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番外編:なくてはならない(2)

 旅館の夕食は魚介類が中心だった。

 メインは海の幸の陶板焼き。それに刺身の舟盛りと魚介の天ぷら、えびの頭のお吸い物がついて、あとはおひつで来るご飯と定番の漬物と、いかの塩辛が卓上に並んだ。


「この固形燃料見ると、修学旅行を思い出すなあ」

 真琴が陶板焼きの青い火を眺めながら、しみじみと呟く。

 旅館の浴衣姿が割烹着同様よく似合う。和装が似合うってことなのかな、とも思うけど、会社勤めの頃のスーツだって似合ってたから何だって着こなせるのかもしれない。

 真琴なら何でも可愛い、とは思っててもなかなか言えない。

「デザートにプリンが出てね、醤油垂らすとうにの味になるって言って、皆で試したの。播上はやった?」

「修学旅行の時じゃないけど、やった覚えはあるよ」

 大人になってからだと全然違うって感想になるんだろうけど、小さい頃はそんな子供騙しでも案外美味しく感じて驚いたりした。

 逆に子供の頃は美味しさのわからなかったものも、大人になったら食べられるようにもなる。年齢と共に食べ物の好みが変わるのは、味覚の成長という要素もあるんだろう。

「たまにはこういうご飯もいいよね」

 外食でも真琴は普段通りの健啖振りを発揮している。舟盛りのサーモンは全部彼女に譲ってあげた。代わりに光り物は俺が食べる。

「上げ膳据え膳ってところがいいな」

 俺が相槌を打つと、それにはちょっと目を丸くしてみせて、

「播上でもそんなこと思うんだ」

「思うよ。何で?」

「意外だったから。播上って、後片づけでさえ嬉々としてやってる感じだったし」


 毎日同じ部屋で暮らして、同じご飯を一緒に食べるようになって。

 二人で食卓を囲むという構図だけは昔と変わりなかったけど、家族として過ごす食事の時間はやはり以前と趣の違うものだった。食事を作る係と皿を洗う係で代わりばんこの当番制。時々、二人で台所にも立つ。そういう生活を面倒だと思ったことはない。

 ただ、食事の支度に追われることなく、後片づけに思いを馳せることもなく、美味しいご飯とそれを味わう彼女を楽しんでいられるのも、それはそれで悪くないなと思う。

 外食ってのは言ってしまえば、余裕と時間を買うってことなのかもしれない。


「毎日なら飽きるだろうけど、たまには外で食べるのもいいよ」

「そうだね。新しい味との出会いとかあるし」

 俺の言葉に真琴も頷き、塩辛の小鉢に手を伸ばす。

「これも結構美味しかったよ。お義母さんが作るのよりちょっとマイルドかなあ」

 そういえばまだ箸をつけていなかった。

 勧められるがままに塩辛を口に運べば、確かに慣れた味つけよりもやや癖のない、塩気の強めな味がした。

「酒を控えめにしてるのかな」

「だと思う。お義母さんのは結構入ってるよね、そっちも好きだけど」

「母さんは甘めの好きだからな。お蔭で昔は、塩辛があまり食べられなかったよ」

 まさに子供味覚だった頃の俺は、母さんの料理の味つけが何となく、微妙に受け付けない時期があった。なのに大人になってからは、あの塩気だけではない味加減が無性に好きになってしまったから不思議なものだ。


 母さんの話が出たので、俺の目はやがて自然と客室の隅へ――大して中身のない旅行カバンの真横、紙袋のままで置いてあるお土産たちに向けられた。

 夕食の前に真琴と二人、売店を覗いて買ってきたものだ。中身は至極ポピュラーな地元銘菓が三種類、駅や空港でも買えてしまうやつをわざわざ、持って帰ることになった。

 お土産渡したら、素直に喜んでくれるといいんだけど。

 小遣いを頑なに拒んだ俺が言えた義理じゃないか。


「親孝行って、難しいな」

 ふと呟いた俺に、すぐ真琴の言葉が続いた。

「そうだね。私も自分の親から言われたんなら、素直に受け取れなかったかも」

「そういうの貰わないで、何でも自分でできるようになるのが親孝行だって、思ってたんだけどな」

 学生時代から一人暮らしを始めていたせいか、俺の自立心は遅い反抗期みたいな様相すら呈していたことがあって、母さんが気まぐれに送ってくる仕送り荷物なんかも時々疎ましかったりした。

 またうちの母さんも限度がないって言うか、例えばカボチャを大量に送りつけてきたりするからな。あの時は本当に参った。

「こっちに戻ってきて、店継ぐって決めたからには、早く一人前になって自立したかったんだ。結婚だってしたし、仕事以外で親の厄介になるわけにはいかないって、俺は思ってた」

 来年には俺も三十だし、一人前にはまだ程遠いだろうけど、親に寄りかかるような真似だけはしたくなかった。自立こそが何よりの親孝行だと考えていたからだ。

 母さんにとってはそうでもなかったんだろうか。今でもよくわからない。

「なのに、親からすれば子供はいつまでも子供だ、って母さんには言われたよ。それだってわからないわけじゃないんだけどさ」

 俺はぼやき、真琴には同情めいた笑いを向けられた。

「子供の側からすれば、そういう親心も結構難しかったりするよね」

「全くだ。どんな子供でいたら満足だって言うんだろうな」

「うーん、多分ね。近くで見てるからだと思うよ」

 そこで彼女は首を竦める。

「傍にいるからいろんなこと、目に入っちゃうっていうのもあるんじゃないかな。離れて暮らしてたらわからないけど、近くにいたら細かいところまでわかっちゃうんだよ。だからついつい口も出るし、お金だって出したくなるんじゃない?」


 確かに母さんは、俺が真琴にとっていい夫であるように、みたいな言い回しで小遣いを渡そうとしていた。それだって余計な気の回し方だと思ってしまうけど、母さんの目から見ればそれだけ至らない夫だったってことでもあるのかもしれない。

 まあ、今頃新婚旅行しようって言い出す辺りとか、頼りないと思われてもしょうがないか。しかも他人に影響されてというから性質が悪い。俺はもうちょっと気を回しすぎるくらいでもいいのかもしれない。


「私もたまに、実家に電話かけてお母さんと話すけど」

 真琴は思い出すようにしみじみと続ける。

「私が『幸せでいるよ』って言えば、それだけでいいって言うよ。でも多分それも、遠くにいるからなんだろうなって思う。近くにいたらもっと口うるさく言われてるんじゃないかな」

 そうかな、と俺は内心首を捻る。

 真琴のご両親とは結婚の申し込みに行った時と結納の時にそれぞれ顔を合わせた程度だけど、うちの親ほど口うるさいようには見えなかった。そこはむしろ性格的な問題じゃないだろうか。

 でも彼女はあくまで続ける。

「播上のお母さんは播上がすごく大切なんだろうなって思うし、私のことも大切にしてくれてる。今回のことからだって、そういうの、すごくよくわかるよ」

 俺も、わからないわけじゃない。

 うちの親、特に母さんは真琴を気に入ってくれてるようだし、だからこそああいう行動にだって出たんだろう。それはわかるけど、それ自体は悪いことじゃないと思うけど。

「じゃあ、近くにいる以上はあれこれ口を挟まれないよう、隙を作らないのが親孝行?」

 尋ねれば真琴は小首を傾げて、

「むしろいろいろ言われるのを聞いておくところまでが親孝行、かな」

「つまり素直に説教されとけってことか」

「そうそう。たまには子供らしくいろってことだよ」

 その言葉の後、なぜかくすくす笑われた。

「だって播上と播上のお母さん見てると、ちっちゃい頃の播上がどんな子だったかって何か想像つくんだもん。きっと昔から責任感強くて、お母さんにも甘えられなくて、何でも一人で背負い込んじゃう子だったんだろうなって」

 耳の痛い指摘だ。

 一人息子だったからっていうのもあるんだけど、物心ついた頃から俺には『店を継がなきゃいけない』という使命感、もっと言ってしまえば強迫観念みたいなものが存在していた。

 そしてそれが果たせないと悟った時――それだって今になって考えれば勝手な自己完結だったわけだけど、とりあえず自立して、脛齧る身にだけはならないと決めた。


 仕事で悩んだ時も、親に相談しようって気には端からならなかった。

 そうして真琴の言うとおり一人で背負い込んで、彼女にかえって心配されてしまうって結末に至ったわけだ。あの時、真琴がいてくれなかったらどうなってただろう。考えたくない。

 あの頃からずっと、俺には真琴がいてくれて、昔みたいな身動きの取れない悩みにも、今のようなごく些細な愚痴めいた悩みにも優しく手を差し伸べてくれたりする。親に甘えられない、と彼女は俺を指して言ったけど、彼女に甘える習慣はすっかり出来上がってしまったような気もする。


「成長してないな、俺」

 気づいてしまってついぼやくと、真琴は首を竦めてくれた。

「大丈夫。私もそうだから」

「お前はいいよ、元からしっかりしてるから。俺なんか、退化してるような気さえする」

「そんなことないって! 播上もほら……何て言うか最近、作務衣似合ってきたし!」

「……フォローありがとう」

 結局、俺は親孝行するのもまだまだ早い、ってことだろうか。

 先に奥さん孝行して、それが立派にできるようになってから初めて親孝行を考えろって、母さんはそう言いたかったんだろうか。だとしたら手厳しい。

 現実に、奥さん孝行すらできてるかどうか、怪しいものでもあるけど。

 真琴は俺の胸中を推し量るような顔つきで、じいっとこっちを見つめてくる。そういう顔は昔と何にも変わってなくて、俺の言葉を待ってる間の視線の強さが、いいよな、と場違いに思ったりする。

「幸せ?」

 不意に、俺は尋ねた。

 それに対して彼女は、意味がわからないというふうに目を瞠った。

「え?」

「さっき、幸せって報告してる、って言ってたから」

 だからそう付け加えれば、今度はばつの悪そうな顔になる。

「言ったけど。……駄目?」

「誰も駄目だなんて言ってない」

「でもでも、何か突っ込みたそうな顔してる!」

「してないよ。本当に幸せでいてくれてるのかなって、思っただけだ」

 俺は別に突っ込みたい気持ちも、からかう気だって全くない。

 なのに真琴は一人で照れて真っ赤になって、箸まで置いてそっぽを向いた。そして唸るような声を立てる。

「ちゃんと、幸せだよ。いちいち言わせないで欲しいな」

 いちいち聞きたいんだよ。わかってないな。

 幸せだって言ってもらえると安心する。彼女がそう思ってくれてるのも、聞けばそう言ってくれるだろうことも知ってはいても、何度だって聞きたい。確かめておきたい。それだけで俺も幸せになれる。

「新婚旅行、遅くなってごめん」

 ほっとしながら告げたら、あらぬ方を向いてる彼女の横顔も少し和らいだ。

「ううん。連れてきてくれただけで嬉しいから」

「余計な苦労もかけたし」

「いいよ、全然苦労じゃないよ」

 彼女は昔と変わらず優しくて、思ってたよりは照れ屋だっていうのはあったけど、だからと言って幻滅するなんてこともない。むしろそういうところもすごく、いい。

 二人で食事を取る時間が当たり前のように生活の一部になって、それと同じく、彼女がいる毎日そのものが当たり前になってしまっている。そうして過ごす毎日は優しさに満ちていて、幸せで、彼女は俺にとってなくてはならない存在だ。

 真琴がいなけりゃ、親孝行だってできやしない。

「本当なら、お前みたいないい女と結婚しただけでも、親孝行だって思ってもらいたいくらいだ」

 若干照れながらそんな台詞を口にしてみる。

 すると真琴にはたちまち顔をしかめられた。

「あっ。播上が、渋澤くんみたいなことを言ってる」

「何だよそれ。俺がそういうこと言っちゃいけないのか」

 気障な台詞には顔審査が必要だとでも言いたいのか。別にこういうのはもてる奴の専売特許じゃないだろ。俺だって、たまにはそういうこと言いたい。

 新婚旅行なんだし。

「別に駄目じゃないけど……」

 真琴は真琴でやっぱり照れながら、浴衣の前を引き合わせるような仕種をした。

「播上っぽくない感じはするかなあって」

 柄じゃないって言いたいんだな。

 いや、自覚はしてる。


 じゃあ改めて、俺らしいことを言ってみようと思った。

 とは言え俺らしさって何だって考えてみたらあんまり思い浮かんでこないし、渋澤っぽいって言われるのは正直心外だ。

 そんなこんなで悩んでみてもいい台詞は思いつかなくて、最終的に捻りのないことを口にした。


「俺と、結婚してくれてありがとう」

「……うん」

 こくんと頷いた真琴は、その後で恥ずかしそうにしながら語を継ぐ。

「私もね、播上といるの楽しいし。播上のそういう性格も、全部好きだし……だからありがとうっていうのはこっちの台詞って言うか……」

 そうやってもごもご言いながら、縮こまるみたいに深く深く項垂れていく。

 普通にメシ友だった頃は、ここまで照れ屋だったとは思ってもみなかった。微笑ましいなとさえ思う俺に、やがてすっくと顔を上げた彼女は言い放つ。

「あ、あのさ」

「何?」

「参考までに聞きたいんだけど、……男の子と女の子だったら、どっちがいい?」

 俺はとっさに、何について聞かれたのか理解できなかった。

 しばらく考えてからようやっと察した。

「――何で!?」

「い、いや、参考までにって言ったじゃん。新婚旅行だし、そういう話もしとこうかなって」

「するにしたってタイミングとかあるだろ。飯時に聞く話じゃない」

「でも、お風呂の時とかはかえって聞きにくいもん。何か……何となく」

 だからって今じゃなくても。脈絡だってなさすぎる。

 俺もすっかり慌ててしまったものの、真琴が例によってうろたえつつも答えを待つような顔つきをしていたので、とりあえず答えた。

「強いて言うなら、男がいい」

「……それは跡取り的な意味で?」

 続いた彼女の質問にはかぶりを振る。

「女の子だと、いつかまともに話せなくなる日が来るような気がする」

 すると真琴は柔らかく、いつになく穏やかに笑った。

「播上なら男の子でも女の子でも、優しいお父さんになりそうだけどなあ」

 自分では全くそう思わないけど、いつか本当に親になる日が来たら、もう少し親心も理解できるようになるだろうか。

 それとも自分の親の前では、いくつになっても、たとえ子供がいたって、子供扱いのままだったりするんだろうか。


 一泊二日の新婚旅行が無事に済んだ後、俺たちはお土産を持って実家を訪ねた。

 母さんは意外にもうきうきとそれを受け取り、

「あらま、気なんて遣わなくてもよかったのに!」

 なんて言いながら素早く包装紙を剥がしてしまって、お茶淹れて皆で食べましょ、と続けた。

「全部味見してきたんで、間違いなく美味しいですよ!」

「真琴ちゃんの見立てならきっと確かね。楽しみ!」

 若い子みたいにきゃっきゃとはしゃぐ真琴と母さんの傍ら、父さんは黙々と、四人分のお茶を淹れ始めている。


 そんな光景をぼんやり眺めつつ、親孝行ってこういうものなのかなと考えてみたりする。

 これと言って大したことはしてない、でも真琴がいなければ叶わなかった光景。彼女さえいてくれればこの先更に叶うかもしれないこと。

 だったら俺は自立だ何だと生意気なことばかり考えてないで、幸せをくれる彼女自身を幸せにしていくこと、それだけを考えていればいいのかもしれない。

 もはや彼女は、俺の人生にはなくてはならない存在だから。

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