれたケルヴィン殿下とエリゼ様が気遣ってくれる。というか、エリゼ様はあれだな、抱き着いてきただけだな。うん。
「お陰様ですっかりよくなりました。御心配をお掛けしました」
あの羞恥プレイの後、脳みそがオーバーヒートを起こしたのか更に3日も寝込んだ私は予定より4日も遅れてようやく王都へ戻った。
エリゼ様とガーランド様も一緒に残ると騒いでいたみたいだけれど、さすがにクラスメイトの看病という理由だけで学園を休み続けるのは如何なものかと二人には先に帰って貰っていた。
エリゼ様には廃油石鹸についての報告もあったし、ガーランド様は期間限定での特別聴講生という立場もあったからね。サボるのはよくないという判断からだったんだけど、最後まで『ムーアと2人になどさせておけるか』とか阿呆なことを散々喚いていた。本当に阿呆かとしかいいようがない。こっちは体調悪くて寝てるのに。というかメイさんが一緒に残ってくれたから2人じゃなくて3人だっつーの。ホント言い掛かりすぎ迷惑極まりないというものだ。
それにしても帰り道は楽だった。行きはかなり時間掛かった気がするんだけどなぁ。帰りは半分くらいの体感時間だった。寝てたからか。
「荷物用の馬車も一緒だったからな。足並みを揃えるとなるとどうしても遅い馬車に合わせる事になる」
なるほど。帯同した人数も多かったもんね。廃油石鹸の材料とか濾過機とか、いろいろ持っていったしそういうのを乗せた馬車が遅くなるのは当然か。
ふむふむと頷いていると、ケルヴィン殿下が私の顔をじぃっと見つめていた。むしろ観察されてるっぽい?
「……なんでしょう?」
怪訝な顔をしてしまったけど、仕方がない。ケルヴィン殿下の視線がなんかこうにや~っとしか言いようのない探るような嫌な視線だったからだ。
「いや。何かイイ事があったようだなーとな」
なんだそれ。何もないですよ? うん。でもそうだな。
「ケルヴィン殿下。その視線、すっごく、オッサン臭いです」
うげぇ~って声を出しながら目を半眼にして舌を出して見せた。
私のその言い草に、ケルヴィン殿下が顔を真っ赤にして怒る。
「なっ。りん、それは不敬だぞ!」
わはははは。ざまみろ。乙女の顔をしたり顔で覗き込んだりするからいけないのだ。
初めて案内された王宮内のケルヴィン殿下の執務室は、大きな書棚に難しい本がぎっしりと詰め込まれ、執務机の上には書類が積み上げられた如何にもな部屋だった。
「すごい。整理整頓とは無縁の部屋ですね」
というか予算案とか条例草案書とか、マル秘の印がついた書類が散乱している部屋に私みたいな庶民が入っていいのだろうか。駄目じゃないのかな。
「うるさい。ムーアが私付きでなくなってから書類仕事が捗らなくて大変なんだ」
さすがムーアさん、優秀ですね。でもそれって近衛の仕事じゃないですよね?
「ムーアは単なる傍付き近衛ではないからな。私の側近として実務もこなして貰っていた」
それは…別の人物も探すべきではないかと。まぁ私がいう事じゃないな。うん。
「だから早く文官もお探しくださいと申し上げておりましたのに」
ふぅ、とワザとらしくため息を吐きながらムーアさんとエリゼ様が散らばっていた書類を集めて手早く仕訳けていく。よく見ると机の上には『不可』『可』『再考』『戻』と書かれた4つの函が置かれていて、ざっと上から下まで視線を動かしてはその函へと分類していた。
「これはエリゼが導入した方法でな。ざっと読んでみて、案件を完全拒否の『不可』、即対応するべき『可』、検討する価値はあるが即決はできない『再考』と健闘する価値はあるがもう一度案を練り直してから出し直せとする『戻』に分けている」
なるほど。ここに運び入れる前にその判断ができていればもっといいんでしょうけど、あまりケルヴィン殿下の目から遠いところで判断すると袖の下とか増えそうですもんね。
「いつかこの部屋にも私付きの側近を増やしていくつもりなのだが、これという人材を探すのもなかなか難しいな」
それは、学園で見つかるといいですねぇ。
「平民には登用のチャンスはないんですか?」
何の気なしに聞いただけなのに、ケルヴィン殿下が黙る。
「…なるほど。それもありだな」
え? あれ、なに真面目な話なの、これ。
「審査や採用の方法など、これから考えるとなると早くて来年か再来年からになるが、新しいことを始めるにはいつだって今日が一番早い時期、チャンスということだな」
ケルヴィン殿下がニヤリと笑って頷く。
「りん一人で起案書を作れというのは酷か。ムーア、悪いが手伝ってやってくれるか?」
勿論です、とムーアさんが胸に手を当てて頭を下げる。え? なにそれ。
「あの…なんで私に、手伝いが必要なんですかね?」
「そうか。りんは自力で起案書が作れるのか。良かった。では、ムーア、手伝いではなく確認だけ頼む」
「何言ってるんですか、ケルヴィン殿下! ムーアさんも『さすがです、りんさん』じゃないです。私が問題にしているのは”なんで私が起案書を書くことになってるのか”であって、手伝いが必要とか必要じゃないとかいう部分じゃないですからね?!」
これから陛下相手に廃油石鹸とか黒い獣についての報告をさせられるだけでも心臓に悪いというのに、勝手に負担を増やさないでくださいよ。
「だって、我が王国には平民を登用するという考えは全くなかったからな」
お前の世界では普通にあったんだろう? と聞かれれば、「そうですね」と頷くしかない。むしろ世界的に見れば貴族が君臨している国であっても実務レベルは頭のいい平民が集まって施行していることがほとんどだったと思う。
「だったら、実際にそれが行われている状況を少しでも知っている人間が草案を作ることは正しいのではないか?」
ぐぬぬ。ああ言えばこう言う。さすが王太子、口が巧い。下々に言うことを聞かせることが上手だ。
しかし。
「残念ながらケルビン王太子殿下。私は正しくはこの王国民ではありません。国の施策について意見を述べるなど、烏滸がましいことはできません」
いやー、残念だなぁ。はっはっはー。
「この国の民と結婚すればいいだけだ。気にするな」
ガーランドの所には嫁に行かないって言ってたし、それでいいだろうと言われて呆然とする。なんと!
「…ガーランド様と結婚しないって言っただけじゃないです。私は結婚も恋も考えてないって言ってるんですっ!」
こっちの世界の人達って、なんだってこんな事ばっかりいうんだろう。
エリゼ様じゃないけど、ここが乙女ゲームの世界だからなのかもって思っちゃうよね。あれだよね、乙女ゲームって恋愛シミュレーションゲームってことでいいんだよね? 実際にはやった事ないんでよく判んないんだけど。
あっちだと結婚しない恋にすら興味ないという人も多かったから、すぐ恋だの結婚だのと言いだすこちらの人達に違和感しかない。でもあれか、あっちの世界って人の生き方が多様化してたもんね。こちらの女性たちの人生には、”結婚する”しか選択肢はないのかも。ん? それって選択肢っていうのかな。
でもなんとなくだけど結婚については、男女問わず選択肢はなくて人生のルート上には結婚が必ずあって、その前後に”働く”とか”子供を産む・持つ”が、あるだけなのかも。
「あちらでは、男性も女性も一生結婚しないで働く人も少なくなかったんですよね」
だから、結婚することを前提にされると困るんだよね。違和感半端ない。
ケルヴィン殿下の机の上は、ムーアさんとエリゼ様の尽力によってかなり片付いてきていて、私と喋っている間にもケルヴィン殿下が自動サイン記入機と化して書類を減らしていく。一応、目が上から下まで書類を滑っていくから読んではいるみたいだ。速読すごい。でも、私の返事を聞いた瞬間に、するすると書き続けていたサインが一瞬乱れて手が止まる。
「…りんは、……りんもそうして一生結婚しない人生を選びたいのか?」
蒼い顔をしてケルヴィン殿下が私の方を見ながら訊いてくる。
うん? それは…どうだろう。まだ決められないよ。自分に何ができるのか、何をしたいのかも判らないんだもん。
「それについて悩む前に、廃油石鹸のこととか黒い獣のこととかダンスとかマナーとか暴発しない魔法の使い方とか。やらなくちゃいけないことは山盛りあるので、先送り案件として差し戻ししておきますね」
へらへら笑ってスルーしておく。うん。面倒臭いことはポイだ。
愕然としたままでいるケルヴィン殿下の表情を見ていて…あぁ、と気が付いた。
なるほど。エリゼ様もそう思っているんじゃないかと不安になったんですね?
ぐふっ。悪い嗤いがつい口元に浮かぶ。仕方がないなぁ。ケルヴィン殿下ってば一途なんだから、もう。
そっと顔を近づけて小声で囁く。
「エリゼ様は私と違って直接あちらから来た訳じゃなくて、こちらで生まれ直しているんですから、大丈夫ですよ」
にま~っと嗤う。ぐへへと嗤う。できるだけ卑下た嗤いを心掛けてケルビン殿下にその顔を向けると、赤くなったり蒼くなったりして大慌てしていて面白可愛かった。
「ばっ、ちがう。私ではないっ」
あれ~? 私はエリゼ様の話をしただけですよー?
ケルヴィン殿下の名前なんか出してませんけどー?
真っ赤になって否定するケルヴィン殿下をえへらへらへらと嗤いながら見る。我ながら悪い嗤いだなぁ。ぐふふ。
「くそ。書き損じてしまったではないか。どうするんだ。こんなみっともない書類は久しぶりだ」
ぶつぶつと文句をいいつつ、サインを間違えた場所のインクを吸い取るべくインク消しでぐりぐりとインクを吸い取る。でもさ、このインク消しってヤツでは完全には間違えた個所を消せないんだよね。ついでに周りの字も滲むし消えたりする。というか汚してるだけというか。修正液を作ったら売れるかな。あれ? でも修正液でサイン消しても契約書には使えないのかな。
思考を横滑りさせながら、文句をいうケルヴィン殿下をニマニマと見つめているとドアの外に人が来た気配がした。
コンコン。
ノックの音がした。キタ。来ちゃった。うひゃぁ。
誰何するケルヴィン殿下の声に侍従が答える。
「ケルヴィン殿下。陛下がお呼びです」
その声に、私は意味もなく姿勢を正した。うう。行きたくなーい。
「あぁ、すぐ行くとお伝えしてくれ」
先ほどとは形勢逆転。今度はケルヴィン殿下が悪い嗤いを私に向けていた。うへぇ。タイミングが悪すぎた。失敗したかも。
案内されたのは、いかめしい会議室でも晒し者になるような謁見室でもなく、王族専用の庭だった。
その奥にある蔓薔薇が絡まるガゼボにお茶会の用意がされていた。
春の薔薇は盛りがすぎて、今は生い茂った葉達が静かにガゼボを包み込んでいる。
そこに、私服なのだろうか上質ではあるものの飾り気のないシルバーグレーの上着を着た国王陛下がすでに紅茶を口へと運んで座られていた。
その横には、執務服なのかな動き易そうなシンプルな服を着たリンク・スー様が座っている。そうして、近付いていくケルヴィン殿下一行の中に私の顔を確認すると、笑顔になって片手を上げてひらひらして見せてくれた。その様子に少し詰めていた息が緩む。
それにしても、人型のリンク・スー様とお会いするのが初めてじゃなくて本当に良かった。見知ってる人ではあるけれど、猫学園長と同じ人って感じがあまりしないんだもん。これで人型初見だったら緊張しまくりのままだったよ。
いつも読みに来て下さってありがとうございますv
明日からGWなので更新が…いつも不定期ですけどw
より一層不定期になるかと思われます ><
よろしくお願いしますですー




