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猫はもう飼わない  作者: タン吉
6/10

公園の野良猫

 この配送センターは朝の食卓にあった新聞の折り込み求人チラシで見付けた。自宅から歩いて20分程の近さで、それで決まりだった。最寄りの駅から歩きだと30分以上は掛かりそうな立地だった。

 以前は送迎バスが出ていたそうだが、維持できなくなって廃止になったらしい。その時、創業時からのベテランのパートさんたちが辞めて、職場もずいぶん風通しが良くなったと古参のパートの森山さんが言っていた。

 風通しの良い職場というのがどういうことか僕にはいまいち分からない。ケースピックは男ばかりが黙々と歩き回ってばかりで、会話も絡みもあまりなく、とくに働きにくいと感じたことはないけど。

 それはさておき、ここで働いてみようと決めたらまずは電話だ。軽度の緊張と幾度かのためらいの後、いっそカスタマーサービスにでも問い合わせするつもりでダイアルした。

 応対に出たのはお姉さんではなく、低くかすれたおばさんの声だった。アルバイトしたい旨を伝えると「ちょっとお待ちください」と待たされ、面接日の都合を聞かれ「いつでもいいです」と言うと名前を聞かれたあと、翌日の午後の時間を指定された。

 その日、マップを頼りに歩いて探し当てた。

 敷地への入り口は広く開いていて、向かって右手に、倉庫らしき解放的な建物があり、奥からさらに左へと曲がって続いていた。

 屋根も壁も見るからに薄い建材の板張りで、資材置き場なんかで、どこにでもあるような建物だった。

 中で働いている人たちが良く見えたけど、見える範囲ではなぜか女性ばかりだ。

 女しかいないじゃん、ここで本当にいいのかなと立ち止まっていたら通りかかった若い男の人から「バイト?」と声を掛けられた。

「はい、そうですけど」と答えたら「それならこっちだよ」と、中庭を挟んだ向かいの小さな二階建ての建物に連れていかれた。

 一緒に歩きながら、もう後戻りはできないなと、ちょっと後悔でもない不安でもない、かといって諦めでもない、ましてや期待なんてまるでない複雑な心境になった。

 彼は社名の書かれたガラス戸をガラガラと引き開け、中へ入るとカウンターキャビネット越しに「バイトだよ」と呼びかけ、僕を振り返ることもなくそのまま奥のドアへと消えた。

 事務所の中は事務机が横向きに3列並んでいて、おじさんおばさんが五人ほど机に向かっていた。

 面接を担当したのは前頭部が禿げ上がった小柄なおじさんだった。事務所片隅にあった空いたテーブルの折り畳みの椅子に腰かけて向かい合い、持参した履歴書を渡した。

 ○○高校卒業と一行しか記載のないそれをおじさんは一瞥し「職歴はないの」と聞かれて「はい」と答えると「なしか」と、なんだか感心したように呟いた。

 僕にとっては初めての面接だったけど、面接と面談の違いはなんだろう。

「この住所だと通勤は自転車?」と聞かれ「いえ、歩きです」と答えたけど、質問らしきものはそれだけだった。

「じゃ、ざっと案内するか」と、おじさんは履歴書を手持ちのファイルに挟んで立ち上がり、僕も続いた。

 入ってきた時とは違う、裏口のドアを開けて外に出た。トラックの横を通り抜けたらそこがケースピック部門だった。

 ラックの並ぶ間を、男の人が何人かカゴ台車を引いて歩き回っていた。

「仕事はここの担当になります」と面接のおじさんは言い「すぐに慣れるよ」と続けた。「なにか質問はありますか」と聞かれても、思いつくことは何もなかった。

 黙っていたら「いちおう小物の方も見せとくか」と呟いておじさんは歩き出した。その時、女子の高い声が「○○さーん」と誰かの名前を呼んだ。その声に反応してラックの並ぶフロアの奥から走り出てきた男の人は苦笑いを浮かべながら、商品が積まれたカゴ台車が林立する中に分け入っていった。

 歩きながら「相変わらず間違いが多いな」とおじさんは僕に言っているのか独り言なのか判別のつかない呟きをもらし、後を付いていく僕は先ほどの歌うような声の主が気になって、乱雑に置かれたカゴ台車の隙間をそれとなく探しながら進んだ。

 台車一台分の空間が通路のように開いたその向こうに、細身のジーンズにパーカーの女子が、名前を呼ばれた男の人とカゴ台車に積まれた商品を指差して何か話していた。

 ほんの一瞬垣間見ただけの横顔だったけど、こんな子が働いているのかと、それが僕には意外で、なんだか雑多な中に混ざった貴重なものに遭遇した気がした。

 次に案内されたのはL字の建物の一方にある『小物』と呼ばれる部門だった。扱う商品はレトルト食品や調味料など細かい品々で働いているのは女性ばかりということだった。

 おじさんの説明を聞いている間に、ちらちらと飛んでくるおばさんたちの視線が気になった。

 月に一度の棚卸の日は応援に入ることもあるからと言われた。棚卸って何ですかと聞いたら、在庫の数をすべてチェックするんだそうだ。

「小物は時間が掛かるんだよ」とおじさんは言い「いつから来れますか」と聞かれ、僕はその場で翌日から勤務ということになった。

 あっさりと面接が終わった帰り、いつもの公園に寄ってミーを探した。

 奥まった所にある管理小屋の前の、良く陽が当たるコンクリート敷きの上にミーは寝そべっていた。

 傍に立って明日からバイトに行くよと報告すると、ミーは起き上がって、それからお座りし、体をペロペロと舐めて毛並みを整え、立ち上がって僕の足にスリスリと体を押し付けた。

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