26時限目
パンとチーズ、そして衝動的に桑の実を購入することにした。
これのジャムを日本で売っていたなと思ったらなぜか作ってみたくなったのだ。
グラニュー糖と同じものなんだと思う淡い藤色をした結晶糖は高かったので150gだけ買ってみた。桑の実500gに対してこれでどこまでジャムっぽくできるか判らなかったけど、まぁいいのだ。
「マルベリーなんて子供の頃に食べたきりな気がします」
あれ。もしかしてこれ、桑の実とは違う果物だったのだろうか。
色が違ってても気にならなくなってしまっているので、別物だと思わずに手に取ってしまった。
「えーっと。桑の実という名前の果物だと思って買ってみたんですけど違う果物だったでしょうか」
でもあれか。パイナップルとか酵素が豊富なもの以外はジャムにできるって話だったし、ジャムにならなくてもフルーツソースとしてなら固まらなくても何も問題ないから違う果物でも関係ないかな。
固まらないほど酵素がいっぱいだったり、砂糖なしで酸っぱすぎるなら、それはそれで使いようがある、と思う。
「あぁ。確か桑の木から採れる実なので、桑の実でも間違いないと思います。同じものじゃないですかね」
「よかった。ジャムを作るつもりだったんです」
「それは楽しみですね」
今日も、二人で並んで普通の会話をしながら帰る。
こんな幸せが、自分にも訪れるなんて思いもしなかった。
下宿先の建物の前でお別れだと思ったのに、ムーアさんはやっぱり一緒に4階へ行くと言い出した。
まぁそうだよね、鞄の中には擬タイガがいるんだもん。護衛としてはせめて部屋の前まではついてきたいよねぇ。
そういえば、擬タイガってなんで王宮に引き取られなくなったんだろう。
入り口で大家さんと挨拶を交わしているムーアさんの背中を見ていて昼間思いついた質問も聞いてなかったことに気が付いた。
駄目駄目すぎるな、今日の私。
「あの、擬タイガのことで教えて欲しいことがあるんですけど」
「ギタイガ? あぁ、タイガ擬きで擬タイガですか。上手いこと言いますね、りんさん」
「あの、それで…」
忘れないうちにと質問を口にしようとした私を、ムーアさんが手で遮った。
「すみません。ここではあまりお話しできませんので、りんさんのお部屋でさせていただいていいでしょうか」
それもそうだ。どこまで話していいのかの確認を、誰が聞いているのか判らない場所で出来る訳がないよね。
一緒に階段を昇り、部屋の前まで着いた。
「えっと、また10分ほどお待ち頂いても?」
へらっと笑って時間を区切る。
今朝は本当に焦って出てきてしまったので、どうなっているやら不安しかない。
「はい。お待ちしてますね」
にこやかに了承してくれるムーアさんを玄関前に残して、私は急いで部屋の中に入った。
椅子の上に鞄を下ろすと、そこからもそもそと擬タイガが出てきてソファの上で丸くなった。
大きな欠伸をするその姿は、すっかりこの部屋の主然である。むぅ。
そして、テーブルの上に鎮座していると覚悟していたチーズサンドの山は欠片ほどの跡形もなかった。
「擬タイガ、全部食べてから学園に来てたんだ…」
ちょっと遠い目になる。毎月の食費って一体幾らくらいになるのかな。想像するのも嫌だけど、ちゃんと出納帳付けておかなくちゃ。はぁ。
もしかして、家にいる間の私はずっとキッチンで何か食べる物を作り続けなければいけないのかもしれないと考えてしまい背筋がぞっとした。今朝の状況を思い出す。恐ろしい。まるで恐怖映画並みだ。
ヤカンをコンロに掛け、寝室に飛び込んで着替えを済ます。
部屋中の掃除チェックを軽く済ませて、ようやく私はムーアさんを部屋に招き入れるべく玄関ドアを開いた。
すると、そこには包装紙に包まれた箱を抱えた人が立っていた。
「今日、隣の部屋に引っ越してきました。これからよろしくお願いします」
その人はそういうと、「これ、ご挨拶の品です」と、包み紙を差し出してきたので、つい受け取ってしまった、のだが!
「……ムーアさん」
目の前にいるその人は、にっこり笑って「毎日が楽しくなりますね」そういった。
「すみません、これを飲んで少し待っててください」
紅茶を淹れて差し出し、キッチンへと移動する。
桑の実を水で洗って、駄目になっていそうなものを調べてボールに入れて砂糖をまぶしておくところまではせめてやっておこう。
そうしてこの作業をすることで、少しでも状況を整理して落ち着きたいんだけど。
「無理!! 無理すぎる!!」
「何が無理なんですか?」
うわっ。
「ムーアさん」
振り向いたそこに立っていたその人は、上着を脱ぎ袖を捲ってエプロンを身につけていた。
「今夜の夕飯は、私にも手伝わせて戴けませんか?」
いつの間に持ち込んだのか、ダイニングテーブルの上には調理用クッキングマットが敷かれていた。そこに、慣れた手つきでマッシュポテトとデュラムセモリナ粉、乾燥チーズを山盛りにしたムーアさんは、それをフォークでささっと混ぜ合わした。中央に深く窪みを作り、そこに卵黄と牛乳を入れて器用にフォークを使って混ぜていく。ある程度均一化したところで両手を使って捏ねて、その生地が出来上がった。
出来上がった生地を棒状に伸ばし、一口大にフォークで切り分けて、それにフォークの背で潰すようにして表面に凸凹を付けていった。異様に手早い。
熱湯で2、3分。浮き上がってくるまで茹でたところで、フライパンにバターを溶かして茹でたニョッキと生のセージを入れてひと混ぜしたら出来上がり、そう彼がいって皿に盛りつけた。
その間に私は干し肉と卵とキャベツを使った塩味のスープを作り、キャベツとトマトを切って塩胡椒とオリーブオイルを塗してサラダだと言い張ることにした。
擬タイガの分も含めて3人分を盛りつけてテーブルに並べる。
「「いただきます」」「うにゃ」
3人で仲良く食べる。うん、おいしい。ほんとに美味しい。ささっと作ったとは思えない程本格的な味がする。
「…ムーアさんは、私より料理上手ですね」
「お口に合ってなによりです。でも作り慣れているだけの所詮軍隊メシです」
慣れているだけっていう人が生のハーブとか使うだろうか。それだけじゃない。ニョッキを自分で作る人自体、初めてだ。おうちで手打ちパスタってすごいよね。
「いえ、そんなレベルじゃないですよね。すごい、美味しいです」
「こんな料理でそんなに喜んでもらえるなら、毎日だって作りますよ」
いや、毎日はどうだろう。
「私も頑張らないと。もっといろいろ自分で作れるようになりたいんです」
「りんさんの作ったスープも美味しいですよ。汁物があると嬉しいですよね」
そういってムーアさんはスープの味つけを褒めてくれた。
擬タイガは、足りないとばかりにうにゃうにゃ文句をいいながらキッチンへ行って勝手に残りのニョッキを食べ尽くし、それでも足りないと大騒ぎする擬タイガの為に急遽作り足したマッシュポテトをお替りしてようやく今夜の食事を終了した。疲れた。
擬タイガが勢いよくじゃが芋の山を攻略していく様子を見ながら、
「明日は、マッシュポテトの素を買い足してこないとですね」
そう2人で笑いあう。それは想像と違って恐怖映画ではなく、とても穏やかなものを感じさせた。
紅茶の入ったカップを両手に持ったまま、桑の実のジャムを煮詰めるべく一緒にキッチンへ移動する。
ボールに入れておいた砂糖を塗した桑の実からはいい感じに水分が上がってきていた。
それを鍋へと移し入れて火に掛けた。
ムーアさんに、「お酢かレモンは?」と聞かれたけど、どっちも常備していないといったら一旦部屋から出て行って白ワインを持って戻ってきた。
そしておもむろに鍋の中身へ振りかけた。
「果物を煮る時はお酢やレモン、白ワインといった酸味のあるものを入れないと仕上がりの色が悪くなるんですよ」と教えてくれた。知らなかった。
最初はできるだけ強火で。ぶくぶくと上がってくる灰汁をスプーンで取り除きつつ、ある程度に詰まってきたら少しだけ弱くして木べらでかき混ぜつつ煮詰めて行けば完成する筈だ。
少しだけトロミが出てきたところで味見をしてみると、その酸味のつよさに衝撃が走った。
「く~~~~~っ」
悶絶していると、ムーアさんが「昨日、おまけで貰った干し林檎は残っていますか?」と聞かれたので、棚から出すと「ジャムに使っても?」というのでこくんと頷いた。
干し林檎を表面に浮いた白い糖分ごと細かく刻んで桑の実ジャムの鍋の中に投入された。
なんか、いい具合にジャムっぽくなってきた。すごい。
木べらの跡が鍋底に残るようになったので火から下ろして、まだ熱々のジャムを買ってきたパンにつけてぱくりと味見をする。
「酸っぱい! でも甘い! 甘酸っぱくて美味しい」
「冷めたらもう少し甘さを感じますよ」
そういえば塩分と逆なんでしたっけ。お弁当は濃いめの味付けにしないと寝ぼけた味になるって家庭科の授業でやった気がする。
「火傷しないように気を付けてくださいね」
煮沸消毒した小瓶に詰めて、軽く蓋をして脱気作業をしたら逆さにして冷めるまで放置することにして、居間に戻った。
「初めて作ったにしては上手にできた気がします」
「美味しくできてましたね」
全部、ムーアさんのお陰っぽいですけどね。
「ジャムに白ワイン使うのとか全然知りませんでした」
「軍隊で長期の演習に行くとね、誰かしらどこからか果物を摘んできたりするんです。
キツイ生活をしてるとやたらと甘いものって欲しくなるんですよね」
はぁ。なるほど軍隊。
「皆でたくさん摘んできたつもりが、ジャムにしたら、本当に少なくなっちゃって。盗み食い疑惑が出たりね」
「あぁ。嵩減りますよねぇ。さっきも小瓶に2つしか無くて吃驚しました」
「本当ですよね」
楽しいなぁ。うふふ。
「ジャムも作れるし、料理も上手になるし。軍隊に入ると嫁入り修行にもなるんですね!」
しかも強い。最高で最強のお嫁さんだね!
「私は、お嫁さんが欲しい人ですけどね」
あれ? 自分で振ったお笑いネタだったけど、なんかちょっと拙かったかな。
急に雰囲気が変わってムーアさんがもの言いたげに見つめてくる。ちょっとというかかなり気拙い。
なので、話題を変えることにした。
「そういえば、さっき引っ越しの挨拶にって戴いたプレゼント、開けてもいいですか?」
笑顔で了承して貰ったので、ソファのところに置いておいた包みを持ってきた。
よかった。雰囲気が明るくなった。ああいう空気は苦手だ。楽しいのがいいな。
包装紙を破らないように、ゆっくりと包みを解く。この瞬間、本当にわくわくする。
この部屋に置く、ムーアさん用のマグカップだったりして。
そんな想像をしていたのに。
そこから出てきたのは、水色のリボンがついているけれど、あの白いダンスシューズだった。
「ムーアさん、これ…」
キッド革で出来たダンスシューズ。とっても軽くて、まるで私の為に作られたんじゃないかと思ってしまう程サイズもぴったりで抜群の履き心地だった。
でも、ものすごく身分不相応のお値段だった靴。
返さないと。こんなに高価なもの、受け取れないと悩んでいると、ムーアさんが眉を下げてこう言った。
「りんさんが受け取ってくれないと、私の部屋に飾っておくしかできなくなります」
更に、「私からの贈り物の証として、水色のリボンも付けて貰ってしまいましたからもう返品もできません」と言い募られて困ってしまった。
私は、入学祝いでも受け取ることを拒否したのに、引っ越しのご挨拶なら受け取るとなんで目の前のこの人は考えたのだろう。
むうと悩んで、気がついた。
早くダンスシューズを手に入れないと、ダンスの授業もカーテシーの練習も進まないのだと。
殿下とエリゼ様は、復習を兼ねる授業の一環として私の講師を務めるという話だった。ということは、私の習得状況で成績が付けられるということ?
もしかしなくても、だらだらと時間を掛けて靴を探している時間はないのかな。
こんなに強引にこの靴を私に使わせたがるのは、これが理由かな。
「……分割でお支払いを」
「分割で受け取るなら、直接お金では無粋ですし是非お願いしたいことがあるのですが」
にっこり笑ったその顔が、なんだか悪い顔をして見えた気がした。
「あの、夕飯を一緒にするだけですか?」
「はい。毎日でなくても構いません。学園に通っている間だけでもいいので、たまに私と今夜のように一緒に食事を作って食べてくれませんか?」
…一緒にやれば、家事の手間は半分になる、のか。なるほど。
「食事だけでなく、買い出しや掃除、洗濯も請け負いますよ」
要はハウスキーパーを請け負う感じかな。うん、いいかも。
「そこまではいいませんが、一緒にできることが増えるのは嬉しいですね」
こうして契約は締結されたのだった。なかなかいい契約ができたかも。うん。
夜も更けてきたし、そろそろお開きかなーと思ったところで思い出した。
「そうでした。さっき階段あがる時にも聞こうと思ったんですけど、使い魔のままガーランド様が聴講生になるのはいいとして、クラスメイトの前で、擬タイガのことはどう呼べばいいんでしょうか。聴講生はガーランド様だって教えてしまってもいいのでしょうか。擬タイガが聴講生だっていうこと自体が秘密だったりしますか?」
えーっと、えーと。これでいいのかな。
タイガと擬タイガとガーランド様。もうややこしくて敵わない。
使い魔にゃんこには、なにか違う名前を付けよう。そうしよう。
「それについては、俺から話そう」
そこにはガーランド様が立っていた。
やっとここまで来たよ。
前作ラストの状況まであとちょっとやで




