43時限目
ラザニアの貝ソース、ズッパインペリアル、タラッリ、パンツァレッラ、プルーン入りニョッキ。
うん。名前だけじゃ全然ピンとこないメニューが食堂の長いテーブル席に並んでいる。
「ラザニアって、ミートソースとホワイトソースとで層にして焼いたのしか知りませんでした」
普通に茹でたところに、ムール貝とかあさりや蛤で作ったソースが掛かっている。貝の旨味をたっぷり感じるソースと、もちもちのラザニアの相性は抜群だ。でもさ、パスタをナイフで切って食べるのってやっぱり不思議な気分だ。美味しいけど。ランチのクレスペッレはスプーンでもフォークでも簡単に切って掬えたけど、さすがにこのラザニアはナイフを使わないと切れないので、正直緊張した。でも肉を切るより当然だけど簡単に切り分けられるので、手始めということでは丁度良かったのかもしれない。家でもこんな感じに切り分けし易いものから練習をすることにしよう。
ズッパインペリアルは、生ハムが入っているパンみたいな卵焼きみたいな不思議パスタ入りのスープだ。この不思議な食感は生地に入ったパン粉によるものなんだって。その隙間にスープが浸みシミして旨ウマな訳ですよ。
ちなみに、スープ自体の味は昼に食べたアブルッツォ風クレスペッレと同じ味がした。これ実は缶詰だったりして。
タラッリは一口サイズのちいさなパンだった。ぽいぽい口に入るサイズでちょっとオヤツというかおつまみっぽい。ちいさなベーグルのような見た目で、生地もちょっと似ていてもっちりとしている。食べ過ぎ注意のおいしさだ。
パンツァレッラは固くなったパンを使ったサラダだった。玉ねぎのみじん切りとかきゅうりやトマトといったサラダ定番の生野菜と一緒に和えてあって美味しい。
「このサラダ、食べたことのない味ですけどすっごく美味しいですねぇ」
なんだろう、身体がポカポカしてきた。うふふ。おいしい。うれしい。たのしいですねぇ。
「りんたん?! いけない、ワインをそのまま使う料理を出さないように言うの忘れてたわ!」
えー? わたしは果実水しか飲んでないですよー?
ふりふりと、果実水が入ったグラスを掲げて回して見せた。
その手からグラスを取り上げられる。むぅ。なにすんのよぅ。
「りんさん、いつの間にこんなに真っ赤に」
呆れているようにも心配しているようにも聞こえるムーアさんの声が、だんだんと遠くなっていく。…あれ?
むー。私ったら寝ちゃったのかな。なんだか喉乾いた。なにか飲みたい。
「気が付きましたか? これをどうぞ」
差し出されたのはコップに入った冷たい水だった。嬉しい。一気に飲み干す。
ひと息ついて気が付いた。そのコップを差し出してくれたのは、メイド頭のメイデンさんだった。
「すみません。こちらではワインは水みたいなものなので、ついいつも通りに出してしまいました」
どうやらあのサラダに入っていたパンは、固くなったパンを水で薄めたワインに漬けて柔らかくしたものだったらしい。ついでにタラッリも小麦粉を練る際の水分にワインを使っているのだそうだ。そしてデザートのニョッキに入っていたプルーンも赤ワイン煮にしてあるという。食べてなかったけど。食べる前に撃沈しちゃったんだけど。なんということだ。
「お酒は二十歳になってから」
つい呟いてしまった。いや、ここ日本じゃないけどね? ついでに異世界だけどね? でもね、うん、やっちまった感が酷い。鬱だ。
とにかく、メイデンさんには、自分でもお酒にこんなに弱いと知らずどんどん食べて迷惑を掛けてしまったことへのお詫びと、お水のお礼をいう。気にしないで欲しいと伝えると安心したように、後片付けがあるので、と下がっていった。
「その、飲酒による年齢制限は宗教的な因習によるものか?」
後ろからぬっと大きな影が寄ってきた。うわっ。
「…デビットさん」
大して心配している風でもなかったけれど、慣れないアルコールで潰れてしまった私の傍で様子を見ていてくれたのだろう。ケルヴィン殿下か誰かの指示に従っただけだろうけど。
「宗教ではないですね。成長しきる前、未熟な身体の状態でアルコールを摂取することが心身の健やかな成長を阻害すると言われていて、飲酒は20歳になってからと国の法律で定められているんです」
もう戻れないんだから、いたんですっていうべきだったかな。どっちでもいいか。
「なるほど。お前を見るだけでも成長の遅い人種なのだろうな。
そういう法律ができたのも判る」
むかっ。あっちの国だって、アンタ以上に体格のいい人だっていたわい。柔道とか相撲やってる人ならきっとずっと大きい人だっている、と思う。実際に会ったことはないからわかんないけど。
「エリゼ様に言われたことと、お前がムーア・ロッドに伝えた言葉、それ等について考えていたのだ」
! 訥々と、言葉を探しながらデビットさんが言うことを、遮らずに最後まで聞いてみよう、そう思った。
「…済まなかった。私にとっては新しすぎる概念で、正直、すぐに受け入れて実践できるかは自分でもよく判らない。というか自信はない。
しかし、理解するための努力をお前がしてくれるというのなら、俺も頑張ってみようと思う。
頑張りたいと思うのだ。ケルヴィン殿下とエリゼ様の作る、理想の国の一員として、胸を張れる存在になれるように。
なかなか他の者のようには考えが及ばないことも多いと思うがよろしく頼む」
男らしく頭を下げられて、拒否できるほど強くない。まぁ拒否するつもりもないんだけどさ。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
長ソファーに足を伸ばした状態ではあれかと思って、一応立ち上がって私からも頭を下げようとしてバランスを崩した。
「すみません」
デビットさんの大きな手に支えられて、なんとか転ばずに済んだけど、ほんと私ったら決まらないわぁ。とほほ。
「すみません。ありがとうございます。
それと、またここから、宜しくお願いします」
ぺこりと頭を下げた。うん。諦めるのはいつでもできるさ。仲間と思える相手は探すだけじゃなくて作っていくこともできる筈だ。頑張ろう。
「細い。ちいさすぎる」
? なにか言ったのかな。よく聞こえなかったので「何かいいましたか?」って訊いてみたけど「お前には関係ない」と言われてしまった。むぅ。早速それかい。
「ケルヴィン殿下やエリゼ様はすでに石鹸作りの見学に行っている。
友木りん、お前も行くか?」
勿論だ。そう頷くと、デビットさんはううむと唸った。
「残念ながら、俺では案内できない。少し待っていてくれ」
そう言って、窓辺に向かうとそっと何かを呟いた。
口元から何か音符のような模様が流れ出ていく。
「れ、歴史の教科書の、口から何か出ていく人の像」
すっごくそれっぽい。名前出てこないけど、もうそれにしか見えないっ。
なんでだろう。あの像はすっごく小さくてこう、弱弱しいお坊さんの像だったと思うのに。デビットさんとは全然別人なのにぃっ。
「もうすぐ誰か迎えに来てくれる筈だ。…どうした?」
声を出して笑う訳にもいかないし、そもそも説明できないし。
蹲って痙攣している私に、デビットさんが気遣ってくれる。それがまた辛い。
「だ、大丈夫です。ありがとうございまふ」
しまった、最後ちょっと笑いが…ぷっ。
不審そうな顔をしたデビットさんを横に、私はお迎えがきてくれるまで小さく痙攣したままだった。
「丁度良かったです。お風呂場の灰汁での試作の乳化が始まったので予定より1時間以上早いんですけどそろそろ火から下ろそうって話になったところだったんですよ」
鹼化している中庭に合流するとすぐにファーマさんがそう教えてくれた。
おぉう。それはすごい。
渡された目出し帽を急いで被りタオルをしっかりと口元に巻き付け、監視台に上った。
大釜の中で、茶色いマヨネーズ状になったそれが櫂に混ぜられうねりを作っている。
「エリゼ様。どうやら反応も丁度いいようです」
すっと差し出されたそれは、半透明のグリーンになった、あの試薬による検査結果だった。
「鹼化が進んで、アルカリ度が丁度良く下がっているわね。素晴らしいわ」
おぉ。そういう科学的目安もあるんだね。凄い。
見た目もいけそうだし、検査結果も大丈夫そうだ。期待を胸に、エリゼ様と顔を合わせ頷きあう。
「火から下ろして。器に移して熟成させましょう」
乳化はしたけど、でもこれが石鹸として使えるのかはまだ判らない。
塩析するにしても、固形石鹸で2週間の熟成が必要な筈。このクリーム状廃油石鹸に必要な熟成時間についてはここで調査確認していかないといけない。
元々クリーム状なのでおろし金に掛ける必要はなさそうだけど、塩析したら全部の石鹸成分まで壊れてなくなった、なんて笑えない冗談だ。
「やっぱり固形石鹸のものより緩い気がするわね。でもこれ以上火に掛けても焦げるだけな気がするわ」
エリゼ様の言葉に、ファーマさんが頷く。この2人の意見が同じなら、間違いないんだろう。
いきなり大釜の中身を全部焦がしたら切ないしね。
「もう1つの焼却炉の灰汁もかなりいい感じよ」
それは良かった。こんなに大掛かりなことになるとは思ってなかったから、内心ひやひやしてたんだよね。
だって私が知ってるのって苛性ソーダを使った廃油石鹸だし。
木の灰からアルカリ液ができるっていうのはなんとなく知ってたけど、抽出方法とか油と8時間煮るとかいろいろ予想外すぎた。
だから、最悪まったく石鹸にならない可能性だって有り得た訳で。
エリゼ様のお父さんに「功績だ」とか言われた時は責任を感じて「やっぱり無かった事に」って言いたくなったほどだ。言わないけど。すでに手遅れ感半端なかったし。
この調子で塩析による除去の試練を超えることができるといい。
少しでも、誰かの苦しみや悲しみを削ぐお手伝いができたらいいな。
結局、焼却炉の灰汁での試作は丸々8時間煮込むことになった。
急遽クリーム状の廃油石鹸の為に用意したという陶器製の器にすべての廃油石鹸試作品を注ぎ、簡単でも後片付けまで済んだのはすっかり日付が変わった後だった。
作り手の皆さん、お疲れさまでした。
でも夜中の作業が続く間、最後まで愚痴を言う人が誰もいなかったのには驚いた。
新しい挑戦に誰もが目を輝かせ、真剣に作業に取り組んでいたのが印象的だった。
渡り廊下を戻る道すがら、
「ちゃんと、石鹸として使えるといいですね」
ぽつりと、ムーアさんが呟いた。
それは私の心の中にある言葉と全く同じものだったので、こくんと頷いて同意した。そこに、エリゼ様が声を掛ける。
「大丈夫よ。成功するまで続けるもの。だからもし今回の試作品が石鹸として用を足さなくても、それは失敗じゃないわ。
”この素材の組み合わせでは用を足すことができる物は作れないと判った。貴重なデータが採れた。成功だ” そう考えるの」
うふふ。偉人の言葉ってさすがよね、とお茶目に笑ってエリゼ様が教えてくれた。
ムーアさんも、ケルヴィン殿下も、そして最後だけは一緒に見学していたデビットさんも、笑顔で覚悟を口にするエリゼ様の強さと美しさにしばし見惚れていた。うん、私もちょっとだけ見惚れてしまった。だって本当に瞳が輝いて見えて綺麗だったんだもん。
それにしても。そういう考えを持てないと研究なんて続けていけないものなんですね。
”失敗は成功の基”とはよく言うものの、その言葉の本当の意味を教えて貰ってしまった。
きっともち米から麹を作った時も、味噌を作った時も、同じような考えで皆を引っ張ってきたんだろうな。さすがですね、エリゼ様。




