第2話:虚
青と白の光を放つ外灯が等間隔に並び、閑散とした公園を取り囲んでいる。
今夜は月が一段と大きいせいか、もういい時間だというのに思いのほか辺りは明るい。ただ、園内に人影はなく、不気味なくらいに静まり返っている。
小高い丘に切り開かれたこの場所から一望できる喧騒と蛍光色のネオンの群れ。オトシボシとこの町とを繋ぐ鉄橋。山ほどのガラス片を散りばめたような美しさ。
けれどどこか忙しなく感じる。競うように進化し続けてきた無機質な高層ビルたちのせいだろうか。
「…っ!」
突然、ノイズ音と共に視界がブレた。こめかみのあたりが鈍く痛む。
光に目が眩んだわけじゃない。最近よく見るようになった、短い、夢の断片のような映像。
それがまた、俺の脳髄を刺激したのだ。
紅い眼。
蜘蛛のような脚。
壁一面に飛び散ったどす黒いペンキ。いや…血液か?
銀糸に似た灰色の毛並み。
横倒しになったイーゼル。
意味不明なそれらの静止画が次々にフラッシュバックする。気分が、すこぶる悪い。吐き気すら覚える。
「ミアキ、こっち!」
ヒスイの声に我に返る。どれくらい、夢を見ていたのだろう。
羽虫の集る外灯に照らされた鉄製のベンチに腰掛けたヒスイは、俺にも隣へ座るよう手招きした。ひんやりと冷たいベンチの感触に胸の動悸が徐々に治まっていく。
「っくしゅ」
ヒスイは自分の肩を抱くようにして身を引き寄せると、ぶるりと身震いした。
ほらみろ、そんな薄着してるからだ。若さも夜の冷え込みには勝てないってことだな。例えこの温暖化社会においても、だ。
「着てろ。」そう言って、俺は上着を脱ぐとそれをヒスイの前に突き出した。
「あ、ありがと。」
キャミソールとミニスカートから覗いた白い肌が寒々しい。
ずっとガキだとばかり思っていたが、最近の子供は発育が著しいようで…正直目のやり場に困る。
ヒスイは俺が発する『ガキ』という単語に異常なまでの反応を示すので、このごろは使っていない。ま、そういうところがまたガキたる証拠なのだが。
「どういたしまして。」
おずおすと上着を受け取ったヒスイはさっと肩に羽織ると、爪をたてるように自らの腕をぐっと握りしめた。
まるで苦虫でもかんだような顔をしてやがる。
「どうして…あんな場所にこだわるの。」
途端に、周囲の空気が張り詰める。
噛締めるように、ヒスイは俺を暗に責めた。
「こっちに引っ越せばいいじゃん。あたし達家族も、おじさんだってきっと協力してくれるよ!もし、学校のみんなにオトシボシに住んでることがばれたら面倒だし…っていうか多分、差別とか、いろいろムカつく事とかあるだろうし。マジュちゃんだってそのほうが」
なるほど。
妙に深刻な顔つきだと思ったら、その話か。
今までも何度か口にした、その言葉を今度も俺は口にする。
「それは出来ない。」
「だから、どうして!」
ベンチを叩きつけるように立ち上がったヒスイの、鋭い眼光が俺を射抜く。
だめなんだ。
出来ないんだよ。マジュ自身がそれを望まないかぎり。
オトシボシがこの国にとっての掃き溜めでも、あいつにとってはとても大切な場所だから。
第2経済都市、星都。十数年前の大規模災害とそれに続く暴動により都市機能はほぼ壊滅。今となっては警察の無介入をいいことにマフィアやら犯罪者やらの巣窟となり、治安は悪化の一途をたどっている。
かつては新星とと称された巨大都市は見る影もなく、文字通り堕ちたといえる。
それが無法地帯、オトシボシ地区だった。
詳しい経緯は俺も知らない。とにかく、オトシボシを離れるわけにはいかないんだ。マジュは俺が守ってみせる。今までも、そしてこれからも。星の逝去とともに蒸発した両親の分も、俺が必ず。
月が雲間に消えた。
急激に空気が冷えた気がした。血の一滴まで凍てつかせるかのように。
「…そろそろ帰るぞ。お前、明日も学校だろ?」
ヒスイのビー玉のような瞳が淡く揺らめく。
「ヒスイ、俺の勝手ついでに一つ頼まれてくれ。マジュを…俺の目の届かない所ではお前が守ってやってくれ。あいつは辛くても耐えて気丈に振舞っちまうくせがあるから。おまけに自分が擦り切れる寸前までそれに気付かねぇんだ。」
真珠は7つ年の離れた俺の妹。
中高一貫の学校に通う、中等部2年生。高等部の3年生であるヒスイの後輩だ。2人の通う学校はオトシボシに隣接するこの町の一角にある。
送り迎えは俺がしている。この町はともかく、橋を越えてからはマジュ独りで歩かせるにはあの地区は危険すぎるからだ。
俺は昼間は酒屋、夜は週2の家庭教師のバイトを掛け持ちしている。マジュを見守るにも限度がある。
その点、何かとマジュを気に掛けてくれているヒスイには密かに感謝している。
小休止。のち、すぅっと息を呑み込む音。
「そんなの当たり前じゃん!伊達に空手部主将はやってないよ!変質者だろうがなんだろうが返り討ちにしてやるっての!」
そう言って、ヒスイは胴着の帯を締めるような仕草で悪戯っぽく笑った。
「ああ、ありがとな。」
にやり、ヒスイの口元が歪んだ。
「その代わり、今度シャトローザのフルーツタルトと船越屋のイチゴ大福、ご馳走してよね♪」
「……ヒスイ君、誠意ってナニカネ?」
月が、再び顔を出していた。
23:30
二人並んで公園を後にした。密集した住宅街の路地を引き返す。
ヒスイを自宅まで送り届け、そして別れる間際になって、ほんの一瞬だけ彼女は寂しそうに俯いた。
「ミアキ。あんまり、無茶しないでよね?」
「あ?」
「な、なんでもない!おやすみ!」
それだけ言うと、ヒスイは後ろ手にドアを閉めた。
バタバタと階段を駆け上がっていく足音。
「…変なやつ。」
再び静寂が戻った。
「さて、帰るとするか。」
近所のコンビにであいつの好きなプリンでも買っていってやろうか。
なんだっけ?黒ゴマのやつ?あ、ついでにハチミツも買って帰ろう。切れ掛かってたんだ。
俺はポケットから相棒のエンジン起動キーを取り出す。静かにエンジンをふかす愛しいフォルツァに跨り、夜空を見上げた。