15時限目
ムーアさんが後ろからやってきてひょい、という感じでタイガを摘まみ上げる。
そうして私に手を貸して立ち上がる手伝いをしてくれた。
「話し合いの前に、制服から着替えてきてください。
猫はあちらで捕まえておきますので安心して下さいね」
そういって寝室のドアを閉めて出て行った。
「説明してください」
6人掛けテーブルのお誕生日席に座らされた私の目の前には、ご馳走が並んでいた。
さっきまでこんなの何も並んでなかったのに。
もう、どこからツッコミを入れたらいいのか判らなかった。
いま私が着ているのは柔らかな薄手のシルクジャージーでできたワンピースだ。
それすら納得できない。
白地で、袖口と襟元にピンクのパイピングが施されたワンピースは、艶のある黒髪を一段と引き立てて少女らしい美しい頬をより輝いてみせていた。
まぁ、頬が紅潮しているのは怒りもあるのかもしれないが。
寝室の隅に元からあったハンガーラックに吊るしておいた着替え類は見当たらず、新たに設置されたらしいクローゼットの中には可愛い部屋着やお出かけ用ワンピースや着替えの制服(パニエ付になってた)や乗馬用のラップキュロットのツーピース、帽子、靴、バッグ、スカーフなどがぎっしりと詰め込まれていた。
諦めの境地で一番地味に見えたこのワンピースを着ることにしたのだが、それに袖を通した瞬間の、柔らかな肌触りに思わずうっとりとしてしまった。
そう。そんな意に反して持ち込まれた服にうっとりしてしまった自分にも、今のこの自分の城が勝手に改造されまくってしまったという事実にも、全てに対して私は怒っていた。
「そんな顔をするな。食事が不味くなる。
難しい話はこれを食べ終わってからにしろ」
王太子が果実水の入ったグラスを持って言った。
むう。
その言葉に自棄になった私は、ガッと両手でナイフとフォークを持ち上げて、目の前に並べられたご馳走をお腹に詰め込む作業に入った。
アスピックゼリーの上に鎮座するパテアンクルート、にしんのマリネー、ホロホロ鳥の燻製、香ばしい豆のポタージュスープ、ハネーペーストつきの黒パン、そこに混じる豆腐田楽。
「この薄緑のって、お豆腐…」
味噌が作れるなら、豆腐も作れるよね。
ただし、そこに塗ってあるのは味噌ではなくて、香草を使ったオレンジ色のペーストだった。香草のさわやかな香りと少し塩気のあるお豆腐の大豆の味が、とてもよく合っていた。
「美味しいでしょう。小さい頃、領地にある塩工場の視察についていったときにね、
海水から塩を取り出した後に残ったミネラルを舐めてみたらとってもエグ苦くて。
あぁ、これマグネシウムだ、にがりってこれかーって思いついたの」
舐めたんだ、公爵令嬢が。
周りの人、全力で止めたんだろうなぁ。
「精製度が低いから豆腐に塩分が残ってるんだけど、それも味わいよね。
シェフ達がみんな上手にこちらの料理に合わせて使ってくれるの。
あちらの食文化が受け入れて貰えた気がしてとても嬉しかった事を覚えているわ」
そっか。エリゼ様は自分しかわかる人のいない中で、ずっと生きてきたんだ。
持ってきてしまった知識をこちらで役に立てていくことで、あちらでの記憶と折り合いを付けてきたのかもしれない。
「とても、美味しいです」
私の言葉に、エリゼ様はとても嬉しそうに「うちのシェフに伝えておくわね」そういった。
「ごちそうさまでした」
デザートに出てきた、桃のグラッセカスタードソース添えの最後のひと匙まで食べ終えた私は、満足というより「食べ過ぎた」という思いでいっぱいになるほどの満腹だった。
「デザートのお替りもあるわよ」
私は顔を横に振りながら、「もう無理です」と表明した。
いくら美味しくても、もう入る隙間もないです。うっぷ。
「りんはもっと喰え。そして大きく育てよ。
こんな感じの、ちゃんとした曲線のある大人にさ」
”こんな感じ”といいながら、両手でS字を描いてみせていたエロ王太子が、またムーアさんにウメボシを喰らっていた。ざまぁ。
「いてぇ。でもさ、りんが俺たちと同じ歳ってオカシイだろ。
子供体形すぎる。栄養状態が悪すぎるんじゃないのか?」
う。それはあるかも。ただし、こっちに来てからじゃなくて、あっちでの食生活の方が影響は出ていそうだけど。
「りんたんは、そのままでも可愛いし、もっと大きくなってもきっと美人さんになるだろうから、私はどっちでもいいわぁ」
うふうふとエリゼ様がいうのはスルーしておく。ブレないよね、この人も。
「私は、りんさんが美味しそうに食べているのを見ているのが好きですが、無理して食べるのは違うと思うので、りんさんの自由にしていいと思います」
にっこりとムーアさんが言う。甘やかすなぁ、ほんと。
「俺は、なんでこいつとこんな所で殿下たちが食事しているのか、その事自体が不満ですね」
そう。こいつである。なんで、私の家に、知らない人がいて一緒にテーブルについているのか。
それをさっき一番先に聞こうと思ったのに。
180を超えると思われるムーアさんより更に背は高く、ゴツくていかつい体形、日に焼けた浅黒い肌、大きめの唇は不機嫌そうに一文字を描き、蛍光色のグリーンという言葉がぴったりの髪色と深く沈んだビリジアンの瞳をしている。
そしてその昏い瞳は私の事を嫌っているとしか思えないほど陰険そうに睨みつけていた。
正直、怖い。
「デビット、りんさんにそんな口を利くことは許さない」
ムーアさんがそいつに向かって警告をする。
「ちっ。あのムーア・ロッドがこんなガキに腑抜けになるとか。笑わせる」
舌打ちした。くろてぃるど先生といい、この世界では舌打ちってお行儀の悪いことではないのかな。
「デビット・グエン。私の前でよく言い切った。
今すぐ、私付き近衛を外れていいぞ」
王太子様もさくっと言い切った。うわっ。
「殿下まで。こんなガキに私より価値があるというのですが?!」
こんなガキこんなガキ煩いわ。なんなの、こいつ。
思わず蹴飛ばしてやろうかと思ったその時だった。
「デビット・グエンといいましたね。
私のりんたんに失礼なことをいうような男は、この私の前に存在することを認めません。
即刻立ち去りなさい」
うぎゃん。エリゼ様、かっちょいいです。そこで「りんたん」呼びじゃなければもっと恰好良かったのに。はぁ。
ムーアさんにも王太子様相手にも、ずっと反抗的な態度を取っていたデビット・グエンとやら脳筋男も、真顔のエリゼ様を怒らせたことに蒼白になって震えだした。
おや?
「エリゼリア様、お許しください。
ただ、私には皆様の態度がどうしてなのか全く理解できないのです」
まぁね、なんでみんなしてこんなに私を甘やかすのか、私自身にすらさっぱりな部分があるもん。
「まったく。それをこれから説明しようとしていたというのに。
そんな猪突猛進馬鹿は、近衛には向かないと思うのだがな」
ふう、と王太子様はため息交じりで呟いた。
とりあえず、話を始める前に軽くテーブルを片し、それぞれの前に紅茶を並べる。
ぽってりとした白磁のカップには繊細な金彩が施されており、それは触れる唇にとても優しくて紅茶の味を一層華やかなものへとしてくれるようだった。
どこから持ってきたんだ、これ。
我が家に置いて行かれても困る。豪華なセットなので場所も取るし。
などと現実逃避しかけたところで、王太子が口を開いた。
「説明を始める前に、いまここで知った内容は他言無用だ。
情報を外に流したものは厳罰に処すことになるので覚悟のないものは席を立つように」
王太子様は、テーブルに着いている一人一人の顔を見回し確認を取って大きく頷くと、ゆっくりと話し始めた。
「友木りんは、現在この国で確認されている唯一の光魔法の使い手だ。
すでに解呪と回復魔法が使用できることが確認されている」
「光魔法…だと?」
ちいさく声に出して、脳筋男が私を見つめる。
その視線は痛いほど判っていたけど、でもそっちなんか見てやらん。
私は今日という日の不満を、全力で脳筋男に八つ当たりする決定をしたのだ。
「そして、りんに懐いているこの黒と青のブチ猫は、隣国アーリエルの重要人物が呪いにより猫にされている状態の可能性が非常に高い」
「なんですって!」
ガタタン、と大きな音を立てて脳筋男が席を立った。
王太子様もエリゼ様も、なんでこんな煩い馬鹿男を仲間に引き入れようって考えたんだろう。
「うるさいぞ、デビット。話は最後まで静かに聴いてろ」
王太子様に睨まれて、脳筋男が慌てて席に戻る。
「呪いを掛けた相手が誰なのかもわかっておらず、また呪いの種類も詳しくは判っていない為、りんの解呪も完全には効果がでず、一時的には解除できても呪いが復活してしまっていると考えられる。
現状、その辺りについては王宮の方で調べを進めている状態だ」
ここまでいいか、と王太子様がまた各人を見回した。
皆が頷いたのを認めて続きを話し出す。
「隣国との今後の関係を考慮すると、この猫を保護しないという選択肢は有り得ない。
最低でも、この猫が隣国と無関係であると確認できた時か、呪いが完全に解除できて隣国に帰るかするまでは保護をすることと陛下も含めて国の意志として決定されている。
そして、呪いが戻って猫になった状態で、わざわざ国を越えてここまで助けを求めてきたことでもわかるように、この猫はりんの傍から離れない。
となると、選択肢がいくつかに限られる。
1つ目は、りんも一緒に王宮で暮らす。
2つ目は、エリゼリア嬢の庇護の下、ゴードン公爵家で匿われる。
3つ目は、王立魔法院で魔法師たちと共に解呪に尽くす。
そして、4つ目が、ここで普通に暮らしていく、だ」
なんか4番目だけ急にセキュリティが下がった気がするんだけど、でもできるなら4番目一択でお願いしたいなぁ。
「そんなの、3つ目以外ありえないでしょう。
すでに決まっているようなもんじゃないですか」
う。だよね。でもなんだかそれだけは嫌なんだけどな。なんでかは判んないけど。
「普通なら、そうなのだろう。
しかし、私達としては3番目はないと思っている。
これを採用するとしたら最終手段だな」
「それは…我が国の魔法院に謀反の疑いがあるということでしょうか」
なんてことを言うんだ、脳筋男め。
「いや、そうではない。
そうではないが、この呪い、我が魔法院の中で作られたものかもしれないという疑いがある」
それは衝撃。この呪いが原因で来年の夏に我が国が隣国と戦争になるかもしれないということも含めて考えると、さっき王太子様は否定したけれど、謀反とかクーデターといった疑いも持っているのかもしれない。
魔法院。学園を卒業したら、私もそこの所属になる場所。
一体、どんなところなんだろう。
楽しい学園生活から一気に離れた気がしますが
気のせいです(多分




