31時限目
「そういえば、貴族年鑑て図書室で貸し出して貰えますかねぇ」
ソファで寝そべるコトラを撫でながらふと思いついたことを聞いてみる。
明日明後日の週末休みの間に、少しでも昨日の午後、居眠りしてしまった分を穴埋めしたい。本当は月の灯り亭に行くつもりだったけど、勉強を優先しないといけないことくらい判ってるつもりだ。
うーん、と少し記憶を探すようにしてからムーアさんが答えてくれる。
「貴族年鑑は、基本的に一家に一冊あって当然のものなので貸し出し対象外だと思いましたよ。重いですし、汚れは落ちますが破けてしまった場合、そのページの家の方が激怒されるので買い替えになってしまいますから」
なるほど。そういえば魔法で直すのはできないんだったっけ。テープとか糊で顔が貼りなおされてるのとか確かに恰好付かないかも。
「なら、学園の図書館以外で貸し出ししてくれる所とかは…あー、ダメか」
自分で口に出してみたその瞬間に諦める。同じ理由で駄目に決まってるか。
「やっぱり学園内にいる時間を使って地道に読んで覚えるしかないですよねぇ」
しょんぼり。なんで昨日の私はあんなにぐっすりと眠ってしまったんだろう。おかしいなぁ。
紅茶のカップを覗き込む。この休憩室に入った時にメイドさんが用意してくれたものだった。ちいさな焼き菓子も付いてきたけど、それはコトラが全員の分を食べ切っていた。まだ食べられるんだと吃驚だ。
「それなら、ロッド子爵家のものを貸し出しましょう。ふふ。うちの貴族年鑑なら、涎をつけても大丈夫ですよ」
へにゃっと目尻を下げながら意地悪いことを言われて、むぅっと唸る。
「き、昨日だって、本にだけは涎つけなかったですよ」
この世界では本は貴重だ。印刷は手書き原稿を原版とする輪転式の謄写版印刷機だ。薄く蝋引きされた原稿用紙を鉄筆で削って作る原版を元に印刷する、いわゆるガリ版刷り。月の灯り亭で働いていた時の常連さんに印刷屋で働いていた人がいたので知ってる。爪の中まで真っ黒だった。
魔石で回るのかと思ったらインクが切れるタイミングが難しいらしくて手動で回しているといっていたので本当に大変そうだった。インクカートリッジ考えた人ってほんとすごいよね。物は知ってても構造とかまったく想像つかないもん。
でも、エリゼ様がさっき話してくれたけど、あっちの技術を全部こっちに持ち込んでもいいことはないんだろうな。
きちんとこっちの人達が見つけ出すならともかく私みたいのがなんとなくで持ち込むのは駄目なんだなって判った気がする。
「どうしました?」
声を掛けられて、ようやく自分が自分の考えに沈み込んでいたことに気が付いた。
「すみません。エリゼ様に指摘されるまで、あっちの技術を無闇にこちらに持ち込むことの危険性を考えたこともなかった自分がこう…駄目だなぁって」
「危険性、ですか」
こくりと肯く。
ある日突然こっちに来てしまった私と違って、あっちの知識を持ちつつ、こちらの世界の人間として成長していったエリゼ様だからこその視点なんだろう。
「あちらは、いろいろと自分たちの生活と技術の発展を優先した結果、世界的規模で環境を破壊して、天変地異や異常気象を招いている状態だったんです。そんな結果に結びつくことが判っている技術を不用意に持ち込む危険性に、私はまったく気が付かなかった」
恥ずかしい。こちらとあちら。どっちが勝っているということはないのに。
技術が進んでいるからといって、元の世界のそれは、正しいことばかりじゃない。
「ちゃんとこちらの事を勉強して、理解してからじゃないと。半端な知識だけ振りかざしても駄目なんですよね」
じっと紅茶の中に沈んで見える気がする、なにかを睨んでそう決意した。
私には、圧倒的に知識が足りない。物事をきちんと把握するための多角的な視点も。
「でも、石鹸も治水工事も融資制度も、私たちの生活をよりよくしてくれました」
じっと私の考えを聞いていたムーアさんが真摯な声で教えてくれる。
「何年かおきに定期的に猛威を振るい国力を削ぎ、時には戦争の理由にまでなってきた流行り病による被害もかなり減少しました。それは、あちらの技術でしょう?」
そうだ。エリゼ様の功績だ。粘り強く、この世界で手に入る材料と技術で、固形石鹸を作り上げた。
「海水から塩をつくる技術や味噌という発酵食品もです。あれらの開発により夏でも食べ物が腐りにくくなりました。岩塩はこの王国では採れないのでそれまでは輸入に頼っていたのですが、塩は輸出すらできるようになりました」
キラキラするようなエリゼ様の功績たち。沢山の人を救ってきたんだねぇ。
私と同じ17歳。前世の分が足されたって100年を超えるってことはないだろう。
それなのに。
「エリゼ様は、本当に凄い人なんですねぇ」
私と全然ちがうんだなぁ。
私はこの世界にきた時、泣くことしかできなかったよ。神父様とシスターと女将さん達に手助けして貰ってようやく生きてこれただけだ。
何かになりたいと何でもできるようになりたいと思いながらも、食堂の下働きが精いっぱいだった。
「凄いなぁ…」
そっと手を包み込まれるように取られた。
「私にとっては、りんさんも同じくらい凄いですよ」
そんなことがある訳がない。ふるふると首を横に振った。
「りんさんと出会ったことで、私の人生は変わったんです。毎日がこんなに楽しくなったのはりんさんのお陰です」
本当だろうか。
目を上げると、優しい瞳が私を見つめていた。
「本当ですよ、言ったでしょう? 私は、りんさんに嘘は言いませんよ」
私が信じられませんか? と、眉を下げて言われて、さっきより強くふるふると首を横に振った。
「良かった。りんさんに信じて貰えなかったら泣くところでした」
その人は、優しくそう言ってくれた。
「言っとくけどな、俺の人生だって、りんと出会ったことで変わったんだよ。
りんは俺の命そのものだからな」
いつの間に猫から人に戻ったのか、ガーランド様が「お前その手を放せ」と暴れだした。
そのドタバタ加減につい笑いだしてしまい、なんだかしんみりとした気分は吹き飛んで行った。
「そろそろ午後の授業も始まってるだろ。ダンス室でいいんだよな。着替えに行こうぜ」
その声を合図に、休憩室から移動を開始する。恐る恐る出てみると、すでにカフェテラス周辺には誰もいなかった。
3人連れだって更衣室に向かう。
まぁ着替えに行こうといっても実際に着替えるのは私だけだろうけど。でも、一応確認してみよう。
「ガーランド様は着替えないですよね?」
ふふん、とガーランド様が笑った。
「俺はこの通りだ」
そういうと、着ていた服がぱっと変わった。おぉ~!
黒の軍服から、丈の長いフロックコートへ。色も光沢のあるアズール色へと変わる。光の加減により白にも青にも見えるそれは、青く見える黒髪との対比が映えた。
「すごい! 魔法でなんにでも着替えることができるんですね」
そう。感動したのに。
「んー、ちょっと違うな。今の俺は現身じゃない。イメージを投影してるだけだからな。
だから想像している自分の服装を、先日の夜会で着てた服に変えただけだ」
魔法はイメージ力っていうのと同じ感じかな。違うか。
「それじゃ、私は着替えてきますね。先にダンス室に入っていてください」
そう言って更衣室に入ろうとする私に、ムーアさんが声を掛けた。
「いえ。ここでお待ちします。もし何かされたら、即、私の名前を呼んで下さい」
いやいやいやいや。女子更衣室、しかも使用中に男性なんか呼べませんよ!
「私は入りませんよ。でも、りんさんに何かした奴を放置するつもりもありません」
にっこりと笑ってなんか怖いことを言いきられた。こわひ。
「俺は猫になれば入れるかな」
阿呆か。この世界にはエロ王子しかいないのか、ホントにもう。こんなんばっかりだな。
廊下に残していく二人にあっかんべーして更衣室へ入った。
「あら」
誰もいないと思った更衣室には、麦わら頭もとい棒付きキャンディーじゃなくてリリアーヌ・ヴェルズ様がいた。ただし、髪がぐちゃっと乱れていて、どうやらそれと格闘中のようだった。
「昨日は棒付きキャンディーご馳走様でした」
邪魔にならない程度の視界の端で、エリゼ様に教わった子供用カーテシーをしながらお礼を伝えた。どうだ、使用人の挨拶じゃないぞ。これで文句はあるまい。
するっと後ろを通って自分のロッカーへ向かおうとしたところを引き留められた。




