12歳
『12歳』
美玖は小学生になった。
「うん、似合う似合う。なかなか格好いいぞぉ」
学ランの試着を終えた僕を、ククは舐めるように見つめてくる。
「なんか……、大きい」
初めて着てみた黒い制服は、肩のあたりがずしりと重かった。姿見の中に映る自分には、正直まるで似合っていない。どう見ても、学ランを着ていると言うより、学ランに着られていると言う感じだ。詰襟はなんだか窮屈だし、首元のホックまで止めると、自分がロボットになったような気さえする。袖口のボタンの意味もわからないし、これから先3年もこれを着ると言うのが、なんだか想像出来ない。
「変だよ……、僕には似合わない」
「そんな事無いって、ほらほら、ピッと立って」
言われた通りに背筋を伸ばす。でも、やっぱり似合って無い。後ろをふわふわ浮かびながら、手を四角に構えて、ファインダーを覗くようにククは僕を見る。勿論、その姿は鏡には映っていない。僕にしか見えないし、僕にしか聞こえない声で喋る。
「クク、怒らないからさ、本当の事言っていいよ」
僕はククに向けて、不満そうにそう言った。するとククは、フフフと含み笑いを浮べながら、僕の周りを素早くクルリと回った。
「涼君、私に本当は似合って無いって言って欲しいの?」
「いや、そうじゃなくて」
「じゃあ、私は似合ってるって言ってるのに、信じてくれないの?」
「だから、そういうことじゃ……」
ククは笑いながら僕の周りを回り続けている。
「やめてよ、目が回る」
「死神のダンス」
ククはそこで僕の前に止まって、自分のスカートの裾を指でそっと摘んだ。
「涼君は今、大人に近づいてるんだよ。それが自分には滑稽に見えるんだろうけど、それは成長してるからなんだよ。大人になったら」
ククの顔が近づく。僕の目の前で、すっと手を差し出す。
「レディーをダンスに誘えるようにならなくちゃね」
ククは再びその場でクルリと回った。裾がふわりと浮かび、軟着陸をする。
「ククは僕が小さい頃からずっと変わってないじゃないか」
「そうよ、私はずっとレディーなんだもの」
「そのレディーは、僕の手も握れないじゃない」
「レディーに誘われるのを待ってちゃダメ、紳士は自分から行かなくちゃ」
ククが、僕に再び、そっと手を差し出す。少し呆れもしたが、ククの笑顔に勝てなかった。
「はぁ……、ククさん」
「はい、何でしょう?」
「今夜は、僕と」
「私」
「はぁ……、今夜は、私と、踊って戴けませんでしょうか?」
「えぇ、喜んで」
そう言うと、僕はククの前に跪き、その手にキスをするフリをする。勿論手には触れられないから、ククも僕に合わせて手を動かしてくれる。二人の手を重ねようとした時、一瞬、ククの手が僕の手をすり抜けた。途端に、なんだか全てが冷めてく感じがした。
「あぁ、やめやめ」
「えぇ~、続きやろうよ~」
今日はもう寝る、と言い切って、僕は学ランを脱いで皺にならないようにハンガーにかけて、布団に潜った。
「涼く~ん」
「今日はおしまい」
「ぶ~」
ブーたれるククを尻目に時計を見ると、時間は11時になろうとしている。
――春休みだからと言って、夜更かしが過ぎたな。
何はともあれ、来週から中学生だ。死神がまだ見えてる人間は、誰もいないんだろうけど……。
時間と言うのは、人間だけに与えられる特別な概念なのかもしれない。ククを見ていると、不意にそんな事を思う。
彼女と初めて会った時の事は、勿論覚えていない。何しろ彼女は、僕が生れ落ちた瞬間から僕の傍にいて、それから両親よりも長い時間、僕と一緒の時を過ごしているんだ。
僕の身体は成長しても、ククは何も変わらない。どうしてかと尋ねても、死神だけに止まらず、神様とはそう言うものなんだと、曖昧に返される。これは僕の予想だけど、その答えはククにもわからないんだと思う。
ククの死神ナンバーは81らしい。死神に番号がついているのは驚きだが、どれくらいの数が居るのかと聞いても、地球の人口と同じだけ、と言う答えは返って来ない。この星に生きるありとあらゆる全てのものに、死神は宿っているのだと言う。
死は公平だから、と彼女は言う。そして、81と言う数字も、あくまで人間的な表し方に過ぎず、彼女達死神にしてみれば、数字そのものにあまり意味は無いらしい。役目を終えた死神から次の死神に番号はどんどん継承されていく、だから限りない程の輪廻転生を繰り返しているこの星の死神にしてみれば、どの数字が新しいか古いかなどを知る術は無いのだ。
彼らの役目は、自分が与えられた対象物を看取ると言う、唯一無二の至上目的で占められている。
だが彼女は、そんな数多の死神達の中でも、かなり幸運の部類に入るらしい。
「だってよ、普通は毎日ブラブラプカプカ浮かんでるだけなのに、私はこうして涼君と話が出来るんだもの」
そう、死神はいつか見えなくなるもの。殆どは幼少とも言えない幼い頃に見えなくなり、死神が自分についてるという事実も記憶も、全て忘れてしまうのだという。だがごくたまに、僕のような人間が現れて、それに付く事が出来た死神は、最高の暇つぶしになると言う訳だった。
僕は、来週からもう中学生だ。だけど、自分に死神が見えていると言う事が、不思議な事だとは感じない。寧ろみんなに付いているのに、何故みんなには見えないのかと言う素朴な疑問が浮かぶ程だ。それは恐らく、僕にとって死神、ククと言う存在はもう既に、居ることが当たり前の存在になっているからなのだろう。
それをククに話してやると、ククは少し嬉しいような寂しいような表情をする。この質問に限らず、ククはよくそう言う顔をする。その顔の理由を聞こうとしたが、返ってくる答えは決まって、レディーには秘密が似合うのよ、である。
ククは、レディーと言う言葉をよく使った。そしてよく、僕をダンスに付き合わせた。お互い触れる事が出来ないのはわかっている癖に、まるで対岸の友人と双眼鏡一つで会話を楽しむように、触れられない事実の中でも手を取り合ってダンスを踊った。時にはワルツを。時にはタンゴを。僕にもククにも正式なダンスの知識があるはずも無い。だから、二人とも本当に手探りで、ただ上品に見えるように、空気を優雅に楽しむように、ダンスを奏でるのである。
だから、本当は音楽なんて何でもよかった。クラシックだろうと、ジャズだろうと、その場に流れる空気の毛色が変わればよかった。そして僕は、ダンスそのものよりも、普段あっけらかんとしているククの顔が、その瞬間だけ物静かに、どこか気品さえ漂わせるような、清楚な顔つきになるのを見たかった。だから、僕はよく、ククのダンスに付き合った。
二人だけの舞踏会は、いつも僕の部屋で行われる。さほど広くは無い部屋で、蛍光灯は消し、豆電球の明かりでステップを踏む。感触の無いククの手を握ろうとして、空中でその手を固定する。触れられないはずの彼女の手から、何故か温もりだけは伝わるような妙な感触。恐らく、それは僕の気のせいだ。触れているはずなのに、触れていない手の感触と、視覚が脳を揺さぶり、無意識に錯覚を起こさせているのだろう。
でも、悪くない感覚だと思う。