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10時限目

最後にちょこっとだけ

りんのいない部屋でのことになるので

視点が変わりまする。

 


「極上のスチルだったわ。さすがね、りんたん」

 ほうっ、と両手を頬に当てて、エリゼ様がうっとりくねくねしていた。

 なんだろう、幸せを穢されたような気がする。

「銀板写真機ではスチル撮れないでしょ」

 もうなんでもいいからケチを付け返してやるんだから。

「うふ。いいかしら、りんたん。

 乙女にはね、”心のスチルフォルダー”があるのよ!」

 そう来たか。でも判る。思わず心に留めておきたくなる、いつまでも思い返しちゃうような場面ってあるよね。

 さっきの、エリゼ様とムーアさんのダンスも、きっといつまでも私は思い返すと思う。

 歩いているだけだったからダンスとは言わないのかもしれないけど。でもきっとダンスと聞いて思い出すのは先ほどのあのシーンだ。間違いない。


「あと30分位あるから、今日はカーテシーの練習をして終わりにしましょうか」

 エリゼ様がそう提案して、前でお手本を見せてくれる。

「カーテシーは貴族の女性のみが行う正式なお辞儀の仕方なのよ」

 そういえば、朝のHRで「使用人の礼」だと笑われたっけ。

 そのカーテシーをしないといけなかったんだね。できないけど。そもそも知らなかったし。

 まっすぐ立ち、左手を胸元へ、そして同時に右足を後ろ斜め内側に引いて、左腕を横に伸ばしながら左足の膝を曲げていた。上半身はまっすぐのままだった。

「これが基本よ」

 …どうしよう、できる気がしない。

「そしてここからたくさん派生があるわ」

 左腕を横に伸ばすのではなくスカートの裾をちょこんと持つもの、

 敬意を表す際には、相手の手を取って両手で支えたり、

 手を取るのは不敬になるような相手に深い敬意を表すときは腰を深く曲げて頭を下げるのだという。

「どれも絶対に無理」

 絶望が頭を占める。

「うふふ。練習あるのみよ。それしかないのよね、これ。

 でもいきなりはやっぱり無理だと思うから、まずは子供用からにしましょう」

 そんなのがあるのか。そうだよね、体幹のよわい子供は絶対に転ぶよね。

 エリゼ様は、スカートの裾を両手でちょこんと持って、右足を後ろ斜め内側に軽く引き、左膝を軽く曲げて頭をそっと下げた。

「ちっちゃい子供がしてるとすっごく可愛いのよ、これ」

 いえ、いま貴女がやったのでも、十分すぎるほどの破壊力でした。最高です。くそっ。中身ポンコツの癖に、美人で可愛いとか反則過ぎる。

「もうちょっと上手にできるようになったら、前で曲げている左膝に右手を乗せてバランスを取ってもいいのよ」

 転んじゃうより、ずっといいものね。ぎりぎりセーフって感じの扱いだけどね、と菫色の瞳が楽しそうに笑う。

 可愛いすぎる。どうしてくれよう、私まで心のフォルダーにも入れてしまいたくなってしまった。もう。

 変な影響受けすぎだよ。落ち着け、自分。

「まずは、両手でスカートを持ち上げる、一番簡単なのからやってみましょうか。

 そうそう。足はどちらを引いても構わないわ。利き足ってみんな違うものね」

 そうか、逆だと転ぶとかありそうだね。

 あれ、私の利き足はどっちだろう。右、左と軽く試そうとして、ずるっと足が滑って盛大に転んだ。

「痛たたたた」

 大理石の床って、リノリウムの床と違って転ぶとすっごく痛いんだね。冷たいし。

 まったく受け身が取れなかったので、盛大に尻餅をついてしまった。恥ずかしい。

「大丈夫ですか。その、早く起き上がらないと」

 おろおろとムーアさんが起こそうと手を貸してくれるけれど、あまりに痛くて起き上がれない。

「すみません、捻挫しちゃったみたいです」

「そうだったわ。靴のサイズが合わなくてティッシュを詰めただけだったわね」

 ごめんなさいね、とエリゼ様も慌てていた。

「そうだったんですね。ダンス練習の時に、りんさんを転ばせるようなことにならなくて良かったです」

 そうだった。歩いてただけとはいえ、さっき転ばなくて本当に良かった。ムーアさんまで巻き込むところだったよ。

「それにしても、靴が合わないままなのは危険ですね。

 今日の放課後、お時間があるようでしたら一緒にダンス用のシューズを買いに行きませんか?」

 んー。たしかに。買うなら早い方がいいけど、足が痛いから試し履きしてもちゃんとサイズ見れないかもしれないからなぁ。

「ちょっと足が痛いので、靴は次の週末にでも探しに行こうと思います」

 靴だけは適当なのを買うと、後で後悔しそうだし。そうそう買い替えていられないからね。

「そうでしたね。すみません。

 とにかく保健室にいきましょう」

 ムーアさんはそういうが早いか、またしても私の膝裏に腕を入れてさっと抱き上げてしまった。

 ぎゃあっ、とエリゼ様が後ろで淑女っぽくない叫びをあげている。私も叫びたい。

「む、ムーアさん、これっ」

 焦る私を余所に、ムーアさんはにこっと笑って

「先ほどのは、いい練習になりましたね。

 そっと痛くないよう気を付けてお運びしますよ、りんさん。

 エリゼ様、殿下の事はよろしくお願いします」

 そうエリゼ様に声を掛けてダンス室を出る。

 ムーアさんは、そのまま保健室まで私を運んで行ってくれた。


「捻挫だね。ちょっと腫れが酷い気がするけど、湿布をして2週間も大人しくしていれば治ると思うよ」

「2週間! 結構掛かりそうなんですね」

 綺麗な長い金髪をゆったりと編み込んだ保健室の先生はびっくりするほど綺麗な男性で、こんな至近距離にいたら違う意味でどきどきしそうだったけど、今の私は足に貼られた変な臭いのするグレープジュース色の湿布にノックアウト寸前でそれどころではないのだ。

 く、臭い。これ、元の世界なら間違いなく毒の色だよ、絶対。

「多分大丈夫だと思うけれど、夜に熱が出るようなら明日、ちゃんとした病院に掛かるといい」

 そうか。2週間分の湿布も必要なのか。しかも病院にも行かないといけないかもしれないとか。靴といい痛い出費になりそうだなぁ。

「……あっ!」

「なにか?」

「いえ、何でもないです。先生、ありがとうございました」

「はい。それじゃ入り口にあるノートに、名前とクラスを記帳して帰ってね。お大事に」

 先生は手をひらひらさせてそういうと、もうこちらを振り返ったりしなかった。


 ムーアさんに支えてもらいながら廊下に出る。

 私は、意を決してムーアさんに協力のお願いを申し入れることにした。

「…実は、お願いがあるんですけど」

「勿論いいですよ」

「まだお願いする内容いってないんですけど」

「私がりんさんのお願いを拒否するなんてありえませんから」

 にっこりと笑っていい切られた。うっ。なんでこんなに軽いんだろう。

 ムーアさんて、女の子みんなに誤解させて喜ぶ人だったりして。いるよね、そういう人。

 私は会ったことないけど、そういう漫画とか小説は一杯読んだことあるもん。

 黙ってしまった私はよほど不満げで変な顔をしていたのだろう。

 それを見たムーアさんが困ったような顔をした。

「私が信じられないですか?」

「っ。信じてます。けど…」

 ふう、と大きく息を吐いて、ムーアさんは明るく言った。

「そうですね、私は急ぎすぎてますよね。

 ちゃんと信じて貰えるように。必要なのは積み重ねていくことですね」

 そう見つめてくる瞳が妙に真剣で。

 またしても私の胃の中でなにかが暴れているようなざわめきを感じて苦しくなった。

「それで、私は何をすればいいのでしょうか」


「では、いきますね」

 手を繋いだ先にある、ライトブルーの瞳はとても真剣だ。

「いたいのいたいのとんでけー」

 ふわぁっと淡い光が私を中心に広がる。

 ほんの数秒でそれは光るのを止めてしまったけれど、それだけで、私の右足からは腫れが引いて無くなっていた。

 そして。ついでのように王太子殿下が起き上がった。

 まだ失神してたんだね。

「ううん。なにが起こったんだ…おわっ?!」

 そりゃね、目が覚めたら自分が鼻血まみれになっていたら吃驚するよね。

 私は自分の足首の腫れが治っているのを確かめて、「湿布代助かったわー」などと呑気に考えていた。


「すごい…」

 驚愕、そんな言葉がぴったりな顔をしてムーアさんが呟いた。

「あぁ。ねー、なんか本当にできちゃいましたね」

 えへへと視線を合わせて笑ってみせる。

「午前中の、く、くろてぃるど先生の授業を受けてですね、なんかこう…この魔法について、この辺に、すとんってきたんです」

 私は自分の胸のあたりに両手を重ねて、あの時の授業で感じた思いを言葉にしようとした。

「この世界の神様は…先生は世界を形作る基となる力といってましたけど、その力を貸してくださる、それが当たり前で、自然なことだというなら、私もこの力をちゃんと肯定しようって」

 ううん。言葉にして伝えるのってなんか難しいな。

 あの時はもっとこう、ふわっと素直に納得できたんだけどなぁ。

「私は、この私の力をちゃんと使えるようになりたい。

 そうして、ちゃんと役立てることができるようになりたいです。

 魔法学園に入学できるように手配して下さって、ありがとうございます」

 ぴょこんと頭を下げる。うん、これが言いたかった気がする。

「うふうふ。さすが、私のヒロイン・りんたんなのだわ♡

 これで今日、靴を買いに行っても大丈夫ね?」

 エリゼ様が嬉しそうにくねくねしながら提案してきた。

「そうですね。確かにこの靴だとまた転んじゃいそうですもんね」

 自分でも急にお礼なんていって恥ずかしくなっちゃっていたところなので、話題が変わるのはちょっと嬉しい。

 自分か転ぶだけならいいけど(治せることも判ったし)、巻き添えにするのは気が引ける。治せても痛いものは痛いのだから。

「でも残念だわぁ。これから私は殿下と一緒に石鹸工場に顔を出すってさっき連絡取っちゃったのよ。

 だから、ムーア様とお二人で行ってきて?」

 にんまりといやらしい笑みを浮かべてエリゼ様がいった。もう。美人が台無しですよ?

「しかし、殿下が工場に視察にいくなら近衛の私も…」

「大丈夫。ちゃんと交代要員も呼んであるわ」

 なんと手際のよい。

「本当は転んで足を挫いたりんたんを家まで送ってもらうだけのつもりだったんだけど、丁度いいわよね?」

 エリゼ様の先手をうつ、その手際の良さには舌を巻くものがある。

 でもこうじゃないと、手広く事業なんか拡げられないんだろうな。さすがすぎる。

「そうでしたか。わかりました。

 りんさん、ご一緒させてくださいますか?」

 私は、是非と頷いた。


 その時、カランコロンと終業を知らせる鐘がなった。

 私は制服に、殿下は血まみれの制服から予備においてある制服に着替えてくることにした。

 ドレスを脱ぐのをエリゼ様が手伝ってくれるというので、ムーアさんにはここで待っていて貰うことにした。

 お互いに「では」と軽く挨拶を交わして、ダンス室を出て王太子と分れて私とエリゼ様は更衣室に向かったのだった。



 皆が戻ってくるのを一人で待っていたムーアの後ろで、誰かがダンス室に入ってきた気配がした。誰にしても着替え終わったにしては早すぎる。

「なにか忘れものですか?」

 そういってムーアが振り向いたその先にいたのは、

「ふうん。あの方が貴方を替えた女性なんですのね」 

「…リディアーヌ嬢」

 ムーア・ロッドいやムーアヒース・アイゼル公爵令息の、元婚約者の女性だった。


 


このカーテシーは

異世界のものだから(震え声


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