第3話:石たちの対談
23:55
鉄橋を奔りぬける。
しばらく道なりに進むと、居住者など皆無に等しい人気のないマンションのひび割れた壁が見えた。
エンジンを止め、見慣れたマンションを仰ぐ。
どこにでもあるような何の変哲もないマンション。だいぶ老朽化が進んでいるのか、くすんだ壁には植物のツルが繁茂している。どの部屋の窓にも電気はついていない。
南北に長い2棟建てのマンション。
手前の棟の3階、一番南側に位置する部屋にも…明かりはない。
『珍しいな?マジュのやつ、いつもはまだおきてるのに。』
コンビニ袋を抱えてカビ臭い階段をのぼる。上着のポケットを手探りし、玄関の鍵を取り出す。
ちりん。
マジュが鍵に括りつけた鈴が鳴った。
そのまま取り出した鍵を鍵穴へさそうとした手が…止まった。
ドアがない。
開いている、とかそんな生易しいものではなく、まるで空間そのものにぽっかりと穴があいたかのように綺麗になくなっている。
思うより先に体が動いていた。
嫌な予感がする。
体の末端は氷のように冷たく、心臓は焼ける様に熱い。
焦燥・動揺・警鐘。
「真珠…――ッ!!!」
土足のまま廊下へあがる。普段ならこんなこんなことをすればすかさずマジュにどやされるのだが、今日だけは例外だった。
手狭なキッチンを通り過ぎ、奥のリビングへと踏み込む。
12畳ほどの薄暗い室内は、異臭とも腐臭ともつかない臭いに満ちていた。
空気が澱んで重みを増しているようだ。
思わず反射的に口元を覆っていた。
徐々に目が暗闇に慣れていく。
見慣れた部屋の輪郭がおぼろげに浮かび上がる。
結果。
そこにマジュの姿はなかった。
代わりに俺が目にしたもの…
割れた窓ガラス。
吹き込む風になびく引き裂かれたブラインド。
床に散乱した備品。
横倒しのイーゼル。
壁に飛散した光沢を放つ液体。
どれもこれも、どこかで目にしたような光景ばかりだった。デジャヴ、というやつか?
きん、とこめかみが痛んだ。また、あの感覚だ。
嫌な汗がじわりと全身から噴きだすのがわかった。
突風が吹き込んで、かろうじて繋がっていたブラインドを引き裂いた。俺の両目が何かを捕らえた。
むき出しのコンクリートの壁に囲まれた部屋の中心。
それは青白い月光を背にたたずむ少女の肢体だった。
「…遅かったな。」
紅い双眸が闇に浮かぶ。
炎を宿した少女の瞳がゆっくりと俺に注がれる。
「誰だ…てめぇ…」
聞きたいことなど山ほどあった。だが、今はそれしか言葉が出てこない。
「私は、――」刹那の沈黙のあと、少女は僅かに唇を開いた。「ルチルクォーツ。この世界、ファーストを統括する組織に属する者。」
何を…言っている?
こいつは一体、何を?
無意識に俺は壁を殴りつけていた。酷く混乱しているせいかもしれない。頭に血が上って、感情をコントロールできない。
「今の俺は…冗談に付き合ってやれるほど冷静じゃねぇ…!!」
「私は冗談は嫌いだ。」
表情ひとつ変えずに、少女は淡々と言い放つ。
ピリッっと、空気に亀裂が走った気配がした。
「まあ落ち着きたまえ、黒髪の青年。…確かミアキ君と言ったかな?それからルチル、彼の神経を逆撫でするような言動は控えるべきだと私は考える。」
低い、男の声が聞こえた。
だが、姿が見えない。
どこだ!?
「ここだよ、ミアキ君。」
「!」
ルチルクォーツと名乗った少女の足元、彼女の影から溶け出すように現れたそいつに、俺は目を奪われた。
銀糸に似た灰色の毛並みの猫。
挑発するかのように、ゆったりと長い尾を翻している。
「さて、何から説明しようか。とりあえず最初からかな?」
その方が手っ取り早い、猫はそう言って口角を吊り上げて笑った。