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 学園を出るとしばらくは貴族のタウンハウスが立ち並ぶエリアが続く。

 ひと頃流行ったデザイナースマンションを更に高級感たっぷりにしたような背の高い大きな建物が並んでいる区画をひたすら歩く。 

 ここラノーラ王国の王都リエールは、ぐるりと廻らされた城壁に囲まれた城郭都市だ。東西南北には兵士が常駐している城門があり、中央に王宮を戴き、その外に王族の住まう一の郭、貴族の住む二の郭ここまでが貴族エリアと呼ばれており、この中に王立セントベリー魔法学園はある。

 三の郭には、東に王立騎士団、西に王立魔法院、南に中央教会があり、北には上級貴族たちのためにはたらく人々の住む場所や備蓄庫などがひしめいている。

 そして、三の郭の外、城壁の間に下町が広がり商店街や居住エリアや歓楽街、そしてその北西端にはスラム街があるということだけれど、まだ、りんは足を踏み入れたことはない。


 馬車なら10、15分程度の距離でも、りんの足では30分以上の道のりだ。

 人通りの少ない綺麗な煉瓦で舗装された道を、りんはひたすら歩いていた。

「まったく。話が判る方だって言っても、やっぱりお貴族様が通うための学校よね。

 働いている人もお貴族様だし、みんな勝手すぎなのよ」

 つい、愚痴が出た。

 教科書を持ち帰るかもと思って用意した大きな鞄も、真新しい筆記用具もなにも使わなかった。これまでの生活にはそのどれも必要なかったものだ。

「それに、せっかく早起きして作ったのになぁ」

 なにより、お弁当を持ち帰ることになったのがキツい。

 貴族の子女が通う学校の学食は、きっと高すぎて手が出ないと思ったから作ってみたけれど、結局家に帰って一人で食べることになるとは。

 何度目か判らない溜め息が出ていった。


 ようやく三の郭を出る。各郭を出る時も検問を受けるので、いちいち学生証を提示しなければいけないのも面倒くさかった。明日からは紐で吊るして首から掛けるか、鞄に結んでおこうと思う。


 昼前の大通りは働く人の波で混んでいた。


 すれ違うのは、赤、青、黄、白、紫、緑、ピンク、色とりどりの髪をした人達。

 人を乗せるのは、飛べないけど羽のある巨大なトカゲ。

 荷物を運ぶのは、足が10本もある山のように大きな牛モドキ。

 一年経つ頃にはだいぶ見慣れたけれど、やっぱりここは不思議な世界。


 人の形は同じ。色が違うだけ。

 西洋的ではあるけれど、街並みだって、1つ1つの家だって、中にある家具すら大差はない。

 あるのは同じ、人の営みだ。

 でも、ふとした拍子に、ここには自分に似た人がいないと感じてしまう。

 ここは、私がいるべき場所ではないと言われている、そんな気がしてしまう。

 だって、ここは異世界。


 ──元いた世界でだって、私のいる場所なんかなかったけれど。

 誰も知っている人のいない場所にいきたいといつも思っていた。

 家族なのに、私のことを知ろうとも知りたいとも思っていない人達がいない場所。

 そうしたらきっと楽に息ができるようになる、そう信じていた。

 義務教育が終わって、でも家出して一人で生きていく勇気なんかなくて。

 高校卒業したら、そうしたら就職して今度こそ家を出ようと思ってた。

「高校卒業する前に、願いは叶っちゃったんだよねぇ」

 でも、あの日。私はずっと泣きどおしだった。

 世界から切り離された恐怖と混乱。

 ここには、私を知っている人は誰もいない。あの時の私はそれがとても怖かった。

 

 見上げた空には、明るく輝く太陽と、

 透けるように薄い色をした二つ並んだ双子の月。

 容赦なく、何度でも、ここが異世界だと思い知らされる。


 だめだ。お腹が空いているからだ。だからこんなマイナス思考になるんだ。

 早く家に帰ってご飯を食べよう。お腹いっぱいになったらきっと大丈夫。

 お弁当はすでにある。これと、温かい紅茶を淹れて、ミルクもたっぷり入れよう。

 蜂蜜を入れるのもいいかもしれない。

 こんな時は、ちょっと贅沢して自分を甘やかそう。



 元は大きな商店を営んでいた人が持っていたという、レンガ造りの古いタウンハウスを改造した5階建ての下宿だ。とはいっても最上階は物置で、店子が入れるのは4階までだ。1階には大家さんの部屋と皆で使う食堂と共同のシャワールームや洗濯室があり、2~4階までにそれぞれ2つずつ下宿部屋がある。

「ただいま」

 つい、玄関を開ける時に声を掛けてしまう。誰もいないのに。

 朝出てきたときそのままの、冷たい部屋にランプを灯した。

 窓が小さいので昼でもどうしても暗い。低い階で独り暮らしをするのは勇気が足りなかったので、一番上の4階に部屋を借りている。エレベーターなんていうものはないので、上階にいくほど家賃は安いし、人気もなかった。同じ階にはもう1つ部屋があって、そちらは空き部屋だ。

 部屋は2K。魔石コンロが1つある小さなキッチンと、食堂兼居間兼勉強部屋と、寝室、それとトイレだけは付いていた。

 部屋の真ん中に敷いたカーペットの前で靴をそろえて脱ぐ癖もなかなか抜けない。室内履きに履き替える。

 月の灯り亭で貰った机と椅子が2脚だけの居間。

 奥の寝室にはあのベッドも置いてある。

 カーテンは安い布を買ってきてザクザク縫って吊るしただけだ。ちょっと布が足りなくて、下の方に隙間があるけど、その内余裕ができたら違う布を縫い合わせようと計画している。いつになるかは判らないが。

 それでも、この気の滅入る古びた灰色の壁紙の部屋の中で、明るいその黄色いカーテンは気分も明るくしてくれた。


 制服から着替える。脱いだ制服は、ハンガーに掛けて、軽くブラシをしてから吊るしておいた。 

 ちいさなキッチンで、小鍋にお湯を少し沸かし、茶葉を入れる。

 葉が開いてきたらミルクをなみなみと注ぎ入れ、沸騰しきる前に蓋をして、火からおろして少し蒸らせばなんちゃってロイヤルミルクティーの完成だ。

 安いブロークンの茶葉だから、茶漉しを使っても粉が入る時があるけど仕方がないのだ。もう慣れた。

 カップに注ぎ、お弁当を広げた。

 まぁ、お弁当と言ってもね、チーズサンドとピクルスだけだけど。

 買ってきたパンに買ってきたチーズを挟んでおしまいである。

『せめて葉物野菜を挟めやコラ』とか『手作りバターは塗ってあるんだろうな』という声が聞こえてきそうであるが、待ってほしい。一度何もなしにパンに直接チーズを挟んで食べてから文句は言って欲しい。既にやったことのある方からのクレームは、甘んじて受け入れよう。その方とは判り合えなかった。ただそれだけのことだが。

 パン特有の小麦の甘さと、チーズの豊潤な香りと味わいが、噛み締める度に口の中に広がる。シンプルだからこそ感じ取れる、その美味しさにきっと吃驚すること請け合いだ。そんなこといいつつ、私もこの貧乏生活で初めて知ったんだけど。

 本当の意味での一人暮らしはこれが初めてだ。王宮から日当が出ることになって、手元に入るお金は増えたけれど、それまで住み込みで住居関係などに自分でお金を使う事のなかった私には、どこにどれだけお金を使っていいのかまだ判らなかった。

 だから、生活のリズムができるまでは切り詰められるだけ切り詰めるつもりだ。

「いただきます」

 ちょっとパサついたパンに齧り付く。安定安心のおいしさである。

 美味しさは幸せと直結している素晴らしいことだ。

 美味しいを作り出せる人は、とても素晴らしい人だと思う。


『国のお金で勉強させてくれるっていうんだから、精々ふんだくるつもりでいっぱい勉強しておいで』

 女将さんの、声が聞こえた気がした。


 今、誰にも必要にされなかったとしても、

 私は私が誇れる、必要とされる人間になると決めたのだ。

 だから、頑張る。

 どんなに今、寂しくても。頑張らなくちゃいけない時ってあるんだと思うから。



 


 さすがに疲れたのか、その日は早めに眠った。

 やることもないし、ランプの油も勿体ないしね。


 そうして、すっかり寝入った夜中に、それは起きた。


 ふみふみと布団の上から揉みしだかれる。

 それでも無視していると、その重みが少しずつ上の方に移動してきて、枕にのそっと重みが掛かるのがわかる。

 もふもふっ。もふもふっ。

 ふわふわの毛に包まれた肉球でぽすぽすと頬をつつかれる。幸せな感触。寝てる時でさえなければ。

「うぅん。…タイガお願い。もうちょっと寝かせてぇ」


 そういった、自分の言葉で目が覚めた。


「やだなぁもう。もう、タイガはいないのに」

 この世界にきて初めてできた友達だった。けれど、その友達だと思っていた猫は隣国アーリエルの皇太子ガーランド様だった。

 この王国と隣国との間で紛争を起こそうとしている秘密結社に掴まって、呪術により猫にされていた皇太子さまの呪いをそれとは知らずに解いてしまったのが、りんが光魔法を使った最初だった。


 呪いが解けて、長身の男の人に変わっていたのを見た時は吃驚した。

 自分のこの、ちいさなベッドに知らない男の人が寝転んでパン食べてんだもん。吃驚しない人はいないだろうが。

 ほんと、マナーのなっていない王子様だらけだ、この世界は。


 本人は帰らないと騒いだけれど、すでに1年も行方不明になっていたのだ。(近隣諸国には内緒だったみたいだけど)即行で隣国アーリエルに連絡して迎えに来てもらった。

 滅茶苦茶感謝されて、お礼金をガッポリ…こほん。そのままお帰り頂いた。

 それから学園に入ることになって、引っ越しもして。本当の独り暮らしになった。


「やだな。もうひと月以上経つのに。まだ夢に見ちゃう」

 ぼふっと布団を被り蹲った。


 ……タイガに、会いたいなぁ。

 会いたいのはタイガで、皇太子さまではない。そこは間違えないで欲しい。


 ぼふんぼふんぼふんっ。

 再び攻撃を受ける。── ん? 夢じゃないんじゃないの、これ。

「タイガ?!」

「に゛ゃーーーー!!(飯くれ、めしー)」

 そこにいたのは、見覚えのある、特徴的な青と黒のブチ模様をした雄猫だった。

「ど、どうしたの。国に戻ったんじゃなかったの?」

 こてん、と首を傾げる姿はあざと可愛くも愛しい。

「…解呪が、不完全だったの? 猫に戻っちゃったから助けを呼びに来たの?」

 なら、早くもう1度解呪を試みなくてはいけない。皇太子さまがこのまま戻らなかったら、来年にはラノーラ王国と隣国とで戦争になる。

 だから、ちゃんと人間に戻ってもらって、早くアーリエルに帰ってもらわなくては。

 会えてとても嬉しいけれど。

 会えなくてとても寂しかったけど。


『りんがいいな。正論ばっかり吐きまくる』

 そう笑っていってた。だから。

 ちゃんと自分にも正論を吐こう。吐きまくるのだ。

「ちゃんと解呪しようね。タイガ」


「…でも、一緒にご飯食べてからでも、いいよね」

 私の独り言など関係ないとばかりに、腹減り猫によるふみふみが攻撃はいっそう激しくなり、更にぐーるぐーるという喉を鳴らす音が重なる。

 最大級に、甘えて貰っている。そのことに心が温まる。

「今日も、オートミールしかないからね?」

 そういいながらベッドから降りると、猫はうれしそうにすとんと足元に飛び降りた。


 台所に移動して、棚からオートミールを取り出し、小鍋に入れて水で浸す。

 5分ほど吸水させてから中火にかけ、小さくふつふつしてきたところで火を弱める。

 焦がさないように、ゆっくりと木べらで底からかき混ぜながらトロミが出てきたところでミルクと蜂蜜を加え、もう一度中火にして、よくかき混ぜながら煮ていく。

 全体的に、つやのある透明感が出てきたら火を止め蓋をして蒸らす。

 そうして、目に付かない棚の奥にしまっておいた、一枚の青い深皿を引っ張り出した。

 軽く洗って、器にオートミールを盛りつける。


「このお皿、私が捨ててなくてよかったね」

 待ちかねたといわんばかりに瞳を輝かせていた猫の前に差し出すと、そのコはお皿に顔をつっこむように意気込んでハフハフとがっついた。

 この猫には、猫舌なんてやっぱり関係ないらしい。

 食事に夢中になっているその頭をゆっくりと撫でた。


「おかえり、タイガ」




やっと前作の伏線? 妄言? の回収が始められたのです。

適当なことを書いたツケは大きい。

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