18時限目
『おきて、わたしのりんたん。おきて、わたしのりn…』バシッ
「…なんか変な夢を見た気がする」
むー。思い出せない。
目を開けて、部屋を見回して一瞬自分がどこにいるのか判らなくなった。
慌てて飛び起きても、そこはまったく見覚えのない部屋だった。
──もしかして、また?
心臓がばくばくと激しく動く。どうしよう。また誰も知らない場所に来てしまったのだろうか。
その時、ぽすぽすと何かに突かれた。
「にゃー」
…そうだった。昨日、エリゼ様達に勝手に部屋を魔改造されたんだった。
ふわふわピンクと白のお姫様部屋に。
なんて私に似合わない部屋なんだろう。
この部屋の内装には正直眩暈がしてくるけど、タイガの為なら仕方がない。
「おはよう、タイガ。ありがとう」
ふわふわのお顔を堪能すべく撫でまくる。
その内、私が撫でているのか、タイガが私の手に顔を擦りつけているのか判らくなってきた。
「ゴーロゴーロゴーロゴーロ」
タイガが両手でシーツを揉みだした。なるほど、ご飯強請ってたのか。
「今朝の朝ごはん、何食べようか」
私はタイガを抱き上げてキッチンへと歩き出した。
「さて。昨日、勢いとはいえいろいろと買い込んできたけど、猫には上げられないものを外すと、何が作れるんだろう」
正直、途方に暮れてしまう。
食べさせてはいけないものとして、玉ねぎ、塩、レーズン、チョコレート。
嫌がるだろうものは、お酢、柑橘系かな。
今度から生肉か生魚買ってきて茹でてあげるとかした方がいいかなぁ。
この王国ではお刺身を食べないので、魚も生で上げるのは躊躇する。
「…タイガ、マッシュポテトと、マカロニチーズと、オートミールどれがいい?」
途方に暮れすぎて、ついタイガの前に元となる乾物を並べてみる。
「なんて。選ぶはずがないか。はは」
やだな、私ったら。つい現実逃避しちゃった。
オートミール作ろっかな、そう思って手に取ろうと思った時だった。
タイガは私が並べた3つの乾物をスルーして、セルフレイジングフラワーの入った袋とバターミルクパウダーの袋と、棚に入っていた蜂蜜を突っついて押し出してきた。
これは…。
「もしかして、蜂蜜掛けパンケーキを御所望でしょうか?」
さっきまでぴんと立っていたタイガの尻尾がへたんと下がり、ふるふると首を振られた。
「では、蜂蜜入りのパンケーキを御所望ですか?」
尻尾がピンと上向きになり、嬉しそうに瞳が輝いた。
「なるほど。メニューはタイガに聞くのが一番手っ取り早そうだね」
タイガの中身は、そういえば人間なんだっけ。
隣国の皇太子、名前は…ガーランド様だったかな。
私の中で、今そのことがようやく形になりだした。
まず一番最初にするのはスプーンにバターをひと匙掬っておくこと。室温で柔らかくするのが目的だけど、緩くなり過ぎて溢さないように気を付けたい。
マグカップにセルフレイジングフラワーを1杯分とバターミルクパウダーをスプーン山盛り1杯をボールに入れて、泡だて器でざっと均等っぽくなるまで混ぜ合わせる。
粉を量ったマグカップに卵を溶き、蜂蜜をカップにぐるぐるぐるっと3周分くらい入れて更に混ぜ、卵と蜂蜜が均一になったら、水を卵と合わせてカップ半分くらいまで入れてよく混ぜる。その後、カップ1杯になるまで入れて卵液を作っておく。
粉の入っているボールの真ん中に窪みを作って先に柔らかくしたバターを入れ、そこを目指して少しだけ卵液を流し入れて、真ん中の辺りでバターと卵液を軽く混ぜ合わせる。
そうしたら残りの卵液を入れて、泡だて器で気長に一方向にだけ混ぜ続ける。
こうして卵液の周りから少しずつ粉類を混ぜ込んでいくのだ。
ここで面倒くさくなって反対方向に泡だて器を動かしてかき混ぜるとダマが出来やすい、というか間違いなくダマができる。
時間が無い時でも、泡だて器を動かす向きと反対側に、器であるボールをゆーーーっくりと回すことくらいにしておくべきだ。
これだとダマができることはほとんどない。ほとんど、というだけで出来てしまう時もあるんだけど。
フライパンを中火に掛け、温まったところで本当は濡れ布巾で一回冷やすといいとわれているけれど、今回はチャレンジしたいことがある。
昨日、お店で買ったフライパン。
これが某テ〇ロン加工よりすごいとあっちのTVCMでやっていた某フライパンだったのには吃驚した。鉄製じゃないのかよ、と思わず突っ込みたくなったけれど、失敗も使う油も減るんだからいいじゃないかと思うことにした。安かったし。
何がすごいって、お店のおじさんがいうにはパンケーキを焼くときだって言ってたけど、これが正真正銘本当のことだった。
「本当に最初に冷やしたりしないでも、油なしでもくっつかないで綺麗に焼けるんだ」
お玉で流し込んだパンケーキ生地の表面に、空気の泡が出てきたところでフライ返しを差し込んでみると、するっと入っていって吃驚した。
さらに、ひっくり返したパンケーキの焼き色の美しさにも吃驚した。
完璧なまでのキツネ色をしたパンケーキ。
こっちの小麦粉は最初から黄色い。だからパンケーキはきっと卵を淹れなくても黄色い。今回は卵入だからまっ黄色だ。
いろいろと配色は違うのに、焦げ目は普通に茶色なのが納得できない。
メイラード反応の色だって違ってもいいんじゃないの? と思ってしまうのだけれど、でも実際に紫色の焦げ目とかついてたら毒っぽく見えて口に運ぶのがとっても勇気が必要になるだろうからこれでいいのかもしれない。
夕日はオレンジ、晴れた空は青い、パンケーキも肉も焼けた色は茶色い。
それでいいのだ。
タイガの指定により牛乳ではなくバターミルクパウダーを使ったので、ふわふわでものすごく美味しそうな乳製品独特の、誘惑の甘い香りがする。
バターミルクは、生乳からバターを作った時に残った物で、これの水分を飛ばして保存し易くしたのがバターミルクパウダーなんだそうだ。これが、たまらなくいい香りがするのである。
これを入れたスコーンは最高なんですよ、とお店の人に勧められて購入することにムーアさんが決めたのだ。どうやら焼き立てのスコーンが好物らしい。
焼き上がったパンケーキに、追加でたっぷりのバターを乗せて深皿に乗せてタイガの前に差し出した。
ことん。
差し出すが早いか、タイガがそれに齧り付いた。
「おいしい?」
「うにゃうにゃうにゃうにゃうにゃうにゃ」
なんだかよく判らないが、どうやらお気に召したらしい。
あっという間にパンケーキはお皿の中で形を変えていき、タイガの胃袋の中へと納まった。
「では、私の分も焼きますかね」
同じ手順でパンケーキを焼く。私の分の方が大きいのは、身体が大きいんだもん当然だよね?
「いただきます」
両手を合わせてフォークを持つ。
一口大に切り分けると、そのままの時よりも、一層華やかにバターミルクの香りが立ち昇った。我ながら美味しそうだ。
「うにゃ」
ばくん。それは私の口に入る前に、タイガによって奪い去られていた。
「タイガ!」
ガツガツと一瞬で口の中のそれを咀嚼し終えると、タイガは私の分のお皿の上に残っていたパンケーキを咥えてテーブルから飛び降りた。
自分の深皿に移して食べてやがる。
意地汚い皇太子の姿に私は怒る気にもならずオートミールを自分用に作り出した。
「りんたん、おはよー」
「エリゼ様、おはようございますぅ」
一応、同じクラスではあるので朝のHRだけは一緒に受ける。
そうじゃないと学校行事なんかについての連絡事項が受け取れなくなっちゃうからね。
なんとか教室へとたどり着いた私は、力なく席に座るとへたり込んだ。
「どうした。元気なのだけが取り柄なのに、その元気がないとは。りんらしくないな」
「ケルヴィン殿下、おはようございますぅ。
…聞いてくださいよ、タイガが、タイガの奴がぁぁぁ」
オートミール、追加で更にパンケーキ2枚、マッシュポテトてんこ盛り。
あの後、何を作ってもタイガに横取りされているうちに、遅刻するぎりぎりの時間になってしまい結局牛乳とチーズを少しだけ口に放り込んで急いで咀嚼しただけの朝食しか取れなかった。
今朝はお弁当もなしだ。財布の中身もからっぽなのに、どうすればいいのか。
「聞くも涙、語るも涙とはこのことですよ」
うわーん、と私は机に突っ伏した。
「そんなに食べるのか、さすがだな、こう…あの猫は」
ケルヴィン殿下が、呆れたというよりもむしろ感心した様子なのが気に入らない。むぅ。
こっちは死活問題なんですけど?
毎日このペースで食べ尽くされていたら破産待ったなし、家無し子まっしぐらな気がする。
「このままだとお家賃も払えなくなりそうな気がするほどですぅ」
それよりなにより。
「…お腹空いて泣きそう」
ぐうぅぅぅぅ。
それは朝の教室内でのさざ波のような穏やかなざわめきが続く中、ひと際高らかに響き渡った。
は、はずかしいいいぃぃぃっ。
「すみません、さすがに教室内に食べ物は持ち込んでなくて」
「ご、ごめんなさい、お弁当は朝登校時にカフェのメイドさん達に預かって貰うことにしているのよ。すぐ何か取り寄せるわ」
「わははは。りんの腹が空くなんていいことだな。もっと喰って太れよ」
ムーアさんとエリゼ様がおろおろしながら口々にそう言って詫びる。けれど、詫びられる筋合いではないし、話の内容そのこと自体が恥ずかしさを倍増させるので止めて戴きたい。
そしてケルヴィン殿下は私の話をちゃんと聴け! 意味を理解しろ!!
もうほんと勘弁してほしい。クラスの皆様には全員絶賛スルーして頂きたい。是非。
反論する気力すら尽きかけて突っ伏したまま動けなくなった私の前に、それは勢いよく差し出された。
「これでも舐めていなさい、平民」
昨日の麦わら頭の女生徒だった。その手には棒付き渦巻きキャンディが乗っていた。
「私はリリアーヌ・ヴェルズ。
これは昨日のお詫び。受け取りなさい」
謝られているのか、マウントを取られているのか。まったく判らん。でもいいや、飴うれしい。
「…ありがとうございます」
「私も、たまに寝坊してご飯抜きで登校する羽目になるの。
ふふ、仲間ね」
いや、ちょっと違う。かなり違うと主張したいが、口に入れた棒付きキャンディが思いのほか大きくて話せない。
その内に、リリアーヌ様は自分の席に戻ってしまった。
「そうだった。りん、お前に預かって貰っている猫の食費について、昨日ムーアから報告が上がっていたんだが、話すのを忘れていたよ。
全部こちらで持つので安心してくれ。お前の食費と分けて記録するのも大変だろう。
お前の食べる分も含めて支給しよう。手間賃として考えて貰えばいいと思っている。
細かくはムーアと相談して欲しい」
よ、よかった。タイガは私の大切な友達だと思っているから、食事を提供すること自体は嫌じゃない。でも、いくら何でも私の懐事情ではあの胃袋は支えきれない。
「わふぁりまふぃふぁ。ふぁりふぁふぉうごずぁいまふ」
いけね。キャンディーを口に入れたままお礼を言おうとしたら、途中で涎でちゃった。
ポケットからハンカチを出して拭こうとしたところで、何かにべろりと舐めとられた。
「っ。このクソ猫」
ムーアさんが大きな毛玉を私から引き剥がす。
家でお留守番をしている筈なのに、何でここにいるの?
「うなん」
無様な姿でぶら下げられているのは、尻尾を揺らして威嚇しているタイガだった。




