38時限目
「これからの予定についてなんだけど、今いいかしら」
ナイスなタイミングでエリゼ様が声を掛けに来た。
今朝のエリゼ様が着ているのは淡い藤色をしたツーピース。色が違うけど、そのデザインさっき見たばかりのような気がする。なんてきっと気のせいだ。うん。
「ガーランド様が買い物にいきたいそうなのですが、廃油石鹸の試作は何時ごろに行いますか?」
私の声に嬉しそうな顔をしたエリゼ様の顔が、一瞬後に絶望色に変わった。
「な…おそろ……制服のりんたんも、尊いわ。うん、すてき」
がくーっと背後に文字が見えそうな勢いで、顔から生気がなくなる。ちょっと面白い。
「試作が朝なら終わったら即帰りたいです。もし午後からなら早めに一度家に帰って買い物してからここにまた戻ってきますよ」
どっちかな。どちらかというと朝のうちにぱぱっと試作終わらせて欲しいんだけどな。
「朝食が終わっているなら丁度いいわ。すこし裏庭に来て戴けるかしら」
そういってエリゼ様は私達を裏庭に連れて行った。
「昨夜の時点で、公爵邸で搔き集められるだけの竈の灰を集めて分類したわ。
雑多なものを燃やした焼却炉の灰、洗濯に使う湯を大量に沸かしている大釜用の竈と大風呂を沸かす用の木の灰が多い竈の灰、調理室のストーブオーブンを温めている木の灰よ。
焼却炉の灰は落ち葉や布や紙など材料が多岐に渡っているせいか不完全燃焼なものが多いのか黒っぽいわね。
風呂の竈には薪をつかっているけれど黒っぽい灰が多いようね。
調理場で出た灰は高温でずっと燃やしているせいか灰が白いわ」
公爵邸では、常に大量の湯を使うのでお風呂みたいな大釜で常に湯を沸かしているんだって。あと使用人用の大風呂は時間制で入れ替えで入るからそこの竈も薪を使うそうだ。大量に湯を沸かし続けるには魔石コンロでは火力が足りないようで(全部魔石で賄ったら大変な高額になるっぽい)そこは薪を使用しているんだって。
それと調理室にある大型の薪オーブン。ストーブオーブンと呼ばれるそれは朝から晩まで常時薪を投入して温め続けているらしい。薪で火を焚いている場所からの位置で火加減を調節するという大胆なもので、この御屋敷ができた時からあるそうだ。夜以外はずっと火を絶やすことはないのだとか。冬は最高だろうけど、夏とか地獄なんじゃなかろうか。
「これを、種類ごとにこの組んでおいた抽出用ろ過器に入れて、上から水を流し入れて水酸化カリウム…アルカリ液を抽出するわ。
ろ過器は底の方に網が貼ってある円筒で、中にはすでに石が積み上げられていた。底は漏斗状になっていて、アルカリ液が出てくるようになっていた。昨夜組み上げたらしい。
灰を分類しながら集めて、油も集めて、ろ過器を組み上げて。ほんとエリゼ様大活躍でしたね。お疲れさまでした。
「灰の種類ごとに抽出したアルカリ液を使って鹼化していくから、最低でも3回石鹸を作る工程を繰り返すことになるわ」
なるほど。これは結構大変かも。エリゼ様の活躍はまだまだ続くんですね。すごいや。
「アルカリ液と油を加熱して混ぜて、これを煮込んでいくの。8時間くらいかしら。とろとろになって泡立ってきたら火を止めて別の容器に移し替えて…これが強アルカリを使った固形石鹸ならこのまま固まるんだけど、今回はクリーム状のままだと思うからそのまま寝かせることになるわね」
なるほど。アルカリ液加熱するんだ。油も過熱しておいて、更に煮込むとか。
絶対に外でやってねって感じだね。理科室は窓全開で換気扇フルパワーで実験したなぁ。
「8時間か。それは大変だ」
ガーランド様が吃驚していた。私も吃驚だ。苛性ソーダで作った時は2、30分位で終わったような記憶があるもん。
「灰の状態が1種類だと思ったから公爵邸で、と思ってたんだけど、どう考えてもここではやりきれないのよ。だから、研究所にいっしょに行かないかしらと思ったんだけど、どうかしら?」
ガーランド様が興奮のあまり猫から本人の姿になった。はいはい。着いていきますよ。一人で行けなんていいません。その代わり、お買い物はまた今度ですからね?
「わかりました。ご一緒します」
そう了承すると、エリゼ様は嬉しそうに頷いた。
「そう。では来週3日程お休みすると学園に連絡を入れましょう」
もう少しお休みを長くとって、そのまま夏休みに入っちゃうのもいいわね、そう笑顔で言いわれた。なんということだ。
慌ただしく旅装の準備がされた。
制服は『移動時間を含めて5日間もずっと着替えなしに暮らせないでしょう?』との言葉に着替えざるを得なかった。無念である。ぐぬぬ。
エリゼ様とは色違いのツーピースを着て諦めて馬車に乗り込むことにした。
そこに、久しぶりにちゃんと顔を合わせた人がいたので挨拶をしたんだけど。
「おはようございます、デビットさん」
「…おはようございます」
一応でも挨拶が返ってくるだけでもマシなんだろうか。なんとなく和解した時より距離がある気がする。別に構わないんだけど。
同じ馬車に乗り込んだのは、エリゼ様とケルヴィン殿下とコトラと私。御者台に御者さんとムーアさん。後ろについてきている馬車にはろ過器と灰や廃油といった試作に必要な物や滞在する間の着替え等、それとエリゼ様付の侍女のジジョンさんとメイドのメイさんが乗っている。そして護衛としてデビットさんと公爵家の私兵の小隊さんたちが単騎でついてきていた。結構な大所帯での移動だ。
それにしても、公爵邸を出る時は大変だった。
ずらっと並んだ使用人さんたちに見送られるのは恥ずかしいし、ウィリアム君はパンパンとハリセンを振り回してるし。
「またお前か。僕にお留守番させて、ねえさまと一緒に出掛けるなんて絶対に許さないからな!」ってシスコンか。
まぁね、こんな綺麗な姉がいたらシスコン発症するよね。仕方がないよね。うんうん。でも嫉妬するなら私よりケルヴィン殿下にじゃないのかなぁ。
「ねえさまは、殿下の事なんか眼中にないもん」
その一言で、殿下のライフはゼロだよ! さすがだね、弟くん。
ちなみにハリセンは、エリゼ様の手で、なんと振り回すだけで大きい音が出るように改造されてました。すごいぞ、エリゼ様。ちゃんと寝てくださいね?
ついでに、「ねえさまに『次に、りんたんを叩いたらウィリアムでも許さなくてよ』って凄まれた」と泣きべそを掻いて白状していた。大人げないですね、エリゼ様。
見慣れた王都リーエルを出て街道を進む。そういえば城塞の外に出るのは初めてだ。高く囲まれた城壁の外は、空がとても高くて青く澄んで見える。
ここから6時間ほど馬車で進んだ先に、ゴードン公爵領にある港町ジブリールの端に今回の目的地である実験研究所はあるという。馬車の時速とか判らないし、遠いんだか近いんだかよく判らない。
街中ではないとはいえ、綺麗に整備された街道を進む馬車での旅は快適だった。その揺れ以外については。なにも対策してなかったら乗り物酔いしそうだ。エリゼ様に言われれ飲んだ酔い止め薬のお陰でなんとかなりそうだけど。
そう、乗り物酔いはなんとか大丈夫そうだ。それだけは。でも、この揺れは。
目を閉じてぐっ、と歯を食いしばる。外なんか見てつい歓声を上げた途端に舌を噛んだら洒落にならない。
「そうだ。りんたん、これ口に入れておいて」
揺れる馬車の中、エリゼ様に差し出されたのは馬蹄型をしたゴム状の板だった。丁度口の中に入るサイズで片面にだけ『上』と書いてある。
「上って書いてある方がちゃんと上になるように口に含んでね」
同じものを口に放り込むエリゼ様を見て、勇気を出して真似をした。
もごもごもご。
なにやら上顎と下顎を擦り合わせているようなエリゼ様の真似を続けていると、なんとマウスピースのように歯にくっついた。これは?
「上の歯にだけくっついたでしょう? ちょっと空気が抜けて間抜けな声にはなっちゃうのだけれど、これをしていれば馬車の中で揺れても舌を噛んで血が出ることはないのよ」
「なるほろー」
ほんとだ。口を開けても閉じてても、上下の歯がガタガタぶつかって音を立てるようなこともない。
この馬車は長距離用なので登下校時に乗った馬車よりずっと乗り心地もいいし、ふかふかのクッションも乗せてあって随分マシな気はするけど、それでもやっぱり道自体が王都内よりガタついているのでそれなりに揺れが酷い。
でも歯にゴムのカバーが付いているこれなら、もし噛んでも痛くなさそうだった。
「ありがとうございます」
「長旅の必需品なのよ。これが出る前は、太めの綿ロープや木の棒を咥えたりいろいろ苦労してたんですって」
絵面最悪ですな。美形なら美形なほどあやしげになる不思議。あっという間に18禁っぽくなれるよ!
綿ロープとか猿轡みたいだし、木の棒なんて咥え続けたら涎だらだらになったりしないのかなぁ。この間の棒付きキャンディ食べてただけでも涎が横から垂れそうだったのに。何時間もとか、誰にも見せられない有り様になりそう。あ。馬車の中で涎掛け着けてたりして。ぷぷぷ。
「なに変な顔して笑ってるんだ、りん」
「ケルヴィン殿下が涎掛け着けて馬車に乗ってる姿を想像したら…つい」
って。あ。言っちゃった。
「なんだそれは?」
怒った顔のケルヴィン殿下にすべて白状させられた挙句に滅茶苦茶怒られた。怒らないから言えっていったのに。解せぬ。
「そういえば、デビットさんと顔を合わせたのは久しぶりのような気がします」
とりあえず話を逸らしてみることにした。
でもあれだね、口の中にゴム入れて喋るの、難しいね。涎出ちゃいそうだ。ハンカチで隠しながら喋るしかないか。
学園ではお昼も一緒に取らないし、授業中もケルヴィン殿下の後ろに立っていたムーアさんと違って廊下で警備にあたっていることがほとんどだ。移動中も、ケルヴィン殿下のすぐ後ろに控えているというより一歩下がって付いてくる感じで、あまり同じグループにいるという気がしない。
「そうだな。デビットのことについても話し合わねばな。
どうだ、りん。デビット・グエンは信用できると思うか?」
うーん。どうだろう。私が異世界人だっていうことまでは伝える気にならないかも。でも、一緒にいてあまりに除け者にするのもなんというか座りが悪いというか。
「デビットさんは、ケルヴィン殿下とエリゼ様にとって不利になるようなことは絶対にしないと思います。心からの忠誠を捧げているんだなって感じ」
でも間違いなく私の事は嫌いだと思うな。でもさ。
「だから信用は出来ると思いますよ。お二人の為ならなんでもしそうだし。
ただ、エリゼ様に前世の記憶があるということを教えるのはエリゼ様が決めればいいと思うのですが、私がエリゼ様と同じ世界から転移してきた異世界人だっていうのは伝えるのは無理かなって思います」
ふむ、といってケルヴィン殿下が腕を組んだ。
「私も実は同じ意見だ。どこか、デビットにはりんに含みを持った顔をする。すこし早とちりな所もあるが、あぁ見えて戦術的な知略もそれなりだし、戦闘能力も高く、魔法の使い方も巧み、更に私達に歳が近い。同じような条件で誰かいるかというとなかなか他の人材が思いつかないのだ」
年齢が上の人では駄目なのだろうか。なんでだろ。
「先ほど挙げた条件に当て嵌まって、しかも年齢が上になるとだな。その人は洩れなく役職についているのだ。そうおいそれと配置換えはできない。それも私個人付きにして、この件への理解の様子やりんとの相性などを見てから、やっぱりやめた、などできる訳もない」
なるほど。それもそうか。そう簡単にあっちこっちへと変える訳には行かないか。
「クロティルド先生からは、異世界人だってことはあまり人に知られないようにした方がいいとアドバイスされました。エリゼ様のようなお金になる知識目当てで変な人間に目を付けられては困るだろうって」
だから、たくさんの人に確認するために秘密を仄めかすこと自体があまり嬉しくない。秘密にするには手遅れのような気もするけど。いや、いっそ完全に公表してしまうのもありなんだろうか。
「街にいた頃は異世界から来たことを隠している風でもなかったので今更かと思ったが、あまり広まってないどころか、信じていない様子だったからな」
そうなのだ。飴玉くれた人はいても、攫いにきたのは王宮からきたチョビ髭だけだった。というか、ん?
「調べたんですか?」
学園に入れる前に少しだけだがな、とケルヴィン殿下はしれっと言った。なんということだ。全然知らなかった。
「りん、お前に関しては、神父様達はともかく基本的に『記憶を無くして混乱してる異国の娘』扱いされてたぞ。少し前に大きな嵐がきて異国からの船が沈んだのだ。その生き残りだとか適当な噂が流れていた」
なんと! そんな可哀想な娘扱いをされていたのか。
「…それで、飴玉」
道理で、みんな優しい筈だよ。『がんばれよ』って撫でてくれたり、飴玉くれたり。皆当たり前みたいな顔して受け入れてくれて、おかしいと思ったんだ。
「異世界人にやさしい土地なのかと思ってた」
「優しい人だらけだろ、俺の国は」にやりと笑って自慢される。むぅ。
「ですね、皆さんに優しくして貰いました」
うん。それは間違いない。
「そうだな。その噂に乗っかることにしようか。デビットは、エリゼが特別なのは意味もなく信じてるみたいだし、りんのことは異国出身で特別な知識があるとかなんとか誤魔化しておくか」
うわっ。雑な対応来た。まぁいいか。それが一番違和感が少ないのかもしれない。下町で聞き込みされても同じような返答がされるだろうし、異世界も異国みたいなものだろう。大きな括りでいえば同じカテゴリーだ、きっと。
「…私は、あのデビットという男のことは嫌いなんだけど、りんたんがいいというなら受け入れなくもなくもないわ。考えてみる」
それ、全然受け入れてないと思いますよ、エリゼ様。
親の仇でも見るような憎悪に満ちた目つきをするのは止めてください。怖いから。
でもそうか。エリゼ様はデビットさんのこと嫌いだって言いきっちゃうのか。頑張れ、デビットさん。そこから挽回できたら超大逆転劇ですよ。応援はしませんけどね。
そして、恋敵が減ったからってそうあからさまに嬉しそうにするのは止めてください、ケルヴィン殿下。みっともないですよ。




