32時限目
「ちょっと、そこの平民。スルーしないで私を助けなさいよ」
えぇ~。なんで私が…って、飴の分のお礼はしてもいいかな。あれは本当に助かった。
「何カ御用デスカ?」
「ちょっとなによ、その嫌そうな口調。まぁいいわ、髪が上手くまとまらないのよ。ちょっと手伝いなさい」
ちょ。なんで一瞬目を離しただけで、さっきより髪の毛ぐっちゃぐちゃになってるんですか? あぁぁ。枝毛になるから無理にブラシ通そうとするの止めてください!!
麦わら頭にぶっ刺さるようにして毛に絡まりまくっている獣毛ブラシから、絡まっている毛を一本一本丁寧に引き抜くようにして慎重に取り除く。
毛質に合わない柔らかい毛のブラシなんか使うからきちんと梳かせないし絡まるんですよ。
なんて。ずっと前に女将さんに怒られたままを偉そうに言ってみたりして。
「だって、私の細い髪にはこの柔らかいブラシがいいってお店の人が。
これで梳かすと髪が綺麗になるっていま王都で流行っていて、ようやく手に入れたのよ」
泣きべそをかきながら言い訳する麦わら頭を、私の持っている木製の櫛で毛先から順に梳っていく。
「いいですか、リリアーヌ様。世の中には細くて柔らかい髪と、太くて硬い髪だけがあるんじゃないんです。細くて硬くて量が多い髪っていうのもあるんですよ」
私のようにな! 密度が高いから細くて柔らかい髪用のブラシなんか、毛の表面を滑っていくだけなのだ。この、地肌に届いていない感じ。判ってもらえるだろうか。
「私と似た髪質で、そして同じく毛量も多いようですから、同じ獣毛ブラシでも豚毛ではなく猪毛みたいに張りのあるものを選ばないと地肌まで届かないし、髪の毛とブラシの毛が絡んじゃうんですよ」
丁寧に梳って高いところで一つに纏める。私に髪結いの技術などない。
「次はダンスの授業ですよね。崩れにくいように纏めておきましたからね」
さぁできましたよ、と鏡の前に立たせた。
「…なんで私の髪がドリルになっているのよ」
「…さぁ?」
私は梳って一つに纏めただけなのに、そこには見事な縦巻きロールができていた。
ぶるんぶるんと顔を振っても全く崩れる様子はない。完璧な黄色いドリルだ。
「鏝も魔法も使ってないですよ。リリアーヌ・ヴェルズ様の元々の毛質なんじゃないですか?」
まぁ、私も貴女の髪がドリルになっているのを見るのは初めてですけどね!
「トテモ良クオ似合イデスヨ、オ嬢様」
「だから、なんで片言なのよ。あぁ、もういいわ。時間ないし。憶えてなさいよね!」
カツカツと派手な音を立てながら、麦わら頭が更衣室から出て行った。
なんで手伝ってあげたのに捨て台詞を吐かれなければならないのか。解せぬ。
「まぁいいか」
私は自分の着替えを済ませにロッカーへと向かった。
「お待たせしました」
なんとか着替えを済ませて廊下で待っているムーアさんとコトラに遅くなったお詫びを伝える。
「いえいえ。ドレス姿のりんさんをお待ちする時間は、至福の時間ですよ」
「なんか遅かったな。りんならもっとぱぱっと着替えて終わりだろ」
う。やっぱりコトラの姿のままでもガーランド様の意識になることもできるんだ。
猫学園長と一緒だね。
「うん。中でリリアーヌ様に髪のセットを手伝って欲しいって言われてやってあげてたの」
「リリアーヌ? 誰だ、それは」
ううう。コトラがこの口調なのは慣れないなぁ。というか慣れたくないなぁ。
「私の前に女の子が出てこなかった? あの、棒付きキャンディーくれた人」
「端的だな。判り易いが」
くくくとコトラの姿で嗤わないでようぅぅ。コトラはもっと可愛い感じで喋ってほしいんですけどっ。
「その人のそれは、嫌がらせではなかったんですね?」
ムーアさんの確認に、こくりと肯いて肯定する。
柔らかくて毛の多い豚毛ブラシに柔らかくて細い髪の毛が絡まりまくっているのを解けとか、それ自体が嫌がらせのような気はしたが苛めとして成立させてしまうには髪の毛は女の子の命すぎる。魔法で一瞬に生え変わらせることができるならともかく、そうではないのだから。これをイジメとするのは論外だ。
むしろあのドリル。あれが私の嫌がらせだっていわれないかの方が心配だよ。はぁ。
「その靴、やはり似合ってますね。嬉しいです」
あっ。そうだ。
「あの、とっても素敵な靴をありがとうございました。すっごく履きやすいです」
求められるまま、靴がよく見えるようくるりと回ってみせる。
ムーアさんは、うんうんと肯きながら満足そうに笑ってくれた。
「あとでお届けする残りのドレスも色味や素材は違いますが青系ですから、その靴と合うと思いますよ。違うドレスと合わせた時は、またそうやってお披露目して下さいね」
もちろんだ。ドレスも靴も、ムーアさんのお陰で揃ったんだもん。ちゃんと着て見せて、お礼を言うのは当然だ。
「はい。本当にありがとうございます。練習がんばりますね。元婚約者さんにもそうお伝えください」
「その靴とドレスは、ロッドが手配したのか」
コトラ…ガーランド様の声が掛かる。よし、言葉を喋っている時はコトラじゃない。ガーランド様なんだとちゃんと思うことにしよう。
「そうですよ。ドレスはわざわざ知人の方からお古を借り受けてきて下さったんです。
そしてこの靴は、ダンスシューズを買いに付き合って戴いた時に、掘り出し物って奥からとっておきを見せて貰ったんですけど…高くて。手が届かないなって一度は諦めたものだったんです」
足元の靴に目を落とす。
シンプル過ぎるほどスタンダードな真っ白なダンスシューズだったそれは、今は柔らかな革でできた幅広リボンで飾られていた。綺麗なスカイブルーのそれは足を支えるように甲の部分でバックルになっている。それを内に隠すようにふんわりとしたリボンが付いていた。
後付けなのに、全体のバランスの取り方が絶妙なのか、まるで最初からこのリボンがついていたような美しさと履き心地だ。しかも甘くなりがちなデザインなのに子供用にはない優美ささえ感じるフォルムに仕上がっている。あの店主さんの職人としての腕の良さなんだろうな。とても素敵な靴だ。
「でも、ムーアさんが引っ越しの挨拶だっていって…私の学園の授業に遅れが出ないよう気を遣って下さったんです」
ムーアさんの顔を見ると、へにょっと眉を下げて微妙な顔をしていた。あれ? なんか伝え方が変だったかな。
「あの、ケルヴィン殿下とエリゼ様のためだって判っているので…。私にちゃんとしたマナーとダンスを教えることができるかどうかが、お二人のマナーとダンスの授業における評価となるんですよね? だから頑張って練習しますね!」
ふん、と気合を入れる。本当に頑張っちゃうんだから。
ぷーくくくっ、とガーランド様が笑い転げた。むう。私が踊れるようになるなんて信じてないな?! むきーっ。いつか華麗に踊れるようになって、目に物を見せてやるんだからねっ。
「エリゼ様は歩き方のコツを、と言われていましたが、今日の練習着はドレスの丈が短めなので、それは違うドレスの時にしましょう」
なんでだろ?
「正式な席で着用するドレスの丈は足先が完全に隠れる長さです。歩き方を知らないと、最初の一歩から裾を踏んで転びます」
おぅ。それはやりそうだ。着替え終わったその次の瞬間、自分で自分のドレスの裾を踏んで転ぶとか洒落にならんね。
「今回のように膝が隠れる程度のドレスでは、全く練習にならないんです。1着だけ足首程度の長さの物があった筈なので、次回はそれを着て練習しましょうね」
はーい。ムーア先生、判りましたー!
すごい。説明がすっごく判り易いぞ、ムーア先生。
「あぁ。でもドレスの裾裁きは別にして、そのドレスでもできる基本的な動きをやりましょうか」
ごくり。なんだろう。妙にムーアさんから圧を感じるぞ。
「ヒールのある靴で歩くときは、踵に体重を掛けてはいけません」
なんと!
「そ、そんな馬鹿な」
ものすごい筋肉が必要になるんじゃないの?
「踵はまっすぐ立つためだけに存在します。これがないとさすがにぐらつきますからね。
踵から着地してから爪先を着こうとすると…やってみてください。膝が前に突き出た感じで曲がってしまうでしょう?」
言われるままに、ゆっくりと右足を前に出して踵をついてから体重を右足に乗せようとすると、自分の膝が前に出るように曲がってしまうことが判る。
それに腰もなんとなくへっぴり腰になっている気がする。これは恥ずかしい。
「膝が曲がって腰が下がり、バランスを取る為に顎の位置が少し前に出ます。
これを繰り返して歩くと頭の位置も上下にかなり動いてしまいますし、美しい所作とはなりません」
なんということだ。エリゼ様の動きがあれほど美しく見えるのは、移動中ずっとつま先立ちで歩いているからだなんて。全然気が付かなかった。
「足の指先と甲の筋肉を鍛えておいてくださいね。多分、本格的な練習を始めたら足が攣ることになると思いますよ」
「…どんな筋トレをしたらいいんでしょう」
全然思いつかないんですけど。
「おひとりの時に、ハンカチを爪先で摘まみ上げるとか、靴なしで爪先立ちで歩いてみる、歩かなくてもその場でつま先立ちと踵を落とした状態を繰り返してみる、等でしょうかね」
ふむ、と顎に手をやり少し悩んだ様子でムーア先生が提案してくれる。
でも、どれもこれも地味に辛そうでげんなりする。でも教えて貰ってよかった。なんの予備知識も準備もなしで歩き方をやると言われてもまったくできなかった自信があるよ。
「家で頑張っておきます」
私はやる気という名の魂が抜け出て行きそうになるのをぐっと堪えた。
「それでは、カーテシーの練習に入りましょうか」
ハイ、ムーア先生。私はできるだけ足を揃えてまっすぐ立った。
「もう少し、腰を引きましょうか。鏡を見て、まっすぐだと思うポジションを取ってくださいね。ヒールが高いと自分で思うより腰が引けてたり、逆に前に突き出したりしていることが多いので気を付けてくださいね」
ほんとだ。自分ではまっすぐ立っているつもりなのに全然まっすぐじゃなかった。
綺麗に立つだけで難しいんだね。
「はい。最初は腕の動きを意識しないでいいので、足の動きだけやってみましょう。
片足を後ろ斜め内側に下げて。りんさんは左足が軸になる人なんですね。では、その前に残した左足の膝をゆっくり折ります。腰を落とすようにして、頭は下げなくていいですよ。そこで止めます。1、2、3数えたら左膝を伸ばしきり、右足の位置を元に戻します。足を揃えて終わりです」
膝を折るのも難しいけど、その場でそのまま膝を伸ばして元のポジションに戻すのが無理すぎる。
私は立ち上がることができずに、その場にずるずると座り込んでしまった。なんということだ。私には圧倒的に筋力が足りないわ。
「大丈夫ですか? こちらは筋力というより、筋肉の使い方が判っていないようですね」
くすくす笑って、手を差し伸べられた。その手を取って立ち上がらせて貰った。ううう。恥ずかしい。
それにしても、筋肉の使い方?
「どこの筋力を使えば腰を落とした体勢を保てるのか、そこから立てるのか。意識しながら動いてみてください。ついでにいうと、息を吐くのは力を入れたい時がお勧めです。逆に弛緩する時は息を吸ってください」
逆だと思ってた!
「息を吸いながら腕に力を入れてみてください。全身の動きが固くなってしまうでしょう?」
軽く、腕に力を入れながら息を吸ったり吐いたりしてみる。ほんとだ。吸うと身体の方まで硬くなって、吐いた時は腕以外の全身から少し力が抜ける感じがする。
「今度は腕に入っていた力を、息を吸いながら抜いてみてください。どうですか?」
なんとなくだけど、全身の力が抜けすぎずに残る感じがする。
「そして、腕に力にもう一度力を入れて、今度は息を吐きながら力を抜いてみてください」
全身から力が抜けちゃって、なんとなく自分が猫背っぽくなった。
力を入れる、力を抜く。吐いて、吸う。この組み合わせが違うだけでこんなにも動きというか自分の筋肉の状態に違いがでるなんて知らなかった。
「本当だ。力を入れる時に息を吐いて、力を抜く時に息を吸った方が、全身の状態が安定している感じがしますね。その時の呼吸の違いだけでこんなに違いが出るんですね」
こんなところにもあの所作の美しさの秘密があったのか。それにしても。
「普段の私がしてる呼吸と逆なんで、一所懸命意識してないとできないです」
なんという違い。根本的なところから変えないといけないのか。
がっくりと肩を落とした私に、へにょっと眉を下げたムーアさんが「頑張って下さい」そう声を掛けてくれた。
ぐぬぅ。頑張るしかないか。
「ガンバリマス」
頑張らなくちゃいけないことが、また増えた。
「それにしても、ロッドは女性の動きについて詳しいな」
小休憩を取っている時にガーランド様が言い出した。
そういえば、なんでヒールのある靴の歩き方とか知ってるんだろ。
「あぁ。この学園のマナーの授業では一番最初に、男性陣はラップ・アラウンド・スカートという腰に巻くスカートとヒールのある靴を履いて女性の動きを学ぶんです」
なんと!!
「マナーの講師であるグラハム先生が提唱された『男性が女性を上手にエスコートをするには、それがどれほど大切で信頼を生むことなのかよく知る必要がある』この意見を基に導入されました」
ということは…。
「ケルヴィンやデビットもスカートとヒールのある靴で女性用のマナーをやったのか!」
ウケる! とガーランド様が転がって笑っていた。むぅ。失礼な。ちょっと想像したら私も笑っちゃったけど。こほん。
「でも、だからこの国の男性陣のエスコートはとてもさりげなくて、でも力強くて安心できるんですね」
そう伝えると、にっこりとムーアさんが嬉しそうに笑った。
「りんさんにそう言って貰えたなら、頑張って練習した甲斐がありますね。
でも実際に、女性が求められている仕草や動作が、どれほど不安定で大変かを実感できたことはとても良かったと思っていますよ。
ちなみに、私達男性陣が女性パートで四苦八苦している間、女性陣は男性パートナーとして適切なサポートをすることが精神的にも思考的にもどれほど難しいものなのかを勉強することになります」
へぇー。立場を交換することで、双方の理解を深めることができるんだね。よく考えてあるなぁ。
「なんて。あの頃、あの授業を受けるのは苦痛でしかなかったですけどね。
でも今こうして、りんさんのお役に立つことができている。あの苦痛に耐えて良かったと思っています」
そっと私の手を取り、笑顔でそう言って貰った。
ほんとにもう。この世界の人ってみんな顔が近いんだから。




