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僕の死神  作者: 泣村健汰
9/10

23歳


 『23歳』


 空は突き抜ける程に青く、白い雲はその中を悠々と浮かんでいる、そんな日和だった。

「お兄ちゃんと出かけるのなんて、久しぶり」

 そう言いながら、僕の腕を平然と掴んでくる。見た目的にも、恋人と勘違いされてもおかしくは無いシチュエーションだが、美玖はそんな事露程も気にしていないようだった。

 ――やれやれ……。

 一体何処をどう間違って、高校生になっても兄貴大好きに育ってしまったのだろう。苦笑しながらも、波紋のように静かに広がる嬉しさに顔が綻ぶ。

 まずは一番の目的を果たさなきゃね、と笑いながら美玖が僕を連れて行ったのは、街の商店街にある小さな時計屋だった。

 店内には、無数の時計が所狭しと並べられている。皆それぞれ一様に時間を刻んでいる為、この空間の時間だけは何か不思議な力があるんじゃないかと錯覚してしまう。

 美玖はそのまま店の奥のカウンターまで僕を引っ張っていった。

「すいませーん」

 美玖の声掛けに、はいよぉ、と対応する声が奥から聞こえてくる。そして、ゆっくりとした動きでお爺さんが姿を現した。店主さんだろう。

「ああ、お嬢ちゃん、いらっしゃい」

「あれ、出来てますか?」

「勿論だよ。ちょっと待ってな」

 そう言うとお爺さんは再び奥に引き上げていった。

「こないだ予約して、無くなる前にお金も払っちゃったんだ。とっても素敵なの、きっと気に入ると思うよ」

 美玖がニコニコしながら言う。

「はいよ、お待ちどう」

 お爺さんが持ってきたのは、銀色をしたアナログの腕時計だった。ギリシャ文字で時間を表し、新品である事を主張するみたいに、濡れたように輝いている。

「ありがとう、おじいちゃん」

 そう言うと美玖は、その時計を手に持つと、両手で僕に差し出した。

「誕生日おめでとう、お兄ちゃん」

 そして、つけてあげる、と言いながら僕の左手を掴んだ。僕もそれに従う。左手首に、ひやりとした金属の感触を感じ、そこから嬉しさがじんわりと込み上げてくる。

 近づいて見ると、中央の針穴の下に文字が書かれていた。

「えっと、ハッピーバースデイ……」

「フォーブラザー。バイ、美玖。って刻んでもらったの」

 美玖のニコニコ顔は崩れない。それどころか、さっきよりも嬉しそうな顔をしている。

「気に入った?」

「うん、すごく、ありがとう美玖、大事にするよ」

 そう言って、美玖の頭をポンと撫でてやると、とても嬉しそうな顔をした。

「お兄ちゃん、いい妹さんを持ったね」

 お爺さんも微笑みながらそう言う。そこで美玖が付け足して言う。

「でも、大事にし過ぎて机の中に入れっぱとかやめてよね。ちゃんと使ってくれないと、あげた意味が無いから」

「うん、わかったよ」

 そうして、僕達は店を後にした。

 少しだけ重くなった左手を眺めて、その喜びを噛み締めるように、淡々と動く針達を見つめていた。こんな洒落たプレゼントが出来るようになったんだなと、妹の成長ぶりも嬉しく思った。

「お兄ちゃん、お腹空いた。私パスタ食べたい」

 外に出る前からそんな事を言い出す妹に、やっぱりまだまだ子供だなとも思った。


 夕陽が少しだけ顔を覗かせた頃に、僕達は街中を紙袋を持って歩いていた。

 美玖の希望通りパスタの店に行き、それから美玖の買い物に付き合わされているのだ。美玖はあれこれと服屋を回り、片っ端から試着をしていった。その癖、実際に買うのは服ではなく、帽子だったり靴下だったりするからおかしなものだ。そして一番おかしいのは、それだけ沢山の店を回っているのに、美玖の体力がこれっぽっちも落ちず、むしろどんどん勢いを増しているところだった。そういう様子を見ていると、我が妹もやはり女なんだなと意識せざるを得ない。

「ねぇねぇ、これどうかな? 可愛いでしょ? 似合う?」

 美玖が先程の店で買った帽子を被りながら、僕の方を向いて言った。

「後ろ向きに歩くと危ないぞ」

「やーん、つまんない返事~。お兄ちゃんもやっぱり男ね、こういうとこ解ってないって言うかさ」

 ――こいつ、俺と同じ様な事考えてたな……。

 やっぱり兄妹なんだなと実感する。

 夕陽の中で見る美玖は、贔屓目に見ても、可愛いと思う。いや、どんなに贔屓目に見ても、兄目線は消えないだろうが、それでも思う。可愛い妹だ。

「どうしたの、お兄ちゃん?」

「いや、別に。美玖、お前もう高校生なんだから、彼氏の一人や二人いないのか?」

「……二人もいないよ」

「え、じゃあ、一人はいるのか?」

「え? あ、……うん」

 美玖は頬を染める。

「つい最近、付き合い始めたんだよ、ね」

 美玖の顔が、瞬間、女の子の顔に変わる。その顔を見た時、嬉しさと寂しさが綯い交ぜになって僕の中を駆け巡って行くのを感じた。何だろう、この感覚。

「そっか、カッコイイのか?」

「うん、まぁまぁかな。彼サッカー部だし、スポーツは得意みたい。去年から一緒のクラスでね、それまではたまに話す位だったんだけど、こないだ、手紙貰ってさ。そのまま、行っちゃえー、みたいな」

 美玖は、気恥ずかしそうにそう言った。

 ――ああ、そうか、これが娘を嫁に出すって言う心境なのかな。

 そんな馬鹿な事を考えていた。

「あ、赤になりそう。渡っちゃおう」

 美玖はそこで、チカチカと変わる青信号に向けて走り出した。僕もそれを追いかける。

 美玖が横断歩道に二三歩足を踏み入れたその時、けたたましいクラクションとゴムが地面に爪を立てる音が聞こえてきた。

 美玖のすぐ横に、明らかに止まりきれないであろうトラックが姿を現したのだ。

 僕は、悟った。

 ――ああ、そっか、このタイミングかぁ。

 瞬間、世界はスローになる。

 僕は無我夢中で美玖を向こう側へ突き飛ばした。美玖は背中を急に押された事で、前のめりに倒れてしまう。

 ――そう言えば、美玖は今日スカートだったな。あれじゃあ膝を擦りむいてしまうかもしれない。

 案の定、膝から倒れた美玖が中央分離帯に到達するのが見えた。同時に、僕の視線は空中を漂っていた。空は突き抜けるように高い。その空に、吸い込まれていくような感じがして、再び引き離されていく。そのまま、背中に強い衝撃が走った。衝撃だけで、痛みはまるでなかった。一度身体が大きく弾んで、それから、再び地面へと吸い込まれた。

 遠くに美玖の姿が見える。何か、信じられないものでも見るように、僕を見ていた。

 ――そんな顔すんなよ、僕はお化けじゃないんだぞ。

 そのまま、美玖は僕に駆け寄って来る。だがその途中で、僕の世界は暗闇に包まれる。最期に、美玖の絹を裂くような声を聞いた気がした。


 目が覚めると、世界は桃色だった。

「あれ?」

「涼君」

 目の前には、ククが居た。

「クク」

「お疲れ様」

「あ、ああ」

 そう言う事か。

「ここは、もう天国って訳か」

 驚いた。死ぬ時の痛みも走馬灯も何にも無い。気がつけば、もう天国へ連れてこられてしまっていた。

 だが、ククはそれをやんわりと否定する。

「違うよ、ここはまだ天国なんかじゃない。だって、涼君の命はまだ機能してるんだもん。まだ死んだ訳じゃ無いのよ」

「じゃあ、ここは?」

「ここはね、人が死ぬ前に、最期に訪れる場所だよ。体から解き放たれて、それでも束の間、この世界を見渡せる場所。だから……」

 そう言って、ククは近寄ってきて、僕の手を握った。初めて感じる、ククの手の感触だった。

「ね?」

 ククは少しだけ悪戯めいて言う。その感触は、想像していたよりも冷たくて、けれどもやっぱり、優しかった。

「僕は、どうなったんだ?」

「涼君はね、車に撥ねられて、今は病院のベッドだよ」

「そうか……、美玖は?」

「あの子は膝を擦りむいただけだよ。心には、大きな傷があるかもしれないけどね」

 ククは、そう言って向こうを向いた。

「それは、やっぱり僕のせい?」

「当たり前でしょ。目の前でお兄ちゃんが、ううん、大好きなお兄ちゃんが、自分を庇って、今病院に担ぎ込まれてるんだよ。傷つかない妹がいるわけないでしょ」

「でも、それは仕方ないよ。決まってた事だったんだ。だろ?」

「そうだけど……、涼君は、本当によかったの?」

「……ああ、これでよかったんだよ」

 ふいに頭に、あの夜の光景が浮かぶ。


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