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番外編:新婚旅行の為の定食(3)

 当初の予定通り、メインの献立はハンバーグだ。

 串を直火で、時々ひっくり返しながら焼いていく。肉の焼ける匂いといい音とが店内に響き出す。

 焼き上がった串から熱いうちに味をつける俺を、渋澤はカウンターの向こう側からじっと見ていた。

 もう何年も前のことだが、奴にほんの軽い口調で、店をやればいいのにと言われたことがあった。俺はその時、あまり軽くはない否定の返答をしていた。

 年月が経ち、幸運にも俺はカウンターの中にいる。もてなす側の人間としてここにいる。

 まだ自分の店を持っている訳でもない俺が、渋澤の目にどう映っているかはわからないが、数年前の見込みは正しかったのだと思ってもらいたい。それは新婚旅行に相応しいもてなしにもなるはずだ。


 ハンバーグの串を大皿にぐるりと盛って、渋澤夫妻の前に出す。

 前菜二品はキャベツの浅漬けと、いかと小芋の炊き合わせ。メインが濃い目の味付けなのであっさりを意識して決めた。それにご飯とわかめの味噌汁が揃った、店には出せない特別なハンバーグ定食だ。

 配膳を終えると、渋澤はなぜか案の定という顔をした。献立が何かあらかじめわかっていたらしい。

「ハンバーグを作ってくれるだろうと思ってた」

 奴の言葉に俺は首を竦め、代わりに真琴が口を開く。

「渋澤くん、ハンバーグ大好きだもんね」

 それは別に揶揄する物言いでもなかったのだが、渋澤は一度びくりとしてみせた後で、真琴ではなく、俺の方を軽く睨んだ。

「喋ったな、播上」

「別に秘密にしとくようなことでもないだろ」

 言い返す俺も普通にしておけばいいのに、こういう時は笑ってしまう。かと言って、この期に及んで渋澤の好物が不似合いだとも思わない。今となってはまさに奴の代名詞だ。

「好物をばらされたくらいで困ることがある訳でなし、怒るなよ」

 俺がにやつきながら言うと、眉を顰めた渋澤が不信を窺わせてくる。

「だからって口の軽い男もどうかと思うな」

「他の人には言ってないよ。真琴だけだ」

「……なら、いいけど」

 明らかに良くなさそうな声音。そこへ一海さんが控えめに口を挟む。

「お蔭でこうして大好物がいただけるんですから、いいことですよ」

「そうかなあ」

「こんなに手の込んだお料理なんて、家では作れませんよ」

「君が言うなら、それで納得しておこうかな」

 奥さんの言葉に、結局は不満を飲み込んだらしい。

 四歳ほど差がある夫婦だと聞いていたが、案外と主導権は一海さんが握っているのかもしれない。いや、俺は全然他人のこと言えないんだが。

「良かったら味も覚えてって。気に入ったのあったら、播上が教えてくれるよ」

 真琴が促すと、渋澤も一海さんもうれしそうな顔を見合わせて、それからほぼ同時にいただきますを言った。


 正午をとうに過ぎていたからか、二人ともお腹が空いていたらしい。

 いただきますの後は作り手の努力に報いるいい食べっぷりを見せてくれた。

 好きなものから迷わず手を出す辺りは相変わらずの渋澤、対して一海さんはいろんな種類の味を見て、そのうちのいくつかを渋澤の為、甲斐甲斐しく取り分けてあげている。これは瑞希さんが好きそうですね、こっちもすごく美味しかったですよ、なんて言いながら――若いのにと言ったら失礼に当たるかもしれないが、しかし良く出来た奥さんだった。


 渋澤の好みに一番合ったのは照り焼きマヨネーズ串。一海さんは大葉巻きを柚子胡椒で食べるのが好きだと言っていた。

「このマヨネーズ、くどくなくて美味い」

 今回はあくまで友人もてなしようの献立だから、店で使うような、門外不出のレシピもない。俺も気軽に教えてやる。

「生クリームを入れてる。泡立てた奴な」

「へえ。一海、覚えておこう」

 渋澤の言葉を受けて、一海さんは失礼しますと断ってから携帯電話を取り出す。

 紙に書いて残さない辺りは現代的だ。彼女が電話をぱちぱち操作する横から、渋澤がうれしそうに覗き込んでいる。

「帰ったら一海も作ってみてくれる?」

「いいですけど、播上さんほどは美味く作れないですよ」

 謙遜する一海さんも、料理はなかなか得意なのだと聞いていた。

 よく電話で自慢された――もちろん彼女にじゃなくて、渋澤に。でもまあ、俺がどんなに美味い料理を作ったって、可愛い女の子の手料理には敵わない場合も多々あるということも、身をもって知っている。

「愛情が入ってればそれでいいよ」

 昼間っから甘ったるい台詞を吐く渋澤。

 俺がさすがにうんざりすると、すかさず真琴がツッコミを入れる。

「仲良いねえ、渋澤くんと一海さん」

 そしてそういうツッコミを貰っても、ろくに照れるということをしないのが渋澤だった。むしろさも当然の口ぶりで応じた。

「当たり前だろ? こんなに可愛い妻を貰っておいて、仲良くしてなきゃバチが当たる」


 確かに、一海さんは今時珍しいくらいの良く出来た子だ。

 渋澤みたいに何でも揃ってる男に、こんな出来た奥さんがいるのは不平等な気もするし、正しい配剤のような気もする。

 ただ、やっぱり、意外でもある。


「そっちこそ、相変わらず仲が良いみたいじゃないか」

 逆に、渋澤がからかってきた。

 一海さんに教えるみたいに続けて、

「播上も清水さんも、昔っからこんな感じなんだ。付き合う前から付き合ってるみたいだったのに、結婚するまで六年も掛かったんだからな」

 どさくさに紛れてあることないこと言われた気がする。

「もう『清水』じゃないもん」

 真琴が負け惜しみみたいな反論をしてもどこ吹く風だ。

「ああ、ごめん。でも君だって、結婚したのに播上のことを名字で呼んでるだろ」

「だって播上は名字変わってないもん」

「そうだけど。二人でいる時もそう呼んでるのか?」

「うん。でもお店ではちゃんと名前で呼んでるよ――あ」

 そこで真琴は、しまったという顔をした。

 俺の方をちらっと見てくる。こっちも触れられたくない話題だったので、反応に困る。

 でもそういう話題に対する、渋澤の嗅覚は素晴らしい。

「へえ、店では何て?」

 尋ねられると、真琴はもう一回こっちを見やる。しょうがないので軽く頷けば、言いにくそうに答えていた。

「ええと、正ちゃんって」

 答えがものすごく気遣わしげで、申し訳なさげだったのにも、奴は感づいただろうか。割と本気でびっくりしたような顔の後、意味ありげに俺へと告げる。

「何だ、普通に呼んでもらってるじゃないか。どうして普段から呼ばせてないんだ」

「……あんまり、好きじゃないんだよ。その呼び方」

「照れてるのか」

 冷やかすような笑みを視界の隅で捉えておく。

 まだ、そういう解釈をされた方がましだ。


 こればっかりは同期の友人相手にも知られたくない――まさかうちの母さんと同じ呼び方だから嫌だとは、言いにくいじゃないか。

 店に出るに当たって、真琴にはなるべく名前で呼んでくれと頼んでいた。何せ全従業員が揃って『播上』なので、名字で呼ばれるとややこしい。

 真琴が言うには、ちゃん付けが一番呼びやすいとのことだったが、それはそれで非常に複雑だった。と言うか母さんが止めてくれればいいのに、何年言い続けても一向に改めてくれる気配がないのがおかしい。息子はあと二ヶ月ちょっとで二十九になろうとしてるってのに。


「好きなように呼ばせてあげたらいいだろ」

 渋澤はそう言うが嫌なものは嫌だ。

 母さんと呼び方が被るくらいなら、まだ名字で呼ばれたままの方がいい。

 でもその事実を奴に話すのも嫌なので、ノーコメントを貫くことにする。

「お友達同士からご夫婦になるのって素敵ですね、憧れます」

 一海さんはそういう優しい言い方をした。もう渋澤にはもったいないくらいのいい子だ。

「でも、こんな二人に挟まれてた僕の身にもなって欲しいな。毎度のように当てられてて大変だったんだから」

 部下に手を出した総務課長が何を言う。

 そう思った俺より早く、真琴が口を開いて曰く、

「何言ってんの渋澤くん、それなら私だって、渋澤くんが播上と焼肉で喧嘩をした時はもうすっごく大変だったんだから――」

「清水さん、それは言わなくていいから!」

 奴は奴で、奥さんの前じゃ言われたくないこともあるらしい。

 以降は渋澤と真琴の昔話暴露チキンレースと相成って、俺は時折はらはらしていたが、一海さんはにこにこしながら話に聞き入っていた。


 そんな感じで非常に騒がしい昼食ではあったものの、楽しく、仲良く食べてもらうという当初の目的は達成出来たみたいだ。新婚旅行らしいかどうかはともかく。

 ハンバーグ串定食も二人でぺろりと平らげてもらえて、それが一番うれしかった。

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