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番外編:ベストスパイス(1)

「六年目」清水視点のお話。

 播上が故郷へ帰ってから、もう二ヶ月目だ。

 当然ながら昼休みの過ごし方が変わった。迎えに来てくれる人がいなくなった。彼の休憩時間に合わせてスケジュールを立てることもなくなった。社員食堂に慌てて駆け込む必要もなかったし、彼の目に付きやすい、わかりやすい席に座っている必要だってなかった。

 作ってきたお弁当を見てもらう機会も、メシ友の作ってきたとびきり美味しいお弁当を分けてもらう機会も、全てなくなってしまった。

 それでも私はお弁当を作る。毎日作る。そして食べる。

 播上がいようといまいと、お腹は規則正しく空いてくる。そこに感傷の入る余地はない。『空腹は最高の調味料』とはよく言ったもので、お腹が空いた時のお弁当は、私の作ったものでもそれなりに上等の味がした。

 彼が傍にいなくても、この習慣は変えるつもりもなかった。


 そんな私を見て、変わってないと多くの人は言う。

 曲がりなりにも遠距離恋愛二ヶ月目なのに、まるで切なげにも寂しそうにも見えないと言う。

「熟年夫婦の安定感だね」

 と評されたこともあって、誤解されてるなあとこっそり思う。

 何が間違っているかって、播上と私が長年連れ添った間柄であるかのような形容だ。

 私たちは遠距離恋愛のみならず、恋人同士になってからも日が浅い。チョコレートをあげた二月を基準とするなら、やっとこ三ヶ月経った辺りだ。そもそも播上と恋人でいるという実感が薄かった。

 そんな私たちを熟年夫婦と呼ぶのは間違っている。

 安定感を齎しているのは、皆が思うのとは違う要因だろう。


 今日も一人でお弁当を食べている。

 お腹が空いているから一人ぼっちでもちゃんと美味しい。でも時々、お弁当箱の蓋を見てしまう。

 ライオンの顔が書かれた蓋。

 去年の誕生日プレゼント。

 もうじき今年の誕生日が来る。次の日曜日だ。

 播上のいない五月、二十八歳の誕生日。三百キロ以上も離れている今、会ってお祝いしてもらうことは考えられない。寂しくないはずがない。


 そんなことをぼんやり考えていたら、

「清水さん」

 すぐ真横で声がした。

 自然と肩が跳ねるくらい、どこかで聞いた声だった。

 この会社も六年目、部署の違う人でも大抵は聞いたことある声をしているものだけど――それにしても妙に懐かしい声だ。

 顔を上げると、実にさわやかな笑顔が見えた。スーツを着込んだ顔立ちのきれいな人。そしてやはり懐かしく映る顔。

 びっくりした。

「渋澤くん!?」

 驚き過ぎて箸を落っことすところだった。

 私の反応を見るや、渋澤くんはしてやったりという表情になる。うれしそうに口を開いた。

「久し振り。元気にしてた?」

「お、お蔭様で……今はすごくびっくりしてるけど」

「そうか、うれしいな。清水さんに会えたら驚かせてやろうと思ってた」

 端整な顔をしているくせに、言動は時々子どもっぽい人だった。播上と口喧嘩をする時は特にそう。スーツにネクタイを締めた男二人が、例えば焼肉の焼き方一つで言い争ったりするんだからおかしいったらなかった。

 思い出しながら私は呻く。

「ああそう。それならまんまと驚きました」

 してやられたと思った後で、懐かしさと笑いが込み上げてくる。


 かれこれ二年以上も会っていなかった相手だ。同期入社とあって、以前は話す機会もちらほらあったけど、向こうが本社勤務になってからはまるで接点がなかった。

 播上はしょっちゅう連絡を取っていたみたいで、話にだけはよく聞いていた。

 だから余計に懐かしかった。 


「出張で来たの?」

「ああ。午後からここで会議なんだけど、ちょっと早めに着いちゃってさ。せっかくだから清水さんの顔でも見ていこうと、探してた」

 どうやら彼は変わりないらしい。姿かたちもそうだけど、社交的かつ人当たりのいい性格も。

 私は何だかほっとして、つい軽口を叩きたくなる。

「さすがは渋澤くん、マメだね。その調子だと相変わらずもてるんじゃない?」

「あいにくとそうでもないよ」

 一瞬だけ苦笑した渋澤くんが、すぐに平然とやり返してきた。

「清水さんの方こそ、今は幸せ一杯だって話じゃないか。おめでとう」

 そういう話題を振られることには慣れていた。とりあえず苦笑しておく。

「ありがとう。改まって言われると照れるけどね」

「その割には普通にしてるな。清水さんの恥らう顔もちょっと見てみたかったのに」

 冷やかすように微笑む渋澤くん。

「もっとも、清水さんと播上なら付き合うなんて言うのも今更なんだろうな。すっかり落ち着いてるように見えるよ」

「……熟年夫婦っぽい?」

「ああ、すごくそれっぽい」

 言われる前に言ってみたら、思いっきり腑に落ちた表情をされた。

 他人の目にはそういうふうに見えるものらしい。ちっともそんなことないんだけどな。


 それから、二人で少し話をした。

 私はお弁当を食べつつ、渋澤くんはコーヒーを飲みながら、社員食堂の隅っこでぽつぽつ会話を交わす。

「出世したよね、渋澤くん。もう課長さんでしょ? すごいなあ」

「人手が足りないから駆り出されただけだよ」

「それでもすごいよ。おめでとう」

「ありがとう、清水さんは優しいな」

 同期の中でもとびきりの出世頭が、驕らない笑顔を浮かべてみせる。

 そりゃあもてるだろうなと私でも思う。事実、同期の女の子たちの中にも、渋澤くんのことを気にしていた向きがちらほらいた。先輩にも、後輩にもそれなりに人気があったようだし、いつだったか、播上が羨ましがっていたのもわかる。


 でも播上だってもてそうなタイプだと思っていた。

 優しいし、真っ直ぐだし、顔立ちは地味かもしれないけど決して悪くはないし、料理だってすごく上手だ。お母さんみたいに何でも作れる魔法の手の持ち主。

 彼が自分を卑下する度、私は反論したくてしょうがなくなった。絶対そんなことはないから。播上のいいところを好きになってくれる子が絶対にいるはずだから、まずは胸を張っていて欲しかった。私が欲しくて欲しくてしょうがなかったものを、全て持っていたのが彼だった。

 結果として彼を好きになったのは、他でもない私だった訳だけど。

 むしろ好きだったからこそ、播上がいかにいい男か細かく挙げることが出来たんだろうだけど、その本心に気付くのには五年も掛かってしまったんだから全くもってしょうがない。

 気付いた時にはもう時間がなくて、早々に遠距離恋愛へと突入してしまった。

 実感が湧かないのも無理はない。


「清水さんも元気そうでよかった」

 私の内心を知ってか知らずでか、渋澤くんが軽く笑った。

「てっきり播上と離れてしまって、毎日悲しみに暮れてるんじゃないかと心配してたんだ。泣き腫らした顔でいたらどうしようかと」

 からかう口調でもあったものの、心配してくれているのは事実らしい。わざわざ様子を見に来てくれたくらいだ、その気持ちはありがたい。

「さすがに泣くほどじゃないよ。寂しくないとは言わないけど」

 正直に答える。

 本当に、寂しくないはずがない。一人で食べるお弁当なんて、最高の調味料がなければちっとも美味しくないんだから。久し振りに誰かとご飯を食べたから、より一層思う。

「僕からすると、遠距離恋愛って辛いイメージしかなかったからな」

 渋澤くんは穏やかに続けた。

「でも、二人は貫禄の安泰ぶりだ。距離なんて障害じゃないってところ?」

「うーん、そうなのかな」

 こう見えても結構、寂しい思いもしてるんだけどな。

 何せ三百キロ超の距離は遠過ぎる。ドライブがてら会いに行くと言うにも大きい。

「悔しいな。もっと清水さんをからかえるかと思ったのに」

「あれ、心配してくれてたんじゃなかったの? からかいに来たの?」

 私が突っ込んで尋ねると、何やらどや顔で返事をされる。

「両方だ」

「呆れた。威張って言うことじゃないよ」

「二人が付き合い出したら真っ先にからかってやろうと、ずっと前から思ってたんだ。もっとも、清水さんに付け入る隙はなさそうだから、今後は播上だけ攻めることにするよ」

 力一杯の宣言を聞いて、ちらと播上のことを考える。

 渋澤くんに私のことでからかわれたら、今の播上はどんな反応をするんだろう。以前なら軽く流しているだけだったけど、今だって変わらないんじゃないだろうか。そういうことでうろたえるタイプには見えなかった。

「向こうの方こそ隙がない感じするけどな」

 肩を持つつもりで言ってみる。

 渋澤くんにはそこで、にやっとされてしまった。

「そうでもないよ。清水さんのことでなら隙だらけだ」

「……本当に?」

「疑うんなら聞いてみるといい。すぐにぼろを出すぞ」

 あいにくと、私からそういうことは聞けそうにない。

 恋人同士だっていう実感さえ薄いくらいだ。そんな質問をぶつけるのはさすがに気恥ずかしい。

 私のことで隙が出来る播上を、ちょっとだけ見てみたい気はしたものの。


 むしろ、播上がここにいてくれたらいいのに。

 そしたら渋澤くんとの楽しいやり取りも見られたし、私のことでぼろを出す様子も見られたかもしれない。

 何より渋澤くんが席を立っても、無性に寂しいと思わなかっただろうから。


「じゃあまた。次に会う時は、『清水さん』じゃなくなってるのかな」

 格好つけた挨拶を残して、渋澤くんは社食を後にする。

 もしここに播上がいたら、どんな顔で見送っていたのかなと思う。残された台詞にどんな反応を示しただろう。今の播上なら以前とは違う態度を取っただろうか。

 長い付き合いなのにちっとも想像出来なくて、寂しかった。


 播上が傍にいないのに、寂しくないはずがない。

 もし私が、落ち着いているように見えるのだとしたら、単に一人でもお弁当を美味しく食べられているからだろう。

 空腹は最高の調味料だ。播上がいなくてもお腹は空くし、それに備えてお弁当は作る。毎日のように。そして食べる。お腹が空いていたら自分の作ったものでも美味しい。何も変わらない日常のサイクル。

 お腹が空くのは自然の摂理で、お腹を一杯にするのは簡単だった。

 それなら、播上がいなくて寂しいと思うのは自然の摂理のうちだろうか。その寂しさを満たすには何を作ればいいんだろう。


 別の意味で、私はずっと空腹なのだと思う。

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