誓いの口付け。
帰れない苛立ちからなのか、毎朝舌打ちをするヴァンパイア王様。それで、私は目が覚める。
うん。いくら魅力的な声でも、舌打ちで起こされるのは、あまりよろしくない。
「ああもう……上手くいかないな」
「まぁまぁ」
一ヶ月と二日が経つ。
もうあの世界では一ヶ月と二日は行方不明状態のクアロルプスは、流石に余裕を失ったみたいだ。ベッドに座ったまま俯くクアロルプスの顔が、不機嫌一色に染まっていた。
そんなクアロルプスの背中をさすって慰めるのだけれど、効果はイマイチないようだ。
今日は休みだから、クアロルプスの髪をブラシでとかして、一つに束ねた。クアロルプスの腰まで届く長い髪をいじれるのは、この世界で私だけ。ふふん。今日は三つ編みをさせてもらおう。
この一ヶ月、夢みたいだった。
夕暮れになると仕事場まで迎えに来てくれるのだ。もう派手な恋人だと、職場の人に認識されてしまっている。
夕ご飯も必ず作ってくれるようになったし、これがまた絶品。
休みの日は、映画鑑賞。もちろん家の中でだ。ちゃんと付き合ってくれた。
もうクアロルプス王様と同棲生活を満喫してしまっている。恋人になってください。なんちゃって。
私は黒のベビードール一枚でいる。暑いからしょうがない。クアロルプスも慣れて、じろじろ見ることもなくなった。
「そう言えば、最後の吸血から一週間経つけれど、吸血しないの?」
「……ああ。喉が渇いた」
私からクアロルプスに提案した。
頷いたかと思えば、クアロルプスは私を振り返る。
そして、私を押し倒した。
「ちょ、三つ編みまだ終わって……」
「言っている場合か」
クアロルプスが私の両手を掴み、固定する。
なんだろう。この状況。
「血とは命だ。その命……オレ様に少し寄越せ」
肩から垂れ下がる白銀の長い髪が、私の顔の横をかすめる。
まだ不機嫌の色が残っている顔。それが近付いて、鼻先が交わる。
「どうぞ、王様」
私は自らを差し出す。
クアロルプスの白銀の瞳が、ご機嫌に細められた。
「いただこう」
ベリッと剥がされた絆創膏。そこに再び牙がくる。私はキュッと目を閉じた。チクリとする。ちょっと前より痛い。気のせいかしら。
ゴクリ。一口、飲まれた。
すると、クアロルプスの身体がのし掛かってくる。重い。
彼の食事の余韻を味わっているのだろう。
ヴァンパイア王様も、その瞬間が弱点ね。
「……傷が残るな」
「そうね。美味しかった?」
「ああ、美味だった」
起き上がるクアロルプスが、首の噛み跡を気にする。
「王様ってば、そんな小さなことを気するの?」
笑ってしまう。
「小さなことだと?」
「うん」
「フッ……オレ様の印が小さなこととは……ムカつくな」
クアロルプスはムカつくと言っておきながら、ニヤリと不敵に笑ってまた顔を近付いた。私の首に、顔を埋める。
カプリ。甘噛みされる。
「ちょっと、くすぐったい」
「あむ」
「あむって、かわいっ、ちょ、王様」
「あむあむ」
「やめてぇっ!」
可愛いから。可愛い過ぎるから、やめてほしい。
そして、くすぐったい。
私の首をがむがむとするクアロルプスの手が、脇の下に滑り込んだ。
「ええ!? ちょっと、王様それは反則っ」
脇までくすぐられる。私はじたばたと暴れたのだけれど、クアロルプスには何一つ通じない。
れーろっと、首を舐め上げられた。私はビクリと震える。
「ひぃ、や、やめてってば、クアロ!」
「……」
クアロルプスが、ピタリと止まった。
パッと放してもらえる。
「このまま食べてしまいたい」
私の上にいるクアロルプスは、そう声を落とす。
「今食べたばかりじゃん」
ごちそうさまと言ってよ。
「陽だまり」
「何、王様」
「抱きたい」
「おお直球」
私も抱かれたいけれど、落ち着こう王様。
「落ち着こう、クアロルプス」
「落ち着いているが?」
「じゃあ退こう」
「抱きたいと言っているのだが?」
「王様、欲求不満?」
一ヶ月と二日で溜まりに溜まっているみたい。
「夜と昼が逆転しちゃったせいで、爆発?」
「茶化すな、陽だまり」
一つ、自分のワイシャツのボタンを取った。
「欲しい。遊陽、お前が欲しい」
かぁあ、と顔が熱くなる。
その直球な口説き文句。顔を隠したいけれど、片手でしっかり握られて放してもらえない。
「答えは? オレ様の陽だまり」
「オレ様の陽だまりって……ヴァンパイアの王様らしくない」
「ああ、陽だまりを欲するヴァンパイアなど、おかしなものだよな。ふふ、だが、お前が欲しい」
指先が、私の顎をなぞる。
「遊陽。お前はオレ様が欲しくないのか?」
「……」
「欲しいと言え」
「……」
「言わないのか」
私の顎を鷲掴みにした。
欲しい、その言葉を待つクアロルプス。
「……答えたら、何か起きるの?」
私は直感した。
何が起きる。
「……」
クアロルプスは答えなかった。肯定だ。
帰る方法を見付けた。
「……最後になるの?」
「何故そう思う」
「……最後の気がする」
そんな気がしてしまう。
三度目は、ない。
私は笑う。すると、クアロルプスは顔を歪めた。
「そんな顔をするな」
「笑顔なのに?」
「何もかも諦めたような薄い笑みだ、やめろ」
クアロルプスが、怒る。
「でも、しょうがないでしょう。遅かれ早かれ……んんっ」
「言うな、やめろ」
口を手で塞がれた。またもや暴れても、ビクともしない。
「いいか、よく聞くんだ。遊陽。オレ様が例え目の前から消えようとも、再び現れてお前を迎えに来てやる。誓ってやろうオレ様の陽だまり」
ちゅ、と額に口付けを一つされた。
「お前の居場所は、このオレ様の隣だ」
白銀の瞳が、間近で見つめる。
「放してはやらぬ。覚悟が出来ているなら、言え」
声が、言葉が、唇に触れた。
近い。とても近い。
これに触れたら、後戻りが出来なる。
「怖がるな。オレ様がそばにいてやる」
彼は見抜く。離れてしまうことが怖い。
ぐんと近付いておいて、遥か遠くになってしまうことが怖い。私は怖くて堪らない。
私は希薄だったのだ。離れてしまうことが怖くて、消えてしまうことが怖くて、必要以上に親しくなろうとしなかった。
クアロルプスとも一線を超えないようにしていた。
クアロルプスと絆が切れるほど、離れたら嫌だ。
「本当に……誓える?」
「誓おう」
「そばにいてくれる?」
「お前がそばにいろ」
「何それ何様」
「王様だ」
漫画の登場人物に、本気で恋してもいいのだろうか。
涙が込み上がってきた。でもオレ様のクアロルプスの発言に笑ってしまう。
手を解放してくれたクアロルプスに、腕を回して抱き締めた。
「好きだ。遊陽」
私よりも、先にそれを告げる。
「私も好きだよ、好き」
口にすると、胸の中が熱くなった。
「やっと認めたな。寄越せ、唇」
私の顎を掴み、向き合わせる。間近にある美しい顔。
見惚れてしまう。そんな私に御構いなしで、唇を奪う。
クアロルプスの唇が、私の唇を味わうように、動く。
唇を甘く噛み、吸い付いて、ついばむ。
私は目を閉じて、それを許した。
とすん、と押し倒される。クアロルプスの右手が私の髪を弄びながら、頭を撫でた。口付けは、深くなる。
「あっ……」
唇をこじ開けて、舌を滑り込ませてきた。
ベッドの上で、たじろいてしまう。
そんな私のくびれに手を回して、クアロルプスは腰を引き寄せた。
「はっ……あっ……」
「放してやらない」
目を開けば、白銀の瞳。涙が一つ、落ちた。
私はクアロルプスの髪を握り締める。
目を閉じて、身を任せようとしたけれど、また開く。
天井が黒い。私の部屋の天井は白だったはず。何故黒に染まっているんだろう。それに、ベッドの感触も違うと気が付く。包むように沈む。ふっかふかのベッドだ。
「クアロ?」
「あ?」
髪を引っ張って、口付けをやめさせる。
またクアロルプスの顔が、不機嫌の色に染まった。
「……ここって、まさか……」
私のみすぼらしい部屋なんかじゃない。面影なんて微塵も残っていなかった。
まるでお城の豪華な一室みたいな部屋。黒の天蓋付きベッドはキングサイズが、ドンッと部屋の中心にある。黒くて厚いカーテンが、窓を塞いでいた。それでも、少し陽射しが溢れていて、薄暗い部屋が見えた。
「……ああ……成功したようだな」
私の上にいるクアロルプスは、ご機嫌な笑みになる。
成功? クアロルプスが起こしたかった現象?
ササーッと血の気が引いた。思わず、クアロルプスのワイシャツを掴んだ。
すると、バタバタと廊下をかける音が近付いてきた。クアロルプスは私の上から退いて、横に腰を下ろして、頬杖をつく。そして視線を大きな扉に向けた。
「クアロルプス様!!」
乱暴に開かれる扉に、数人の男達が彼を呼ぶ。
「オレ様の世界にようこそ。遊陽よ」
そんな男達を一瞥するだけで、私を見下ろしたクアロルプスは不敵に笑って見せた。
絶句してしまう。私は異世界トリップをしてしまったようだ。
20170827