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13時限目

 


「もう少し庶民的なお店のある地区まで行くのは、今日はもう無理なようですね」

 ムーアさんは空を見上げて太陽の位置を確認してそういった。

 夏に向かってだいぶ日が伸びてきていたから今はまだ明るいけれど、それでもあまり遅い時間まで学園の制服を着た学生が街をふらふらしているのもよくないだろう。

 他にどうしても買いに行きたいものもあるしね。

 絹長靴。これだけは買い忘れないようにしないとね。絶対だ。

 そもそも歩きだから移動には時間が掛かる。これがムーアさんだけなら大丈夫かもしれないけど、なにしろ私が一緒だからね。足遅いし。身長…足の長さの差がね、うん。辛い。

「ですね。週末にでも探しにいってみようって思ってるんです。

 月の灯り亭にも顔を出すつもりなので、女将さんにも相談できると思います」

 せっかく身につき始めた仕込みの技術をこのまま手放してなるものか。

 家で作るのはオートミールとかオートミールとかチーズサンドとかゆで卵とかオートミールだし。

 そうだった。フライパンも買わなくちゃ。小鍋しかない状態では卵は買えてもゆで卵しかできない。

 そして、もう少し保存性のいい食材をなにか買い足して帰らなくちゃ。

 一人暮らしの危険、それは食材の品質期限との闘いにあると思う。

 まだいけるかな、もうちょっと大丈夫なんじゃないかなって思っていると、トイレに籠ることになる。うむ。

 なので腐り難くて安くて応用の利く食材をなにか探さねば。

「急に黙って、どうしました?」

「あぁ、お夕飯に何を作ろうかなって思って。

 居候も増えましたし」

 そういって、お昼に潜って以来、鞄から出てこようともしない猫がいるであろう鞄のふくらみをそっと撫でた…冷たくて、硬い?

「すみません、ムーアさん。鞄の中を確かめさせて貰ってもいいですか?」

 焦りを感じて学校を出てすぐにムーアさんから『持ちますよ』と言われてからずっとその肩へと掛けたままの鞄を強引に開ける。

 あの時はたしかに中で寝ていた。そして持ち上げた鞄は温かくて軟らかかったのに。

「……いた」

 鞄の中では、すぴょーすぴょーと寝息を立てているタイガが堂々と寝ていた。

 ── あれ、温かい?

「気のせいか」

「どうしました?」

「そろそろ解呪できててもいい時間だなって思ったんですけど、しっかり寝てますね」

「あぁ。そういえばそうですね。

 今日はいろいろありましたからすっかり忘れてました。

 それにしても、この猫は本当にあの皇太子なのでしょうか」

 二人並んでじーっと鞄の中を覗き込む姿はちょっと間抜けかもしれない。

「わかんないです。なんかこう、違うような気もするんですけど、違う猫ならなんで私の部屋に現れて当然のようにご飯を強請ったり鞄の中にひそんだりするのか、っていうことになるんですけど」

「それもそうですね」そういってムーアさんは考え込んでしまった。

「食材、買って帰りますか?」

「あ、はい。少し遠回りしないとですけど、解呪できてないならタイガの分のごはんも考えなくちゃいけないですし」

「そうですよね。そういうことも含めて相談しないといけませんね」

 ムーアさんはそういうと、祈るように両手を合わせて何かを呟いた。

「…殿下によろしくね」

 両手を広げてそう囁くと、そこから半透明の金魚がふわふわと泳ぐようにして現れた。

 動く氷の彫刻のようなその魚体は、まだ陽のあかるい青空の向こうへと泳ぐように登っていく。

 長くて美しいひれを揺らめかせながら、それはどんどん小さくなっていく。

 その光景はとても幻想的でまるで夢の中のできごとのようだった。

「む、ムーアさん、あれは?」

 おもわず指を差してしまった。その指も興奮でついガクガクと揺れてしまう。

「もしかして初めてみましたか?

 あれは伝言魔法です。私は水属性ですので、空気中に漂っている水を魚の形にして殿下への伝言をお願いしたんです」

 すごいすごいすごい! 可愛いし、恰好いい!!

「私、自分の回復以外の魔法って初めてみました!」

 もちろん魔石家電類は別としてだけど。でもあれは便利な家電以上のものではないもん。

 うわーっ、うわーっとつい声をあげてしまうのを止められなかった。

「あはは。りんさんはずっと魔法に囲まれて暮らしてますよ。

 気づきませんでしたか? 街中をトカゲや牛が人の為に働いていたでしょう。

 あれはテイムという土魔法によるものですよ」

 魔法で従わせてたんだ、アレ。

「テイムって土魔法なんですね」

 それなりにRPGのゲームもやったことあるけどテイムに属性なんてあったかなぁ。

「使役させている動物たちは、みんな共通点があるんです。判りますか?」

「それは私への挑戦ですね。ふふふ。受けて立ちますよ」

 うーん、うーん。なんだろう。

「時間切れです。あれはみんな草食性なんですよ」

 タイムアップ早っ。ムーアさん、ずるいっ。

「あぁ、土魔法で育てた植物を食べさせている、とかですか?」

 よくできました、と肯いてくれる。

「そうです。食べさせた種子や果実が胃の中に残っている間は、人間の命令を訊いてくれるそうですよ。

 でも、他の属性でも考え方によっては出来るようになるかもしれませんね」

 ほえー。それは斬新な方法だ。

 でもお腹空いたら暴れるのか、それはそれで大変そうだなぁ。

「実は周りでいろいろ使われてたんですね」

「そうですね。私達には当たり前ですけど、りんさんには不思議かもしれませんね」

 これからは通りすがりにすれ違っていくトカゲや牛たちを見る度に感心しちゃいそうだ。

「さっきの伝言魔法なんですけど、私にもできるでしょうか」

「魔法はイメージですからね。伝言を持っていってもらう方法を自分の属性として想像できれば使えるようになると思いますよ。

 ただし、初めて使う時は、学園内で、私やティリー先生といった誰か保護者がいる時にして下さい。何かあった時に対処できる人がいないと大変ですからね。

 学園内全域には恒久的防御魔法が掛かっているので、もし暴発するようなことがあっても被害は最小限に抑えられますし、もしもの時の備えもありますので」

 なるほど納得。それで私を学園に放り込みたかったんですね。


「でもイメージかぁ。光だとどんな形にすればいいですかね」

 なにより私の魔力量で自力発動できるかな?

「どうでしょうね。ちなみに殿下は炎の中を伝言が移動するんですよ。

 なので王宮内には一年中絶対に消さないランプが1台あるんです」

「炎の中に文字が浮かぶってことですか?」

 長文は、読み取るのが大変そうな気がする。なんとなくだけど。

「そうです。揺らいじゃいますからね、殿下からの伝言は緊急用ですね」

 やっぱりそうなんだ。でも単語だけでも伝えられたらいろいろと助かることも多そうだ。

「そういえば、さきほどの金魚ちゃんはどうやって伝言を伝えるんですか?」

 伝言先で水鏡になって映し出すとか? 魔法版モニターっぽい感じで。

「試してみましょうか」

 にやりと笑って、ムーアさんが先ほどのように両手を合わせて何かを呟いた。

 その大きくて長い指を持つ手の間から先ほどより小さな金魚ちゃんが生まれ出て、ふよふよと私の目の前まで泳いできた。

「かわいいぃ」

 ゆらゆらと揺れる長いひれが動く様は、まるで水の中を泳ぐようだ。

 ふわふわゆらゆら。それが私を中心にゆっくりと泳いで廻る姿を目で追いかける。

 透き通った魚体の向こう側が水の入ったコップの向こう側のように歪んで見えのが、とても綺麗でとても不思議だった。

「そのコの、頭の辺りを指で触って貰えますか?」

「…こうですか?」

 ムーアさんの言葉を受けて私の正面にきた金魚ちゃんへと指を伸ばす。

 ぽよよん。

 そんな感触があったと思うと指先から波のようにムーアさんの声が全身を伝わって脳に届いた。

『すきです』

 ごふっ。な、なな、ななななななんてここことををををを。

「冗談キツイですよっ」

 私にそのひと言を伝えると、そのまま金魚ちゃんは揺らめくように空中に消えてしまった。ほえぇ。

「ひどいですね。これでも正真正銘本物の本気なのですが」

 ムーアさんはいつも通りの優しそうな表情を崩さない。それが却って気に障る。

 むむむ。揶揄う気満々だな。くそう。

「騙されませんからねーだっ」

 もうもうもう。首まで真っ赤になっているのを自覚する。

 早く陽が傾いてその陽射しをオレンジにしてくれないだろうか。そうすればこの思いも夕日の色が隠してくれるのに。


「食材ってどんなものを買いに行くんですか?」

 並んで歩く視界の先に見える二つの影が先ほどより少しだけ長くなっている。

「日持ちがして、メニューの応用が利いて、安いものってなんだと思います?」

 まだ明るいけれど、今日という楽しい時間はその終わりが近づいているということだ。

 ちょっと寂しい。口には出さないけれど。

「セルフレイジングフラワー…小麦粉とか? あとは野菜だと玉ねぎ、じゃが芋、酢漬けにしたキャベツでしょうか。

 干し肉、塩漬け肉、干し鱈などもありだと思いますが、こういったものはあまり安くないかもしれません。

 この辺りを演習時には大量に持ち込みますね」

 なるほど軍隊。そうか近衛の人たちもそういうのに行くんですねぇ。

 でも当然かな。この世界では当たり前のように戦争がすぐ近くにある。

 近衛兵だってお飾りなんかじゃないのだから。

 でも、塩漬けと酢漬けはタイガに上げられないから除外かな。

「セルフレイジングフラワーってなんですか?」

「ふくらし粉入りの小麦粉ですね。たしか塩も入っていたと思いますよ。

 水でもミルクでも卵でもいいので水分を入れて、捏ねて焼いたり茹でたりすれば食べられるようになるので重宝するんです」

 へー。甘くないホットケーキミックスみたいな感じかな。砂糖なしだと食事用にもおやつにも応用利いて便利かも。小麦粉からだと面倒くさいなって思っちゃう時でも料理する気になるかな。

「それは使い勝手が良さそうですね。

 小麦粉と別にふくらし粉を買うのとどっちがお得かなぁ」

「お店で探して比べてみましょう」

「そうですねー」

「そういえば、ジャガイモは粉になっているものもありますよ」

「えぇ?! 保存がききそうですね」

「エリゼ様が開発されたんです。お湯を入れるだけで茹でて潰したじゃが芋そのものになるんです。乾燥しているので保存も携帯も楽なんです」

「あぁ、マッシュポテトの素ですね。元の世界にもありましたよ」

「あちらの食べ物だったんですね」

「あっちでは買ったことないですけどね。

 普通に茹でて潰したじゃが芋だと思って使えば良かったんですね。それはいろいろと使えそうですね」

「私はシェファードパイが好きですね」

「シェファードパイって知らないです。どんな食べ物なんですか?」

 なんだろう。なんだかこんな小さなことを話しながら歩くだけなのがとても楽しい。


 そういえば、私は元の世界でも、こんな風に誰かと夕飯のメニューをどうしようなんて会話をしながら歩いたことがなかったんだと気が付いた。

 物心ついた時にはすでに母はシングルマザーだったし、学校から帰ってきても誰もいない部屋に自分で鍵を開けて入る生活だった。母の仕事は平日休みでその日も母は出掛けていることが多くて結局留守番ばかりだったし、たまにいても仕事や実父への愚痴を聞かされながら菓子パンを齧るような生活だった。

 母が再婚してからは新しい父に対しては母が食事を作っていることにはなっていたけれど、実際には学校から帰ってきてから義父が帰ってくるまでに私が家の掃除をして洗濯機を回したりご飯を炊いたり冷蔵庫の中身でカレーや炒め物を作ったりして待つ生活をしていた。

 買い物は前の日の会社帰りに母が気まぐれに買ってくるもので埋め尽くされていたのでどんな食材が入っているのかよく判らなかったし(冷蔵庫を開けている時間が長いと怒られるので)、所詮子供の作れるメニューなどたかが知れている。

 それについてもよく義父が『お前の母親は料理が下手でしょうがないな』などと文句をいって、母が受けたそのストレスは、そのままりんに廻ってきたものだった。

 今でもたまに『お前は何もしないで気楽に暮らせていいご身分だな』と酔った義父に責められたり、母に『可愛げがない、育て方を失敗した』などと詰られる夢を見ることがある。そんな日は、黙々と家の掃除などをして過ごすことにしていた。

 ずっとそんな生活だったから、学校からの帰り道であっても友達と食べたい夕飯のメニューの話題に乗るのは苦手だったし、家庭内のどんな話題をするのも聞かされるのも苦手だった。


「元の世界に置いてきた家族のことを考えていたのですか?」

 ムーアさんがぎゅっと私の手を握って私を見つめた。

 その瞳があんまりにも優しく見えたから、とっさには上手く言葉がだせなくて俯いてしまったまま、ただ首を横に振った。

 ──嘘をついてしまった。ううん、そんなことはない。

 置いてきたのではない、私は、家族を捨ててきたのだ。


「たまに、とても悲しそうな顔をしますね」 

 ふるふると首を振る。

「私に、何かできることはありませんか?」

 少し考えて、またふるふると首を振っておいた。して欲しいことと、して欲しいとお願いできることは違う。

 そっと頭を撫でられた。

「りんさんは、頑張り屋なだけじゃなくて、意地っ張りなんですね」

 ムーアさんが、ちょっと困ったような顔をして、そう言った。


 ムーアさんの頭の向こうに見える、空に浮かぶ二つの月。

 いまだ明るい空の中で、

 うっすらとしか見えなくても確かにそれはそこにある。

『お前が望んだ世界はここだぞ』

 それはいつでもそう告げている。



ようやくムーアさんが魔法を使ったよ!

何万文字書いてだよと

展開のトロさに絶望した

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