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番外編:ベストスパイス(2)

 電話が鳴ると緊張するようになったのは、理屈としてはおかしい。

 播上とは以前からごく普通に電話も、メールもする間柄だった訳だし、それが五年以上も続いてきたのだから緊張なんて今更だ。

 理屈ではそうなんだろうけど、身も心もまるで言うことを聞いてくれない。彼専用の着信音が鳴ると、料理中でもつい振り向いてしまう。肩がびくりとする。見えもしないのに超普段着なのが気になったりする。

 いつ電話が鳴ってもいいように、家の中のすぐ目につくところに置いていた。仕事から帰ったらまず充電。ご飯支度の間は台所に置いて、寝る時は枕元へ移す。我ながらなかなかに健気な行動で、この辺りはいかにも遠距離恋愛っぽい。

 メシ友時代も電話はしていたけど、理屈はさておき、意味合いが全然変わってしまった。

 出勤したら毎日のように会えたのは過去の話だ。私の勤務時間と彼の営業時間とはほぼ入れ違いのようにずれているから、話が出来るのは休日くらいのものだった。メールの応酬で事足りたのも友人同士だからこそで、今となってはまどろっこしくてしょうがない。電話の方が声も聞けるし、好きだった。


 渋澤くんと会った週の土曜日も、私は播上から電話を貰っていた。

 この街と彼の故郷、三百キロ超の距離を繋いで、話をした。

「こないだ、渋澤くんが来てったよ」

 そう教えたら、播上も驚いた様子だった。

『へえ。出張か何かで?』

「うん、会議だって。時間あったから、社食でちょっと話もした」

『変わってなかっただろ? 俺もあいつと電話で話すけど、いい意味でも悪い意味でも昔のままだ』

 播上は渋澤くんのことを、気の置けない相手みたいに言う。

 何だかんだで仲がいいらしいのが羨ましい。

「確かにあんまり変わってなかったなあ。ずっと会ってなかったのに私にも気さくだったし、播上のことも話してた」

『……俺の話?』

 仲がいいだけに、そこはぴんと来たんだろうか。彼の声が陰った。

『何となく、嫌な予感がする』

「別に変な話はしてないよ。播上がいなくて寂しいねっていう趣旨だったし」

 他にもいろいろあったけど、告げるのはむしろ私が恥ずかしい。

 本当に変な話ではなかったんだけどね。ただ、ちょっと。

『それならいいけど』

 あんまり納得していないようなのが声でわかる。今の表情も簡単に思い浮かべられる。三百キロも遠くの姿を想像して、私はこっそり笑っておく。

『渋澤の奴、最近は妙に絡んでくるんだ。自分のことだけかまけていればいいのにな』

 不満げにぼやく播上。


 それを聞いた私は、渋澤くんには好きな人がいるんだろうか、そんな疑問をふと抱いた。

 この間もそんな空気を匂わせていたような。気のせいかもしれないけど。

 どちらにせよ、播上にだってそんなことは聞けない。聞いちゃいけないと思って、黙っていた。


『あ、そうだ』

 私が黙っていると、不意に彼が声を上げた。

『清水、明日の午前中は家にいるか?』

「何それ、やぶからぼうに」

 こっちにいない相手に聞かれると、不思議な感じのする問いだった。私が家にいようといまいと、播上は向こうの街にしかいないのに。

「日曜日だからいると思うけど、どうして?」

 すると彼は勢い込んでこう言った。

『荷物送った。誕生日プレゼント、当日に着くように』

「え、……覚えてたの?」

 私も、思わず声が裏返った。

 誕生日、覚えててくれたんだ。


 今年はそれどころじゃないだろうと思っていた。

 播上、あっちに戻ってからはかなり忙しかったはずだから。

 なのに、それでも覚えていてくれたなんて、うれしいなあ。どうしよう。プレゼントなんていいのに。気持ちだけでもう十分なくらいなのに。でもプレゼントを用意してくれた気持ちもそれはそれですごく、うれしいなあ。

 込み上げてくる幾多のくすぐったい思いを、ここは噛み殺すのに精一杯だった。

 頬が緩む。美味しいものでも食べた直後の気分になる。


 しかも、播上からは更に言われた。

『忘れないよ。ちゃんと覚えてる』

 たったそれだけの言葉に、密かにどぎまぎする。

 別に甘い台詞とかではないのに、むしろメシ友時代から聞いていたような言葉なのに、今頃になって動じたくなるのはなぜだろう。

「ありがとう。すっごくうれしい」

 私も素直に打ち明けて、電話越しにはにかむ笑いを聞いた。

『ただ、喜ぶのはまだ早いかもしれない』

 はにかみながらも、躊躇せずに語を継いできた。

『品目は去年と一緒だからな』

「ということは、お弁当箱?」

『正解。清水の好きなものって考えたら、それしか思いつかなくて』

 着く前から中身をばらしちゃうところが彼らしい。サプライズとかそういう心は一切ない辺りが。


 もっとも、二月の一件ではかなり衝撃的なサプライズを食らったばかりなので、私としてもこの路線の方がありがたかった。

 あれはすごく心臓に悪かった。初めて会社で泣くとこだった。


 ともかく、

「大丈夫、絶対喜ぶから心配しないで!」

 私は嬉々として答える。

 お弁当箱コレクターとしては最高のプレゼントです。もちろん、播上が私の誕生日を覚えていてくれただけでもうれしいんだけど。欲しいプレゼントを貰えたらもっともっとうれしい。

『喜んでもらえるならよかった』

 播上はほっとした様子で語を継ぐ。

『待っててもらってるから、このくらいはしたかったんだ』

 別にいいのに。こっちは好きで待ってるんだから。

 好きじゃなかったらそもそも待っていられない。

 でも、長い付き合いの私にさえそういう気遣いをする辺りも、とても播上らしかった。料理を作る人だけあって細やかだ。

「ここまでしてもらったら、待ってない訳にいかないよね」

 浮かれた気分だったせいか、ついつい軽口を叩いてしまう。

「でも忘れないでね。今年はまだ二十八だけど、ぼやぼやしてたらあっという間におばあちゃんになっちゃうよ」

『いくら俺でも、そんなには待たせない』

 電話の向こうで播上が笑う。その後、穏やかに続けた。

『おばあさんになった清水、是非見てみたいな』

「あ、私も! 播上がおじいちゃんになったとこ、見たいなあ」

『さぞかし融通の利かないじいさんになってるだろうな』

「そんなことないって。きっとロマンスグレーになってるよ」

 今からじゃさすがに想像出来ないけど。

 でもきっと、いいおじいさんになっていると思う。小料理屋の大将が似合う感じに。うん、絶対そうだ。

 それから小声で、言い添えてみた。

「何かこういうの、いいよね。共白髪って言うのかな」


 言ってからむちゃくちゃ照れたので、私としては早々にツッコミが欲しいところだった。

 なのに播上と来たらそこで黙ってしまって、しばらく呼吸さえ聞こえてこなかった。


「ど、どうして黙るの?」

 やむなく私が突っ込んだら、ぼそりと言われた。

『その……ちょっと照れた。そういうの、不意打ちだと』

「……そう言われるとこっちも居た堪れなくなるんだけどなあ」

『いや、うれしかったよ。そんな風になれたらいいよな』

 ああなるほど。不意打ちの破壊力はすごい。

 顔が見えないのをいいことに、私はしばらく赤面していた。

 こんな調子じゃ熟年夫婦の安定感なんて程遠い。それどころか一端の恋人らしくもない。今時の高校生だってもうちょい器用に恋愛するんじゃないだろうか。


 日曜日、私は二十八歳になった。

 そして播上からのプレゼントも無事に届いた。

 開けてみてもサプライズは特になし。まず、プレゼントだけだった。手紙などは入っていなかった。メッセージカードを入れるなんて小粋な真似をしないのがいかにも彼らしい。入っていたならいたで、またも私の方が照れてしまっただろうけど。

 プレゼントの中身はやはりお弁当箱だった。

 去年はライオンだったけど、今年は小鳥だ。それも二羽。

 去年よりは落ち着いていて、でも可愛いタッチの絵柄だった。播上が何を考えてこの絵柄を選んだかは聞いてみないとわからない。ただ私は思った。

 ――この二羽は、きっとつがいだ。

 そんな風に考えてしまう私は、何だかんだでしっかりと恋愛しているんだろう。


 お弁当箱を取り出して、正座の姿勢でしげしげと眺めて、それから床に倒れ込んで一人どぎまぎしてみる。

 去年と同じプレゼント。

 くれた人も同じ人。

 但し去年はメシ友からで、今年は恋人から貰った。

 そういう関係に実感が湧かなくても、慣れたような気がしなくても、現実として私は彼と恋愛をしている。しみじみ思う。

 それから寝転がったまま、お弁当箱を胸に抱いて、呟く。

「お腹、空いたなあ……」

 私はずっと空腹だった。それは日々のお弁当作りで満たせると思っていたけど、そうじゃなかった。お弁当やご飯ではどうしようもない、だけど自然な空腹を覚えている。

 ふと目を開けて、次の瞬間起き上がる。

 そして携帯電話に飛びつき、興奮気味の指先でスケジュールを開く。表示されたカレンダーで日付を確かめる。

 迷わず今年の七月を選ぶ。七月は、連休がある。


 思う。お腹が空いたなら、一杯にしに行けばいい。

 七月は連休がある。播上の誕生日もある。ひとっ走り行って会ってこよう。

 三百キロの距離何するものぞ。熟年夫婦の安定感なんて程遠い私には、こうして欲求に身を任せる必要だってあるはずだ。恋人同士の実感が湧かないって言うなら、ちゃんと味わいに行けばいい。

 空腹が最高の調味料だと言うのなら、その瞬間はとびきり美味しいに違いない。

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