告解
生きるのがつらい、
自分のことが好きになれない、
そんな方への劇薬のつもりです。
多くの趣味を持った。
多くの称賛はないが、虚栄を張ることができた。
多くの時間を使った割に、それらは、誰にも真似できないものでは無いと思っている。
だがここまでの軌跡は誰にも真似できないと自負できる。
いじめられる話なんて在り来る物であり、模倣の仕様は幾らでもあるだろう。
ご多分に漏れず私の少年時代はこれだった。
完璧主義的な観点からすれば、幼少期に引っ越し、コミュニティが一からな上に、
コミュニケーションがさほど得意ではなかった、
即ち劣勢な状態は、この事象を易々と作り出した。
ごく自然な流れ。ここで私を救い上げたのは、自分より不幸な存在だ。
言ってしまえば、いじめられていたのは私だけではなかった。
私には余裕が生まれた。そもそも、これは今だからこそ言えるが、
私が受けていたものはいじめなどではなかった。
友愛の表現の一つだ。この程度でいじめと見なされれば、
正直私も不服に感じる。
つまり私は元々、素質があった。
その素質とは言ってしまえば、悪く描かれる貴族のそれだ。
他人の下は満足できない。何事も優位に立たなければ常に不服。
人を下に見ることが、一つの生き甲斐。
私の長所の一つだと思う。美徳ではないが、健康を保つ上に愉悦は必要だ。
これを一つと数えて、他にも生き甲斐があることが何より幸せだとも思う。
自分よりも下の存在、これは大きく私の役に立った。
何もそのいじめられていたクラスメイトだけではなく、例えば遠い異邦の貧民も、
借金に苦しむ親戚も、等しく私の糧となった。
ああ、私はこれらと比較して至上の生活を送っている。
生きていて幸せだ。ここで私の生きる上での根幹が形成されたのは間違いない。
ここまでで、気分が悪くなるような聖人は今すぐこれを見るのをやめた方がいいだろう。
この感覚がわからない人間がいるならば、会ってみたいものだ。一体どれほど幸せな環境で培養されたのか。
肌は美しく、大衆の寄せる正義に準じ、私の独白を唾棄するだろうか。
完全な共感を求めようとは思わないが、通ずるところはここまで読む者にはあると信じている。
ここまでの独白に、格好を付けて罪を課すのならば、傲慢が最も適しているはずだ。
偉そうで、他人の事をバカにしている。見下している。
私の幸せの本質を探ろうと思慮を巡らせ、浮かび出たこれには最適な言葉のはずだ。
なぜならこれは私の大切だった人からの餞だからだ。
醜悪であればあるほど、人は避けて通るやもしれぬし、それを通じて得た何かは、君の胸に深く刻まれるべきもので、
長々と綴ったが、この事から言えるのは、君は君しかいない、という話だ。
君を形成するものや、生きる糧や、幸せの根幹が何であれ。
誇りにもなると、胸を張るといい。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
いずれ私の懺悔を通してまた新たなものを作るかもしれません。




