第四十七話「記憶」
むかしむかし、のどかなむらに、ふたりのおとこのこがいました。
ひとりはごくふつうののうかのこ、ロラン。
もうひとりはまちからひっこしてきたくすしのこ、ウィル。
むらはこどもがすくなく、ロランはいつもたいくつしていました。でもあるひウィルがきてくれたので、ロランはおおよろこび。
おないどしだったふたりはすぐになかよくなり、ロランはまいにちウィルのいえにあそびにいきました。
きょうはなにする?
きょうはつみきをしよう!
きょうはなにする?
きょうはいっぱいほんをよもう!
ふたりはたくさんたくさんあそびました。いえのおしごとがないひは、ロランはいえのとりがないたとたんにとびおきて、ウィルのいえにいきました。そして、そとがきれいなだいだいいろにそまるまで、ずっといっしょにあそびました。
「おかあさん。わたしもまだあそびたい」
「もう遅いから、明日にしましょうね」
ウィルはからだがよわく、いえからでられなかったのがざんねんでしたが、それでもふたりはたのしくてしょうがありませんでした。まいにちまいにち、むちゅうになってあそびました。
でも、そうしてあそんでいるうちに、ウィルのたいちょうがわるいひがちょっとずつふえていきました。
ごめんね。きょうはちょっとやすむね。またこんどあそぼう。
あそべるじかんがへり、ロランはまたひとりのじかんがふえてしまいました。おうちのおしごとをてつだううちに、しだいにウィルのいえにいくこともなくなってしまいました。
だけどあるひ、ロランがひとりでのはらであそんでいると、とつぜんこえをかけられました。
ロラン! ねえロラン! ぼくだよ! ウィルだよ!
ロランがふりかえると、そこにはウィルがいました。
いつものへやぎじゃなくて、ロランとおなじようなふだんぎをきたウィルがうれしそうにたっていました。
そとであそべるようになったんだ! またいっしょにあそぼう!
ロランはおおよろこびしました。
しばらくあえなかったのはざんねんだったけど、またあそべるんだ。しかもこんどはそとで!
ふたりはあえなかったじかんをとりもどすように、またたくさんたくさんあそびました。
もりできのみをとってたべました。
かわでどろんこになりながらみずあそびしました。
のはらでかぜにふかれながら、いっしょにおひるねしました。
ちいさなむしがどこへいくのか、ふたりでずっとおいかけました。
「なんでおとこのこってむしがすきなのかな。わたしはきもちわるいからきらい」
「おかあさんもだめかなあ。足がすごい長いのとか、すごい速く動くのとか」
ふたりであそんでいると、あっというまにじかんがすぎました。おひさまのきもちいいきせつがおわり、とってもあついきせつもおわり、いつのまにかすずしくてきもちのいいきせつがやってきました。
すずしいきせつは、すこしだけいそがしいきせつです。ロランはおうちのしごとがふえ、あそべるじかんがすこしへってしまいます。
だけどまた、それがおわればたくさんあそべます。ロランはそれををウィルにいおうとしましたが、そんなとき、ウィルがふといいました。
いかないと。
ロランはききました。
どこへ?
ウィルはこたえました。
どこかへ。すごくとおいところ。
それをきいて、ロランはかなしみました。
ウィルはひっこしてきたこなので、いつかまたそうなるかもしれないとロランはおもっていたのです。
でも、こんなにきゅうだとはおもっていませんでした。
いやだよ。いかないで。
ロランはそういいましたが、ウィルはくびをふりました。
いかないと。だって、かぜはめぐるものだから。
ウィルがそういうと、とつぜんウィルのからだがうきました。
そのまま、ふわりとくうちゅうでいっかいてん。まるでまほうつかいのようです。
ロランはとてもびっくりしました。でもそれよりも、なんだかふあんになって、またウィルにいいました。
いやだよ。いかないで。
するとウィルはわらっていいました。
だいじょうぶだよ。たくさんたびをしたらまたかえってくるから。
ほんとう?
ほんとうさ。かえってきたら、またあそぼう!
そういうと、ウィルはロランのまわりをいっかいてん。
さみしくなったらぼくをよんで! おおきなこえで、やまのむこうまでとどくぐらいに!
わかった!
ロランのげんきなへんじをきくと、ウィルはにこりとわらい、つよいかぜとともにそらへとまいあがっていきます。
ゆうひにてらされたウィルが、そらでてをふりました。
ロランもてをふりました。ウィルがとおくにいってしまって、まめつぶのようになるまでてをふりました。
「ねえ、おかあさん」
「なあに?」
ベッドの上の大きな枕に二人で寄りかかりながら、私はお母さんに言った。
「いつもおもうんだけど、なんでウィルはどこかへいっちゃうの? ずっといっしょにいればいいのに」
するとお母さんは、困ったような、嬉しいような、よくわからない顔をしてから、「どうしてだろうねえ」と私の頭を撫でた。
「ティアはどうしてだと思う?」
そう聞かれて、私は一生懸命考えた。
だけど、やっぱりわからなかった。この絵本を読んでもらう時はいつも同じことを考えるけれど、答えが出たことはなかった。
「わかんない。でも、わたしならわざわざたびになんかいかない。ずっといっしょにいる。だってそのほうがさみしくないし、たのしいし」
そう言うと、お母さんはなぜか少し悲しそうな顔をしたけれど、やっぱりちょっと嬉しそうに私を見て私を抱き寄せた。
「そうねえ。じゃあティアは、このお話嫌いになっちゃった?」
「うーん……」
どうもお母さんはこうして私が考えているところを見るのが好きらしく、最近はことあるごとにこうして質問して来る。
だから私は考える。これでお母さんが元気になるのなら、いくらでも考える。だから……。
私は一生懸命考えて、お母さんに言った。
「きらいじゃない。ウィルがまほうみたいなちからをつかうところはすきだし、さいごにはまたあえた? みたいだし。ここだけちょっときらいなだけ」
「そうなんだ。じゃあもしお母さんが急に旅に出ないと、って言い出したら、ティアはどうするの?」
「やだ! ぜったいとめる!」
「じゃあ、お仕事だったらどうする? 遠くにいるとっても怖い魔物を倒さないといけなくなったら、お母さんはどうしても行かなきゃいけない。そうしたら?」
「それは……」
お母さんが旅に出てしまうのは嫌だ。でも、お母さんは宮廷魔術師。今回みたいに、女王様に命令されれば行かなければならない。
うまく、返せない。返さなきゃいけないのに。じゃないと、お母さんが……。
私が黙っていると、お母さんは殊更にわしゃわしゃと私の頭を撫でた。
「うふふ。私の娘、すっごい頭いい……」
五歳でここまで受け答えできるのすごくない? などとほっぺをうりうりと私に擦りつけての猫可愛がり。
うまく答えられなかったのに喜んでくれた。よくわからない。
よくわからないけど、お母さんが嬉しそうならそれでいい。
お母さんはそうしてひとしきり私をうりうりすると、
「お別れって悲しいよね。お母さんもできればしたくない」
枕に体重を預けながらそう言って、お母さんは遠くの方を見やった。
家の窓を突き抜けて、きっと外の闇夜も通り抜けて、どこか遠く。
「ずっと一緒にいられればいいなってお母さんも思う。だけど、どうしても離れ離れになってしまう時もある。今回お母さんもティアのそばにいたかったのに、いてあげられなかったでしょ?」
「……うん」
「でもね。お母さんは、そのお別れの時間もきっと大事なものなんだと思うの。大事な人と、大好きな人と離れ離れになったら、それだけ相手のことも考えるでしょう? お母さんはずっと考えてたよ。ティアに今度会ったら何を話そう、とか、一緒に何をしよう、とか」
「わたしもたくさんかんがえてた。こんどおかあさんにあえたら、えほんをよんでもらって、おかあさんがぼうけんしゃだったときのおはなしもまたしてもらって……あとそろそろまほうもおしえてもらいたいとか、いろいろ、ずっと」
私がその腕に抱きつくと、お母さんは微笑みながら私の頭を撫でてくれた。
それから、そっと自分の胸に手を置いて、
「うん。だからね、お母さんはその会えない時間もあっていいんだと思うの。会えない時にティアのことを考えていると、胸がきゅうってする。だけど一緒に、何だかあったかい気持ちになる。あなたが心の真ん中にいるって思える」
そう言って、お母さんは私の頭にこつんと頭を当てた。
「きっと、ずっと一緒じゃないからそういう気持ちになれるんだと思う。一生離れ離れにならなかったら、たぶんその気持ちには気づけない。それにずっと一緒だと、お話したいことがあっても後でいいや、って思っちゃうかも。それはちょっとお母さん違うんじゃないかなあと思うんだ」
お母さんの言うことはいつも難しい。何となくしかわからない。
私にわかるのは、小さな私にわかるのは、そんなことよりももっと強い気持ちだけ。
「でも……でもやっぱり、さみしいよ。ずっといっしょにいたい」
そうしてまたお母さんの腕にしがみついたら、急に喉が重くなった。
勝手にしゃっくりのような声が出て、鼻水も出て来て、ほっぺたを熱いものが流れていく。
そんな私を、お母さんはあらあらと見ながら苦笑しつつ、流れ出たものを布で拭ってくれた。
「そうよね。寂しくて、どうしようもない時もあるよね。でも大丈夫。ティアが本当に寂しくなったら、お母さんはどこにいても飛んでくからね。文字通り、空をばびゅんと飛んで、あっという間にあなたに会いに行く。だって私は、」
私と同じ緑の長い髪をかき分けて、そのまま腕を伸ばしてビシッと天井を指差し、お母さんは言った。
『きゅうていまじゅつし! おうこくいちのまほうつかい!』
お母さんの冒険譚の最後は、いつも王国の宮廷魔術師になって終わる。だからこのお決まりの台詞は覚えてしまった。
そうして涙声になりながらもお母さんと一緒に声を上げると、少しだけ元気が出た。
そうしたら、お母さんがまた私を見ながら笑った。
今度は、白い歯を出しての男の子みたいな笑い方。
本当にたまにだけ出る、私が一番好きなお母さんの笑顔だ。
「でもわたし、おおきなこえだすのにがて。おかあさんにきこえないかも……」
「そうねえ。確かにティアの声はとっても綺麗だから、お母さんもそれがガラガラ声になっちゃうのは嫌かも。どうしようかしら」
「おおきなはたをふる?」
「あーいいかもね。王都に行った時一緒に見たもんね。お城にあった大きな旗」
「あと、たきびをしてけむりをだすのとか?」
「それもいいかも。──あ、もしかしてこの前お父さんに内緒でお芋焼いて食べた時のこと思い出したでしょう? 焚き火は絶対一人でやっちゃだめだからね? お芋焼こうとしちゃだめよ?」
「や、やらないよ~」
「ふふ、そうよね。そんなことやるのお母さんくらいよね」
そんなことを言いつつ、笑い合った。
お父さんも好きだけど、やっぱりお母さんも好き。ずっと一緒にいたい。
「何でもいいよ。ティアが呼んでくれたら、お母さん絶対会いに行くから」
眩しそうに細められた、きれいな金色の瞳が私を見た。
それだけで、私は深く愛されているのだとわかる。なのに、そうして温かくなったはずの心の奥に冷たい何かが残っていて、私はまた確認してしまう。
「ぜったい……きてくれる?」
「ええ、もちろん」
お母さんのその笑顔は、いつもと変わらず柔らかくて、お母さんっぽくて、いつかこんな大人になれたらいいなと思わせてくれる笑顔だった。
でも、どうしてだろう。どうして私は、こんなにも不安になるのだろう。
その不安を消したくて、お母さんの腕にしがみついた。
「おかあさん……?」
と、ふと見上げると、お母さんはその不安を体現するように眉をひそめていて、
「▲◯#※□◆」
正面を見据えながら、お母さんは何かを言った。だけどうまく聞こえなかった。
何を言ったのか聞こうと思ったけれど、次の瞬間、お母さんが突然酷く咳き込んだ。
「おかあさん!?」
やっぱり無理をしていたのかもしれない。苦しそうに何度も咳き込む。止まらない。
そして、その口元を抑える手から血がこぼれるのを見て、私は言葉を失った。
それでも、何もできずにおろおろするばかりの私に、お母さんは苦しそうにしながらも笑顔を向けてくれて、
『大丈夫』
きっと、そう言ったのだろう。
その声なき声を聞いた私は、なぜかもう二度とお母さんの声を聞けない気がして、私は思わず、その腕を固く抱き締めて──。
あの……ほんとう、すみません……。
とりあえずこの章はちゃんと終わらせるつもりですので、どうかご容赦を……。