49時限目
予定よりすっかり遅くなってしまった馬車の中で、隣にいるケルヴィン殿下はずっと目を閉じて腕を組んだまま動かなかった。眠っているようだった。膝に抱えているコトラも眠ったままだ。
村を出る時、ケルヴィン殿下が「私が御者台に乗る」って言ったのに、「どこもまったく痛くないんです。大丈夫です」とムーアさんがくるりと廻って言い切って、御者台にいってしまったので、馬車の中で起きているのはりんだけだ。ちいさくため息を吐いて独りごちる。
「夢…だったのかなぁ」
「夢な訳ないだろ」
ケルヴィン殿下が目を閉じたまま不機嫌そうなするどい声で否定した。
うわっ、起きてた。
「私とムーアとりんと、ガーランド…そうだな、コトラもか。ガーランドはコトラに呼ばれて慌ててこちらに来たと言ってたからな。これだけの人数が同時にまったく同じ夢を見るなんてある訳がない。
あの黒い獣はいたんだ。
そして、あの穴は”ユウキリン”という人物が封印した。
それもかなり昔。多分、あの日記にあった一週間の時だろう」
ケルヴィン殿下が苦い顔をして話し出した。なるほど。考えを纏めてたんですね。
「しかも私は眠らされていて見てないが、りんと会話をしたというその白い竜によれば、あの護摩壇という封印は他にもあるのだろう? それももしかすると複数、いや多数かもしれないな。
あの日記には、『大地を埋め尽くし村を飲み込むほどの魔獣をどうすればいいのか』と書かれていた。『この国、いや世界が滅ぶ?』という焦燥しきった文字で書かれた走り書きもな」
ぞっとした。あんなのが大群となってこの国に溢れだすとか。無理すぎる。
「護摩堂について調べようにも、破壊検査は論外だし、間違いで壊してしまうようなことがあっても自分達では対処できない。またその白い竜が来てくれるとも限らない。警告を無視した、と反感を買う可能性だってある。
何より私達では破れない結界で守られていて、発見自体が難しい」
手詰まりだ、と自棄になったように両手を挙げて吐き捨てた。
「だから、もう一つの謎、手懸りかな、そちらから探るつもりだ」
ブラン君、か。
「いい子だと思ったのに…」
でも、と思い出す。それまで先導してくれていたのに、『見えてきましたよ』そういった後は私達に先に行かせて後からついてきたように思う。
あれは本当に、彼に見えていたのだろうか。
自分が入れない、中が見えない場所から指を差した可能性はないだろうか。
──結界を、壊して入ったのは私か。
「まぁ、なんにせよ。早く戻ってエリゼに話を聞かなければ」
? なんでだろ。いくらエリゼ様でも護摩堂とか黒い獣について知ってるとは思えないんだけどな。あの変な乙女ゲームの中で出てくるなら最初の時にそう言ってる筈だもん。
「”ユウキリン”という人物について、最もよく知っているのはエリゼだろう」
あ、そっか。白い竜から断言された訳じゃないけど、護摩堂を作って黒い獣を封じ込めたの可能性が一番高いのは”ユウキリン”だもんね。
でも、エリゼ様がいう”ゆうき・りん”嬢は、”ゆうきりんりん魔法学園♡らぶぱ~てぃ”という乙女ゲームのヒロイン様のことだ。
どう考えても乙女ゲームの主人公と黒い獣を退治した”ユウキリン”と同じ人物ではないと思うけど、これだけ情報が少ない状況では手当たり次第なんでもいいから集めていくしかないんだろう。
「遅いから心配してたのよ」
お通夜状態でなん研へと到着した私達をエリゼ様が出迎えてくれた。
「残念ながら調理場から出た白い灰からは鹼化させるのは難しいみたい。ほとんど油のままで乳化しないので諦めることにしたわ。
でもそれ以外はなかなかの結果よ」
白く燃え尽きた灰から作った灰汁はアルカリが弱いらしい。「黒くて燃え残ったようなものが最高のようよ」、とエリゼ様が興奮して報告する。
「…どうしたの、りんたん。元気がないみたいだけど、転んでソフトクリームぶちまけちゃった?」
なんでだよ。随分と具体的な失敗だな、おい。
私から説明したのでは余計なことまで口にしてしまいそうなのでケルヴィン殿下に救いを求めて視線を向ける。
でも、ケルヴィン殿下もここでいきなり乙女ゲームの話を振る勇気はでなかったのか(あのゲームの名前を言うのも嫌だったんだと思う。誰だよ、あんな恥ずかしいタイトル付けたの。ゲーム会社出てこい)黙ったままだ。
なん研の人達を避けるのは簡単だけどデビットさんがなぁ。どうしよう。
仕方がないので
「エリゼ様、女同士で内緒のお話がしたいです」
他に思いつかなかったのでそう口にすると、エリゼ様が大興奮したご様子で「今すぐ部屋に行きましょう、そうしましょう」と迫ってきたので、汗臭いので身支度を整えてきてからでお願いします、そう口にするのが精いっぱいだった。
「り、りんたんが私と会う為に入浴…身綺麗にしてからの、密会…二人きり」とかいう不穏な台詞には気が付かなかった。うん、聞こえてきたのは幻聴に違いない。
ていうか、よく考えたら普通にケルヴィン殿下がエリゼ様と2人で話が~って呼び出せば良かったんじゃないの? 婚約者同士なんだもん。失敗した。
私は、居心地の悪い熱視線をエリゼ様とデビットさんの2方向から浴びせられてよろよろしながら自分に割り当てられた客室へと戻った。
シャワーだけとも思ったけど、バスタブに湯を貯めて浸かることにした。
意味もなく一番高そうな”ダマスクローズ”のオイルを湯にぶち込む。うむ、いい香りだ。きつすぎない薔薇の香りがささくれ立った心に優しい。
ちゃんと落ち着こう。
エリゼ様と話す前に、少しだけでも内容を整理しておかないと、あのペースに巻き込まれたら最後グダグダになりそうだ。それにしても…
「”ゆうきりんりん魔法学園♡らぶぱ~てぃ”なんて恥ずかしいタイトルの乙女ゲームのヒロインが、魔獣封印? しかも今が、ゲーム真っ最中の筈でしょう? 100年も200年も前にヒロインがいるっておかしくない?」
ぶつくさと疑問点を上げていく。
あまりの意味の分からなさに、だんだん腹が立ってきた。誰に対してかもよく判んないけど。
ここが乙女ゲームの世界なんかじゃなくて、エリゼ様が間違っていたとして怒るようなことではない、と思う。
自分に前世の記憶があって、周りによく知っているゲームの登場人物と同じ名前の人が沢山いて、国の名前やこれから通うであろう学園の名前とか建物の見た目とか、そういうのが全部同じだとしたら、きっと私も勘違いしちゃうだろうと思う。
…しないかな。
というか、これだけ同じものが存在している状態で、無関係です、というのも変な感じがする。けどなぁ。
「転生とか転移とか。小説とアニメと漫画とゲームと…あと映画もか。なんかその辺の事だけにして欲しいぃぃぶぶぶぶ」
ぶくぶくぶくぶく。
ずるずると湯舟に頭まで沈んでいく。いかん、溺死するところだった。
でも、さすがに疲れた。なんだろ、身体じゃなくて心と頭が。
身体は大丈夫。そこら中に青あざとかできててもおかしくない状況だった筈だけど、私の身体には青あざも擦り傷もまったく見つからなかった。
「竜の魔力って、どんだけなの」
一瞬で直ってしまったあの建物。ケルヴィン殿下が踏み抜いた床は勿論、跳ね飛ばされた獣が当たってくの字に折れ曲がった柱すら綺麗に戻ってた。
最初に見た、静かな空間に。
「ムーアさんの服も、肩ひも部分が切れてしまったリュックも。ぜーんぶ直ってたもんねぇ」
ちゃぽん。両手で蝶を象ってひらひらさせてみる。
これ位…、ううん、もっと小さかったな。でも、すっごく強かった。
あの黒い獣なんか視界に入れる必要もないって感じ。雑魚を相手にしてますよ感が漂ってた。凄かった。
そういえば。白い竜ではなくて、他の竜でもあの黒い獣に対抗できるのだろうか。
例えば猫学園長…えーっと、リンク・スー様は竜騎士団の団長でもあるって言ってた。あの方なら互角に戦えるのだろうか。勿論圧勝できるならそれに越したことはないんだけど。
「でも人と繋がった時点で、竜の魔力は半減するらしいし、厳しいかなぁ」
くしゅんっ。
つらつら考えている間にお湯が冷めてきてしまった。いかん。風邪をひかない内に出て、早くエリゼ様のところに行こう。
コンコンコン。
ノックをして10数える。それでも返事がない場合はもう一回ノックする、ので正しかった筈だ。
「りんたん! 待ってたわぁ♡」
実際には、10数えるまでもなく、内側から部屋の主の熱烈な歓迎付きで招き入れられたんだけど。
そうして、私から、私の腕の中にいるコトラと、後ろに立っているケルヴィン殿下、そしてムーアさんへと視線を動かしていくにつれ、へな~~っと見えない尻尾が垂れ下がるようにテンションが急降下していった。
なんと判り易い。
でもやっぱり頭のいい人なのだろう。私の「内緒話」という言葉と、後ろにいる2人の関係に思い当たったのか、そのまま全員を部屋に迎え入れてくれたのだった。涙目になってたけど。
「それで、なにがあったのですか?」
すっかり切り替えができたのだろう。エリゼ様が紅茶を口に運びながら、きりっと背中に背負っていそうなポーズで言った。
テーブルの上にはハイティーの準備が所狭しと広げられている。
色とりどりのプティフール、ひと口で食べ切れる小さなサンドウィッチ、具がたっぷり詰まったミートパイ、ベーコンとほうれん草が入ったキッシュ、甘いコーティングとコンフィチュールで彩られたペストリー、アイシングが施されたカップケーキ、複雑にカットされた果物。そして香り高い紅茶がたっぷり入っているティーサーバー。
三段重ねのケーキスタンドの一番上に立っている旗に書かれた『ようこそ♡りんたん』の文字が切ない。
空気を読まないケルヴィン殿下が全ての種類を自分の皿にひとつずつ取り、ぽいぽいと口へと詰め込んでいく。うむ、意地汚い。
あ。コトラは侍女さんが追加で厨房から取り寄せてくれた夕飯に出る筈だった肉入りシチューとチーズニョッキの山盛りをガツガツ食べているところだ。
ケルヴィン殿下もそっちが良かったと言わんばかりの熱い視線をその山に送っていたが、さすがに王太子ともあろうお方が、猫から奪って食べる訳にもいかないのだろう。ちいさく「くっ」と口にしながらなんか悲壮な表情をして顔を背けていたのを見てしまい思わず半眼になった。あほか。侍女さんに自分の分も頼めばいいだけなのに。
話始める前に、侍女さん達にも席を外して貰うことにする。
さすがに、デビットさんだけじゃなくてジジョンさんにもメイさんにも聞かせられないよ。
仲間外れにするとかじゃないんだけど、やっぱり人払いをお願いするのってなんかこう、心が痛くなるね。小市民だから仕方がないのか。
ようやく人払いも済んで、ケルビン殿下の胃袋も少し落ち着いたようだし、と、私達は此処を出てからあった事を、つぶさに説明していった。
基本、私が時系列通りに説明し、言い忘れていたことなんかをムーアさんが補足してくれた。そして、最後にケルヴィン殿下がずっと考えていたらしい質問を、突然の魔獣騒ぎに驚いて言葉もないエリゼ様に向かって言った。
「なぁ、エリゼ。”隣国の皇太子さまを猫の姿に変えた秘密結社”について、知っていることがあるなら教えてくれないか?」




