第二十一話 第三形態
自分はどうしたら、いいのだろう。
橙也は城の地下の大広間に城下町の人々と共に避難していた。
真夜中にメイド達に叩き起こされ、事情を聞いて慌てて身支度を整え、ここまで避難してきたのだが、そこは既に人だかりで溢れかえっていた。
その中にはレディアの妹であるルビィもいる。
体調もあまり良くなさそうだ。
「それでは私はこれで」
橙也を案内したメアリはそう言いながら立ち去ろうとする。その手には杖が握られていた。
見覚えがあった。自分の魔法の得意なクラスメイトや冒険者が携帯していたものだ。
「ちょっとあんた……どこへ行く気だよ!」
「レディア様の援護に」
「いやいや。今ここを襲っている魔獣って滅茶苦茶ヤバ奴なんだろ?あの人はお前らを巻き込むまいと一人で戦っているんじゃないかよ!?」
「ええ、我々は人々を避難させるよう命令を受けました。・・・・・・しかしその後の事は仰せつかっておりません。故にここからは我々も好きに動かせてもらいます」
嘘だ。
彼女達は避難誘導を終えたら、ここに待機命令を受けた。
万が一レディアが敗れたら、彼女の持つ魔力に反応する水晶玉の輝きが消える。その時は避難民を連れて隠し通路を抜けて脱出する手はずになっている。
だが……
(ラナ達を始めとした最低限の人数を置いていけば、誘導は事足ります。我々はレディア様の援護に向かいます)
はっきり言って、今自分達がやろうとしていることは完全な命令違反で下僕として最低の部類だ。
それでもやらねばならない。ここでレディアを失うわけにはいかない。いま彼女がいなくなれば、確実にこの世界の混乱は増していく。
これ以上、「彼」の血族を失うわけにはいかないのだ。
そこまで考えた後、後ろから鎧を着込んで大剣を背負ったガルドが彼女の肩を叩いた。
「いちいち難しく考えんなよ。お前の悪い癖だ。その調子じゃ実戦で動きが悪くなるぜ?」
「今私達がやろうとしていることは……」
「主を助けに行くことだ。違うか?」
「……!」
「なーに。お嬢からはみんなで一緒に怒られようや」
そう言ってニカッと快活な笑みを浮かべるガルドにメアリは一瞬何とも言えなくなるのがすぐに気を取り直す。
「御心配なく。全てはここの指揮を任されていた私の責任です。貴方達が責を負う必要はありません。貴方は私の無茶に付き合わされただけなのです」
「お前本当可愛げねえな……そこは頬を赤らめながら『ありがとう』だろうが」
「?」
「真顔で疑問符を浮かべんな!こっちが恥ずかしいだろ!」
ぎゃあぎゃあと漫才をしているとしか思えない掛け合いをしながら二人は歩み始める。己の主が死闘を繰り広げている戦場に。
そして勇者であるはずの須藤橙也はそんな二人をただ見送ることしかできなかった。
二人の後ろ姿が見えなくなった後、橙也はふと避難してきている人達の様子に目を向けた。
祈りをささげる老婆。
不安そうに互いの手を握り締める恋人らしき二人。
強く抱き会う親子。
やけくそのようにひたすら酒を煽る男。
(俺は何をしているんだ?)
橙也は振り返る。思えばいつもそうだった。学校で普通の人生を送っていた時から、いつも馬鹿みたいに騒いで囃し立てて茶化して、うやむやにして結局自分では何もしない。
いつも優斗や葵が何とかしてくれるのを待っていた。
勇者として召喚された時も同じだ。
日増しに強くなっていくクラスメイト達を見ながら、自分はこう思っていた。
(ああ、こいつらの内の誰かが勝手に解決するから大丈夫だ)
自分は何もしなくていい。
いつも通りヘラヘラ笑って親友ポジションに立っていよう。
いつも通り周りに流されていよう。
いつも通り楽天的な事を言って周りを呆れさせよう。
幸いなことに優斗や葵も自分の事を過大評価してくれてる。
だったら彼らの思うとおり、ちょっと困った時にちょっとアイテムやら補助魔法やらサポートすればいいじゃないか。
それで十分じゃないか。
……そのはずだった。
こんなはずじゃなかった。つい一時の気の迷いで人類の敵の総大将を助けてしまって、そしたら今度はいきなり魔王城に呼び出されて、そいつから自分に力を貸してくれと頼まれる。
何だこれは。おかしいだろう。もういやだ。たくさんだ。
自分は主人公になれなくていい。そんなの優斗にでもやらせておけ。何で俺なんだ。
いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ
『それはそれで疲れない?』
不意にそんな言葉を思い出した。
誰もいなくなった夕焼けの放課後の教室だった。
最初は軽いおしゃべりのつもりだった。
忘れ物を取りに教室に戻ったら、偶然に居合わせたクラスメイトの少女、堅物真面目で有名な子だった。
どうやらプリントの提出に思ってた以上に手間取ってしまっていたらしい。
そのまま立ち去るのも気まずかったので、とりあえず手伝うことにした。
彼女は見た目だけなら美人の部類に入る方だし、からかい甲斐もありそうだったので煽るつもりで作業の片手間に話かけてみた。
話は思っていた以上に弾んだ。
好きな音楽、この前の小テストの出来、最近できた新しい友達。
しかし、会話をしてみるうちに自分でも何を思ったか、気付けばそのまま本心を全て吐露してしまった。
ああ、これは怒鳴られるかな。
彼女の教室での行動を見ていた橙也は次に自分に向けられる罵声を覚悟していたが彼女はただ静かに話を聞いていた。
やがて彼女は口を開く。まるでやさしく諭すように、そんなことはないと否定するように。
『それで茶沢君に殴られたりしてるの?私がいうのもなんだけど不器用なのね。貴方』
『私は今までの貴方とその話を照らし合わせるとクラスのみんなのために自分をすり減らしているようにみえるけどな』
どう解釈すればそうなるのだ。美化しすぎだろう。見当違いにもほどがある。
『そんな目に合ってもヘラヘラ笑っていられるなんて私の知る限りよほどの馬鹿か優しい人よ。……あなたの場合両方かもしれないけど』
余計なお世話だ。……とりあえず馬鹿ということにしておいてくれ。
『はいはい、そういうことにしておくわね。お馬鹿さん』
からかうつもりが逆にやり込められてしまった。
あまり思い出したくなかったことを思い出してしまっていたら、不意に自分の手に暖かい感触を感じる。
そこには自分の手を取って掴む一人の魔人の少女がいた。
少女は涙を浮かべ、小さく震えながら橙也の手を握っていた。
「お兄ちゃん。この前レディア様と一緒にいたよね。……お友達なんだよね?」
そう言われて思わず口をつぐむ橙也。友達どころか、役職的には敵同士と言ってもいい間柄なのだ。
「レディア様はマジュウなんかに負けないよね?」
少女は繰り返す。
「レディア様は私達にとってユーシャだもん」
そこまで言って少女の母親らしき女性が走ってきて、ひたすら謝りながら抱えていった。
そんな親子を見送った後、橙也は静かに歩き出す。
歩きながら橙也はあきれ返る。
結局自分は何も変わっていない。流されてばかりだ。
ただ情に流されてレディアを助けに行くそれだけだ。
何も変わっていない。
そう思いながら、橙也は刀を握り締め、次第に歩みは早くなる。
後ろからルビィが『御武運を』と呟いたのが聞こえてきた。
(期待しないでくれよ)と心の中で返す。
どうせ辿り着いたときはあの魔王様が全て終わらせている、というか終わっててくださいお願いします。そんなふざけ交じりの相変わらずの楽天的思考を浮かべながら、橙也は足を速める。
結局自分は馬鹿なのだから。
◆
『やられたな』
レディアは劣勢に立たされていた。
目の前のキマイラをひたすら殴りつけるレディアは違和感を感じるべきだった。
最初は優勢に立っていたはずがキマイラは再生能力を有しており、今まで与えたダメージもみるみる回復していっている。
『焦り過ぎてヤキが回ったか』
そういってキマイラの足元から伸びて地面に根を張るソレを忌々しそうに睨みつける。植物の蔦状のそれは地面からのマナを吸い上げてキマイラの体を癒していた。
まさか植物の特性まで得ていようとは思わなかった。
魔獣の成長速度は自分の予想を大きく上回っている。
『暴食ここに極まれりだな。人や魔物だけでなく大地の精気をも喰らう。いい加減に腹を壊すぞ?』
そう軽口を叩くもキマイラは何も答えない。その代わりに真ん中の獅子頭が大きく舌なめずりしている。いまだに食欲は衰えていないらしい。
おまけに魔獣は魔染病の毒素を多くその身に含んでおり、目の前のキマイラも例外ではない。
魔染病は強い魔力を持つ者には発症しないというが今の自分は大分衰えている。
いつ感染するか分からない。
これ以上長引かせるわけにはいかなかった。
『ここが人間領じゃなくて良かったよ』
レディアは体内で魔力を練り上げ、一気に放出する。
本来ホロウムの人間ではできないことを。
『うっとうしい結界がある向こうじゃこの姿になるのは不可能に近いからな』
そう言った瞬間に、彼女の身体から再び高密度の炎が噴き出て巨体を丸ごと包み込む。
キマイラは再び特攻を仕掛けてくるのかと身構えるが、レディアは動く様子はなかった。
彼女の体を包む炎は天に向けて高く火柱となって遡る。
そしてパッと消えた。
キマイラは突如姿を消した獲物に、もしや逃げたのかと魔力を感知しようと五感を研ぎ澄ませるが。
「ここだ。ノロマ」
突如後ろから声が聞こえた。
そこにいたのは初めに目にした人間の姿をしたレディアだった。
しかし髪は赤からさらに濃く真紅となり、側頭部には先程の大鬼の形態と同じように二つの角が伸びており、服装は大きくスリットの入った赤と黒を基調としたチャイナドレスのような服で肩にさっきの着物を肩かけている。
「ここからは本当に手短に終わらせるぞ。……なにせこの姿は下手をすれば私の身体が崩壊しかねんなのだからな」
そういってレディアは片手で持っていた物を無造作に放り捨てた。
ベチャリと嫌な音を立てて地面に転がる大きな羊の頭。
それはキマイラの頭部の一つであった。
『ゴギヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン』
ようやく自分の身体が欠損していることに気づいたキマイラは痛みと怒りをない混ぜにした咆哮を上げる。
殺し合いは終局を迎えようとしていた。




