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 扉を開けて即閉めたのは生まれてこの方、初めての経験だと思う。

 見なかったことにしたい。すべて幻だと思っていたい。

「あら、りんたんどうしたの? どうぞ、お入りになって」

 先に入っていたこの部屋の住人により再び開けられた扉は、ある意味で恐怖の入り口だった。メイさんが横で一緒にいてくれなかったら叫んでいたかもしれない。


 視界の前を埋め尽くすのはすべて同じモデルの物だ。

 それは人形。もしくは絵画。家具やカーテンや、部屋の奥に設置されている天蓋付きの四柱式ベッドすらも、同じモデルをモチーフにしたものが必ず施されており頭が痛くなるほどだ。

 ベッドの上なんか置かれた人形が多すぎてとても広いベッドなのに人が寝れる場所はほんの少しだ。シングルベッド分ほどしかない。

 壁紙が見えないほどの数の絵画も、壁際に自立する大きな人形も、繊細な装飾が彫り込まれたガラスのコレクションケースに所狭しと並べられた大小様々な大きさの人形も達も、そもそもコレクションケースに彫り込まれている顔すらも、ぜーんぶ、モチーフになっているのは同じ黒髪の少女。うはっ。

 部屋に入ってすぐ正面に置かれた油絵の中で微笑む少女が、王立魔法学園の校門を背にして立っていた。制服を着た少女の、その瞳は夢見るように輝きを秘め、黒くて濃い睫毛に縁どられている。ほんのり色づいた頬に小さくて艶のある唇は笑みを象るように口角が上がって、これから臨む学園生活への期待と不安に胸を一杯にしているのが伝わってくるようだ。その少女の後ろには見覚えのあるピンク、スカイブルー、焦げ茶、緑、金色の頭をした人影や、ご丁寧に足元には青地に黒のブチ模様の猫までいる。

 ──どうみても、どこかの乙女ゲームのパッケージデザインです。ありがとうございました。

「ケルヴィン殿下と、ムーアさんと、…ウィリアム君か、翠はクロティルド先生かなぁ。金色は誰だろう?」

 これまで会った中に金髪男性なんていたかな? 顔がよく判んない描き方をされているけど着ている服は男性用なので悪役令嬢はいないっぽい。男装の麗人が混じってたら判んないけど。…ないか。

 タイトルが印字されていないのが不思議な位である。というかヒロインの顔はゲームでは判らないって言ってたけど、パッケージには描いてあったんじゃないか。

 それともこれはエリゼ様がいっていた『自分の理想を乗せた状態』なのだろうか。

 でも、確かに髪型とか全体的なデッサンは私に似てなくもない気がする。かなり美化されているので別人としか思えないけど。

 ぼーっとその油絵を見ていた私に、ぐいっとぬいぐるみが押し付けられた。

「あのね、この子が私が初めて自作したりんたん人形なの。下手くそで恥ずかしいんだけど、でも一番長く一緒にいるから、一番愛着があるの」

 編みぐるみというのだろうか。どことなくドット絵っぽさのある毛糸で編まれた2頭身のぬいぐるみは、きちんと手入れされているのだろう、汚れは感じなかったけれど経年による擦り切れ感が年代物なことを感じさせた。

 頬のところとかもうちょっとで穴開きそう。

 ちいさなエリゼ様がこの編みぐるみを抱きしめて毎日頬ずりしているところを想像すると、和む…よりも、うへぇって思うような。悩みどころだ。

「うん。我ながら結構似てるわね」

 その声を無視して、ふと、視線を感じてそちらを向くと、ヒロイン様が笑っているところを描いた油絵があった。元の世界の我が家にあった27型TVよりずっと大きな画面一杯のヒロインの笑顔。どアップすぎて泣けてきた。

「うふふ。それ? 見つかっちゃった?」

 エリゼ様がるんるんとした足取りで近付いたのは、私が視線を感じたどアップ油絵の隣に飾られた葉書2枚程度のサイズの額縁だった

「これはね、私が初めて刺繍したりんたんなの。どうかしら、ドット絵に見えるかしら?」

 なるほどね。目の粗い刺繍用の布に、丁寧に刺されたそれは編みぐるみと同じ2頭身キャラだった。なんだろう、この中世っぽい世界観の中でみるレトロゲームのファンアート。それもド変態風味。

「それも結構力作でね! でも刺繍の先生からは『もっと美しいものを選びなさい』って言われちゃって。りんたん以上に尊くて美しい物なんてないのに!」

 ……もう何も言うまい。

 そう思っていた事が私にもありました。

「それで、これが最新作なの」

 じゃじゃーんというエリゼ様自らによる効果音付きで紹介されたのは、精巧なビスクドールだった。

 他のものと違うのは製法だけではない。1/1スケールだということだ。

 デカい。私と目線が一緒である。なんということだ。

「うふふ。この子はね、一昨日完成したのよ。ようやくよ。りんたんに会えてからずっとずっと、夜なべして作ってきたの」

「作ったのかよ、自作かよっ」

 やべ、思わず叫んじゃった。夜中なのに。

 そんな私に構わず、菫色の瞳を輝かせながらエリゼ様が説明をしてくれる。

「真珠を粉にして砥の粉に混ぜ下地にしているから肌の艶が違うでしょ」だの、

「りんたんの瞳を表すのにぴったりな黒曜石を見つけるまで大変だったの。でも実はね、黒曜石の向こう側に金剛石を忍ばせてあるのよ。この二重構造のお陰で、りんたんの瞳に近づけたと思ったのよ」だの、

「りんたんの黒髪の麗しさを表現するのに、絹糸の撚りの回数と捻じりを何度もやり直したのよ。素晴らしい艶だと思わない? でもこれでもやっぱり足りないかしら。麗しさが!」だのと延々とですね。

 …想像してほしい。疲れ切った夜中に、すっごく美化した自分が、ド変態の腕の中にいることを。そしてそのド変態が懸命にそれに対して注ぎ込んだ妄愛をつらつらと語ることを。

「もう勘弁してください」

 その場に崩れ落ちた。

「あら、りんたん、大丈夫? さすがに疲れたのね。ベッドまで連れて行ってあげるわね。うふふ」

「……いえ、一人で戻れます。もう、寝ます。部屋に戻らせてください」

 そうお断りしたけれど、それが受け入れて貰える訳もなく。寝室まで送っていった筈なのに、寝室まで見送られるという謎。ループかよ、と思ったけれど、それ以上対決する気力もなく、私は自分に割り振られた客室(客室ったら客室)に戻り、ベッドの中に潜りこんだ。

「りんたん、おやすみなさい。いい夢を見てね」

「…おやすみなさい、エリゼ様」

 そっと頭を撫でられて、私は目を閉じた。

 眠れないんじゃないかと思ったのに、私は朝までぐっすり眠ったのだった。



「おはようございます、友木りん様。こちらに紅茶をご用意しております。

 お飲みになったらお召し替え下さい」

 さっとカーテンを開けられた気配はあったけど、そんなに眩しくない。

 というか、誰の声?!

 慌てて起きると、見覚えのないふかふかベッドで寝ていた。周りが紗でできたカーテンみたいなもので覆われている。ここはどこだろう。

「お開けしてよろしいですか?」

 思わず「はい」と了承してしまったけど、いまだに現状把握ができていない私は、ほへっとしていた。

「メルバトーストもお持ちしました。温かい内にお召し上がりください」

 カーテンを開けて紅茶の乗ったトレイを渡してくれたのは、メイドのメイさんだった。

 そうだ、昨夜は結局エリゼ様のゴードン公爵邸に泊まらせて貰ったんだっけ。

 それにしても、天蓋付きベッドってこうやって使うんだね。知らなかった。

 部屋のカーテンを開けても、中で寝ている人には直射日光が当たらないようにできてたんだねぇ。へー。

「ふふふ。天蓋に興味津々のご様子ですね。貴族の方々にはお昼まで寝ていることの多いのですが、そう言った方たちの天蓋はもっと厚手のものを使用してあって、それを閉めたまま私達が部屋の掃除をすることもあるんですよ」

 くすくすと笑いながら貴族あるあるを教えてくれた。思わぬ使い道に吃驚だ。

 メルバトーストという紙のように薄いトーストはバターがたっぷり染みていてカリカリして美味しかった。これを食べながら飲むミルクなしの濃い紅茶のおいしさには感動した。これは目が覚める。

「ベッドでトースト食べるなんて、下品だって言われそうなのに」

 お貴族様の基準は日本と全然ちがうんだなーって改めて思った。


 ベッドから起きると、その横のテーブルに昨日私がここまで着てきた魔法服と持ち帰ってきた筈の制服が綺麗に洗濯され畳まれた状態で置かれていた。

「とりあえず制服に着替えるかな」

 その制服を持ち上げた時に、ちいさな白いハンカチが落ちる。それを拾い上げた瞬間、悲鳴が喉から勝手に出た。

 ぎゃーーーーっ。

 しまった。洗ったまではいいけど、干さずに浴室に忘れてたんだ。

 慌てて魔法服でそれを包んで鞄に突っ込んだ。やだもう。

 異世界でもこういう家事は普通にあるんだよね。普通にお腹も減るからご飯作らないといけないし、材料を手に入れる為に稼がなくちゃ駄目なのだ。

 なんと生活感に溢れた異世界なのだろう。

「やっぱりここは乙女ゲームの世界じゃないな」

 だって現実的過ぎるもん。乙女ゲームの世界の住人は、お腹は空いてもお金がないって働いたりしないし、トイレもいかないし、下着の洗濯に困ったりしない筈だ。間違いない。そんな夢のない乙女ゲームは嫌すぎる。誰もしないに違いないからだ。

「あれ?」

 ふと気が付くと、クローゼット前に置いてある衣装掛けにカジュアルなツーピースが掛けられていた。着替えるように言われたのはこれなのかも。

 アプリコット色のシンプルなワンピースドレスに、共布で作られた丈の短いジャケットがついていた。裾や袖口に幅広のパイピングが施されているだけのシンプルなデザインだ。

『武装も必要なのよ』

 昨夜のエリゼ様の声がリフレインする。たしかに、そういうことも必要なのかもしれない。



「おはようございます」

 案内された朝食室は、昨夜案内されたリビングよりずっと小さくて、でも清潔で心地の良い空間だった。

「りんさん、おはようございます」

 すでに朝食を食べ終えてお茶を飲んでいたところだったらしいムーアさん以外の姿はそこにはなかったけれど、木製の大きなダイニングテーブルには、ホカホカの焼き立てロールパンやチーズ、果物が並んでいる。

「紅茶と珈琲のどちらがよろしいでしょうか」

 席に着くと、侍従さんが聞いてくれたので珈琲をお願いする。

 紅茶は家でも飲めるけど、珈琲はここでしか飲めないもんね。えへえへ。

「卵は如何致しましょう。オムレツと目玉焼き、それとゆで卵がご用意できます」

 オムレツをお願いして、私は果物に手を伸ばした。

「おはよう、りん。なんだ、制服なのか」

 朝から残念そうな声が掛かる。が、誰もいなくて視線を彷徨わせると、ぴょこん、とコトラが私の膝に飛び乗った。

「…おはようございます、ガーランド様」

 うわぁ。朝からテンション下がるわぁ。可愛いコトラのままなら、そのまま「うにゃん」って挨拶してほしいものですよ。しかも、『なんだ、制服なのか』とか。着ているものについて不平を洩らされたのもなんだか不愉快だ。むぅ。いいじゃないか、制服。私の世界では正式な礼服としても通用するんだぞぅ?

「なぁ、後で一緒に出掛けようぜ」

 私のそんな胸の内に気が付かないガーランド様は、私の膝の上にちょこんとお座りしたまま話し続ける。

「どこにです?」

「街に出よう。買い物したいんだ」

 ふむ。昨日は学園帰りに買い出しにもいけなかったから、マッシュポテトの素の在庫がもう切れそうだしいいかも。

「エリゼ様と廃油石鹸を作る実験が終わったら家に帰れるでしょうし、戻る途中に遊びに出るのもありですね」

 もしかしたら灰汁の状態によっては、石鹸作りは午後とか夕方になるかもしれないけれど、その時は先に買い出しに行っておくのはありかもしれない。

 ちゃんと今日の予定を確認してこなくっちゃ。



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